14代:アルフレード帝・15代:グワナス帝紀 -覇権戦争-
父帝の突然の死を受けて14代目として即位したアルフレード帝は、心の傷を振り払うかのように、父の進めた対外拡張政策を踏襲し邁進した。時には財政を無視するかのように、戦争をくり返し、廷臣らの眉をひそめさせた。彼らが危惧したのは、戦争が人道的に良くないと思っていたからではなく、国家の負担が増大し、臣民の不満を招くことを恐れての事だった。輔弼内閣首相を始め、閣僚や、側近、有力貴族らが、相次いで皇帝に面会を求め、苦言を呈した。軍部の穏健派の将軍らも次々と皇帝に意見具申した。市民や部下の死を目にして戦争の悲惨さを身を以て知るのも軍人である。心胆寒からしめるほどの物資の消耗を知るのも軍人であった。
アルフレード帝は、意見具申を求める臣下に対しては、嫌がることなく会った。諫言に対しても耳を傾けた。時には手厳しい意見もあったが、それに対し厳罰で報いるような愚劣なことはしなかった。しかし、臣下の言葉を素直に聞くこともなかった。諫言を述べる臣下に対しては、「なるほど、そちの言いたいことはよくわかった」と答えはするが、実行には移さなかった。意見具申した者達は、皇帝に会う前は気負い込んで行くが、宮中から退出するときはあまりにも素直に話を聞かれるため逆に落ち着かなくなり、その後、いつまで経っても、皇帝陛下がなんの政策変更も行わないことに困惑した。
アルフレード帝は、14年という期間、帝位にあったが、その間、小さな国境紛争も含めると、実に160回もの対外戦争が行われた。年に10回以上である。
在位中に直轄領土は11星系、傀儡国家は19となった。
次々と周辺国を呑み込み、そして新たに出来た隣国に、次々と攻め込んでいく。
必ずしも勝つわけではなかった。
弱小国家の軍隊を相手にするときは、経験と軍事力の差で簡単に撃破出来たが、相手がそこそこ大国となると、簡単には勝てなくなった。国境付近で一進一退を繰り返すようになる。
セティン帝は、戦争を行う際に、事前に敵の調査をして、軍事力も整えてから行ったが、アルフレード帝は、ほとんど星図を見て、次はここへ攻め込め、などと軍事計画を立てていった。統合参謀本部は皇帝の名に従って作戦案を立て、各艦隊を配置していった。当初の反対は鳴りを潜め、皇帝と軍部は一体化したようにスムースに連携した。
また、社会でも戦時体制が確立していった。
皇帝や帝国政府の意を受けたメディアは会戦のたびに、こぞって大勝利を報じたが、負けた時でも、大げさに勝利の報道を繰り返した。しかし事実を伴っていないから、どうしてもわざとらしさが残ってしまう。それが臣民の間にも伝わるようになっていく。
だからなんとしてでも、事実としての勝利が必要であった。
そのため、勝てそうな相手を探して戦争をしかける。
しかしどれかの戦線でなかなか決着が付かないのに、また新たに別の国へと戦争を仕掛けるのである。きりがない。相手も、対帝国大同盟を結んで同時に抵抗するからますます膠着していく。
一時は最大で12方面で同時期に戦闘が行われた。
当然、軍事力は足りなくなっていった。
徴兵が行われ、大勢の庶民が短期の訓練期間を経て前線へと送られた。
軍艦も次々と建造されたが追いつかず、戦闘力や防御力を落としたやや簡易版とも言える、戦時型戦艦や巡洋艦にシフトせざるを得なくなった。それでも足りないと、商船を多数徴用し、それらが更に簡易な、改装巡洋艦や護衛空母などにされた。しかし性能が落ちれば、破壊されやすくなる。艦船や各種兵器の被害も大きくなり、合わせて戦死者も増大していった。
戦費もかさむ一方で、嗜好品から順に消費財への増税が図られた。庶民だけでなく、納税の義務が少ない貴族も荘園を軍務省管理の国有地に寄進したり、財宝を皇帝に献上して財政を支援した。
アルフレード帝は、自ら国民に対して演説を行った。
「武力あってこそ、他国から畏敬の念で見られる、侮られる事こそ、我が帝国最大の屈辱。たとえ国力を傾けようとも、国家の威信を保つため、武力を増強し、他国を打ち負かさなければならないのだ」
彼は歴史上はさほど評価されていないが、それでも当時国民の多くは支持していた。雰囲気として、ここまでやったのだから、という、どこか後ろ向きな支持をせざるをえないところもあっただろう。
軍備増強と植民地増加によって予算は食いつぶされ、社会経済は疲弊の一途をたどっていたが、それゆえに、対外拡張政策が国民の不満をそらし、さらなる軍事負担で社会はますます疲弊するという悪循環に陥っていた。
おそらく、アルフレード自身、最も恐れていたのは、諸外国から侮られることではなく、国民から見捨てられることだったのだろう。能力のない皇帝とみなされることを恐れた。偉大な父を継ぐ皇帝としての虚像を見せなければならなかった。母に殺された父の姿が彼の心には常に存在した。彼は無謀な軍事政策で自分と帝国の首を絞めながら、更に泥沼へと陥っていった。戦争を指導する強き指導者を演じる彼の真の姿は精神面で弱い人間だったのかもしれない。
その後、15代皇帝となったグワナス・ブロン・デアグルトーレ・ダルサン・ロード・サンボール・デアス・ド・フンダ帝も周辺の諸国に侵攻し、領土を拡張していった。彼は、アルフレード帝の甥に当たる。アルフレードには帝国大学生の息子ブルワルド・ビオデン・メルサ・ハンドン・ロード・クラウディオン・ベルトラーザ・ジャン・ケベル・ド・フンダがいて、その言動はしばしばメディアにも取り上げられ、若いながらも有能で心優しい人物と評判であった。戦争の続く中、人々は彼が帝位に就くことを密かに期待し、アルフレードも息子にいずれ帝国を任せることを公言していた。ところがブルワルドは、人類の故郷「地球」への留学中に宇宙船の事故に遭遇して死亡してしまった。アルフレードは、つくづく家族運に恵まれなかったと言えよう。失意の中、帝位継承問題が起こるが、当初アルフレード帝は、娘を帝位に付けることも考えた。ところが、それを知った弟ギョーテ・ナースビー・ビオン・ビューロー・ロード・ジャンサン・ベッテルハイム・ウレゾン・ド・フンダが、宮中クーデターを起こし、兄を軟禁。自身の息子グワナスに帝位を譲るように迫った。彼は自分をかわいがってくれ、支持してくれた母親を殺した兄を恨んでおり、兄の治世下でおとなしく振る舞いながら、いつか復讐の機会を、と伺っていたのだ。直接殺すのではなく、兄の持っているすべてを奪う。軟禁状態の中で弟から、甥への帝位継承を迫られたアルフレードは同意せず、しかも半笑いの表情を浮かべてこう言った。
「誰がそなたの思惑に手を貸そうか。だがよろしい、やってみるがよい。そなた親子にこの帝国を動かしていくだけの力量があるかな」
「勝手にほざけ。お前は一生ここから出ることはない。この狭い窓から我らのなす事を見ているがいい」
アルフレードは弟の言葉には反応せず、何やら遠くを見るような目をした。
「……思えば我が子ブルワルドを失ったことは痛恨の極みであるが、あるいはブルワルドこそ、私を苦悩から解放してくれたかもしれぬ。そして……」
と弟の顔を見て、
「そなたら親子も、私と同じ苦しみを味わうであろう。ブルワルドはお前たちにとって厄介な存在となるからな」
「なにわけのわからぬことを……」
兄の言葉にギョーテは首を傾げた。彼がその意味を知ったのは、ずっと後のことであった。
ギョーテは兄の「難病」を公表し、帝位継承の偽勅でもって自分の子に帝位を継がせた。自分が継がなかったのは、自分では露骨に思われ貴族や国民の支持を得られないと思ったからだが、それでも急な帝位交替は、国民に不安をもたらした。まだ若く、なんとなく頼りなげなグワナス帝を人々は死んだブルワルドとしばしば比較して評するようになった。そのことを耳にしたギョーテもまた、息子に過剰な期待と行動を求めた。
「よいか、お前はこの偉大な帝国の主なのだ。それだけのことをなさねばならぬ。お前には必ず出来る。父にはそれがわかる」
「わかっております父上」
「いや、お前にはその意味がまだわかっておらぬ。もっとだ、もっと努力せねばならぬ」
宮中へ上がるたびに、ギョーテは息子であるグワナスに言って聞かせた。
グワナスも内心はうんざりしたことであろう。皇帝としての甘く贅沢な生活など送る余裕もない。父がいつ来るのかそれにビクビクしなければならなくなった。
さほど時を置かずして、グワナスはアルフレード以上に力強い皇帝であることを示さなければならない強迫観念に取り付かれてしまった。まだ20歳になるかならないかの若者である。無理もなかった。
彼は、さらなる対外拡張主義を貫き、それを推奨する強硬派の軍人を重用し、たびたび隣接する国々に攻め込んだ。交渉など受け付けず、有無を言わさない彼の強攻策は、周辺国にとって、これほど迷惑な話はなかっただろう。当然抵抗も激しく、兵器の性能も低下していたから、戦果は思ったほどには上がらなかった。
彼は焦りを募らせながらもスカラベートとフンベントを行き来して、様々な軍事政策を実行に移した。時には自ら旗艦に置かれた作戦司令部で前線の将兵らに檄を飛ばした。
宮中の奥にこもらなかったのは、父と顔を合わせたくなかったこともある。彼にとって父親は鬱陶しい存在になっていた。
「皇帝の地位に就いたこともないのに、父上には余の苦労などわかるとは思えぬ」
そう不満を漏らすこともあった。
輔弼内閣の閣僚らは、しばしば皇帝を諌めた。
戦争の拡大が、帝国にとって重い負担となっていたからである。
もはや生産は戦争のためだけに浪費され、軍事費は国家予算を大幅に超過し、戦時国債を発行するまでになっていた。
粗悪な兵器を搭載した、デブリ対策も満足にできていない軍艦が、青い顔をした新兵を載せて戦場へ向かう。戦闘になる以前に、事故で失われる人命・艦船も増加していた。
戦死者への一時金だけでも財務官僚が青くなるほどの額となっていた。社会では人手不足が目に見えて深刻になり、女性や子供までが動員されるほどだった。
アルフレード帝時代にはまだしも高かった支持率も、目に見えて下がり始めた。
このままでは、戦争どころか、国民の大規模な反乱が起こるのではないか。
さすがに、貴族らも危機感を肌に感じるようになっていた。
閣僚も、貴族らも、皇帝に面会を求め、意見具申した。皇帝陛下をお諌めする、というような余裕もなくなり、「このままでは帝国は内部から崩壊してしまいます」と必死の様相であった。
グワナスはそれを聞かなかった。アルフレードも輔弼内閣の進言に耳を貸さなかったが、そのままにしておいた。それに対しグワナスは、進言した閣僚を罷免し、時には、罰を与えた。地位や財産を没収したり、あるいは当人やその息子を徴兵するといった露骨なことまでした。
皇帝が裁可する権限と責任を有し、有能な人材が内閣を組織してそれを輔弼する。
初代皇帝アレクサンドルが考えたシステムは、皇帝が相応の人物であれば、国家機関として機能を果たせた。
しかし、その機能が活かせなければ、専制制度は大きな弊害をもたらす。
アルフレード帝は国民を恐れた。どんな政治体制でも、最後に決めるのは国民である。民主主義も専制主義もない。国民が、こんな国のトップはいらない、と思った時、その地位は奪われる。選挙で奪うか、反乱で奪うかは、制度の違いでしか無い。
グワナス帝は、国家の権威を恐れた。その歴史が積み上げてきた重さを恐れた。それを汚してしまうのではないかということを恐れた。だから輔弼内閣の助言や進言よりも、父の顔色の方を窺った。父の背後に見えるのは、帝国という権威の重さだった。
アルフレードもグワナスも、真に怯えていたのは自分に対してである。国民の期待や国家の権威に対応できるかどうか、自分という人間に自信が持てなかったのだ。歴史に汚名を残しはしないかと思った。だから彼らは、対外戦争を推し進めた。自分という卑小な人間を隠すため、虚飾で飾られた分厚い外套をまとうように、軍事政策を推し進めた。
グワナスがその9年の在任中に行った大規模な遠征計画は14回に及んだ。大小の紛争は200回を超えた。
その結果、帝国の直轄領は24の星系にまで拡大し、傀儡国家は34に達した。帝国は銀河の地域大国に躍り出た。
戦う皇帝、帝国史に前例のない成果を示す。
少なくとも、武帝と称されるセティン帝に並ぶ成果を上げた。
グワナスは自らそう強調した。自ら強調しなければならないほど哀しいものはない。彼は側近や軍幹部にもそう喧伝するよう働きかけた。
ところが……。
グワナスは暗殺されてしまったのである。
それは帝国軍が単星系国家ドアノンを滅ぼした直後の事だった。
この戦争は、帝国とドアノンとの間で行われたものではなかった。
帝国から見てドアノンよりも遠方にある大国、より銀河辺縁に近い4星系を支配するボーデメー王国が、帝国への臣従を拒絶し(拒絶するように無礼な態度で要求したのは帝国側なのだが)、帝国はそれを理由に宣戦布告して始まった。
ボーデメーが拒絶したのには、同国の地理的要因もあった。
一つには、帝国とボーデメーの間には110光年ほどの距離があったこと。
そしてもう一つ、この間には、古い小星団が複数存在し、重力偏差の大きな暗黒領域が帯のように続いていた。また場所によっては寿命の短い超巨星が複数、過去に何度か超新星化して崩壊し、その結果出来たとみられるガス星雲も広がっていた。その中には新たな星の誕生も起こりつつあった。
帝国の天文学者は、皇帝の質問に対して、「かなり古い時代に矮小銀河が衝突し飲み込まれたあとではないか」と説明した。
非常に不安定な空間が広がっているため、通常航行だけでなく、ワープ航法も困難であった。航法にとって重要な計算の精度が落ちるのである。それはワープする物体の質量の大きさにも影響する。総質量が大きいほど変数の幅が大きくなり、計算結果がはっきりしなくなるからだ。つまり大艦隊を送り込むことが難しい地域であった。
地理的に守られているボーデメーは、これによって時間を稼ぎ、周辺国との軍事同盟強化や、あるいは帝国との交渉を画策した。
だが、ボーデメーの地理的要因には、一つ穴があった。
ドアノン星系である。
ドアノンは、人類がこの地域へ進出してきた際に見つけた安定領域の中にあり、惑星ドアノンダは、その際に中継拠点として開拓された歴史がある。ボーデメー王国を興した初代王朝の王族も、ボーデメーに移住する前は、惑星ドアノンダに暮らしたことがあった。
そのルートだけは、大軍を移動させるのに、さほど不都合ではないのだ。
ボーデメーもそのことはわかっていたはずだ。
あるいは、帝国がドアノンを攻撃しても、惑星攻略には時間がかかる。その間に対策が取れると思ったのかもしれない。
そう考えると、ドアノンは大国に挟まれた小国の悲哀を存分に味わったことだろう。
ドアノンの人口は3600万人。
宇宙に点在する国家の中では比較的小規模である。
軍事力も乏しく、宇宙艦隊は1つだけ。軍籍にいる者、予備役、武装警察隊員などを含めても、総兵力40万人ほどで、その目的も敵と戦うより、反乱や武装犯罪への対処が主な任務であった。そもそも周辺に隣接する他国がないのである。
政治制度は民主共和制で、国家元首は大統領。治安は良く、国民の政権支持率も60%台と比較的高かった。食料自給率も高く、工業生産はさほどではないものの、中継貿易が盛んなことから、国民の暮らしはまずまず豊かで、平和国家と言ってよかっただろう。
そんなドアノンに対し、フン帝国は、対ボーデメー戦争のついでに、宣戦布告をした。それまでに外交交渉も、脅しすらもなく、いきなりの話であった。
ただ、帝国側もボーデメーに食指を伸ばしていることを考えれば、唯一の侵攻ルート上にあるドアノンを先に攻略することは前提だったのだろう。時間をかけて外交交渉し、降伏させてから、と言ったことはせず、さっさと攻略して、ボーデメーの油断を付く戦略だったに違いない。
ドアノンにしてみれば、寝耳に水な話であった。
フン帝国とボーデメーの間で不穏な動きがあることを知らなかったわけではないだろうが、まさかいきなり攻めてくるとは思っても見なかった。案外、帝国が降伏勧告したら、あっさり従っていたかもしれないのである。
帝国の攻略軍第一陣である先遣艦隊が到着すると、ドアノン軍宇宙艦隊は防衛出動したが、これがあっけなく大敗を喫したあとは、もはや、抵抗などなかった。
ドアノンのアルゲムスタ大統領は自ら降伏を伝え、帝国軍の先遣艦隊司令官ブデイトー少将との間で降伏文書調印が行われた。その後、大統領らは責任をとって総辞職した。
ブデイトー少将はこんな簡単に終わるとは思っても見なかった。戦時型艦艇45隻を率いて、交戦領域を定め、そこに敵を誘い込むのが当初予定していた作戦だったため、ドアノン軍艦隊が現れた際も戦闘はしないつもりでいた。ところが、司令部も経験不足のものばかり、作戦はきちんと理解されず艦隊は敵と接近してしまい、更に怯えた見習い砲術士官が勝手に射撃を命じてしまったため、戦端が開かれてしまったのだ。相手が弱かったので幸いしたが、下手したらこちらが全滅していたかもしれない。
なんにせよ、勝利してしまい、敵国政府も早々に降伏を宣言してしまったため、以後の方針が立っておらず、ブデイトー少将は、勝手なことも出来ないから、皇帝に占領政策について指示を乞うた。
それを聞いた皇帝は、軍政省にドアノン占領事務局を設置させ、別の占領行政を担当していた部署から課長級を何人か引き抜いてこれに充てさせた。彼らにドアノン臨時政府と交渉させて、占領体制を決定すると、最初に行ったのは、ボーデメー攻略の主力軍を駐留させる条約の調印であった。
そして、皇帝グワナスは、主力軍となる後続艦隊とともに、自らも、ドアノンに赴くことを表明したのである。
皇帝暗殺事件は、誰もが予想していない方法で行われた。
名も知れないドアノンダの住民-おそらくはドアノン軍の関係者であろう-が、よりにもよって出力40メガトンもあるプラズマ爆弾を使ってテロに走ったのだ。皇帝グワナスが惑星ドアノンダに行幸した時である。
グワナスは、臣下の反対を押し切って、強い皇帝の姿を示そうとドアノンダを訪問したわけだが、それがまずかった。
敗戦の混乱の中、ドアノン軍の兵器庫から盗まれたプラズマ爆弾は、皇帝のいる場所から8kmも離れた場所で起爆されたが、発生した火球だけで直径5kmにも達し、急激な熱膨張に伴う衝撃波と爆風で周辺の40km四方を吹き飛ばして、市街地にいた市民71万人もろとも皇帝を殺した。こんな大がかりで、大雑把なテロを仕掛けられては、警備もあったものじゃないし、止めようがない。しかし1ヶ月ほどの短期間で敗北した、さして大きくもない国家だったために油断があったのは事実だった。
爆発の時、皇帝はちょうど大統領宮殿を訪問していて、衝撃波で崩れ落ちた宮殿に押しつぶされ即死した。たとえ即死しなくても、数千度の高熱によって直後に発生した大火災により、どのみち助からなかっただろう。皇帝だけでなく、彼の周囲にいた強硬派の軍司令官、国防大臣、その他諸々もみな死んだ。またこの時、12km離れた場所の宇宙港に降りていた皇帝座乗艦である戦艦セティン・ザ・マーシャルエンペラーも爆風で着艦台座から落ちて大破、乗員や地上の整備員の多くが死亡した。この他にも各所で警備に当たった士官や兵士らも含め、帝国軍も18万人以上が犠牲になる大惨事となった。
首都ドアノンダの中心部は高熱と爆風によって灰燼に帰し、占領下での傀儡政府首脳も全滅して、ドアノンは戦争とテロの両方で名実ともに滅んだ。その名も、正体もわからないテロリストにとって最大の皮肉は、テロの結果、ドアノン星系は内政自治権すら失い、帝国直轄領ドアノン州になってしまったことだろう。
このテロはその目的を最大限に発揮した。銀河人類社会にほとんどその名を知られていない地域小国が、大国の中枢を根こそぎ消し去ってしまったのだから。
ただそれだけのことで、ドアノンの名は銀河の歴史に残った。
帝国としては、それどころではなかった。政府と軍部の中枢がいきなり失われるという、前代未聞の事態に直面したのである。
事件現場であるドアノンダの方が、先に状況を改善できた。この混乱を収めることが出来たのは、皇帝とともに到着した後続軍の司令官の一人で、テロの際に郊外の軍施設接収に赴いていたため軽症で済んだ第12艦隊司令官のアル=タイール中将が、部下を率いて治安出動に出たためだった。彼は皇帝を始め、現場での上官に当たる人物が全員死亡したため、非常事態と判断し、独断で軍政を敷いた。ドアノン政界関係者に少しでも生存者がいれば、また事情は変わったかもしれないが、なにしろ首都市街地の殆どが吹き飛んでしまったため、ドアノンの臨時政府関係者も、旧政権関係者も、旧軍関係者も、議員も、学者も、みな死んでしまったのである。皮肉にも、アル=タイールが生き残ってくれたからこそ、その後の混乱が短期間で終息できたといえる。
そしてドアノンが帝国の直轄領になったのも、その軍政がうまく行ったためであった。
一方、帝国本国のほうがむしろ大混乱に陥っていた。
ドアノンダテロ事件の連絡を受けた時の輔弼内閣首相はドルフス・ド・ノローであった。初代皇帝アレクサンドルの権力掌握の際に味方した旧ノロー王家の末裔である。伝統ある家柄の出だが、彼自身は大して能力の有る人物ではなかった。皇帝の言うとおりに実施するだけの人物で、それまで皇帝の拡張政策に苦言を呈した忠臣らが次々と処刑されたり、処罰されたりしたあと、誰も閣僚になる人がいなくなったので、皇帝から任命された人物であった。いわゆるイエスマンである。
「皇帝陛下が暗殺されただと!」
部下からの報告を聞いた彼は、驚きの声でそう言ったあと、
「いや、おまえ。何の冗談だ」
と笑ったところに、彼の資質が窺い知れる。そんなこと、冗談でも口にしたら重罪である。言うはずがない。
つまり、真実しかありえなかった。
真実だとわかると、彼は青くなった。
厚き忠誠心から、皇帝陛下の崩御に衝撃を受けたわけではない。
「皇帝が死んだら、俺はどうすればいいんだ」
ということに動揺したのである。皇帝の威を借りて今まで来たのだから、皇帝の政策に不満を持っている連中の憎悪は自分に向けられるのではないのか。
皇帝だけでなく、俺も暗殺されるんじゃないのか。
独創性のないイエスマンである彼も、そういうところだけは想像力豊かだった。
そもそも忠誠心というのは、ある意味相対的なものであって、皇帝との個人的付き合いによるものや、皇帝を介しての国家に対するものである場合、そうでなければ、臣下の個人的な理由による方便でしか無い。で、多くの場合、忠誠心に篤いというのは方便であった。
ドルフスは、言うまでもなく、自分の栄耀栄華のために、皇帝に仕えた<忠臣>であった。忠誠を示す対象がいなくなったら、あとは寒風吹きすさむ荒野と同じである。
「と、とりあえず次の皇帝を決めなければ」
もはや、ボーデメー攻略どころの話ではない。
彼は皇帝と並ぶ権力者である、皇帝の父親の元へ行くことにした。
ギョーテである。
首相が皇帝の意を受けて推進してきた拡張政策の後援者である。彼ならなんとかしてくれるのではないか。
ギョーテもこの時すでに息子の死の一報を聞いていた。
信じられないことであった。
「警護の者は何をしておったのだ!!」
そう叫んだのも無理は無い。権力者個人へのテロといえば普通、銃撃や刃物によるものだからだ。
だが、事実を知ってギョーテは怒りの矛先を失ってしまった。実際は40メガトンものエネルギー放出に伴う大爆発だったのだから、誰も責めようがない。責めるにしても、みな死んでしまったのである。テロリストを憎もうともしたが、すでに滅んだ国家であり、市民の多く共々ふっとばすという方法は尋常ではなかった。そこまでするほどの、自分たちに向けられた怨念と憎悪を思い知らされ、それを招いた息子の政策、そしてその遠因となった自分の息子への期待、それが自分の心のうちにある自分と兄との確執と不安から来ていること、そのすべてが、ギョーテには理解できた。理解したくなくても、わかりきったことであった。
そんな苦悩と失意の中にあるギョーテのもとに、ドルフス首相はやって来た。
そして、誠意のこもってないお見舞いの言葉を口にして、自分がいかにグワナス帝のために働いたか、その自分の立場を守ってほしいという懇願をした。
その態度、言動が、ギョーテの逆鱗に触れたのだろうか。
首相は、ギョーテ邸から出てくることはなかった。お付の者も消息不明となり、彼らの家族のもとには何の連絡もなかった。
翌々日の正午、重大ニュースが帝国放送のテレビ番組で放映された。
番組の中で、副首相、財務大臣、宮内大臣、国防次官、皇帝次席補佐官、軍参謀次長、それに皇帝の父ギョーテが現れ、皇帝陛下が暗殺されたことが公表された。情報工作をせず、事件をそのまま報道したのは、むしろそれが国家の混乱を収める最も良い方法ではないか、と判断したからであろう。ショック療法のようなものだ。
そのあとに続けて、国葬の日程、軍事政策の一時的な停止、皇位継承についての内閣及び皇族・貴族による話し合いが持たれること、さらにグワナス帝の事績の紹介が延々と放送され、最後におまけのように「ドルフス首相が皇帝の死を受けて殉死された」と簡単に付け加えられた。
首相の死因は頭部に銃弾を受けての脳挫滅ということだったが、遺体は司法解剖の上、焼却されてその遺灰だけが遺族のもとに渡された。検死報告書も秘匿され、首相の死亡については、極力誰も触れようとはしなかった。皆なんとなくわかっていた。首相が殉死などするわけがないことと、首相が死ぬ直前にどこへ行っていたかについて。
皇帝暗殺事件は、国際関係を大きく揺るがす出来事となっていく。
まず最初に影響があったのは、ボーデメー王国である。宣戦布告だけして、一発の銃弾も飛び交うことなく、停戦となった。
ボーデメー側としても、驚きの事件だっただろうが、やれやれ助かった、というところだろう。もっとも、ドアノンの名も無きテロリストに感謝したという記録はどこにもない。ボーデメーは停戦協議の際に、わざとらしいほど大勢の弔問使節団を送った。戦争しなくて済むんならなんでもしますよ、と言わんばかりで、帝国側の憤激を招いたが、喪中期間でもあり、こんな状況で継戦は無理だから、なんとか理性で抑え、停戦条約は締結された。それ以外の国々との戦争も、一時的に停止状態となった。
衝撃的な皇帝暗殺を受けて、皇族や有力貴族らの数ヶ月におよぶ複雑な駆け引きの末、16代皇帝に即位したのは、ヴィデット・カオリン・ジ・シャノローア・レディ・ヴァンディン・カジュローデ・ド・フンダだった。
帝国史上、最初の女帝である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます