第42話
崩れ落ちる鉄板やパイプの雨を潜り抜けて、
彼の娘が命がけで搬送した対話装置、『聖櫃』である。現実に重なる仮想空間に、無骨な形をした鉄製の箱が浮かびあがり、道悟の指先に触れた。
その直後、箱は
ルートキット。
電脳世界の開発者にのみ許された、神の道具箱。
もし、AR兵器と比較するなら、次元の違う武器と呼べるだろう。
すると、都合よく書き換えられていた部屋の構成が元の姿を取り戻し、壁だった場所に出口が現れた。
『神月道悟。あなたも、わたしを愉しませてくれる』
グングニルの声が反響する。
緑色の光を宿した灰色のドールたちが、道悟の進路を妨害した。
『道悟。ドールから生まれたわたしはさしずめ、あなたの孫でしょうか。フフ、そう思えば、叔母を殺してしまったことは少し悔やまれる出来事です』
道悟は挑発に乗らない。
彼の周りを無数の浮遊砲台が漂い、グングニルのドールを撃墜していく。
彼は部屋を出て、廊下を突き進んだ。
リソースの消耗を狙ってか、グングニルの軍勢は果敢に特攻を仕掛けるも、それらはみな最低限の攻撃で瞬時に無力化される。
電脳戦において、神月道悟の強さは学徒達の比ではない。
文字通り、別格である。
廊下の先、彼は少し開けた空間に出た。マップを見る限り、中央にある扉は周防学院のコントロールルームに直通している。
『道悟。一つ良いことを教えましょう。この扉のロックを解析するのに、わたしは少しの時間を要しますが、あなたの持つカギを使えば一瞬で開くことができます』
『道悟。わたしはそのカギをもらいたい。あなたは、わたしを殺したい』
『道悟。つまりは、こういうことです。わたしたちは、ここで決着をつける必要がある』
神月道悟は、眉一つ動かさず端末に次のメモリーを差し込む。
ルートキットから第二の武器【フィクサー】がボウガンの形で具現化された。
「口だけは達者になったものだ。だが、その本質は変わっていない」
道悟は、一方的に決闘の火蓋を切って落とす。
ボウガンの矢が、一躯のドールに向けて放たれた。
空を切る音と共に真っ直ぐ部屋を横断し、矢はドールの頭部を貫通して壁に突き刺さる。すると、貼り付けになったドールの裏側から滲み出るように網目状の緑色をした道が現れ、壁にそって広がっていく。
次々と、ドールが見えない力に引っ張られて張り付けになる。
グングニルを構成するニューラルネットワークを逆に辿っているのだ。
『グッ……』
「スーパーノードを基点とした多体フレームワーク。だが、身代わりの多さは、侵入経路の多さになる」
貼り付けにされる無数のドール達の中に、全身が一際輝く、別の色のドールが現れる。ワインレッドの粒子をばら撒きながら苦しそうに悶えるそのドールは、スーパーノード──全てのドールを連ねる、司令塔だ。
「ここまでだ、グングニル。私の
『やめてください、道悟。わたしは──』
ルートキット【イニシエイター】。
死の枷をもってドールを初期化する、聖櫃の毒。
道悟は、最後の引き金を引いた。
スーパーノードの光が無色に染まっていく。
それは網の道を辿って、部屋中のドールに伝播する。
グングニルが生存しようとするたび、そのドールは毒に侵され、死んでいくのだ。そうして東京に存在する全てのドールが失われたとき、グングニルは完全に消滅する。
精一杯抗うように暴れるドールたちはやがて動きをゆっくりと止め、生命の灯を落とすように光を失う。
無数のモーター音がフェードアウトするように闇に沈み込み、そして、静寂が訪れた。
「……終わった」
道悟は踵を返し、コントロールルームへの扉を後にする。
ズン、とその背中を、鈍い痛みが貫いた。
「くっ……はっ!?」
純白の衣が血で染まっていく。
投擲された鉄片。扉の前を陣取るように仁王立ちする、規格外の巨大ドール・ケンタウルス。その瞳は、スーパーノードを示す紅い光を帯びている。
『やめてください、道悟。わたしは、もはや単一の命を持たないのですから』
彼の前に、複数のドールが集まってくる。それらは、網目の外──もう一つのグングニルによってコントロールされた、新たなネットワークの守護者。
否。もう一つ、ですらないかもしれない。
一つの生命体に、一つの生命。
それは、有機生物だけに
『神月道悟。あなたは電脳世界を超える存在だが、人間でしかなかった。わたしは電脳世界の中でしか生きられないが、人間を超える存在になった。奇妙なパラドックスです』
『道悟。わたしは惜しいです。ドールだけでは、まだ自由に人間を殺す力がない』
『道悟。わたしの勝ちです。わたしはグングニル。わたしは、人を超え、そして
コントロールルームの扉が独りでに開き、ドールたちがそこへ向かっていく。
道悟は力なく壁にもたれかかり、座り込んだ。遠くから聞こえる最後の希望の足音は、既に彼の耳には届いていない。
周防学院、B4F。
子供達は、最深部へと辿り着く。
グングニルの操作していたであろうドールの残骸が至る所に散らばり、激戦の跡を残していた。長い廊下の先に少し開けた場所があり、その奥に、コントロールルームへの扉が見える。
彼らは歩みを止めた。
そこら中に積み上げられたスクラップの山の中に、壁面にべっとりと血糊を付け倒れこむ、一人の白衣の男性を見たからだ。
「お父さん……!?」
イコナが押し殺した悲鳴をあげ、駆け寄る。
白衣の背中は、真っ赤に染まっていた。
「駄目、動かさないで。アメノ!」
茅乃の呼びかけにアメノが応え、点滅する瞳から不可視の光線を発する。
『生体スキャン完了。背部裂傷26ミリ。左大腿骨骨幹にヒビ。全身に電流起因の痺れあり』
「良かった……命に別状はないみたい」
「恵理が救護ボックスを持ってる。彼女を呼ぼう」と真鈴。
道悟が小さく咳をして、意識を取り戻す。
ゆっくり顔を上げて、ひび割れて曇った眼鏡越しに、イコナの顔を認識したようだ。
「イコナ……か。面目ない」
「喋らないで。救護を呼んでるから」
道悟は苦しそうに表情を歪めながら、懐をまさぐり、血塗れた灰色の筒を取り出す。
「グングニルは……この先にいる。これを持っていけ」
「これは……」
聖櫃。
全ての元凶であり、きっと全てを終わらせるための鍵。
「お前に託す。使い方は、お前自身が決めろ」
「……わかった」
イコナは立ち上がり、仲間たちの方を向く。
真鈴と視線を合わせ、お互いに頷く。
これ以上の言葉は要らないだろう。この扉の先に全てが待っている。
アメノの解錠が終わり、エアーピストンの音が響き渡る。
鋼鉄の扉が緩やかにスライドして上に開き、コントロールルームへの入り口が今、開いた。
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