第47話「言ってないけど、思ってるんだろ?」

 いくぶん人気の退いた待合室で、咲の隣に座っている少年の目の前に良広は立った。


「遅かったね」


そう言ってカンナは鼻を鳴らした。


「確か、ヨシヒロだったね。で、この生ごみはサキ。間が抜けている名前だ」

「そういう言い方ないだろう」


語気を荒げた良広に「人前で大声出すなよ、清美はしつけも出来ない愚図なんだな」と言ってカンナは立ち上がり、付いて来いという代わりに顎でしゃくった。ショルダーバックは空なのだろう。もしかしたら咲のために、人目を気にしながらも席をとっておいてくれたのだろうか。カンナは指にショルダーバックを引っ掛けて、軽々と持ち上げた。そして良広が次の言葉を発する間も与えず、カンナは外で待たせておいた光介の車の助手席へと乗り込んだ。良広も雪に足をとられながらも咲を背負って車に近づいたが、カンナは容赦なくドアを閉めてしまった。運転席にいた光介は、やはり予想通りの展開になったかと溜め息をついて車から降り、後部座席のドアを開けた。ようやく中に入れてもらえた良広を見たカンナは大きく舌打ちした。それを聞いた光介は、カンナ、とたしなめた。


 カンナサマをカンナと名前で呼ぶのは千房の中では父親の健司だけだと聞いていた。通りで光介の苗字は中村というありふれたものであった。しかしその光介が何故カンナサマと関わり、自分たちをも助けてくれるのか不思議に思えた。それを正直に良広が話すと、光介は「君達だって大森さんじゃないか」とカンナとは対照的な朗らかな笑みを返した。やはり電話口の印象と違わず、光介は牧歌的な青年だった。


「実は俺も血華なんだ」


鼻歌でも歌うようにその言葉を口にした光介を、助手席にいるもう一人の血華が今度は逆にたしなめる。しかし光介はそれを無視してカンナと自分との出会いを話してくれた。その間カンナは感情を隠さぬ渋い顔で光介を睨んでいた。


「それにしても、カンナは本当に女の子みたいだろ?」


良広がカンナを、本物の女子高生だと思って気付かなかったことを知った光介は、寝たふりをしたカンナをちらりと見やった。カンナはその大きな瞳でバックミラー越しに咲を見て、不敵な笑みを浮かべた。咲の体の中にいる「子供」に、終焉をもたらすために咲をここに招いたのだ。それはすなわち、咲を助けるためでもあった。カンナは光介や良広に気付かれないように、武者震いをした。花は根を持ち、蝶は翅をもつ。故に花はその血に縛られ、蝶は自由に舞う。しかし彼岸花が毒をもつように、花だって自衛することができる。ましてや、人間ならば蝶を恐れ必要はない。地獄にいた蝶とだからと言って、恐れてばかりはいられない。対処法さえあれば、カンナや咲が受動的な立場を強いられることはないのである。カンナは咲を自ら呼び寄せた。咲を助けたい。他でもない自分が、助けるのだ。そして、自分が地獄蝶と血華の関係に終止符を打つのだと、復讐心にも似た思いを強く抱き、腹をくくっていた。


「地獄蝶も血華もこの世とあの世の両義性を持った生き物じゃないか。だったら、僕が中性的で何がおかしいの。気付かないほうがおかしいんだよ」


カンナは一度も後ろを振り返ることなく、ミラー越しに後部座席に視線を投げかけては、不快そうにカンナを見つめる良広に嘲笑を送った。良広はまるで恋人のように肩を抱いて、咲の体を自分の肩に預けさせていた。咲の虚ろな目は終始カンナを捕らえていたが、カンナに気をとられていた良広がそれに気付くことはなかった。一方のカンナは、そんな咲の視線を、しっかりととらえていた。僕が必ず助ける、という心に火をともすように決心して。


「事故に遭ったというのは本当だったんですか?」

「そう。本人が書いたんだから間違いないよ」

「本人? 健司さんじゃないんですか」


光介は首を傾げてから、すぐに「ああ」と唸った。


「お前、健司さんの名前で出しただろ。じゃあ、健司さんがまだこっちに来てないってことも言ってないんだな?」


確かに寝耳に水だった。健司の書いた手紙の消印が北海道で、手紙にもそこにいるとあったので、まさか健司がまだ長崎にいるとは思いもしなかった。それにしても親子は、思いもしないところが似てしまうものだと良広は感心した。健司の字を見たことがなかった父親はさておき、健司の妹である母親までカンナに見事に騙されたのだ。その張本人であるカンナは、まるで興味がないといった様子で狸寝入りと決め込んでいた。しかし何のためにそんなことをしたのだろうと良広は思いつつ、見ているだけなら申し分ないカンナの寝顔を見つめた。カンナはそんな良広の視線に気付いて目を覚まし、「お前には教えてやらないよ」とでも言っているような冷笑を浮かべて再び寝た振りをして寝返りを打つのだった。


「カンナサマは咲を助けられるかもしれないと聞いて来たんですが、それは本当ですか?」

「どうだろうな。そればっかりは当人達の問題だから」


妙に気の抜ける光介の口調だったが、良広には返す言葉がなかった。フロントガラスに次々と張り付いてくる雪を、ワイパーが重たそうに押しやる。しかし良広にとってはこれで視界が良くなったのかどうか即判断できないほど辺りは白く、この景色を見続けていると目が悪くなりそうである。これで雪の中に埋もれたような家々の中から自分の家に正確に辿り着くのだから、人間の帰巣本能も馬鹿に出来たものではない。しかしそんなことを口にしようものなら、カンナにお前が馬鹿なだけだと言われそうだったので、止めておいた。そして、確かにこんな所に蝶は不釣り合いだな、とも思った。


 しばしの沈黙の後、光介は「まだ言う気にならないか」と寝ているようなカンナに言葉を投げかけた。それはちょうど、光介の家に着いた時のことであった。カンナは黙り込んだまま、何も言うことはなかった。その様子にさすがの光介もあきれ、溜息をついた。


 結局光介が、カンナは咲の近くにいるのが辛いのだと教えてくれた。


「咲ちゃんの体の中にいるのは、カンナの蝶かもしれないんだ。それでカンナは咲 ちゃんの側がまだちょっと怖いんだってさ。それに、自分のせいでこうなってしまった子が近くにいると、罪悪感で押し潰れてしまいそうになるんだよ」

「カンナサマのせい? 罪悪感?」


思わず鸚鵡返しをして、良広はカンナに目をやった。カンナの横柄な態度からは、「罪悪感」などというものは到底感じられなかった。


「光介、いつ僕がそんなこと言った。はっきり言え。生ごみ持ち込まれちゃ困るって」


カンナは再び冷笑と共に、ミラー越しに良広を睨み付けた。


「言ってないけど、思ってるんだろ? それに、咲ちゃんが良広さんにとられたみたいで、腹も立ってるだろ?」

「どうして、僕がそんなこと思うのさ?」

「咲ちゃんのこと、好きなんだろ?」


良広が驚いたような顔をしている。カンナはそれも気に入らない。


「馬鹿なことを言うなよ」

「素直じゃないんだから」


光介は、溜息を吐いた。


 玄関に横付けするように車を止めた光介が先に車を降りると、カキ氷を崩したような音がした。そのまま咲が座っている方に回り込んできた光介を見た良広も慌てて車から降りた。良広の背中に光介が咲を乗せる。その作業は二人とも手馴れたものだった。


「ねえ、光介。人は死体になると重たくなるって知ってた?」


カンナは楽しげにそう囁いて首を傾けた。それを耳にした良広は大人気なくも咲を軽々しく背負って見せた。そんな良広の姿が滑稽に見えたのかカンナは笑んだ。

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