山猫と剣匠 その2


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「射撃犯は捕らえてあります」

 その報告に、シオン一世はバカバカしそうに手を振った。

「子供同士の喧嘩だ」

 厳罰に処す必要は無いというのだ。

「しかし、スリーブニードルを使ったとなれば……」

「使ったのはダスティンとジェイラスだ。射撃犯は、二人の命に従ったに過ぎん」

 矢を指先で弄びながら、シオン一世がキッパリと言った。

〈刺さったのが手だから良かったのだ〉

 この細い矢が、もし喉や胸に刺さっていたならば・・・

 肋骨をすり抜け、肺か心臓に届いていたのでは?

 想像するとゾッとした。

「では?」

 サー・グレッグが訊いた。

「無罪放免という訳にもいくまいな。だが斬首や絞首では重すぎる…… よし、罰として練武場の武具の手入れを命ずる」

「それだけですか?」

 いささか呆れ気味に、サー・グレッグが訊き返した。

「そうだ練武場の全ての武具の手入れを命ずる。二人とその取り巻きだけでやらせろ」

 サー・グレッグが頷いた。

 これなら罰として充分の重みを持つ。

 なんといっても練武場の武具は、共用とはいえ千人分はある。

 千人分の武具を、その人数で手入れするとなれば、かなりの重労働だ。

 片手間でテレテレと行ったのでは、一晩ひとばん掛かっても終わるまい。

「期間は一月ひとつき。手を抜けば、やり直させろ。万全の状態になるまで何度でもだ」

 短く返事をしたサー・グレッグが退出すると、代わりにロレッタとダスティン、ジェイラスが入室した。



 ♠



 ダスティンは、むっつりと黙り込み。

 ジェイラスは、美しい顔をかっかと上気させ。

 ロレッタは、青ざめた表情でギュッと唇を引き絞っていた。

 三人横並びになると、その特徴が良く分かる。

 大柄なダスティンは、年齢の割に厳つい容貌をしている。

 性別以外の全てを母から受け継いだジェイラスの美貌。

 美しさよりも爽やかさが目立つ、ロレッタのりんとした面差おもざし。 

「こんな物を、妹に使ったのかね?」

 スリーブニードルを手に持って、シオン一世が問いかけた。

 二人の王子が、顔色を失った。

 眼が激しく泳いでいる。

 まさか、もう父王に知られているとは、この浅はかな少年たちは想いもしなかったのだ。

「――それはハンフリーが……」

 短い沈黙の後に、やっとジェイラスが口を利いた。

「ハンフリー? ハンフリーとは誰だ!?」

 シオン一世が、初めて耳にする名前である。

 貴族の子弟の名は漏らさず記憶しているが、ロレッタと同年代の子息に、ハンフリーという名前の者はいない。

〈偽名で逃れる積もりか?〉

 シオン一世が、ジロリとジェイラスの眼を見据みすえた時、ロレッタが口を開いた。

「庭師のマシューの息子です」

 シオン一世が、眼だけを動かしてロレッタを見た。

 ロレッタは身じろぎもせず、直立不動のまま一点を見つめている。

 わずか十二歳だというのに、どうしてこうも強情なのか?

 二歳年上のジェイラスの方が、ロレッタの弟に見える。

「そうなのかジェイラス?」

「そうです、父上……」

「庭師の息子が、何故練武場にいる!?」

「それは、その……」

「しかも、どこかで手に入れたスリーブニードルを持ってか?」

「あの、その……」

「盗んだのでは!?」

 ダスティンが助け船を出した。

 これがシオン一世の逆鱗げきりんに触れた。

「馬鹿者ッ!!」

 シオン一世の平手が、紫檀の机をしたたかに打った。

「庭師の息子が、どうして城の武器庫に忍び込めるか。これは袖箭スリーブニードルという古来からある兵器だ。子供のオモチャのように見えるが、れっきとした殺人道具だ。庭師の息子が見たことも、聞いたこともない代物だ。よしんば武器庫に忍び込めたとして、庭師の息子が、このような物に目が行く訳があるまい」

 ダスティンもジェイラスも、父王の余りの激昂げきこうぶりに、文字通り震え上がった。


 シオン一世は、激怒した。

 心の底から怒っていた。

 ダスティンとジェイラスの陋劣ろうれつさに、心底ウンザリさせられた。

 ロレッタを不意打ちしたことにではない。

 全ての罪を庭師の息子にかぶせようとした、その冷酷さにである。

 ハンフリーという庭師の息子に罪はない。

 たまたま庭園の手入れをしていた所をダスティンとジェイラスに捕まり、何ひとつ事情も知らされぬままにスリーブニードルを渡され、ロレッタに向けて発射したのだろう。

 だが事が公になれば、罪を問わぬ訳にはいかない。

 スリーブニードルは、暗殺道具だ。

 第七王女暗殺未遂となれば、重罪である。

 死罪は免れない。

 妹への意趣返いしゅがえしの為に、使用人を生け贄に使ったのだ。

 この二人が、このまま大きくなったらどうなるか!?

 さぞ冷酷非情な君主になることだろう。

 幸いというべきか。

 ダスティンは十五で、ジェイラスは十四だ。

 修正は十分に利く年齢である。

 シオン一世は、二人の再教育を決意した。


「二人には罰を与える。練武場へ行き武具の手入れを行うこと」

「はい」

 ダスティンとジェイラスが、勢い良く返事をした。

 その眼を見れば、ずるいことを考えているのが分かった。

 そこで付け加えた。

「使用人に手伝わせれば、期間は延長される。一人に手伝わせれば一ヶ月。十二人で一年。分かったな?」

 ダスティンが青ざめた表情で短い返事をした。

 その隣で、ジェイラスが横目でジロリとロレッタを睨んでいる。

 どうも年齢が近い分、ジェイラスの方が根が深いようだ。

〈困ったものだ〉

「退がってよい」

 三人が一礼すると。

「リンクス、お前は残りなさい」

 シオン一世が、ロレッタを呼び止めた。

 リンクスとは、ロレッタの愛称である。

 生まれつき目尻のつり上がった、特徴的な大きな眼を持ち。

 狩りに出掛けては獲物を持ち帰るロレッタを、長姉のアレクシスは山猫リンクスと呼んでからかった。

 それが、そのまま愛称として定着したのである。


 王の私室に、シオン一世とロレッタだけが残った。

 しばらく無言でロレッタを見つめたシオン一世が、重々しく口を開いた。

「なぜ兄に、一手ゆずらん?」

 ロレッタが強いのは、誰もが認める所だ。

 この娘の天稟は、底知れないものを秘めている。

 親の欲目ではない。

 指南役を勤めるサー・ドミニク・グリーンとサー・グレッグ・ランバートの両人が、口を揃えてロレッタを稀代の天才剣士と認めている。

 努力と鍛錬で超えられぬ壁を、生まれながらに超越している世にもまれなる存在であると。

 まさしく問題は、そこにある。

 誰もが、この娘を理解できない。

 実の母親すら、得体の知れない未知の生物のように、どこか恐れを抱き遠巻きに見つめている節がある。

 更に不幸なことに、ロレッタも他人を理解できない。

 他者が自分のように速く走れず、深く長く潜れないことを不思議に思っている。

 もっと幼い頃は、それでも良かったのだが、子供たちに自意識が芽生え、プライドが芽生える程に、ロレッタの自覚の無さが大きな障碍しょうがいとなり、兄妹間のコミュニケーションに重大な影響を及ぼすに至った。

 その顛末てんまつが、今回の事件である。


 ロレッタは、直立不動のまま黙ってシオン一世を見ている。

「なぜだね?」

 もう一度、シオン一世が訊いた。

 ややあってロレッタが、重たい口を開いた。

「負けることは、死ぬことだからです」

 つっかえ、つっかえであったが、はっきりとした声でロレッタが言った。

 シオン一世は、正直面食らった。

 まさか十二歳の娘の口から、このような答えが返って来るとは、思いもしなかったからだ。

 せいぜいジェイラスが嫌いだとか、ダスティンが意地悪だからという、他愛のない返答が戻って来るものと信じていた。

「負ければ死ぬかね?」

「死にます」

 ロレッタの返事は、間隔を置かぬものであった。

「稽古でも?」

「稽古でもです」

「なぜ、そう思う?」

 こう問われて、ロレッタは初めて返答に窮した。

 自分でも何故かは分からない、初めて練武場に立った時から、そう思い続けて来た。

 

 兄たちに、


 騎士に、


 兵卒に、


 負ける度に、いま自分は死んだのだと思った。

 疑問に思うことすらなかった。

 シオン一世に問われて初めて、ロレッタは真剣に考え始めた。


 ――何故と?


「……もう良い」

 シオン一世が、言った。

 ロレッタの言葉を聞いた時、シオン一世は、この言葉を誰かの受け売りと思った。

 だから質問した。

 だが違った。

 自分の目の前で真剣に思索しさくを始めたロレッタを見て、シオン一世は、この子が不憫に思えて来た。

 これは到底、子供の思考ではない。

 少なくとも、十二歳の娘の思考ではない。

 戦場往来のつわものの思考である。

〈この子が姫でさえなければ……〉

 ブロントは平和な国だが、この平和には、多くの犠牲と代償が伴っている。

 国境付近では、未だに大小の小競り合いが起きている。

 特に東のシェラックと、西のロンバルディアには、常に注意を払わねばならない。

 もしロレッタが王子であれば、成人の暁に長剣をき、軍装に身を包み、旗手を率いて戦場に向かうことも出来たであろう。

 その時には、盛大に送り出しもしよう。

 だが、この子は娘なのだ。

 ブロント王国の第七王女ロレッタなのだ。

 そのような生き様は、到底望めまい。

「手を見せない」

 シオン一世が、右手を差し出しながら言った。

 ロレッタが、怖ずおずと左手を出した。

 節くれだった指先に、タコで堅くなった掌。

 日頃から、よほど根を詰めて鍛錬を積まねば、このような手にはならない。 

 とても高貴の姫君の手とは思えなかった。

「リンクス。そちらでは無かろう?」

 呆れたような口振りで、シオン一世がたしなめた。

 ロレッタが右手を出した。

 真っ白な包帯が巻かれ、三倍ほどに膨れ上がった右手が痛々しい。

「医師はなんと言っている?」

 ロレッタの手を握りながら訊いた。

「三日もすれば大丈夫だと」

 シオン一世の指先は、矢がつらぬいた患部に触れている。

 顔をしかめながらロレッタが答えた。


 シオン一世が、ほんの少しだけ指先に力を込めた。

「あうっ……」

 薄紅色したロレッタの唇から、小さな悲鳴が漏れた。

「痛かったであろう」

 優しく問いかけた。

 ロレッタのスミレ色の瞳が、途端に潤んだ。

 たちまち大粒の涙がこぼれ落ち、ロレッタの襟元を濡らした。

 それでも、この娘は嗚咽おえつひとつ漏らさない。

「ロレッタ。父の前では、我慢せずとも良い」

 ロレッタがシオン一世に飛びつくと、胸に顔を埋めながら号泣した。

 優しく頭を撫でながら思った。

〈困ったものだ〉

 と。


 ♠


 第一章 山猫と剣匠 その3へつづく



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