光介

第39話「まさか、君も?」

 軽自動車を運転していた男は、咄嗟にブレーキを踏み込んだが、到底間に合わなかった。ようやく停車したのは、目の前に何かが突然現れて、吹き飛ばして少ししてからのことだった。アスファルトに真っ黒に残るタイヤの痕の上に、赤い花を撒いたような血痕があった。焼けたゴムの臭いと生臭い錆びた鉄の臭いが辺りに立ちこめ、鼻をついた。しかしどこまで飛ばされたのか、肝心の人間の体らしき物は車道にはない。目の錯覚という言葉が頭に浮かんだ頃、男の肩にずしりと重たいものが圧し掛かった。振り返るとそこには血まみれの「少女」が立っていた。


「どうしたの、お兄さん?」


男はそこに立っている「少女」が、自分の車の前に一瞬にして現れて消えた「少年」であることに気付いた。しかし男が少年、つまりはカンナを少女ではないと識別できたのは声が低かったからではなく、カンナの着ていた着物の胸元が大きくはだけていたからである。先ほどの登場の仕方といい、白粉を塗ったかのような肌といい、血まみれの痩せた体といい、和服といい、まるでお化け屋敷から抜け出してきたかのようなカンナの姿に、男は声も出せずにいた。服も顔も血で染まっているが、カンナは当然のことながら、痛みに顔を歪めるどころか声を立てて笑っている。


「君は、一体……?」


男はひどく混乱した。自分が人をひいたのは、間違いだっただろうか。この少年は何故、痛みを訴えることなく笑っているのか。一つの可能性に思い当たって、男は全身が粟立つのを感じた。


(もし、彼が俺と同じなら……。でも、ありえない。だって彼はじゃないか!)


男はその可能性を否定しようとした。しかし、少年は男が思いついた可能性を肯定するように語りかける。


「まさか、ここでに会うなんて、何て展開だろう」


笑いすぎて涙まで浮かべたカンナは、表情を硬くした男に笑みを浮かべた。


「お互い同類で良かったね」


男にとって、カンナが繰り返し言う「同類」とは重大な意味を持つ言葉であった。


「まさか、君も?」


信じられない、という表情で男が問う。


「鈍いな。そうだって言ってるだろう」

「だって、今俺の車で君は怪我をしてるじゃないか。俺はそんなふうに血を流した はしないんだ」

「何も知らないんだな。僕なら、お前を傷付けられるんだよ」


カンナはそう言って勝手に男のポケットからボールペンを抜き出し、キャップを外したかと思うと突然男の手を取ってそこにボールペンを突き刺した。カンナの突然の行動にも男は、自分は何をされてもどうせ平気なのだからと高を括っていた。しかし、自分の節張った指を支える骨を避けるようにして手の甲に刺さったペンを見た男は、我が目を疑っていた。


「え? 嘘……」


痛みはなかったものの、カンナがペンを抜くと血が筋となって流れた。それは男が生まれて初めて見た「自分の血」であった。傷口はすぐにふさがったが、男はまじまじと自分の手の平を見つめていた。そんな男を尻目に、カンナはこれもまた勝手に男の車の助手席に乗り込んで、高みの見物と洒落込んだ。遠くからパトカーのサイレンが聞こえたのである。カンナにとって、男は初めて見る血華である。しかも血華だけが血華を傷つけられる、ということを知らないとなると、千房の者ではない。つまり、血華の家系以外の血華である。これほどカンナが興味関心を惹かれるものはおそらく他にはなかった。血華でありながら常人と変わらない生活を送ってきたであろうあの男が、この現場をどう処理するのか、カンナにとってはどんなことよりも面白そうに感じられた。しかし男は引きつった笑顔と本当にいい加減な御託を並べて戻ってきたのであった。


「何だよ、その誰かが置いたペンキこぼしたって。僕のこと見てた人もいたんで  しょ? 何て言って来たのさ?」


大慌てでシートベルトを締める男の横で、喉を鳴らして笑うカンナを、男は人目に触れさせないようにシートに押し込んでエンジンをかけた。そして男も緊張が解けたせいか頬を緩め、「ペンキで悪戯していた悪がきは逃げていきました」と警察に説明したことをそっくりそのまま言って笑った。普通なら明らかに信憑性がないが、現場には血があるのに死体どころか怪我人がいないという状況は、確かに警察の手にも余るのだろう。それにしても、とカンナは思う。同類ということ以上に、カンナは男に興味をそそられた。普通、事故を起こして警察が来れば、少しは慌てるだろう。それに、事故と並行して初めて同類と対面し、自分の血を初めて見ている。このややこしい状況で、のんきに笑って事態を収拾させるとは、一体どう育てばこんなに要領よく立ち回れるのか、カンナには不思議だった。しかも他人に興味すらほとんど持たなかったカンナが、この男を好意的に見ている。これにはカンナ自身、驚いていた。


(この男、何かある)


カンナの直感が、そう告げていた。

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