55 道7 道の幅員
普段歩いている道には、色々な道幅の道路がある。
車の入れないような路地から、片側数車線もあるような大きい道路まで様々だ。
家を建てるためには、建築基準法上の『道路』に2m以上面しなければいけないことになっているが、現在の『道』を規定している法律は色々ある。
その代表的なものの『建築基準法』では、大きく分けると次の三つのものを『道路』として規定している。
1.昔からある道で、幅員4m以上の道路
2.昔からあるが、幅員が4m未満の道路
3.近年設けられた幅員4m以上の道路で、認定を受けたもの
ここで出てくるキーワードの『4m』にご注目いただきたい。
基本的に『道路』とは4m以上(一部のところでは6m以上)ないと建築基準法上の道路とはいえないのである。
それでは、『何時』、『誰が』、『何故』4mという基準を設けたのだろうか。
建築基準法は1950年(昭和25年)に施行され、上記の基準が設けられたわけだが、それ以前はどうだったのか?
建築基準法の前身である『市街地建築物法』という法律が1919年(大正8年)に施行されている。その市街地建築物法第26条で「本法ニ於イテ道路ト称スルハ幅員九尺(2.7m)以上ノモノヲ謂ウ」と規定された。ところが1938年(昭和13年)に『幅員4m以上ヲ道路トスル』と改正された。
この法律改正にあたり、1937年(昭和12年)の帝国議会の議事録を紐解くと、政府答弁の中で、道路の幅員を4
m以上とする理由が述べられている。
1.自動車交通上
昭和に入って急速に自動車が増加し、交通事情が悪化してきたことによる
2.火災延焼防止上
帝国大学、陸軍省、内務省が共同研究した結果、輻射熱による延焼を防ぐためには、家と家の間隔が最低5m必要である(都市に対する焼夷弾空襲をも想定していたようでだ)
3.採光通風等保健衛生上
江戸時代には『道路』と『通路』は区別して考えられていた。東海道などの幹線道路は、幅5間(9m)で整備された。
江戸の町中では、60間×60間を一つの街区として、3間(5.4m)~5間(9m)の道路が周辺に配され、その街区の中の路地(生活道路・通路)は6尺(1.8m)~9尺(2.7m)が基準となっていた。
その名残なのだろう、明治に入ると各地の条例で「道路の最小幅員は6尺」と規定される。
その後1907年(明治40年)に警視庁長屋構造制限第3条1項二号で、「長屋ハ・・・幅九尺(2.7m)以上ノ道路ニ面セシムルコト」と規定され、だんだん幅員は広がっていく。
現在下町などの古くからの街に入ると、1.8m~2.7mの細い道路が多いのは、江戸時代の名残である。
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