第49話「サツキは歌を覚えました」

 光介はよく見る夢の中では「サツキ」と呼ばれていた。


 サツキはどうも女の子らしい。そして、たくさんの兄弟がいた。無論、夢の中ではそんな説明はないし、サツキとなった光介がそんなことを意識していたわけでもなかったが、サツキが幼い子供を背負って畑仕事をしていることから、生活はかなり厳しい状況だったということもうかがえる。何故なら、サツキの背は大きく見積もってもせいぜい五、六歳程度、それより小さかったかもしれないのだ。しかしそんなサツキは毎日人一倍働いていた。何故ならサツキは他の兄弟とは違っていたからである。数多い兄弟の中に、サツキと同じ特徴を持った者がいたかどうかははっきりしない。ただ分かっているのは、サツキがいつも黒い蝶と共に在り、自分の血を蝶に与える血華であったということである。この蝶のためにサツキは自分の家族以外とは接触を持たなかった。しかし自分と年が同じくらいの他の子供たちを見かけるたびに、遠くからそれを眺めては羨ましく思っていた。サツキは他の子供と話したり遊んだりしたかったのだ。しかしもしサツキが迂闊に他の子供たちに姿を見られれば、子供たちはまるで化け物を見たかの如くに逃げていく。サツキにとってはそれが一番辛い思い出だった。だからサツキは遠くからその声を聞き、様子を見ては自分がその輪の中に入っているように空想していた。そして、そうしている内に、サツキは他の子供たちが歌う歌を覚えることに成功した。それはサツキにとって何より素晴らしいことのように思えた。歌を口ずさんでいるだけで、まるで自分も他の子供たちと歌っているような気分に浸ることが出来、孤独を紛らわせる方法であったからである。そうしてサツキは一人の老人の姿を見つけて走り出す。老人もまた、黒い蝶を連れていた。その老人がサツキを見る眼差しは優しいが、どこか寂しげであった。


『お父さん、今日サツキは歌を覚えました』


光介からみれば親子には見えないが、寿命の長い血華ならあり得る事である。老人の裾に取り付き、聞いて聞いてとせがむサツキの手を、老人は握って「じゃあ、お母さんに聞かせておあげ」と促した。サツキは元気よく頷いて、歩みがすっかり遅くなった老人の手をぐいぐい引いていく。その先には寝たきりになった老婆がいた。おそらくこれが老人の妻、つまりサツキの母親なのだろう。二人はそれぞれの蝶を連れて母親の枕元に座った。サツキは「あれ?」と思う。母親の蝶がいないのである。しかしきっとどこかに隠れているのだろうとさして気にも留めず、早速サツキは覚えたての歌を母親の耳元で歌い始める。そうしていると母親は嬉しそうに笑って目を閉じた。私の歌が子守唄になったのだ。そうサツキは思った。しかし、翌日になっても母親が目を覚ますことはなかった。最近では母親が寝たまま起きないことが当たり前になっていたため、いつもの事だろうと大して気にも留めず、サツキはその日も覚えたての歌を口ずさみながら畑仕事に精を出していた。あの歌さえあれば、いつもと同じ畑仕事が昨日までとは違ったものに感じられた。いつもは自分たちと一緒に畑仕事に出ている老人の姿が今日はないせいもあったのだろうが、最後に老人が見せたほっとしたような表情の意味を幼いサツキが理解することはなかった。老人は、疲れたのであの老婆と一緒に今日一日休むと言っていた。サツキは老人に夕食時になったら起こしてくれと頼まれていたので、言われたとおりに老婆の部屋に行った。しかし、老婆も老人も二度と目を覚ますことはなかった。


 死んだのだ、とサツキは理解した。そしてサツキは泣いた。そんな時でも無粋な黒い蝶はサツキの体にまとわり付いて、両親の遺体の前で泣くサツキの体に口を刺そうとする。止めて、とサツキは叫んで蝶を払いのけた。


『お前がいたって、どうせ死んじゃうんじゃない!』


そうサツキは叫んで泣いた。サツキは両親の死を悼んでいた。しかしそれ以上に、自らの死を恐れて泣いていたのだ。病も怪我も心配せずにいたサツキには、今まで怖いものなどなかった。もちろん、人が死ぬという概念はあったがサツキには遠い国の話であった。どこかに蝶が何とかしてくれるのではないだろうかという、蝶に対する甘えがあったのだ。蝶には血を与えた分不死身の体を貰っていた。だから今度は自分が孤独に耐えた分の代償も、血の時と同じように払って貰えると勘違いしていたのだ。しかし、決して蝶は代償など払いはしないと分かった今、幼いサツキは今まで遠巻きに眺めてさえいれば良かった死に直面したのである。


 血華とは残酷なものだ。そしてサツキの考えは人として好ましくはないが、正直なところだと光介は夢と現の狭間で思い、いつの間にか現実に目覚めるのであった。

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