1年 春


 高三の夏、地元にいても特にいいことがなさそうだと思ったおれは、友達数名と話し合った結果県外の大学に進学することを決めていたのだけど、かといって特別なにがやりたいとかもなかったので、ものすごく頑張ることもなく進学できる範囲で立地の良さそうな大学を選別してサイコロを振った。人生の節目は、なにかを期待するものなのだ。おれは大学生になった。

 いざひとり暮らしが始まって一週間ほど経ったころ、白昼のオナニーをすませたおれは高校時代の友人に電話をする。そいつは大学のオリエンテーションで心が折れ、現在アパートにてパニッシャーのドクロTシャツを身に付け、炊いたご飯を冷凍するために、ひたすらお椀一杯分ずつに小分けしていると言った。

「Tシャツ買ったの?」「ネットでね。探してみろよ。なんでもあるぜ」「おれも新しいデニム買ったよ。ぴっちりしたやつ」「そっちではGパンのことそう呼ばないといじめられるの?」「おまえ以外の大学生はみんなデニム・パンツと呼んでいるんだよ」「アウターとかアイウェアとか」「そうそう。二つ目のは知らないけど」「おまえが穿けばなんでもスキニー扱いになるだろ」「スキニーってなに? コンドーム的なやつ?」「ばかか、違うよ。そういえばおれのあげたコンドーム使ってる?」「テンガ買ったんだけどコンドームつけて使ってるよ。そうすれば何回でも使えるから」「頭いいなおまえ。大学に可愛い子とかいた?」「たぶんたくさんいるけどまだ交流は全然ない。そっちはどう?」「そうなのか。こっちブスばっかだよ」「ちゃんと確かめてないだろ。おまえはそういうやつだ」「ははは。まあおいおい探す。そっちも新歓とかある?」「シンカンってなに? 強姦的なやつ?」「新入生歓迎会のことだよ。おまえ以外のすべての大学生がそう呼んでいるやつだけど」「あ、そっちか。んー、なんか大学って怖くない? みんな声でかくて」「新歓とかいくと多分もっとすごいんじゃないの。酒入るんだぜ。サファリパークだろ~」「こえ~」「こえ~。おれ来週なんだけど行くのやめようかな」「マジで? たぶんおれたちもあるかも。オリエンテーションでなんとか運営費って金とられたし」「じゃあ絶対あるわ。金渡したんなら行くしかないでしょ」「なんでだよおまえは行かないんだろ」「それとは関係ないだろ。おまえそういうの平気なタイプだろ。おれは内向的だし引きずるタイプなんだよ」「おまえこそ新歓に参加して可愛い女の子見つけてこいよ。おれは行くよ」「え、マジで? ならおれも行くかも。でも全然友達できる感じもしないんだよな〜。自分から話しかけるの怖くない? 怖いだろ?」「おれはそういうの割と平気だから」「サイコパスだもんな」「サイコパスだから」「ははは、じゃあな坂本、おれコピー用紙の束買ってこなきゃならないから。あとこれ以上電話してると切るの怖くなってきそうだから。また今度電話しようぜ」「うん、別にいいけど。新歓はいけよ」「う~ん」「おれは行って女子と楽しいお話をしてくる。女子大生と」「女子大生って響きはずるい」「行く?」「う~ん」「行く?」「い……くかも~」

 結局そいつは行かなかったのだけど、まあその気持ちだってわからいじゃないし責めたりもしない。いざ大学に入って気になり出すのは、どう振舞えばいいのかとかそういう頓珍漢なことばかりで、あるべき所作だとかいう実は存在しないものを模索している不安定なうちは、煙と馬鹿がいやに強かったりするのだ。センシティブなのは罪じゃない、それを許容できない環境が悪いのだから……。

 ある夜無性に寂しくなったおれは母親に電話をする。

「さっさと彼女つくっちゃいな」なんてへらへら吐き捨てられて思うのは、簡単に言うな! これまでの過干渉はどこいった! ということなんだけど、所詮は反抗期の真似事にすぎず、母親の言うことの寄る辺ない正しさにだってちゃんと気づいている。大学生になったのだ、おれだってセックスくらいしてみたいっちゃあみたい。大学生について事前に知っていたことといえば、とにかく飲み会を開くということだった。飲み会の席でなんらかの失敗によっておれとセックスをしてしまうような女子がいるかもしれないとの期待を鑑みれば、新歓への参加だってやぶさかではなかったのだけど、おれがそう思っているということは少なく見積もっても他に数十名……大学規模となると数百名? が同じことを考えているんだろうし、せっかく受験を終えたばかりだというのにまた倍率のことを考えなければならないことに早速辟易する。心に折れ癖がついてしまう。とはいえ先輩たちに回収された五千円を無駄にするのも癪だ、というエクスキューズがおれにはあった。念願の一人暮らしデビューを機にデリヘルの値段を調べてみたところ、セックスってのはとにかく高い。五千円じゃ頑張っても手コキなのだ。手コキがダメだというわけじゃないけど、おれは目前で煌く可能性をみすみす見逃すようにはできちゃいない。


 中庭にある掲示板に貼られたポスターによって判明した新歓当日、おれはお風呂に入って全身をゴシゴシと洗い、コンドームを鞄に忍ばせた。大学が始まって二週間ほど経っていたのに、講義が終わるとまっすぐ部屋に戻ってオナニーばかりしていたせいで、おれにはまだ友達と呼べる人間が一人もいなかった。会場である居酒屋の場所もいまいちわからないまま、ネットで取りよせた外国製の制汗剤を腋に塗りたくり、夕間暮れの街に飛び出した。

 外はまだ肌寒かった。

 大学という場所はテンションでなんとかするようなところがある。そう思い込んでいたおれは耳をイヤホンで満たして『オーシャンズ11』のサントラを聴きながら歩を進める。見慣れぬ景色を侵食していく夜の気配で、どいつもこいつも浮ついているように見えたし、その流れを追うこの体も不思議と軽い。十メートル先に大学生らしき一行を見つけたので、根拠もなくあとをつけた。大通りから路地へと入り、入口前で若い人間がごった返している店舗を見つけ、ビンゴだ! おれは滞りのない流れにニヤニヤしながら列の最後尾に並ぶ。

 列が進み、入口でくじを引かされる。五十一と書いてある。

「なんですかこれ」

 おかっぱ頭の男の先輩が答えてくれる。

「席番」


「こんばんは」

 ひとテーブルあたりの空席が埋まり出すころ、誰からともなく会話が始まって、おれが自分の両腿をさすりながら前かがみになっていると隣の女がそう言った。こちらです、といった様子で手のひらを遠慮がちに掲げている。女子大生。重みのある茶色の前髪と薄い眉の下で目を細めている色白の……女子大生。挨拶の時点ですでに高校のときにはついに味わうことができなかったフランクさを感じているけど、これが女子大生なのだろう。そしておれはこれから無数の女子大生と関わっていくことになるわけであり、念願の一人目がいま目の前にいることを思うと、緊張のあまり本日目標としていたことすべてを失念してしまう。

「逢沢っていいます。あの、一年生、ですか?」

「そうです。一年の坂本といいます。はじめまして」

「あ、よかったー。はじめましてー。坂本くんは寮?」

「ぼくはアパートです」

「どのへん?」

「え、どのへん……一応大学の近くなんですけど、国道沿いにあるアパートで。そこの305号室なんですけど」

「ああ。ってことは三階なんだね」

「そっすね。階段がけっこうきついっすね」

「はははは、三階だもんね。でもいいね。いいよね。景色とか」

「そう……かな。まあでも普通かな」

「わたしも国道沿いなんだけどもしかしたら近いのかも。あ」

「え?」

「わたしは二階」

「ああ、そうなんだ。ふーん……ぼくは葬儀屋の向かいのアパートなんだけど」

「葬儀屋? えーどのへんだろ。わたしもこっち引っ越してきてからアパートの周辺とか散歩したんだけど、葬儀屋なんてあったかな……。あったような気もするけど。ローソンとか近くにある?」

「ああ、ローソンあるかも」

「ほんと? てことはご近所さんかも。こんなところでいきなり会えるとは。ラッキー。ははは」

「うん。ははは」

「よろしく~。逢沢晴子です」

「よろしくお願いします。坂本です」あ、沈黙が来るなと思ったおれは適当に繋げる。「なにか食べてきた? おなか空きませんか?」

「ねー、空いたね。まだ出てこないのかな」

 仲良くなれたらいいな、とおれは思った。


 いざ会が始まってわかったことがいくつかある。大学が本当に動物園だってこと。おれはお酒がまあまあ強いってこと。そしてそれ以上に、逢沢が体内の洗浄を目的としているかのように次々とグラスを空ける酒豪だってことだ。「お酒はよく飲むの?」と尋ねるおれに彼女は首を振り「初めが肝心だから」とかよくわからないことを言っていたが。

 おれはおれで慣れないお酒に色々が麻痺する。遠慮が死ぬ。食欲も増える。小食だからとほとんど手をつけていない女子の唐揚げを集めて回ったりする。歳が上か同じかもわからない人達と同じ空間でガーガー笑い合っていると、自分も動物の一人であることが楽しくなってきて、やっぱり食が進む。

 逢沢晴子が、同じテーブルにいるほかの一年や酔って流れてきた先輩などに「人殺しと連帯保証人にはなるなと言われて育った」という話を披露してなんだか盛り上がっている姿が目に入る。笑い上戸っぽくてスキンシップが多くて誰彼温度差なく振る舞うので誰も離れていかない。なのでおれの戻る席はすでにない。すごい。逢沢もそうだけど、照れもなく彼女に好意を見せるみんながすごい。とはいえ改めて距離を置いて見つめているに、その白くてたくましそうな肌にコップの水滴をぴゅっぴゅと飛ばしてみたいな~と思うおれもけっこう酩酊状態で、気がつけば隣にいるのは細くてメガネをかけた知らない一年生。「よろしくです~」と言い合って誰のかもわからないジントニックを借りて乾杯したそいつは名を宮崎と言った。お酒が入っているいないにかかわらず、初対面の人と話すことは相変わらず出身はどことか普段はなにをしているのとかで、彼女はいないというし別にいてもいいんだけどなんとなく打ち解け合ったところでようやく尿意に気づいたおれはちょっとトイレに行ってくると席を立って用を足してテーブルに戻りかけたところで通路に寝ている女を見つける。ほんと無法地帯だなと思いながら近づくと、鼻を突く臭いがしておれは立ち止まる。確実にゲロ。女は自分の吐いた無色に近い嘔吐物の上で寝ているのだった。オゲー。いや、これは寝ているのだろうか? 頭が真っ白になったおれはとりあえず声をかけてみる。

「もしもし」

 反応がないので揺すってみる。肩を押すと頭も揺れてかすかだが女が声を漏らす。生きててよかった。でも「ん~」と唸るその声に力はない。「おーおーおー」千鳥足の知らない先輩が現れるのでおれは尋ねる。「すみません、この人の名前わかりますか?」「ん~。あれ? 有希子じゃん~? うわ。吐いてるじゃん!」そう言うとおれを見て笑う。なんだこいつ。「ちょっと見ててもらっていいですか?」「いいよ。どこいくの?」おれは席に戻ると紙ナプキンの束と水の入ったグラスを持って有希子先輩の元へ戻る。が、千鳥足のあいつがいない。あれれ~、あいつ嘘つきじゃん! 有希子先輩は廊下の壁にもたれてうなだれているので、すみません、すみませんと紙ナプキンを手渡す。「口拭いてください。あとこれ」水も渡す。一応手に取って口に含んでくれる。その間におれは紙ナプキンで四方から集める形で床の上に広がる飛散物の面積を縮小させる。「はっはっは。有希子おまえ飲みすぎだろ~」とさっきの先輩が男子トイレの方から現れるがこいつにはもうなにも頼めない。大量の紙ナプキンはまとめてトイレのゴミ箱まで持っていく。そこでおれはトイレットペーパーの方がそのまま流せるし都合がいいのではと思い、一ロールを片手に廊下に戻ると先輩っぽい女の人ふたりが「だいじょうぶ?」「立てるかな。がんばろ」と言って有希子先輩を運んでいく最中だった。おれは残った物すべてを拭き取ってから仕上げに濡らした紙ナプキンでもうひと拭きしようかとも思ったが、今度は同じ新入生らしい女子が連れ立ってトイレに向かってくる。二人とも眉間にシワを寄せひどい猫背で顔面蒼白。吐くのか。トイレまでは頑張ってねと念じながらトイレットペーパーの塊を男子トイレで流して石鹸で手を洗いもうこれ以上は面倒だからさっさとテーブルに戻る。「いや~困りましたよしかし」と言うおれに宮崎が一瞬だけ視線をくれるがすぐに背を向ける。人だかりができている。その中心には畳に両手をついた逢沢。

 とそのゲロ。




 この日起こった謎の集団昏倒事件の余波は大きく、十数名の女子学生が体調不良を訴えたり意識障害を起こしたりして居酒屋内がパニック状態となり、あちらこちらで嘔吐、失禁……見てはないけど脱糞まであったと聞くし、店側から我が大学に通う学生全員が今後一切の利用禁止を言い渡されることにもなったのはまだいいとして、以後新歓というイベントまでも廃止しようという流れにまで発展することとなる。噂によれば三、四年生の数名が好みの女の飲み物に薬を盛ったと言われていて、挙がるところでは挙がっているのかもしれないけど具体的に実行犯が誰なのかおれは知らない。逮捕されたとかも聞かない。されろよ逮捕くらい。あんなことをしたんだからちゃんと痛い目みとけとおれは思うが、それはともかくその昏睡レイプ魔たちのどうしようもないしょうもないゲス行為の被害にあってしまった悲惨な女子のひとりである逢沢は自分の座っていた座布団で口を覆った状態で嘔吐したあと、そのまま立ち上がってトイレに向かおうとしたらしいのだが掘りごたつの中に片脚がはまって盛大に転倒したまま動かなくなったらしい。あんまりな話だ。そもそもいったいいつどのタイミングで彼女らが目星をつけられたのかはわからないながらも、変な話、今回の一件が彼女に箔のようなものをつけてしまったのも事実だった。この騒ぎの犯人(たち?)を心からろくでもないなと思うのは、そいつ(ら)は標的をしっかり選別してしまっているところで、まんべんなく薬を盛ってあげるというクズなりの配慮に欠けているところなのだ。なんにもなかった女子たちに関しては不幸中の幸いならぬ、幸い中の不幸的な空気がなかったとは言い切れない。




 店の前は大学生でごった返し、壁にもたれてうなだれる女子大生とその介抱を担当する人たちで騒々しい中、おれが立ち尽くしていると、「散れ散れ」と小声で話している男子と目が合う。明るく染まった伸びかけの坊主頭に目が行く。たぶん新入生だとおれは思う。

「逃げないの?」とそいつは遠慮のない大きな瞳で言った。

「え、おれ? なんで?」

「いや馬鹿かよ、だっておれら未成年じゃん。騒ぎになると面倒でしょ」

「なるほど……」

「おまえは二十五とかに見えるけどな」

「うるせえ、十八だっつの!」

「じゃあ急いだほうがいいでしょ」

 おれは走り去るそいつの後ろ姿と遠のく笑い声から意識を切り離し、近くに立っていた面々で視線を交わし合って提案。

「帰りますか」

 逢沢の症状は比較的軽い方ではあったが、そのまま一人で返すわけにもいかないという話になって、連れ立つ一年生たちで彼女をアパートまで送ることとなった。「地獄じゃねえか」と先輩らしき人が叫んでいるのを横目に、人でごった返す店の前を早々に離れる。仮にも飲酒をしていたおれたちはイリーガルな存在だから足は自然と早くなる。

 肌寒さの奥に春の気配が濃厚に燻る夜だった。遠くから救急車の音が聞こえてきて、不安げに顔を見合わせながら歩く面々は、その日に初めて言葉を交わし合った面子だったので、真夜中の住宅街を歩きながらも空気は飲み会の延長戦みたくなってくる。

「これって大きな騒ぎになったりすんのかな。おれたち怒られたりとか。未成年だし」

「ねー」

「あ、ごめん。言ってなかったけどおれ二浪してるからいま二十歳なんだよね」

「え、マジっすか。すみませんなんかずっとタメ口で」

「ちょ、やめてやめて、敬語はいいって」

「あー」

「ははは」

「でも見た感じわかんないですね」とおれが言うと「いやだから敬語」と笑うその人は続けて「あ、ちなみにおれケイゴっていうんだ」といってみんなが黙る。ちょっとしたユーモアなのにすべったみたいな空気にしちゃってみんな冷たいぞと思ったおれが「あ、ケイゴさん」と補足も込みで手を叩くと「そうそうそう、うわごめん、酔ってんなおれ、でも本当だから、神崎圭吾っていうのおれ」と神崎圭吾さんは言う。

「ぼく坂本といいます」

「宮崎です」

「桑谷っていいます」

「高橋です」

「逢沢です……」と桑谷さんに支えられていた逢沢が言うのでみんなが「あ」っとなる。

「だいじょうぶ? もうちょっとがんばって」

「ん~……ごめんなさい。お酒飲むの初めてで……」という彼女の表情は半分泣いてるようにも見える。まあ酒だけのせいじゃないんだけど、そんなこと知る由もないこのときのおれは、この状況に対してああ、おれはいま大学生なんだな、としみじみ感じ入っていた。なんだかんだ高校が一番楽しかった気がしていたし、これから先により楽しいことが待ち受けている気もあまりしなかったというのに、いまのおれはその狭い未来像を簡単に見下せてしまっていた。逢沢を支えながら歩く桑谷さんは目が大きくて鼻が高くてやや大人っぽすぎる顔立ちをしていたが声が可愛いのでプラスマイナス年相応って感じが魅力的だったし、こうやってごく自然に並んで歩けているだけでうっひょーと浮つき出す。宮崎も高橋もいいやつそうなのにちょっと猫背だったり表情がぼんやりしていたりと妙に隙だらけな感じで居心地をよくさせる。あれ? 同時にとてつもなく寂しくも感じているなとおれは思う。こみ上げる感情の中に感傷的ななにかが隠れている。まあぜんぜん不快ではないんだけど、でも気になる、かと言って言葉でぜんぶ紐解きたいって感じでもないなんともわがままな悶々を胸におれは黙って歩き続ける。

 苦しそうに唸っている逢沢晴子のアパートは、おれのアパートから国道を挟んで斜め向かいに位置していて本当に近い。彼女の部屋の前まで桑谷さんが連れて行っている間、おれたち男子は駐車場で待機。「もう時間割決めた?」「あ、おれまだよくわかってないんだよね。登録のシステムが」「ほんと? いっしょにつくる?」「え、いいの?」「いいよいいよ、おれもよくわかんないけど。まあなんとかなるでしょ」「マジかやった。よろしくお願いします」なんて宮崎と握手をしていると「お待たせしましたー。なんか晴子ちゃんもう大丈夫みたい。あとお水ありがとうございましたって宮崎さんに」と桑谷さんが階段を下りてくる。

「ああ、いいよぜんぜん。よかったよ」

「きょうは楽しかったけどなんかけっこう大変でしたねー」

「桑谷さんはだいじょうぶなの?」とおれが聞くとその大きな目がこっちを見る。「ん。きょうは控えめに飲んだから」といって破顔。あはははは。おれより先に宮崎と高橋と圭吾さんが笑い返すくらい場の空気が昂揚している。

「じゃあわたしたちもそろそろ帰りますか」

「そうしましょう」

「みなさんお疲れ様でした」

「お疲れ様です」

「気をつけて!」

 おれはその晩、毎日のようにこなしていた自慰行為に勤しむことなくまだ真新しさの抜けないベッドの上でその日の出来事を反芻した。

 寝返りを打ちながら、意識が遠のくまで。

 胸の内にある感情とか、いま感じている気分だとかをとっておきたかった。いつかまた思い出すときに、じっくり眺めたりしたいなと思っていた。

 青く染まりだす部屋が、妙に透き通っていた。

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