第終話 送り火

「……っと、此の辺で良いよ」


 煌夜祭も終わり、文化祭は閉幕した。其処此処で打ち上げ騒ぎが起こっている中、俺と朱鷺は入り口のアーチまで歩いて来た。


「え……でも。良いよ、駅まで送るよ」


 彼女は、そう申し出た。慣れてくれたのだろうか、気付けば彼女は、完全にタメ口で話してくれるようになっていた。


「や、悪いよ。片付けとか……友達と騒ぐとか、忙しいんじゃないの?」


「片付けは明日丸一日掛けてするの。皆は今日、私が勝負掛けるの知ってるから大丈夫」


 にや、と笑って見せる。意地の悪い言い方だ。そんなことを言われても、俺は苦笑で返す他に無い。


 ──いや、他にもあるか。


 諦念で、俺は胸中で呟いた。


「御言葉に甘えて、駅まで送って貰おうかな」


 彼女は、笑顔で頷いてくれた。






 煌夜祭が終わった時点で、殆どの客は帰ってしまったのだろう。閉幕後の此の時間、街灯に照らされた歩道を歩く影は少ない。


「朱鷺は、此の後どうすんの? 片付けは明日なんでしょ?」


 素朴な疑問だった。


「うん。バスで高校まで帰って、親が迎えに来るの」


「こっから朱鷺の高校まで、バスが出てるんだ?」


「あ、学校が用意したバスね」


「そう言うことか」


 取り留めの無い会話。此の道を逆に歩いていた時と変わらない。


 ──二人の距離は、どうだろう。


 ふと、そんなことを考える。


 ──近くなったか、遠くなったか。


 物理的な距離は変わっていない。問題は──


「長門さん」


「ん?」


 俺を見上げた朱鷺と目が合う。


 彼女は視線を前方に戻して、


「今日は来てくれて有難う」


「何を言ってる」


 俺も視線を戻す。


「誘ってくれて有難うよ」


 声こそ聞こえなかったが、隣で彼女が笑顔になるのが分かった。


「其れと……うん、」


 目を遣ると、少し伏せ気味の朱鷺。


「色々と、有難う」


「其れこそ──俺の方こそ、有難う」


 うん、と彼女は小さく頷いた。複雑な心境だろうが、微笑んでくれる。


 良いのか悪いのか分からないが、俺にも微笑が浮かんだ。






 “市民公園前”駅は、小さい割に明るい照明で闇に浮かんでいた。

 出入り口をくぐり、自動券売機で乗車券を買う。


「……さて」


 そう言って俺は、俺の背中を見ていた朱鷺に向き直る。


「今日は本当に有難う。……楽しかった」


「本当?」


「おいおい、楽しんでたように見えなかったか?」


 彼女は笑ってくれた。

 遠くから闇の静寂を破って、音が聞こえる。もうすぐ電車が来るらしい。


「……握手」


 彼女は目を伏せて手を差し出した。


 俺は笑って、


「握手」


 握り返す。


 先刻と同じ冷たい感触が掌に伝わる。


「長門さん、暖かい手してる」


「朱鷺の手は冷たいな」


 何でも無いことで笑い合える。俺は良い友人を持った。

 電車の音が近付いて来た。其れを聞き付けた俺はホームの方を見遣る。


「また、会えるよね?」


 其の言葉に、俺は再び朱鷺を見た。


「──当たり前だ。また会おうぜ」


「うん、会おうね」


「おう」


 其の応えに重なって、電車が駅に着いた。


「本当に有難うな。気ぃ付けて帰ってくれよ」


「長門さんも」


 俺は頷いて、握手したばかりの手で、


「わ?」


 朱鷺の頭を、くしゃくしゃと撫でてやった。


「じゃあな」


 そう言って、彼女が再び顔を上げる前に回れ右して、改札を抜けた。


「長門さん!」


 声に振り向けば、俺に乱された髪も其の侭に、今にも崩れそうな顔の朱鷺が居た。

 首を振る彼女。

 きっぱりと、強い調子で。


「駄目」


 俺の右眉が、気付いた拍子で跳ね上がる。「──悪い」


「じゃあ、またな」


 彼女は泣きそうな顔の侭で笑った。手を振ってくれた。

 俺は右手を上げて其れに応え、電車に乗り込んだ。






 “市民公園前”駅で乗ったのは俺一人だった。


 俺が乗り込むのを見計らったように扉は閉まり、電車は出発した。




 電車は、俺を俺の日常へと引き戻して行く。


 電車は、朱鷺を朱鷺の日常へと引き戻して行く。




 一切の容赦も無く。


 微塵の慈悲も無く。





 揺れる車内。ふと窓から空を見上げれば、白銀の月が浮かんでいた。


 もみじも何処かで、同じ月を見ているだろうか。




 朱鷺は、泣いてはいないだろうか。






 幾ら考えても答えは出なくて、俺は煙草の箱を握り潰した。






送り火 ―了―

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送り火 173 @173_ona_cious

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