1年 秋


「バストはアンダーとトップの差でわかるんだよ。アンダーは胸のふくらみのスタート地点ね。スタート地点といっても下のねずみ返しみたいになってるとこね。トップは乳首」

「トップは乳首……」

 古谷先輩が入手した、我が大学の三年の女子が出演していると噂のAVを男子寮の談話室で鑑賞していたら自然とバストの話になり、桑谷さんの話になり、計測方法にまで転がる。結局鑑賞していたAVはその場の潤滑剤としての機能さえ果たしてくれればよかったわけで、出演する三年生が高校時代から援助交際をしている筋金入りのヤリマンだとか、現在進行形で危険ドラッグの売買に関与するグループと交流があるとかいう話も興味深くはあるけど、桑谷さんが何カップなのかという話題の方がはるかに重要であり、心を潤すのだ。で、前々から桑谷さんのことが気になっているっぽい宮崎は「おれはFはあると思ってるんすけどね」と言いながら両手で二二・五センチの幅を適当につくり、それを自分の胸部に当てて喜んでいるので結構やばい。

「あらためて幅で表すとでかくないすか?」

「でも実際そんなにはないって、そんなには」

「あるよ絶対。桑谷さんはFカップあるんだよ」

「ねえよ。そんなにでかいやつみたことねえよ」と言う高橋に宮崎が憎悪を示す沈黙で応えるので武井が笑う。「いやマジでキレるなよ」

「いやいやいや」

「待てよ、その反応マジなやつじゃねえか」

「まあまあ、どっちにしろ、Fはかなりでかいってことでしょ? グラビアアイドルとかさ、平気でHカップとかいるけどもう違う生き物にしか思えなくなってこない?」と言うタケヒコに、「まあおまえがいうと、そりゃそうなんだろうなとは思うけど」と宮崎が言い、なにかを言い返そうとしたタケヒコを遮って古谷先輩がテーブルを叩く。

「確かめりゃいいんだよ」

 まあそうですけど。

 おれたちは翌日より、大学構内でバストの目測を開始する。あらためてまじまじと眺めることで気づくのは、あ、全然ありえないこともない、ということだった。女は胸部に個性のあるふくらみを有していて、それをおっぱいと呼び呼ばれ価値基準にされたりもするのだけど、おれはそれが妙にショックで、大小様々なおっぱいを服の下に収めた彼女たちを見ているとなんだか厳かな気持ちになるし、陰茎や睾丸がパンツの奥にひっそりと隠れている側でよかったなと思った。思考が渦を巻き、来年は副専攻でジェンダー関係の講義も取ろうかなとすら思い始める。

 と同時に悩ましいのが、おれの頭には時折なにかの発作のようにあの朝目にした逢沢のハッとするほど白い北半球が浮かび上がるようになっていたことだ。しまった。写真でも撮ってみんなで共有できていたならこんなことにはならなかったはずなのに。逢沢の北半球はおれしか知らない。風呂上りなどに洗面台の鏡の前で胸囲の脂肪をよせ集めたって逢沢のようにはならないことも、おれは知っている。



 その夜、コンビニのデカパイ博覧会から大量の写真週刊誌を買い占めたおれたちは、我が城に集ってピザを注文し、雑誌のグラビアで目測トレーニングを試みた。結局その日、おれたちは構内で桑谷さんを発見することがついにできず、代理としてFカップのアイドルでも見て実践に備えようという目的を口実にして、みんなでピザを食べたかったのである。

 グラビアにも飽きたおれたちはふとした思いつきで女になりすましたツイッターのアカウントを作成し、誰が一番フォロワーを稼げるかを競うことにした。ルールは全員がFカップという設定であることのみで、あとは自由にネカマの限りを尽くすだけ。とそこでみんなの間に、果たして自分は何カップなのかという疑問が生じる。おれも気になる。ようよう坂本、いったれいったれ。父親から送られて以来一度も使ったことのないメジャーを取り出せば、みんなが上着を脱いで互いの胸囲を図っていく。ひひひ、なんだかそういう集団みたいだなと笑い合う中、ついにトリを務めるおれが豊満な上体にメモリのついた帯を巻きつける。

「坂本は巨乳だからなあ」とみんなが腕を組んで見守るなか、武井がおれの真正面で交差したメジャーのメモリを読み上げていく。

「アンダー一二〇、で……トップ一三六……ちょっとリストとって。これ何カップだ」と宮崎が手を差し出せば、タケヒコが早見表の印刷されたA4用紙を渡す。

「差が十六センチ……C?」

「Cカップ! ははは!」

「すげー!」

「はははは坂本Cカップあるじゃん!」

「藤木梨花に勝った!」

 とおれ自身叫んだりもするが、騒ぐ面々のテンションにどこか同調しづらさを感じている。だっておれはおれがCカップだと自覚して生きてきたわけじゃないのである。この事実を咀嚼する時間が必要なのでは? そんなことを考えるおれはメジャー片手にはしゃぐ面々に衝動的に声をかけている。

「ちょっとおれの胸揉んでみてほしいんだけど」

 場は静まるし、おれもえ~と思うもしょうがないので続ける。

「どうしたんだ一体」と高橋が両親のセックスを始めてみてしまった時のような顔をして言うと「それはちょっとキモいよ」と直截的な物言いで武井も続いた。

「そこをおねがい!」となぜか是が非でも! といった態度で喋り出している自分におれ自身戸惑いを覚えていると、

「おねがいって言われても、どう揉めばいいんだよ」

 と話が早いタケヒコが尋ねてくれるので「任せるよ」とおれ。話の進むスピードに頭がついていっていない。

「困ったなあ」とタケヒコが言うのはやつは他人のおっぱいを揉んだことがないからだ。緊張されるとこっちも気持ちが悪いので、「そんなの適当でいいから! 揉めおらあ!」と半裸のままタケヒコの手を掴み、自分の胸に押し当てた。伸びた爪が一瞬皮膚に突き立って「いて!」おれは反射的に腕で胸を隠す。その痛みが妙に不快でおれはちょっと腹の底が熱くなり始めている。

 改めて胸に手を当ててもらい、一通りもみもみされるも居心地の悪さに堪えてきたころ、おれが「ありがとう、もういいです」と手をどけてもらうと、タケヒコは「思ってたより柔らかい」と地面にめり込んだ大きめの石の裏側くらいじめっと笑った。は? なに笑ってんだおまえ。おれが脱いだTシャツを拾おうと前かがみになると、床にふっと影がかかり、高橋が背後からおれの胸を鷲掴みにする。

「よっ!」

 ひっ!

 息が止まる。

「おい、やめろよ」と言う自分の声の堂々とした殺気に驚くも、みんなはあまり気にしていない感じで笑っているし、高橋の指は絶え間なくおれの乳房を乱暴に揉みしだいている。痛い……というか、きもちわるっ。

「もういいってば! やめてやめて」というおれの腕を「ぐへへ~」と笑う宮崎と武井が掴んで封じ、高橋の生ぬるい温度の両の手が執拗に動き続けたとき、おれの頭には最近NHKで見たナパームで焼き払われるジャングルの風景が浮かび上がってくる。

「笑える段階はとっくに過ぎてんだよ!」

「わかったわかった、そんなに大きな声だすなって」

 高橋のその言い草に、くすぶる感情がわずかな理性にも延焼する。

「おれの尊厳はどこだ!」

 真正面でことを傍観し、あろうことか腕を組んで笑みをたたえていたタケヒコの青白い首に、緊張による筋が浮かぶ。

 貴様ら、死ぬ覚悟はあるのか。

「その手をはなせって言ってんだ!」

 宮崎武井の手を力任せに振り払ったおれが振り返って高橋のその首に腕を回し脇腹の位置で強く締め上げれば「おい! 落ち着け!」と三人が慌てて止めにかかるが時すでに遅し。ここで全員殺して浴室で解体し山奥に撒いてやる。おれの腕を手のひらでパタパタと叩く高橋の声にならない叫びがほかの三人を急き立てていて、「おまえがやれって言ったんじゃねえか!」と叫ぶ宮崎は高橋の首に巻きつく大蛇のような我が腕を力任せに引き剥がそうとする。が、おれもおれでこの状況になんらかの節目を求めていて、例えばおれの腕の中で高橋が事切れるとか、そういった結果に至らなければ次に移れない。やべえ。すると腕を引き剥がそうとし続ける宮崎とは別に、いつのまにか背後に回った武井が「恨むなよ!」とおれの首に腕を回して締め上げる。喉が潰れるような圧迫に「コッ」という声が漏れて目の前がじゅわーんとかすむ。フローリングを踏み鳴らす無数の音が木霊するなかタケヒコがなにかを叫びながらおれの突き出された腹に拳をバチバチ叩きつけ、そこでようやくおれは高橋を解放、身体をねじって武井の腕から強引に逃れると、タケヒコの顔面に手を伸ばすが宮崎に羽交い締めにされる。

「落ち着け! 落ち着け!」

「おれが……!」と叫ぶも声がかすれて、激しく咳き込んでしまう。「おれ! おれが! おれがやめろって! 言っても、なん、でやめないんだよ!」

「ごめん! 冗談だったから! 冗談だったんだよ!」

「冗談じゃねえんだよ!」

 と言い合っているうちにもおれと同じように絞り出すような咳を繰り返していた高橋がものすごい形相で羽交い締めにされているおれの腹に膝で蹴りを入れてドブン! おれはあまりの衝撃にえずきながら前かがみで悶絶する。おまえもやめろと宮崎がたしなめる声に重なって、インターホンが鳴り響き、おれの咳き込む音以外のすべてがさっと消える。

「下の階の人?」と搾り出すように言うと、みんながどうしようどうしようと互いに顔を見合わせ、それからおれの腕を持って立ち上がらせてくれるし服も着させてくれる。おれは涙を手のひらで何度も拭う。高橋がティッシュを一枚くれる。

「下の階の佐々木というものなんですけど。ちょっといまから寝ようと思ってんだけど」

 ドアを開けると何度か自転車置き場で顔を合わせたことのある背が高くて丸坊主で目が小さくて口ひげを生やしている男の人が口元だけを歪ませて何度も小さく肯きながら、そう言った。

「うるさいんだけどなにしてたの」

「すいません」

「すいませんってなに? なにか吸ってたの?」

「え?」

「は?」

「あ、いえ、本当にす、すみませんでした」

「頼むよ、静かにしてよ。おたく名前なんていうの?」

「坂本です」

「ふうん。一年生?」

「あ、はいそうです」

「おれ三年の佐々木ね。よろしく」

「はい、よろしくお願いします」

「じゃあ、お願いね。頼むよ。寝るから」

「はい。ほんとうにご迷惑をおかけしました。すみません。おやすみなさい」

「うん。おやすみ」

 おれたちは夜の散歩に出かける。

 一人にしてほしいと言ったおれに、ここで一人になるのはよくないと宮崎が諭し、高橋に謝り謝られ、みんなで男子寮まで散歩して裏庭にある喫煙所のベンチに座って、澄み渡る秋空の眩い月に照らされたおっぱいみたいな形の薄雲のなめらかな輪郭を指でなぞりながら、「幼さってこわいな」と話し、思う。

 おれは確かに傷ついていたのだった。

 おっぱいには無数の意味が宿っている。つついてなにが飛び出してくるかなんて誰にもわからない。

 だからこそモノのように扱われるべきではないのだ。

 絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に……




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