プロローグ

「うおっと」

 どうやらベンチの上で、うとうとしていたらしい。

 今日は見事な秋晴れで、この季節しては暖かく、つい眠気に誘われてしまった。うーん、この分だと、コートとマフラーはいらなかったかな。

 今いる場所は雲隠れの、入口前に設置されいる、ベンチ。

 昼も過ぎ、周りは閑散としていた。

「そういえば、みんな大規模任務に行ったんだっけ」

 大規模任務は大人数で請け負う、ちょっとばかり特殊な任務。大型の魔物の討伐だったり、探し物を集めたりするもの。普段より多分に報酬がもらえるので、請負人にとっては、垂涎ものの任務だが、だいたいが危険地帯での任務になるので、命を落とす危険もより高くなっている。

 その任務をスルーして、かくいう僕は、ここで待ち合わせをしているのだが――

「おはようございます」

 来た。

 視界を横切る、白銀の髪。

 ご存知、田中柳子さんである。

 恰好はいつも通りの、黒魔術師のローブ姿。

「おっはー」

「待ちましたか?」

「五分くらい」

「そうですか。ではお詫びにこれをあげましょう」

 左手に持った、おにぎりを差し出してくる柳子ちゃん。

「ラッキー。小腹空いてたんだよねえ。ありがと」

 受け取り、もぐもぐする。

「赤絵さんは?」

「まだ来てないよ」

「そうですか。というかいつのさん、荷物少なすぎませんか」

「あまり持ってくもの、ないからなぁ。細かいものは、あっちで揃えりゃいいし」

「いつのさんらしいです」

 微笑しながら、柳子ちゃんはベンチに腰を下ろした。

 僕と拳一つぶんの距離感。

「それにしても、こんなにスムーズに入学が決まるとは、思いませんでしたね」

「だねえ。愛音ちゃんの口利きのおかげかな」

 あの戦いから五日――

 田中さんの討伐が終わった直後、僕と柳子ちゃんはその場に倒れた。二人とも既に身体が限界を迎えており、寝たきりの状況が丸一日続いた。

 どうにか身体を動かせるようになった頃――僕と柳子ちゃんは、これからのことについて話し合った。見舞いに来てくれた、赤絵と愛音ちゃんも交えて。

 そこで僕ら――いつの、柳子、赤絵の三名は、愛音ちゃんの奨めで、いやもうやたら愛音ちゃんが奨めてくるのもあって、請負人教育期間――猛る龍の調印学園へ、編入することになった。

 入学のためには本来、適性試験やらなんやら受けることになってるのだけど、幸い、僕たちは既に請負人であり、役職にも就いている。加えて、それなりの数の任務もこなしていた、実績もあったので、その辺はパスしてすんなり編入が決まった。

 で、今日が件の学園に出発する日。

「やっぱり、お父さんの言ってたこと、気になったんですか?」

 自分が何者か知りたければ、秋葉原に行きたまえ――か。

 偶然か必然か、猛る龍の調印学園は、ちょうど秋葉原にあった。

「うーん、それもあるけど、学生生活みたいなのも、してみたかったしね。活動拠点にもなるだろうし」

 理由らしい理由と言えば、それだろう。

 もともと、自分が何者なのかなんて、それほど興味はない。ただ、それを知る機会があるならついでに、ってなもんだ。だってほら、思い出せないことをうじうじ悩むよりかは、楽しい思い出を増やしていったほうが、建設的じゃない? 学生生活なんて、それの最たるものだと思うんだけど。おまけにあそこ、女学校らしいしね。やったぜ。

「はぁ。いつのさん、18歳でしたっけ?」

「推定だけどね。正確な歳は思い出せないや」

 思い出したところで、どうなるわけでもない。自分にとってはどうでもいいことだった。

「なら学生でもおかしくない歳ですね」

「そうね。で、柳子ちゃんこそ、どうしてあそこに行くことにしたの?」

 問うと、柳子ちゃんは、そうですねえ……と、遠くを見つめた。

 二度と戻らない船を見送るような、そんな表情だった。

「一人前になるって、言っちゃいましたから」

 視線の先に映っているのは、きっと。

「わたしは既に請負人ですが、まともな教育なんて、ほぼ受けたこともないですし――黒魔術師のことを、一から学べるいい機会でしょう」

 猛る龍の調印学園は、この世に現存する、全ての役職を学べるところだ。もちろんその中には、黒魔術師も入っている。

 それに、と柳子ちゃんは続ける。

「わたしとあなたは、もはや一蓮托生でしょう」

「……そうだね」

 あの戦いで――僕は龍駆りとなり、どうやら柳子ちゃんと契約なるものを、結んだとのこと。

 その契約について、僕は未だよく分かってないのだが、柳子ちゃんの話によれば、龍にとっては、結婚のようなものらしく、龍が契約者に、力を分け与える、というものだった。うん、やっぱり分からん。力を分け与えると言われても、僕にそれらしい変化はないし――もしかして僕が気付いてないだけかもしれないけど、柳子ちゃんも母親にそう聞かされただけで、詳しいことは分からないようだった。

 結婚については既に形骸化した古い文言らしいが、僕としてはそっちのほう重要なんですが。

「それにいつのさんは、これから龍駆りとしてやっていくんでしょう? わたしがいなきゃ、龍駆りとして活動できないのでは?」

 まったくその通りである。

 侍であることを辞めるわけではないが、僕が龍駆りで在ることができるのなら、そちらを優先しようと思ったのだ。

 この気持ちは、田中さんとの戦いで感じた、自分の力不足に起因する。

 あれはもしあのとき、僕が侍ではなく、最初から龍駆りであったのなら、最初からあれだけの力を出せたなら、仲間の傷をもっと減らせたはずだ――と若干後悔してしまうくらいの案件だった。あのダークエルフのような強敵を前にしたとき、為すべなくやられるのは、もう嫌だから。……当のダークエルフは、いつの間にか、あの場から居なくなってたけど。

 思い返せば、田中さんも、僕に龍駆りとして戦わせたがっていた節があった。彼が言っていた、強くなってもらわないと、という台詞は、もしかして龍駆りになれることを見越して……?

 ……考えても無駄か。もともと腹の読めない人だ。

 侍であるより、龍駆りであるほうが力を出せる――だから僕は龍駆りをやる。身も蓋もないが、つまりそういう話なんだろう、これは。

 柳子ちゃんに迷惑かけてしまうのは、申し訳なく思うんだけど。

「柳子ちゃんはいいの?」

「何がですか?」

「あのときは急な上に勢いで契約したから。僕みたいなのが柳子ちゃんのあるじになって、よかったのかなと」

「いいですよ」

 即答だった。

 てっきり「嫌に決まってるでしょう。バカじゃないですか」とでも言われるのかと思ったのだけど。というかそう言われたかった。Mマゾだから。

「簡単な話ですよ。わたしはいつのさんの人間性を理解していますし、いつのさんもわたしをある程度、理解していると思います。出会って二年くらいですけど、過ごした時間は、それなりに濃いですし」

「つまり?」

「どうでもいい他人ならともかく、いつのさんはその、他人ではないので――それならいいかな、と」

 柳子ちゃんは視線を下にやり、若干もじもじする。

「え? そんなんでいいの? だって柳子ちゃん、龍にとって、あるじは慎重に選ぶべきものだって昨日――」

「い、いいんです! わたしがそう決めたんだからいいんです!」

「そ、そう?」

 頬を赤くして、龍並の勢いでガーっとまくし立ててくる柳子ちゃん。

 ま、まぁ、彼女も考え無しで、契約したわけじゃないだろうし、僕が懸念することでもないのかな?

「それといつのさん」

 落ち着きを取り戻した、柳子ちゃんは続ける。

「わたしは嘘が嫌いです」

「う、うん」

 なんの話をしてるのか分からないが、気圧され、返事をする僕。

「だ、だからその」

 ここで柳子ちゃんは深呼吸をし、

「結婚を前提に付き合ってるって話――嘘にするつもりありませんから」

 ……はい?

 え? はい?

「わたしが、あなたの許嫁になると言ってるんです」

「はいぃぃぃぃぃぃぃ!?」

 青天の霹靂である驚天動地である!

 ど、どこでフラグが立った? だって柳子ちゃん、そんな素振りは一度も――

 さすがに嘘が嫌いだから、という理由だけで、僕にこんな告白をしてくる娘じゃないのは分かる。

 では他にどういう理由が? 柳子ちゃんが僕にラブとか?

 いやいや、まさか。そんなそんな。自慢じゃないけど、僕に惚れられる要素なんか、どこにも無いぞ。

 しかし、僕はハッとする。

 ある男の、ある一言を思い出したからだ。

 ――柳子はね、いつのくん、君に惚れていたのだけど。

 約一ヵ月前、先輩と一緒に田中さんの家を襲撃したとき、彼はそう言った。あの場面で冗談を言う意味も無い。そもそもあの人は、基本、冗談を言うタイプの人ではない。冗談みたいなことを本気で言う、どちらかと言えば天然寄りの人だ。

 だとしたら、あの言葉はマジ――?

「どうなんですか、いつのさん」

「は、はい?」

「わたしが婚約者になるのは嫌ですか?」

「そ、そりゃあ――」

 願ってもないことだけど。むしろ結婚したいけど。結婚してエロいこといっぱいしたいけど。今すぐにでもしたいけど。

 唐突すぎるというか色々と段階をすっ飛ばしてるというか。

「柳子ちゃんはいいの? 僕なんかが婚約者で」

 婚約者。

 口に出すと、とんでもない言葉に聞こえる。真夏に降る雪みたいに、現実味が無い。

 僕の問いに柳子ちゃんはパチクリさせた。

 次に深く溜息。なんか呆れられてる。なぜだ。

「ここまで鈍いとは思わなかったです。この愚鈍」

 ひどい。けどもっと言って。

「いいですか愚鈍。この際だから言っておきます愚鈍。よく聞いてください愚鈍」

 もはや愚鈍が語尾みたいになってる!

 柳子ちゃんは、僕に向き直る。

 継いで僕と目を合わせ、

「わたしはいつのさんが好きです」

 至極真面目な表情で、柳子ちゃんは言う。

「愛してます」

 頭が空転し、僕はただ呆然とするのみだ。

「ラブです」

 う……。

「超すきすき」

「わ、分かった! 分かったから!」

 な、なんだこれ!? なんなんだこれ!? 何が起きてる!? 僕の耳がおかしくなったのか!? あの柳子ちゃんが超すきすき、だと!? そんなこと言う娘だったっけ!? 言わないよね!? 僕じゃないんだから!

「ふ、ふふふ。言ってやりましたよ、わたしは」

 よく見たら柳子ちゃん、顔が真っ赤で声も若干震えている。かくいう僕もそうだ。顔が熱い。

「長年、いいようにいつのさんの言葉に振り回されてきましたからね。そのツケです」

「僕そんなことした……?」

「しましたし、されました。やはり自分の罪に気付いてないようですね愚鈍」

 それまだ続けるのか……。

「では、次はいつのさんの番です」

「わたしはあなたに、嘘偽りなく自分の気持ちを伝えました。返事をどうぞ」

 あぁ……。

 まぁそうだ。女の子に告白にされたのだから、それに応えるのは人として、当然のことだ。

 とはいえ、僕の答えなんて、ずっと前から決まっている。

 僕は柳子ちゃんを見る。

 湖のような碧眼と、青みがかった、長い白銀の髪。艶のある唇は採れたての果実のようで。

 まだ多分にあどけなさを残した、人形のようなその顔を、僕は今まで何度夢想したことか。

 彼女との出会いかたは最悪だったけど――そこから続いて今があるとなると、そう悪い出会いかたでもなかったのかもしれないと、思い直すことができる。

「よく聞いてね、柳子ちゃん」

 柳子ちゃんと視線を合わせ、僕はできる限りの返事をする。

 この上なく真剣に。

「僕ほど君を好きな奴は、どこにも居ない。これより力強い事実はどこにもない」

「ぐはっ!」

 柳子ちゃんは、ダメージを受けたように、身体をのけ反らせた。

 これは聴いてるがわのほうが恥ずいですね……と、朱がさした両頬を手で覆う柳子ちゃん。

「柳子ちゃんも結構恥ずいこと言ってたけど」

「それは……そうですけど」

 柳子ちゃんはこほん、と咳をし、

「では……これからよろしくお願いします。末永く。できれば永遠に」

 彼女は僕の傍まで寄ってきて、密着し、肩に頭を預けてきた。ふわり、と甘い花の香りが漂ってくる。

 とても――とても幸せそうな表情だった。

 僕も、自然と口元が綻ぶ。

「うん。こちらこそ。早く男に戻らないとね」

「男でも女でも、いつのさんはいつのさんです。わたしは女のいつのさんも好きですよ」

 ……おぉう。

 嬉しいこと言ってくれる。こんな温かい台詞を、柳子ちゃんから聞くことになるとは、思わなかった。

「同性結婚なんて、今時珍しくもないですしね。あ、それと告白した手前、こんなこと訊くのもなんですが――」

 と、柳子ちゃんは半眼で僕の顔を見る。

「いつのさん、赤絵さんのことも好きですよね?」

「ぎ」

「やっぱり」

「待つんだ柳子ちゃん。今の一字から君は何を読み取ったんだ」

「赤絵さんどころか、他にも好きな人が沢山いることです。娼館とか行っちゃうような人ですし」

 当たってるぅ!

 その件につきましては、当方年頃の男子ということもあって、遊びたい盛りと言いますか、若さゆえの過ちと言いますか、そういった事情と都合が錯綜した結果、このような事態に陥ってしまった、という話もありまして。

「そんな人を好きになった、わたしもわたしですが……でも、いつのさんだからしょうがないですね」

 困ったように笑って――柳子ちゃんは、僕の手に、手の平を重ねた。ひんやりとした手から、暖かさが伝わってくる。

 いかん。

 この不意打ちは困惑するし、心臓が爆散しそうなくらい、脈動している。バカな、この僕が押されているだと……! だって柳子ちゃんが、こんなことしてくるとは思わないもん!

 当の柳子ちゃんの表情は穏やかだ。言いたいことを言い終えたのか――なんだか晴れ晴れしているように見える。

 枷。

 そう、今まで自分を抑えてた枷を――全て取り払ったような。

「もう我慢する必要もないですし――これからのわたしは、あなたにしたいことをしますよ」

 そんなことを、微笑みながら言うんだから、僕は気が気でない。

 嬉しくもあり、不安でもあり、だけどやっぱり嬉しい。

「だから覚悟してくださいね」

 結婚もそのうち、と柳子ちゃん。

 この娘のこんな笑顔を、僕は見たことがなかった。このときの笑顔を、僕は永劫忘れることはないだろう。

 月並みな表現だが――花のような笑み、とはこのことか。

「そういえば猛る龍の調印学園は、男子禁制でしたね……いつのさんに首輪とか付けたほうがいいでしょうか? 他の女に手を出さないように」

 このときの笑顔は、忘れたいけど夢に出てきそう。

 

 僕らはこの街を出て、新たな場所へ向かう。

 世話になった人には挨拶も済ませてあるし、ここで一旦お別れ――

 寂しくもあると同時に、これから始まる新生活に、胸を膨らませている自分もいた。何があるのか、何が待ち受けているのか、何が起こるのか。

 そこでまた、新たな日常が始まる。

 良いことばかりじゃないだろう。悪いことばかりじゃないだろう。

 どちらにせよ、柳子ちゃんや赤絵たちがいれば――少なくとも、悪い思い出にだけはならないだろう。

 なんてったって、みんな、とびっきりの人たちなのだから。


 田中正義に関する、一連の任務は、こうして幕を降ろした。

 報酬はまぁまぁの大金と、かわいい婚約者。

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