山猫と剣匠 その5


 癒やし手の部屋を出る頃には、ロレッタの胸は霧が晴れるように清々しさに満たされていた。

 これで剣の稽古を再開できる。

 ウキウキと城の回廊をスキップしながら歩いていると、ロレッタは主治医の一人とばったり出くわした。

 医師は、ロレッタに気づくことなく通り過ぎた。

 このまま進むと、リーゼロッテの居室である。

 ロレッタは、ドキリとした。

 リーゼロッテは、身体が弱い。

 元はそうでも無かったが、末弟のテレンスを出産して以来、長患いが続いている。

 時々、咳き込んでいる姿も見かける。

 アイヴァンは冗談めかして、ロレッタがリーゼロッテの元気を全部吸い取って生まれて来たせいだとはやし立てた。

 胸騒ぎがした。

 何かあったのでは、と。

 気配を断ち、足音を忍ばせ、物陰からそっと覗き込むように医師のあとをつけた。

 扉に、そっと耳を寄せると、なかの会話が聞こえた。

「……そう。ロレッタの傷は完治してるのね」

 安堵したような声である。

「では、もう少し引き延ばしてちょうだい。陛下にもご相談して、いまの内に、あの子から剣を取り上げます。プリンセスに相応しく、ドレスの似――」

 扉から耳を離した。

 ロレッタの両目に涙が湧いた。

 我知らず走った。

 右手から包帯を解くと、そのままうまやに飛び込んだ。

 馬に飛び乗り、ひと鞭入れるなり駆け出した。

「姫さま!!」

 厩番うまやばんが叫んだが、耳を貸さなかった。

 そのまま城門から飛び出した。

 ヴェルス城は、上を下への大騒ぎとなった。




 ♠



 小柄な老人であった。

 身長は百六十センチそこそこ、体重は五十キロもないのではないか。

 白髪はくはつ白髯はくぜん、眉毛まで真っ白な小さな顔に、ニコニコと柔和にゅうわな笑みをたたえている。

 磨き込まれた黒檀こくたんの杖を手にしているが、杖を頼りに歩いている印象はない。

 むしろ矍鑠かくしゃくとしている。

 祭りで混雑する王都ヴェルスの繁華街を、飄々ひょうひょうと縫うように歩いていた。

 旅装束は旅塵りょじんにまみれてはいるが、薄汚れた感じは受けない。

 何気なく纏(まと》ってはいるが、着ている服がどれもこれも異国のもので、統一感がなく、てんでばらばら、その上ひどく派手な色彩のものだ。

 若者が着ると、道化師か、鼻持ちならないキザな感じになるのだが。

 この派手な衣服に老人の真っ白な頭が乗ると、派手さが抑えられ、ぐっと引き締まった伊印象に変わる。

 着慣れた者だけが持ち得る落ち着いた雰囲気というか、とても粋で伊達な感じに変わるのだ。


 老人が料亭に入った。

 夕飯には速く昼食には遅い、半端な時間だというのに客席は大入り満員状態であった。

 そのほとんどは祭りの見物客だ。

 運良く入れ代わる形で空いたテラス席に陣取ると、ブロント名産のリンゴの蒸留酒トバルジャーマを頼んだ。

 一緒にピクルスと、生ハムも注文する。

 珍しく、アイアロス産の塩漬けオリーブもあったので、それも追加した。

 楊枝の先に刺したグリーンオリーブを口に運び、蒸留酒をひと口啜る。

「う~ん、これこれ」

 老人が納得したように呟いた。

 王都ヴェルスを訪れるのは、実に二十年振りのことである。

 ブロントに最後に足を運んだのは、八年も前のことだ。

 ブロント名産のリンゴ酒の味を、危うく忘れる所であった。

 老人が懐から変わった物を取り出した。

 一見パイプだが、パイプにしてはひょろ長い。

 これは大陸を挟んだ西の果ての大国ザロから輸入される、煙管きせると呼ばれるパイプだ。

 銀延べであり、植物を模した細かな紋様が入っている。

 長年の使い込みによる変色で、なんともいえぬ風合いを醸し出していた。

 タバコを詰め、火を点し、紫煙を吐き出す。

 一服、二服とタバコを喫み、蒸留酒を飲み終えた頃、老人の耳に騒音が届いた。


「喧嘩だー」

 若者の声である。

 それと同時に、何かの割れる音と、肉を打つ音。

 重たいものが地面に倒れる音が同時にした。

「やれやれ」

 と、呟くと最後のオリーブを口に運び老人が立ち上がった。

 せっかくのいい気分が台無しじゃないか。

 考えてみれば、建国祭の最終日だ。

 ブロントの建国の祭りは、別名喧嘩祭りとも呼ばれる物騒な祭りだ。

 最初はアリーナで、次いで町外れで、最終的には街中での大喧嘩で終わるのが、ヴェルスの喧嘩祭りのクライマックスである。

 巻き込まれても構わないが、いまは折角の酒を楽しんでる最中だ。

〈止めるか〉

 そう思い、表に出た。


 人の壁が喧嘩をしている連中を取り囲んでいた。

 横目でチラリとと、人の輪の中心を見た老人が、

「ほぉ~」

 感嘆かんたんの声を漏らした。

 さまになっている。

 四対一の喧嘩だが、四人組みの方が明らかに押されていた。

 大の大人が、年の頃なら十四・五の少年に翻弄ほんろうされている。

 少年は手に、どこかで拾ったまきが握られていた。

 その構えが見事であった。

 老人は、ヒョイとテラスの屋根に登ると、そこで胡座を組んでタバコに火を点けた。

 給仕を呼んで、酒を運ばせる。

 高見の見物と洒落込もうじゃないか。

「このガキっ!!」

 男が包丁を手に少年に躍り掛かる。

 喧嘩祭りに刃物は御法度ごはっとである。

 だが、この男には関係ないらしい。

〈やれやれ、なっちゃいない。下半身が、がら空きじゃねえか〉

 老人が思った途端、少年の

一撃が男の内腿うちももを打った。

 ぞっと寒気がするような、鋭い一撃である。

 真剣ならば、たちどころにももの血脈が切断され、男は数舜で絶命している。

 もっとも得物えものが薪なので、身を裂くような痛みにのたうち回り、声にならない悲鳴を上げているだけだ。

〈やるなぁ〉

 老人が髭をしごいた。


 左右を挟まれた少年が地面に転がる。

 男たちの攻撃は空振りに終わり、代わりに少年の薪が唸りを上げた。

 男たちの手にする武器が弾け飛ぶ。

〈握りもまともに出来んのか? それにしても……〉

 少年の動きに、老人は風格のようなものを見た。

 正統な剣術の基礎がある。

 思い上がった腕自慢が、大人を相手に腕をふるっている訳ではなさそうだ。

 武器を失い呆然とした二人の腕と脚を、少年の薪が打つ。

 命を奪う意志は無いようだ。

〈甘えな、命取りになるぞ〉

 老人が醒めた眼で少年を見た瞬間。

 少年の頭を拳が打ち抜いた。

 刹那せつな

 少年の身体が、地を這うほどに低く沈み、薪の一撃で男の脚を払った。

 男は片足で高く飛び上がり、そのまま重力の力を借りて踵を少年の頭に叩き込む。

 少年は真横にゴロゴロと転がって、その攻撃をかわすや、すぐに跳ね起き男と対峙たいじした。

 少年の顔に、わずかだか冷や汗が滲んでいた。

〈サリードつかいか。そろそろ潮時かね?〉

 熟達じゅくたつしたサリード遣いの拳脚は、鈍器と互角の威力を持つ。

 達人となれば、その五体は刃物に等しい殺傷力を得るに至る。

 少年の前に立った男の拳は、岩のように変形していた。

 達人とまではいかないが、かなりの遣い手に違いない。

 少年が勝てる見込みは低い。


〈真剣を持っていれば、あるいは――〉

 せっかくの見物もここまでと、老人が膝を立てた。

 屋根を降り、助け船を出そうとした、その矢先。

 少年の動きが変わった。

 せわしなく八方に動き回っていた少年が、ピタリとその場に静止すると。

 男に対して半身に構え、腰を降ろし、まるで猫が延びをするように姿勢を低くした。

 そのまま腕を前に突き出し、薪を地面に対して水平に横たえた。

 その先端が、かすかに上下に震えている。

〈これほどか!!〉

 老人は瞠目どうもくし、我が意を得たりとばかりに己の膝を叩いた。

 少年の構えは、迎撃の構えだ。

 上下にかすかに震える、このらぎが、いかなる攻撃が来ようと、即座に切り返して致命の一撃に変化する。


 老人が、少年と対峙するサリード遣いを見た。

 その口元に笑みが浮かんでいる。

 少年の手の震えを、脅えと見たのだ。

〈決したな〉

 男の喉から絶叫が湧き、大気を焦がすような一撃が少年を襲った。

 少年は、小揺るぎもせずに男の一撃を受けた。

 骨を砕く音が響き。

 見物人から悲鳴が上がった。

 少年が死んだと、誰もが思った。

 だが違った。

 男が手首を押さえて悶絶している。

「やったぁ~っ」

 老人が手を叩いて喝采を送った。

 男の拳が飛んで来た瞬間、少年はさらに姿勢を低くした。

 そして全身のバネが極限まで撓んだ瞬間、一気に上体を跳ね上げた。

 まるで獲物に飛びかかる猫のような俊敏な動きだ。

 電光の一撃。

 少年の薪は、男の手首を存分に打った。

 これか真剣であれば、男の手首は天高くね跳ばされ、血飛沫が舞っていただろう。


「人に喧嘩を売っておいて、の程度かッ」

 少年が、変声期前の甘く甲高い声で啖呵たんかを切った。

 そのまま薪で男を打つ。

 滅多打めったうちだ。

 手加減はしているが、許す気は毛頭無いらしい。

 見物人は、少年の剣幕にされて誰も動かない。

 老人が、ぐいっと酒を煽り屋根から降りた。

 人垣をすり抜け少年の背後に立つと、煙管で少年の肩に触れた。





 第一章 山猫と剣匠 その6へつづく



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます