翡翠の一角獣 2 大蛇の血脈

宮明寺勝大

第一章

山猫と剣匠 その1


 遥かなる過去と、


 遥かなる未来のはざま、


 広大無辺な宇宙の一角で・・・





〈嫌なヤツだ〉

 と、ロレッタは思った。

 右手がうずくほどに、怒りの純度が増していくのが分かる。

〈そこまでして私に勝ちたいか?〉

 矢に射られた右手が、またズキズキと痛んだ。

 左手に剣を持ち替え、半身で構えながら鋭い視線を敵に送った。

〈そう、こいつは敵。敵なんだ〉

 ゆっくりと息を吐くと、頭のなかで沸騰ふっとうしていた怒りが、すっとしずまった。

 敵は、フェイスガードの奥で、じっとロレッタを見ていた。

 嫌らしい眼だと、ロレッタは思う。

 勝利を確信した、思い上がった眼だと。

 ジリっと、ロレッタが前進した。

 敵は、それだけで気圧されように後退した。

 ジリっ、ジリっと、摺り足で前進するロレッタ。

 その一歩、一歩に合わせて後退する敵。

 背後は、もう石壁だ。

 これ以上後ろへは退がれない。



 わぁぁぁぁ



 と、ひと声叫んで突進して来た敵の膝を、ロレッタは力いっぱい蹴りいた。

「あっ!!」

 と、甲高い悲鳴を上げた敵の眼をロレッタが凝視した。

 おびえた眼だ。

 鋭い気合いと共に繰り出された一撃が、真っ向唐竹割りに敵の頭を打った。

 敵は、ゆっくりと膝を折りながら、前のめりに倒れる。

 左手に剣を握ったまま、ロレッタはぐるりと周りを見回した。

 余りに壮絶な結末に、周囲に集った面々は顔色を失っていた。

「ジェイラス!!」

 駆け寄った指南役しなんやくが、倒れた敵の頭から兜を取った。

 呼吸を見る。

 息はある。

 突然だ、真剣じゃない。

 バカバカしいしそうに、ロレッタが剣を収めた。

「なんて真似をするんだ、ロレッタ!!」

 駆け寄った敵の仲間が、ロレッタの肩を両手で突いた。

 兜を脱いだロレッタが、鳶色とびいろやかな髪を振った。

 汗の甘い香りが、ふわりと辺りにただよう。

 くっきりとした二重瞼を開き、その奥にあるスミレ色の瞳で、ひたりと相手を見上げて言った。

「あいつが卑怯ひきょうな真似をするからだ」

「あいつとは何だ、兄上に対して」

 もう一人の兄ダスティンが怒鳴った。

「あいつは、あいつだ。卑怯者に名前なんていらない」

 ロレッタの頬を、ダスティンの平手が張った。

〈こいつも敵だ〉

 スミレ色の瞳が、ダスティンをにらむ。

「そこまで」

 重々しい咳払いと共に、腹に響くような声が練武場れんぶじょうにこだました。

 その場にいた騎士、兵卒、指南役がひざまずき、意識を取り戻したジェイラスがダスティンと共に恭しく礼をした。

 ブロント王国国王シオン一世の前に、それぞれが礼を表すなかで、ロレッタだけが呆然と立ち尽くしていた。



 ♠



 国王の私室は意外に狭い。

 一般庶民の感覚から見れば、家族四人で暮らしても充分に持て余す広さがあるのだが、一国の主の部屋としては、気持ち狭く感じられる。

 それでも広く見えるのは、必要最低限の家具しか置かれていないからだろう。

 これは吝嗇けちで知られた先代国王カイル二世からの伝統である。

 その癖、天井には壮大華麗なフレスコ画が描かれてある。

 カイル二世が、著名な画家を招いて描かせたものだ。

 画家は、この絵の完成に二年を費やしている。

 この絵を見る度に、シオン一世の胸はザワつく。

 吝嗇な癖に、芸術と名の付くものには金の出し惜しみをしなかった、父の矛盾むじゅんした一面を思い出すからだ。

 寝室には、向かない。

 改めて、そう思った。

「吹き矢を使ったのかね?」

 紫檀したん製の机の上に置かれた筒を眺めながら、シオン一世が重々しく言った。

「吹き矢ではありません、陛下。スリーブニードルです」

 机の向かいに控える近衛騎士サー・グレッグ・ランバートが言った。

 スリーブニードル。

 袖箭しゅうせんとも呼ばれるペンの形を模した小型の射撃兵器である。

 中空の筒のなかに強力なバネを仕掛け、その反撥はんぱつで矢を発射する。

 見ると思わず苦笑を漏らしたくなるような、非常に単純な構造だが、それ故に故障が少なく、使いようによって極めて強力な兵器となる。

 通常は、そでのなかに隠し持ち、至近距離から標的の不意を衝いて攻撃する。

 いわゆる隠し武器であり、暗器あんきとも呼ばれる暗殺道具である。

 暗殺に用いる場合は、矢に毒を塗って確実性を高めた。

「こんなものを使ってロレッタを……」

 シオン一世の声には、嘆くような響きがあった。

 ロレッタの手から引き抜いた矢を見た。

 やじりは付いておらず。

 矢というよりは、針に近い形状をしている。

 困ったものだ。

 シオン一世は、ため息をつきたくなった。

 何故こうなった?


 ロレッタは、変わった娘である。

 物心ついた頃から、その兆候は出ていた。

 この変わり者の娘は、六人の姉ではなく、六人の兄に懐いていた。

 姉たちと一緒に、城内でお裁縫さいほうやママゴト遊びをするのではなく。

 兄たちと共に、山野を駆け回ることを好む娘である。

 特に懐いていたのが、皇太子である長兄ルシアンと、次兄ウォーレスである。

 二人とも十歳以上年が離れていたからだろう、特にロレッタを邪険に扱うことなく、どこにでも連れて行った。

 これが後々問題になるなど、当時のシオン一世は考えもしなかった。

 兄が剣術の稽古を始めれば、ロレッタも木剣を振った。

 兄が弓術の稽古に励めば、ロレッタも弓を引き絞った。

 兄が馬術に勤しむと、ロレッタもポニーに跨がり後を追った。

 水練すいれんが特に達者であった。

 河の流れに逆らって上流まで泳ぐ、技術と体力に恵まれていた。

 同年代の兄弟の誰よりも、脚が早く、遠くまで泳ぎ、長く、深く、水に潜れた。

 ある日のこと。

 兄たちと連れ立って狩りに出掛けたロレッタが、土産といって自ら狩った野ウサギを三羽持って帰った。

 どれも、一矢で仕留めている。

 自ら短剣を使い、血抜きを行い、その場でさばいて内蔵を抜いたという。

 ここに来て、さすがにまずいとシオン一世は思った。

 これはどう贔屓目ひいきめに見ても、王女の振る舞いではないからだ。

 普段の格好からしてそうだ。

 この娘は、決してドレスを着ない。

 余程のことがない限り、正装に身を包まない。

 周囲の者も似合っているからと、特に気にとめない。

 兄上さまの真似をなさっているのねと、勝手な解釈をしている。

 だが、そうではない。

 根本的に、何かがおかしい。

 ロレッタの生みの母である第六夫人リーゼロッテに話しを聞くと、女装を嫌がり、強要すると烈火の如く怒るのだという。

 シオン一世は、城外から高名な医者と僧侶を招いてロレッタを看て貰った。

 医者の回答は、シオン一世をホッとさせるものであった。

 男兄弟のなかで育った娘には、よくあることだという。

 思春期が訪れば、次第に自分が娘である事を意識するようになり、そうなると自然に行状も改まるであろう云々。

 だが僧侶の言葉は、シオン一世を愕然とさせるものであった。

 この姫は、本来王子として生まれるべき星のもと誕生されている、と。

 それが如何なる神々の悪戯いたずらか、姫君の体内に宿り、この世に生誕されてしまった。

 不憫な話しではあるが、ままあることだと付け加え、歴史上の人物まで例に挙げた。

 大レイリア帝国のアレティナ王女。

 神話時代の英雄ジュヌヴィエーブに、アドライアなどがそれだ。

 俗に、三女傑さんじょけつと呼ばれる英雄である。

 数奇すうきな星の下にお生まれの姫です、どうかご用心召されよ。

 そうも付け加えた。

 ロレッタが、古代の三女傑と同じ星の下に生まれている!?

 考えられない話しだが、納得せざるを得ない部分もある。


 そこで考えた。

 ロレッタは、風変わりな娘だ。

 プリンセスとしての教育を施そうとしても、嫌がり、逃げるであろう。

 下手に強要すれば暴れ出し、自分を傷つけるやも知れない。

 それに延ばせる才能は、延ばすべきだと。

 練武場への出入りを許可したのは、その為だ。

 このような思考を辿る辺り、シオン一世も相当に風変わりな王ということになる。

 だがこの処置が功を奏したのは、始めの数年間だけであった。

 可愛い妹が練習用の武具に身を固め練武場へと姿を現した時、六人の兄はよろこんでロレッタを迎えた。

 あれこれと親身に指導する内に、ロレッタの才能に気づいた者がいた。

 とにかく覚えが良い。

 三つ違いのダスティン、二つ違いのジェイラスとは比べ物にならない勘の良さを持っている。

 子供たちの指南役を勤める近衛騎士サー・ドミニク・グリーンも、ロレッタの動きに天稟てんぴん萌芽ほうがを見ていた。

 これが大きな災いとなった。

 練武場では、毎日模擬試合が行われる。

 そこにロレッタも参加し、大人相手に徹底的にやりあうのだが。

 ダスティンも、ジェイラスも、そのような技術も体力もない。

 そして当然のように、兄弟同士でも行われる。

 少年には、少年なりの誇りがあり見栄がある。

 毎日のように練武場で、女の子にぶちのめされたのでは、少年の誇りはズタズタとなり、見栄は泥にまみれよう。

 ましてや相手が、自分より小さな妹であっては、いかなる言い訳も通用しない。

 練武場には、多くの人間がいる。

 騎士もいれば、兵卒もいる、彼らを指導する指南役もだ。

 衆人監視のなかで、毎日恥をかかされた。

 兄としての立場も、王子としての面目も、丸潰れにされた形だ。

 このような日々が、六年も続いた。

 ダスティンとジェイラスの恨みは深い。

 そもそもシオン一世の子供のうち、最も武に秀でたのがロレッタであった。

 さすがに剣では、ルシアンとウォーレスに敵わないが、これは二人がロレッタに比べ十歳以上年長で、身体も大きく、武術に接した期間が長いからだ。

 ルシアンとウォーレスにも十二歳の春はあったが、ロレッタのようなつよさは持ち合わせていなかった。

 ルシアンとウォーレスですら、こうである。

 ダスティンとジェイラスでは、逆立ちしようとロレッタには敵わない。

 二人も、その事実を知っている。

 だから、このような暴挙に出たのであろう。



 ♠



 第一章 山猫と剣匠 その2へつづく



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