第15話 伝衛門と伝助 二人の伝が太陽の花を奪い合う

 長屋〈霧雨〉には、いつも留守中の部屋があった。郵便受けは撤去してあって、玄関も窓も曇りガラスで仕切ってあるから、内部の様子がわからない。花江殿いわく「仕事が忙しくてめったに帰ってこられないんですよ」だそうだ。


 しかし雪の降った朝、めずらしく帰宅して、ばったり我輩と遭遇した。


「おや、見ない顔だね」


 晴れやかなスーツを着た、二十代後半の男性だ。長身で、足が長くて、顔が小さい。天然パーマ気味の髪には粉雪が積もっているのだが、それがおしゃれに感じるほどの伊達男だった。


「我輩は暮田伝衛門という。〈霧雨〉に関わるようになってまだ日が浅い。よろしくたのむ」

 

 ぺこりとお辞儀したが、心の中では頭を下げることに抵抗があった。うまくいえないのだが、負けた気がしたのだ。


「僕は、市川。市川伝助。みんな物珍しいのか、下の名前で呼ぶことが多いよ」


 表向きは気さくな男であった。だが内側から風圧みたいなものを感じた。直接的な表現をせずに彼の土俵に引っ張りあげられてしまったような感覚だ。もし下の名前で呼ぶことを拒否したら、まさに負けだろう。


「では伝助と呼ぼう。しかし我輩がいうのもあれだが、古風な名前だな」

「親が歌舞伎好きでね。昔カタギの名前にしちゃったのさ」

「だが気に入ってるようだな」

「ああ、時代劇の登場人物みたいでかっこいいだろ」


 市川伝助は、腰から抜刀するような仕草をした。スーツ姿だし細身の体だから似合っていないのだが、不思議と艶があった。伊達男の本領発揮だろうか。


「だが伝助は、なんの仕事をしていて、ほとんど帰ってこないのだ?」

「こういう仕事さ」


 ドライアイスの詰まったクーラーボックスに、アイスクリームが入っていた。最近は地球の文化にも慣れてきたので、どんな道具がどんな用途で使われるのか、おおよそ把握していた。だから、伝助のアイスクリームの包装紙にバーコードがついていないし、企業名も入っていないことに気づいた。


「これは食べて大丈夫なのか?」

「問題ないよ。うちの新商品でさ、来月発売する予定なんだけど、ギリギリまで味のチェックをするというわけさ」

「お前が作ったのか」

「僕っていうか、僕の会社だね。そうだ暮田さん、この新商品、食べてみてよ。外部の人の感想が知りたいんだ」

 

 僕の会社――伝助は資本家だったのか。いわゆる労働基準監督官である我輩にとって、資本家は警戒すべき相手だ。油断したら労働者を食い物にするからな。


 だがアイスクリームに罪はないだろうから、ぱくっと食べた。


「むぅ。甘すぎるな。コンビニで市販されている標準的なアイスクリームならば、果物の味を加えているところに、さらに砂糖を追加したからだろう」

「よくわかったね。ずいぶんと鋭い舌だ」

「褒められたついでにいっておけば、これは売れないだろう」

「そう、売れない。でも、これを発表することそのものに意義がある」


 ヘンな男だ。ヘンといえば、なんで資本家が長屋〈霧雨〉に住んでいるのか。そもそも長屋は低賃金で働く労働者や、苦学する学生の住居だ。金に余裕のある人物が暮らす場所ではない。


「伝助よ、お前は変わり者のようだ」

「暮田さんも変わり者だと思うよ。でも舌はたしかなようだ。うちでテスターやってみない?」

「テスターに興味はないが、お前がどんなタイプの資本家なのか監査してやろう」

「おぉ、なんか怖いね」

「いっておくが、労働者を奴隷扱いしていたら、我輩が成敗してやるからな」


 雪の降るなか、伝助の会社へ電車で向かった。てっきり金持ちはみんな自動車で移動すると思っていたのだが、伝助は車の運転が下手だからプライベートでは購入していないし、会社で用事があったら雇った運転手がハンドルを握るという。


 やっぱりなんだか……気に食わない。悪いやつじゃないと思うのだが、なぜか伝助に心を許してはいけない気がしていた。


 そんなモヤモヤする気持ちのまま、伝助の会社に到着した。


 要塞のように巨大な企業ビルは、雪を反射してキラキラ光っていた。無数の窓から膨大な数の社員が働く姿が見えているが、みんな忙しそうだ。自動ドアの出入り口に企業名を記載した金属プレートが飾ってあって【D&Gエンタープライズ】だった。テレビのCMでも耳にする銘柄で、幅広く加工食品を生産する大手企業である。


 魔法で帳簿を盗み見したのだが【D&G】は労働者を平均的に扱っていた。模範的に好条件というわけでもなく、かといって劣悪でもない。この時代における許容範囲内というわけである。


「合格だ。我輩は伝助を責める理由がない」

「まるで責めたいみたいじゃないか」

「……さぁな」

「でも、昔の僕だったら責められてたかもね。そういう過去の教訓を思い出すためにも、時々冒険をするんだ。あのアイスクリームみたいに」

「苦い思い出があるようだな」

「僕は成功して、天狗になって、たくさんの友人を失った。学生時代からずっと親友だった相手が、僕から離れていくとき顔面に投げてきたのが、あの甘ったるくて食べる気にならないアイスクリームさ」

 

 伝助の顔に影がさした。巨大な企業ビルと引き換えに友達を失ったようなものだからかもしれない。


「過去の思い入れはわかるのだが、企業の利益が減れば労働者の待遇も悪くなる。せめて最低限は売れる商品を作ったほうがいいんじゃないか?」

「ふむ……暮田さんだったら、どんな味にする?」

「甘ったるくなったからこそ塩を混ぜる。さらに甘さが引き立つからな。中途半端より突き抜けた味にすれば、マニアが飛びついて数がはける」

「……名案じゃないか、それ」


 素人の突発的なアイデアがきっかけとなり、塩を混ぜた甘党アイスが発売となって、最低限だけ売れた。完全なマニア向け、もしくは新しいもの好きにだけ受けて、一般層には見向きもされなかった。


 だが目的は達成した。赤字にはなっていないし、ほんのり黒字だ。


 発売から一週間後。また雪が降って、伝助が帰宅した。

 

 どうして忙しい社長業の合間に、こんな貧乏長屋に帰宅するのか? なんとなく“伝わって”しまった。同じ伝の文字を持つものだからかもしれない。


「……そろそろ教えてもらおうか。どうして資本家の伝助が、貧乏長屋の〈霧雨〉に留まっているのか」

「わかってるくせに」


 わかっている。わかってしまった。


 花江殿が買い物から帰宅して、食料品のつまったスーパーの袋を持って管理人室へ向かっていくと、伝助が帰宅したことに気づいた。


「あら、伝助さん。お久しぶりですね」


 ふわりと太陽のような笑みを浮かべた花江殿を、伝助は透き通った目で見つめていた。


 そう、伝助は花江殿に恋をしているから、金持ちになっても長屋に住み続けている。


 彼が親友を失ってしまったのと同じ理由で、どれだけお金を稼いでも花江殿の心を動かすことはできない。


 ならばずっと住み続けて、少ないチャンスをモノにしたいだろう。だから忙しい合間をぬって、貧乏長屋に帰宅するのだ。


 伝助と花江殿が楽しそうに会話する姿に、我輩の心が、ぐじゅりとよどんだ。どうやら対抗心を燃やしているらしい。なんでグレーターデーモンの我輩が、人間の男性と張り合って、人間の女性にトキメク必要があるのだ。


 やがて花江殿と短い逢瀬を楽しんだ伝助が、我輩とがっちり握手した。


「僕は負けないよ。暮田さんも、かっこいい男だからね」


 なんて、爽やかなやつだろうか。


 もし……もしも我輩が花江殿に恋をしているとしたら、金持ちで人格者という完全無欠の伝助がライバルになるわけか。


 だが本当のところ、我輩は、花江殿に恋しているんだろうか?


 いつのまにか雪は止んでいた。


 だが我輩の心には、ずっと雪が降り続けていた。

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