祭りのあと その3



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「済まなかった姉上。醜態しゅうたいををさらしてしまった」

 扉を閉めたモデストが、深々と頭を下げた。

「およしなさいモデスト。ガルメンディア家の男が、軽々しくこうべれるものではありません」

 巨大なクッションに巨大な身体を沈めたイネスが、のろのろと物憂ものうげに手を振った。

 たったそれだけの動作で息は上がり、全身に浴びるような汗をかいている。

 膨大な量の贅肉に覆われた肉体が、出来立てのゼリーのようにプルンプルンと震えた。

「私は、あれの育て方を誤った」

 忸怩じくじたる思いが滲み出た。

「そうでもないわ。ベラスコには英雄の気概きがいがある。王を王とも思わぬ気骨。男は、あのくらいでないと」

 イネスの言葉に、モデストが苦笑を浮かべた。

「よしてくれ姉上、それは伯母の欲目というものだ」

 モデストの苦笑につられるように、イネスも微笑んだ。

 そのイネスの顔を、モデストは美しいと思った。

 確かにふとった。

 全盛期の美貌は、見る影もなく分厚い脂肪に覆い隠されている。

 だからといってイネスが生来の美を損ねたとは、モデストは思ってはいない。

 姉は、いまもって美しいままである。


 ふくよかな女性を好む男は多い。

 現に国王シオン一世の寵愛ちょうあい第一とうたわれるリーゼロッテ夫人も、末子であるアーシュラ王女を出産した第七夫人トレイシーも、豊満な肉体の持ち主だ。

 問題はイネスの性格にある、と、モデストは見ている。

 イネスもベラスコも、ガルメンディアの家名にとらわれ過ぎている。

 確かにいにしえの昔、大レイリア帝国にあって薬樹院やくじゅいんの祖として栄華を極めた。

 トバール帝国時代は、五代に渡って宰相さいしょうを務めた。

 ブロント王国では、薬樹頭として権勢を奮う名家である。

 だがどの時代にあっても、遂には王権を手に出来なかった弱小勢力でしかない。

 寄らば大樹の喩えの通り、その時代々々で最も勢いのある軍団に組することで、かろうじて生き抜いて来た宿り木に過ぎない。

 ガルメンディア家を嫌う者は、この転身の様のみを見て、蝙蝠と呼び、風見鶏と嘲る。

 なにを謂うか!!

 と、反撥する心をモデスト自身持っている。

 いにしえの大レイリア時代から、しぶとく生き延びた家が、いったい幾つあるというのか。

 ガルメンディア家ぐらいしか在るまい。

 この一事を以て、ガルメンディアを名乗る者は、胸に矜持の二文字を刻むのである。

 これこそ誇りではないか。


 だが誇りを持つことと、それによって傲慢ごうまんになることは、全くの別問題だ。

 イネスの周囲にも、ベラスコの周囲にも、おべっか使いの太鼓持ちは無数にいるが、真に友と呼べる者は皆無といっていい。

 救いがたいのは、イネスも、ベラスコも、その事実に気づいていないことである。

「さて、宮殿に戻らないと」

 両手を打ち鳴らして、駕輿丁かよちょうを呼んだ。

 六人の屈強な男たちが現れ、イネスを前後左右から優しく抱え上げる。

「お待ち下さい姉上」

「なに」

「夜も更けました。もう一晩当家に逗留とうりゅうなされてはいかがです」

「そうもいってられないわ。ハリエットがとんでもないことを仕出かしたと、急使が手紙を寄越したのよ」

「ハリエットさまが? いったい何を」

「城を抜け出して、城下へ行ったんですって」

 一瞬言葉を失ったモデストの脳裏に、人目を盗んで城下に足を踏み入れた、ハリエットの愛らしい姿が想い浮かんだ。

 思わず声に出して笑った。

「大胆ですな」

「笑いごとじゃないわ」

 不機嫌そうに顔を歪めた。

「活発なのは、良いことです」

「まったく誰に似たのかしら。人混みだらけの不潔な街中に出るなんて。ああぁ、おぞましい。リーゼロッテの山猫の側にいるから、悪影響を受けているのね」

 イネスの愚痴を聞きながら、モデストは若い頃の姉の姿を思い出していた。

 艶やかな黒髪を背中に垂らし、風を切って走り回っていた頃のイネスを・・・

 ハリエットが誰かに似てるとしたら、それは間違いなくイネス本人だ。

 だが、そのことは口にしなかった。

 イネスが、いまもってハリエットを憎んでいることを知っているからだ。


「あんな子、産むべきじゃなかったわね」

「姉上」

 強い口調で、モデストがたしなめた。

「そのようなお言葉。決して口にすべきではありません」

「なぜ? どうして? ここには私と貴方しかいないじゃないの?」

 モデストの視線が駕輿丁を見据みすえた。

「貴方も知ってるでしょうモデスト。この子たちは、誰にも何も喋らないわよ」

 イネスの駕輿丁を務める六人の大男たち。

 彼らは、元々文字の読み書きが出来ぬ上に、イネスに仕える際、己が舌を切断している。

 これは沈黙の誓いのためだ。

 王族、特に王と皇太子、妃に仕える者は、厳しい情報統制下に置かれることになる。

 王族のプライベートを、みだりに口にしてはならないからだ。

 陰が形に従うが如く、四六時中王の側に仕える近衛騎士などは、特に厳しい箝口令かんこうれいが布かれる。

『全てを耳にし、一切を語らぬ』

 これを沈黙の誓いという。

 近衛騎士のように高度な訓練を何年も受けた者であれば、どれほど苛烈な拷問にかけられようと、決して口を割ることはあるまい。

 だがイネスの駕輿丁は、元は一兵卒と市井の民である。

 近衛騎士のような訓練は受けてはいない。

 では、どうするか?

 イネスはこの問題を、酷く乱暴で残酷な決法で解決した。

 舌を抜いたのである。

 読み書きも出来ず、さらに会話もできなければ、不都合な話しは一切外に漏れることはない。

 モデストがあきらめたように首を左右に振った時、屋敷の外で大きな太鼓の音が三度響いた。

 次いで、先触れの少年の良く通る澄み切ったボーイソプラノが、王の来訪を高らかと告げた。



 ♠



 ナイトガウンを身に着けたまま、モデスト・ガルメンディアは門前に駆け出し、国王シオン一世を出迎えた。

 この描写に、不思議な思いを抱く読者もおられると思うので、補足説明をしておこう。

 なぜモデストは、ナイトガウンのような平服で国王の前に出たのか?

 礼服に着替えるべきではないのか?

 無論、モデストも王宮に出向く際は、頭の天辺から爪先まで隙なく正装に身を包む。

 だが今回のように、王自ら貴族の屋敷に出向いた時、もたもたと礼服に着替えていたのでは、いたずらに王を待たせることになる。

 王土の守護者たる国王を待たせることほど、礼に失する行為はない。

 そのため突然の王の来駕の際には、例え、それが寝間着であろうと、入浴中であろうと、女と睦みあってる最中であろうと、全ての行為を中断して出迎えるのが、最上の礼とされた。

 ちなみにいえば、王は何があろうと急ぐことはない。

 大貴族が面会に来たとしても、ゆっくりと食事を取り、風呂に入り、女を愛で、ペットと戯れ、気が向いたら会えば良い。

 その間、当の貴族は何時間でも、時には何日でも、粘り強く待たねばならない。

 まあ、これは極端なたとえだが、おおむねそのような感じである。


 停車した六頭立ての馬車の扉が開き、近衛騎士サー・ナイジェル・ガザードの手を借りてシオン一世が降りた。

「済まんなモデスト、このような夜更けに」

 外套を従者に手渡しながらシオン一世がモデスト言った。

「なにを申されましょう。いつ、いかなる時でも陛下をお迎えできるよろこび、なにものにも代え難き倖せ」

「うむ」

 ガルメンディア家の門前にシオン一世が立つと、先触れの少年が、もう一度大きな声で国王の来着を告げた。

 時ならぬシオン一世の来駕らいがに浮き足立つ屋敷内で、イネス一人が不機嫌を絵に描いたようなふくれっつらで、ただでさえ丸い顔を、さらに丸くさせていた。

 シオン一世がこんな夜更けにガルメンディア家を訪ねたということは、取りも直さずイネスを訪ねて来たということだ。

 その原因がハリエットにあることは、想像に難くない。

 憂鬱な気持ちになった。

〈あの子には、面倒ばかりかけられる……〉

 染め付けの大皿に盛られたお菓子に手を延ばすと、コロコロとした太い指でひと山掴み、そのまま口に頬張った。

 輝く白い歯で、ザクザクと噛み潰す。

 ローストしたナッツの香ばしさと、ほのかな苦味が、菓子の甘さを引き立てる。

 イネスのしかめっ面に、喜色が浮かんだ。

 手を叩き侍女を呼ぶと、瞬く間に、イネスの周囲をお菓子が取り囲んだ。

 ティーカップを片手に、次々と口に運んでいると、扉をノックする音が聴こえ、モデストを先頭に近衛騎士に四方を囲まれたシオン一世が現れた。


 途端に、イネスの顔がくもった。

〈姉上、もっと笑顔で出迎えて……〉

 モデストの心配をよそに、シオン一世が穏やかな口調で声を掛けた。

「イネス、息災そくさいか」

「ええ。陛下も御壮健そうで、なによりです」

「うむ」

 そう返事を返してイネスのクッションに腰掛けると、懐から取り出したシルクのハンカチで、イネスの口元を丁寧に拭った。

「陛下」

「クリームがついていた。せっかくの美人が台無しではないか」

 そう囁くと、イネスの頬に口づけをして立ち上がった。

「――陛下」

 ほんの少し薄紅色に頬を染めたイネスが、口づけをされた右頬を手で押さえた。

 ジー……ンと、痺れるような快感の余韻がある。

 嬉しさに、顔が自然とほころぶ。

「今日来たのは、他でもないハリエットの件だ」

 そう切り出されたイネスの顔から笑みが消え、内心の忌々しさが眉間の深い皺として現れた。

「モデスト。人払いを」

 そう命じられたモデストが、強く手を叩く。

 イネスの周囲でかいがいしく世話をしていた侍女たちが、シオン一世に一礼して退出した。

 室内に残ったのは、シオン一世と、モデストにイネス、四名の近衛騎士と、イネスの脚となる六人の駕輿丁であった。

 シオン一世が、ジロリと駕輿丁を見た。

 その視線に気づいたイネスが口を開いた。

「彼らは、私の脚です」

「いかなる官位も持たぬ、ただの輿舁こしかきに過ぎん」

「ご心配なく、彼らは喋れないし、文字も書けませんのよ」

 イネスの言葉に、シオン一世は嫌悪感を覚えた。

 この六人の男が、イネスの駕輿丁となるために差し出した代償の大きさを、シオン一世も知っている。

 そして心底不快に思っていた。

 美女と美食と大金とひきかえに、永遠に言葉を喪った無恥な男たち。

 本来なら、王の前に立つことさえ許されぬ男たちであった。

 男たちの顔を見た。

 太々しい顔をしている。

 王をおそれぬ不遜な顔だ。

 これだけでイネスのしつけの悪さと、イネス本人の思い上が分かろうというものだ。

「よかろう」

 一度言葉を切って、シオン一世が続けた。

「口は利けずとも、耳は聞こえよう。そなたたちも証人となるがいい」

 証人という言葉に、一抹の不安を覚えたイネスが、弟に眼をやった。

 モデストが首を左右に振っているのが見えた。

 再びシオン一世を見た。

 その瞳が、イネスを見据えている。

 イネスの豊満すぎるはど豊満な胸の奥で、肥大化した心臓が嫌な高鳴り方をした。



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 第三章 祭りのあと その4へつづく。


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