バスト目測者人口

我那覇剛柔丸

2年 夏


 昔……といっても高校のころだけど、おれはごく一部の人間から「サモ・ハン・キンポー」と呼ばれていた。「動けない方」というおまけつきで。別にいじめられていたとかではなくて、単におれが物心ついたときから自分の腹に隠れてチンチンが見えなかったり、仲良かったりそうでもなかったりする人に胸とか腹を頻繁に触られるような体型をしていたってだけの話だ。どこにでもいるただのデブだった。ただし幼少期から他人を決して邪険に扱ったりなどしない温厚な性格をしていたおれは、強く弱く優しく荒々しく全身を揉みしだかれるのを許容して過ごしてきたのだ。やめてやめてと建前上騒ぎはするものの、その実特別不愉快でもなかったのは、揉み手のなかには女子も交じっていたからだった。男子と女子とじゃ揉み方に違いがあるってことは想像に難くないはずだ。女のほうが断然雑。とはいえやっぱり女子の方から率先してボディタッチしてくれる理由を持っているってのは、いち男子としての強みに他ならない。

 そう信じてきた。

 今でもたまに思い出すのは小六のことで、同じクラスにバレー部の雨宮さんという大人びた顔立ちで、大人しくて、たぶん照れ屋でもあった子がいて、その子が一度だけ周囲のノリに流されておれの胸を揉んだことがあった。その牛乳みたいな色で長くて口に含んだらたぶん甘いんだろうなと思わせる中指が左乳首に引っかかったその瞬間の高揚は小六にとってあまりにもでかすぎたし、第二次性徴期の華麗なるスタートダッシュとなった。おれはそれ以来、女子には率先して胸を揉ませるようになった。中学に上がって虐められるようになったときだって、虐待マニアの石田(同窓会まで生きてたら殺す)のツレの女子たちに羽交い締めにされるような状態で胸を揉まれたときでさえもその実満更でもなかったのだ。いい思い出ではないけれど。


 当時から薄々気づいていた。男女問わず人はおっぱいが好きだ。高校に上がるくらいになるとわかることだけど、そもそも人間は生まれてすぐ口にするものを嫌うようにはできていないのだ。だからこそおっぱいは人を試す。胸を揉まれ続けるという原罪を背負うかのような人生のなかで、おれは友達に何度か「おまえ痩せろよ」と言われたこともあったが、いつだってその言葉の裏におれの胸を揉む行為への背徳感ならびに罪悪感を感じていたものだ。要は「そもそもおまえの胸が大きいのが悪い」という逆ギレなわけだろう? あーあ。ちょっと傷ついたりもした。それから背筋が伸びるような嫌悪感もこみ上げて、その友達とは一ヶ月ほど距離を置く形になった。さっさと出家でもしてしまえ! とか思っていた。怒ること以外、悲しみを誤魔化す方法を知らなかったのだ。

 もちろん痩せたい気持ちはあった。デブについていろいろと調べたところによれば、乳幼児期や学童期に脂肪を溜め込んでしまうと、そこで作られた脂肪細胞のせいで痩せにくい体になってしまうとかなんとかあるらしく、ふうん。なるほどね。じゃあおれはもう一生このままなのか? と思うと膝から力が抜けるような感覚に襲われるがこれが絶望によるものなのか安堵によるものなのか生活習慣病の前兆なのかその全部なのかわからない……でも日常的に運動をしたほうがいいことだけは確かなのだ、デブ以外でも。そこでおれが信じたのは、一回の射精が百メートル走一回分と同じカロリーを消費するというネットの情報で、まあ本当かはわかんないけど、その説にあぐらをかいて特別なにかをすることはなかった。オナニーなら元からたくさんしていたのだ。あと頑張って痩せたところで気持ち悪いままの人間だってたくさんいるので、頑張ってまで損はしたくなかったのだ。

 そもそもおれは両親が歳をとってからの第一子なのでこれでもかと愛を注がれて育てられてきていたし、その結果としての現状なのだと考えてみれば、自らの体型に胸を張ったっていいはずなのだ。自分のぽこちんなんて別に見下ろせなくていい。カンフーの使えない方でいい。あとこれはずっと思っていたんだけど、サモ・ハン・キンポーからカンフーを抜いたってまだまだ全然おれ以上なのだ。要するに連中はサモ・ハン・キンポーをデブの代名詞に使いたいだけでリスペクトがまったくないし、そのくせちょっとうまいこと言ったつもりになっている点がダダスベリなんだけどおれは根が優しくできているので別にそういうことは指摘しない。ちゃんと『スパルタンX』とか『サイクロンZ』を百回観てそういうことを言っているのかな、とか思うくらいだ。まあおれも二回くらいしか観ていないけど、『SPL 狼よ静かに死ね』でも『イップ・マン』でもサモ・ハンは最高なのだ。試しに調べてみるとどっちも同じ監督の作品らしく、DVDもほしいからAmazonで探そうとか思うけど、おれはいまあまりお金がないのだった。というかけっこう常にない。だから百円でレンタルし続けるしかない。まあそんなことどうでもいい。


 暑い。


 かく汗の量が尋常じゃないので夏はあんまり好きじゃない。そもそも夏が好きという人はストックホルム症候群みたいなもので、日中の破壊力を夕涼みでチャラにできたりと、殴られたあとに泣きつかれて許してしまうDV被害者と根本は一緒のように思えて腑に落ちないし、おれが殴られたことを絶対に忘れないのは、許しを与えるのは神だけで充分らしいからだ……てのは冗談だけど、悪感情というものはできるだけ生まれる前の段階で予防するよう努めたいので、日中は可能な限り必要以上に動かないようにしていた。で、日が暮れたころになっていまからDVDでも返しに行こうかなと迷いながらテレビを見ているうちに夜の十一時を迎えてしまい、お腹も空いてきたしでパスタを茹で、その残り湯にカルボナーラソースのパックを突っ込んで温めているとスマホが鳴る。名前を確認してみると古谷先輩からだったが、こういう常識のない時間帯の呼び出しに応じるほど軟派じゃないことを示さなきゃという気分だったので無視して、皿に盛ったカルボナーラを食べた。おいしい。テレビで流れていたアイドルソングが中途半端にカッコをつけていたのが解せなかったのでゲームでもするかと起動ボタンを押し、長いロード時間でカルボナーラを食べきると部屋のドアが急に開く。

「うい~す」

 とサンダルを脱いで上がってくるのは宮崎だ。

「古谷先輩から連絡きた?」

「ん、なんかきてたかも」

 器を流しに運ぶおれに宮崎が「電話とった? 襲撃だってよ襲撃。ぶっ殺すって、いよいよだよね。武器もってこいって言ってたでしょ。なんかない? 貸してよ。あ、さかもっちゃんエアガン持ってなかった? あのでかいやつ。なかったっけ?」と本当にペラペラよく喋る。意味がわからないおれはヘラヘラしている宮崎を見つめながらぴゅろろろろ、と口笛を吹いたあとに「おれ電話でてないんだけど」と告げれば、「あ、そうなんだ。先言えよ」とやつは腰を下ろした。

「はあ、暑いね」

 宮崎からはお風呂上がりの香りがする。おれは麦茶を飲みながら、しばらく会わないうちに古谷先輩、変な人になったのかなと考えてみる。ここ近年、就職活動のプレッシャーや得体のしれない厭世観に負けて犯罪行為に及ぶ若者が急増しているらしいからだ。すべては期待を抱かせない社会の空気とその原因であるくせに税金を無駄に使ってなあなあに反省をしてみせるだけの政治家が悪いのだと、前にネットで読んだことがあった。古谷先輩のツイッターだったかもしれない。あらゆることに対して無性に腹が立つことくらいおれにもあるけど、古谷先輩ほど肉薄したものじゃないので、いまいち寄り添い切れないところがある。

「きょうなんかあったの? 晩メシ遅くない?」

 固定されていた扇風機の首を回転させる宮崎は、さらにTシャツの胸元をつまんで、パタパタと自らを扇いでいる。

「夜食だけど」

 おれと宮崎が無言のままゲームのポーズ画面を見ていると、またおれのスマホが鳴る。「またきた」「とれば?」「やだなあ。襲撃ってなんなの? どこまでマジなの?」「よく知らないけど……とればわかるじゃん」へいへい、おまえ知らないのに武器持っていくのかよ。凶器準備集合罪という法律があるってことをおれは知っている。高校のころ、この法律のせいで友達と自主映画の野外ロケを断念したことがあったからだ。深作欣二監督の『県警対組織暴力』を観たのもそのちょっと後だった。「え、とらないの?」「さっきもとらなかったからもう寝てるってことにしようと思って」スマホが静まる。「あ」「ん?」「あーあ」と宮崎が自分のスマホを取り出して画面を操作し、「はい、はい、います、いまいきます」とか言って切る。「こら。いますって言うなよ」「あごめん。とりあえずなにか武器ないかって言われたんだけど」「武器……ていうか武器持って集まるとそれだけで犯罪だろ」「うそ」「ほんとほんと」「パソコンある?」「あるよ」

 おれと宮崎で凶器準備集合罪について調べる。「うわーお、ほんとだ。名前モロじゃん」ばかめ。おれはまだ満たしきれていない腹を埋めるように麦茶を飲んでいたが、ふと思い立って「あごめん、なにか食べる?」と尋ねるけど「だいじょうぶ」と宮崎。「お茶は?」「あ、じゃあもらっちゃおっかな」おれは新しいコップを取るため立ち上がりながら考える。この法律でいう凶器の範囲は多岐にわたるけど、こうやっていざ調べてみれば意外と抜け穴とかが見えてきて困りそうだ。絶対行きたくないのに。

「ダンプカーは殺傷目的でもOKみたいね」

「あ、いいじゃんいいじゃん。おれ免許ないけどダンプカーに乗って登場しようぜ」

「ダンプってオートマ限定もあるの? おれオートマしか運転できねえや」

 ひひひひひ……とかやっている間にもまた宮崎の電話が鳴る。古谷先輩は文字が打てないのだ。

「先輩知ってるかなこの法律のこと」

 言ってすぐおれは四つん這いになり、たぶんもうやらないであろうゲームの電源を切っておく。「あ、屁が出る」

「いやあの人基本ばかだからなあ、大学にも推薦で入ってるし」宮崎は鳴り続けている着信音がまるで聞こえていないかのように言うのでちょっとおもしろい。

「それを言うならおれもだよ」

「あ、ごめん」

「殺すぞ」

「でもさ、あ、くっせえ濃いな。行こうぜさかもっちゃん。おれだけなのはさすがにきついんだよね」

「嫌なら断ればいいだけだろ。ゲームしようぜゲーム」とおれは再度四つん這いになって起動ボタンに指を伸ばしてみせる。

「でも古谷先輩かわいそうじゃん」

 宮崎の顔を見た。ニヤついてこそいるが、発言に関しては嘘じゃないっぽい。

「はっきり言うけどね! みんな甘いね! 気持ちはわかるけどこればっかりは仕方ないって。だってそもそもやってること犯罪だし怖いから共犯者増やそうとしているだけでしょ。それにあれ……ちょっと待って、だれ襲撃するんだっけ?」とおれはここでようやく一番大事なことを知る。

「オダジョーだよ」

 ピュ~。おれがちょっと襲撃してもいいかなって気分になっていると着信音が止んだ。

「しょうがねえな、殺すか」

「な。詳しくは忘れたけどすっげーキレてたよ古谷氏。どう思う? おれ正直行きたくはないんだけど、もう高橋とかはいるみたいだし、あとオダジョーはちょっとぶん殴ってみたいって思うじゃん」

「思う」

 これといった結論を出したわけでもないのに、流しにコップを片付けたおれたちは「社会通念上ただちに危機感を抱かせないようなもの」であるところの写真週刊誌を、宮崎はおれのビニール傘を手に公園へと向かうことにする。

「ちなみに本当に殺すわけじゃないでしょ?」

「そりゃそうでしょ」

 宮崎のあっさりした返答がより一層不安にさせるが、おれは部屋のドアに鍵をかけてしまう。あーあ。今日は早めに寝ておけばよかったという後悔に足をとられ始めるおれは「付き合ってらんないと思ったらすぐ逃げるよ?」と言ってみる。

「みんなそのつもりでしょ」

 かけられる保険は多いほうがいいもんな。

 宮崎から聞いた話によれば、古谷先輩はマジで相当キレていて、オダジョーこと織田城太郎を本気でぶっ殺しかねない勢いだそうだから放っておくわけにもいかないらしい。ちょっと想像がつかないけど、じゃなきゃ宮崎だってこんな誘い断っていたはずなのだ。古谷先輩は恐らく星のない夜みたいな思春期を過ごしていて、その反動から目の前の可能性に対して気持ちを制御するという能力が人より欠けているところがあり、今回のこれだってオダジョーに対して何らかの理由でカッとなっていざ人を集めてみたら本当に何人か来てくれたので落としどころもわからないしもう本当に実行しなきゃならないのだと勝手に思い込んでいるのかもしれない。だとしたら誰かが助けにいかなければならないのだ。


 金曜の夜だから、まあちょっとくらい散歩にでも出かけてもいいかなくらいの気分だった。それに、仮にもオダジョー襲撃計画の選ばれし精鋭の一人なのだと考えると暢気な気分じゃいられない。おれはすぐ隣を歩く宮崎と一緒に『バリバリ最強№1』をハミングし合って士気を高揚させていた。蒸し暑く虫のうるさい夜で、いくらか気温は落ちてはいるが、アスファルトは日中に吸った熱をほのかに放ち続けている。この湿度の感じだと、おれは公園に着くまでに汗にまみれるので、古谷先輩は人数分の飲み物と軽食を用意するとか、主催者としての配慮をちゃんと持っていてほしいなあと願う。


 住宅街の真ん中、外灯と自動販売機以外の明かりがないその公園にはすでに古谷会のメンバーが集合済みだった。みんな古谷先輩に甘すぎるのだ。宮崎とおれを合わせて総勢六名でいやいや集まりすぎだろとおれは思うけど、どういうわけかみんながみんな手ぶらなので、むむむ?

「お、宮崎きたか。あと坂本……おまえ久しぶりだな。電話とれよ」と言ってくる古谷先輩まで短パンにTシャツにビーチサンダルという出で立ちで腕を組んでいる。

「お久しぶりです。あれ? みんななにも持ってないんですか」

「いやだから、ないからおまえたちに持ってきてもらおうと思ってさ。なに持ってきた?」

「週刊誌とかですけど……」

「は? なんに使うのそれ!」

「運んでいる途中で職質されないやつっていったらこれくらいしかないじゃないですか」

「どうすんのよこんなんで!」

「あ、傘もありますけど」と宮崎。

「でも映画とかで観たことないですか? 丸めて握って突けば最強ですよ!」とおれは古谷先輩の太ももを思い切り突く。

「いってーな! ふざけんなよデブ!」

「なんか武器もって集まるだけでも違法みたいなんですよ。なので申し訳程度ですけど、これくらいしかもってきてないです」と宮崎。

「マジで? マジかあ。まあいいや。これだけ人いるし別に武器とかそこまでいらないでしょ」と言いだしっぺとは思えない発言が飛び出たので流石に相手にしていられないと思ったおれは、端の方で侘しそうにしている三人組に向かって手を挙げた。高橋と武井のふたりはばらばらに手を挙げ返してくれるが、残るひとり、タケヒコだけはなにもせず肌寒そうに固く腕を組んでいる。かわいそうだ。来なくてもいいのにこんなん。

「お疲れ。いつから集まってた?」

 武井が「一時間くらい前?」と言うとその横の高橋がうなずく。「もしかしておれたちのこと待ってた?」「いやぁ……でもまあそうなのかな。よくわかんねんだもん古谷先輩の段取り。とりあえずこいって電話あって、おれたち三人で飲んでたからさ。寮で。早く帰って寝てえよ。眠いもん」

 こういうことを言うのもなんだけど「こんなん無理することないだろ」とおれは声を潜める。「無視してもよかったんじゃん。帰ろうぜ」おれは残るけど。

「まあそうなんだけどね」と煮え切らない武井に続いて高橋。「まあ、でも。一応」

「そうか。ちなみにオダジョーはいつ来るの? 呼んだの?」

「いまサークルの飲みに行ってるとかで帰りにここ通る。らしい」

「なるほど。ぜんぶ古谷先輩情報?」と言うと二人は肯く。「それで具体的に何時とか……」

「それはわかんないんだって」

 ほえ〜。

「古谷先輩、ちょっといいですか」

 虫の音色と外灯の明かりに囲まれたまま立ちほうけているのもなんなので、おれは一人だけみんなと温度の違う古谷先輩にこの状況に至った理由を尋ねる。そもそも襲撃って二十歳超えたやつの発想じゃないでしょとも思うけど、理由を聞くまでは無下にできない気もしなくもない。

「別にただの復讐だよ」と感情を意図的に排したような口調で古谷先輩は吐き捨てる。

「復讐って、オダジョーに?」

「そうそうそう」

「なにかされたんですか」

「おれはされてないよ」

「ってことは?」

「逢沢晴子だよ」


 ああ~。

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