ゆりせん

うしろざわ

序幕 セイギノヒカリケイカク

証明完了

 しぶしぶスーツに着替え、外に出る。むろん、先輩も同じ格好である。

 その日は清々しいほどの晴れ。惰眠をしゃぶりつくしていた僕は先輩に叩き起こされ、強引に任務クエストに連れて行かれた。

 残暑も控えめになり、少しずつ涼しくなり始めた、夏の終わり時の午後。朽ち果てた住宅街に暢気に響く二人分の靴音。

 なんでも緊急の討伐任務が発布されたらしく、人手が足りないという理由で休日を満喫(二度寝)していた僕にお鉢が回ってきたようだった。緊急なのに暢気とはこれ如何に。

 緊急任務自体はままあることだから、別に嫌というわけではない。通常の任務より大変だが、その分報酬も弾む。慣れてる者にとってはむしろ歓迎すべき任務だろう。僕もまぁ、面倒であることを除けば、という感じである。

 しかし、今回の緊急任務、どうにも毛色が違うらしい。以下、先輩の説明。

同志介錯メンバーハントよ」

 以上、説明終わり。

 同志介錯――だいたい字面で想像がつくと思うが、まぁ恐らく君の想像通りである。

 端的に言ってしまえばこれは先輩や僕の同業者、あらゆる仕事を請け負う請負人ハンターを殺すこと。何故仲間を殺さなければならないのか――それにはなんらかの理由が絡む。介錯依頼が任務として発行された以上、発行されただけの理由があるのだろうが、そんなことは知りたくもない。つーかなんで僕がこんな任務に付き合わなきゃならん。

「だって誰も受けたがらないんですもの」

 と、先輩は涼しい顔。

 当たり前である。好き好んで人を――仲間殺しを受託する者などそうはいないだろう。この人を除いて、僕の周りには。

「貴公、介錯経験はなかったわよね?」

 隣を歩く先輩がふいに僕に訊ねてくる。

「ないっすね」 

 そういった依頼を受けるのを意図的に避けてきたからだ。他の請負人も僕と同じ考えのようで、依頼表に一人だけぽつんと取り残された介錯依頼の文字を何度も見てきた。誰だって人殺しにはなりたくない。

 だというのに、この先輩はなんでもないような顔をして介錯依頼を受けるのだから、不思議だ。というかどういう精神構造をしているのか。長い付き合いだが、その辺のことは全く理解できない。望んで人殺しをするほど人格が捻じ曲がってるわけでもなかろうに。……ないよね?

 まぁ、何か思うところがあって、この人はこの人なりに介錯依頼を受けたのだろう、と適当に解釈しておく。介錯だけに。

「だったら介錯任務がどういうものなのか見ておきなさい。貴公も請負人なら、いずれは誰かを殺すことになるかもしれないから」

 うへえ、かわいい顔して嫌なこと言ってるよ、この女。あとそれってフラグじゃね?

「あとつまらないダジャレを言う人も介錯対象よ」

「介錯任務怖いな!!」

 この人なら本気でやりそう。

「ちなみに今回の介錯対象は田中さんよ」

 ちなみに、のあとに続く台詞が不穏すぎる。

 一応説明しておくと、田中さんはこの道三十年のベテラン請負人である。45歳。既婚、だったが五年前に奥さんを亡くし、現在は16歳の娘さんと二人暮らし。

 僕も田中さんとは何度か任務に赴いたことがあるし、その縁で娘さんとも顔見知りである。田中さんは当たり触りのない穏やかなおっさんで、娘さんの柳子りゅうこちゃんも父に似たのか、物静かなかわいい子だった。若干毒舌だが。

 ……僕たちは彼女の親の仇になるわけか。こういうことがあるから受けたくないんだよ、介錯任務。

 というか待てよ、柳子ちゃん、大丈夫なのか。依頼内容からして田中さんの身に何かあったのは確実。それがもし危険なものだとしたら近くにいる柳子ちゃんが真っ先に被害を被るのでは。

「やっと気付いたの? 理解するの遅すぎでしょう」と、先輩は呆れ気味。

「いやいやだったらのんびり歩いてていいんですか!?」

「よくはないわね」

「じゃあなんでのんびりしてんの!?」

「急ぐの苦手なのよ!!」

 めちゃくちゃキレられた。

 人一人殺す任務でもこの人はいつもの調子だった。

 頼もしいと言えば頼もしいが、こんなんでいいのだろうか。


 はい、そんなわけで田中家到着。見た目は二人暮らしにはやや広い一軒家である。三人だった頃はちょうどよかったのだろうと思うと、少し切なくなる。

 玄関前。年季が入ってそうな古ぼけた木製の表札には田中の二文字。500年前から現代に続くポピュラー(?)な苗字らしい。以前田中さんに教えてもらった。

 ここから先は気が抜けない。先輩と頷き合いつつ、僕がそっと引き戸を開ける。

 玄関には二足の大きな靴と小さな靴が並べられている。田中さんと柳子ちゃんのものだ。何が起こるか分からない以上、当然靴は履いていたほうがいいのだが、土足で上がるのは躊躇われたので一応靴を脱いでおく。この家から滲み出る生活臭がそうさせたのかもしれない。先輩は思いっきり土足だったが。

 壁は石造りで床は木造。どこにでもある一軒家といった感じ。

 とりあえずすぐ正面に居間が見えたので、二人でそこから調べていこうと思ったのだが――居た。居間に入るとスーツ姿の壮年の男が、居た。田中さんだ。座布団に座って優雅に茶などを嗜んでいた。

 こちらを見、僕たちの事情を知ってか知らずか、田中さんはいつものように言う。

「やぁお二人さん、こんにちは。どうだい? お茶でも?」

 ざっと辺りを見やる。ローテーブル。戸棚。箪笥。押入れ。見た感じ柳子ちゃんの存在は確認できない。

「いらん。そんなことより田中さん、死んでくれ」

 直球すぎだろ、この女。

 せめてまず、事情を話すなりやることがあるだろう。

 茶を断り、先輩は背負っていた鞘から大剣を、腰に下げていた鞘から小太刀を抜く。やる気満々である。

 しかし、田中さんは驚いた様子を見せず、何か悟ったような表情で僕たちを見る。

「そうか。私を殺すのは、やはり君たちか」

 そして、立ち上がる。

「田中さん、あんた……」

 彼は知っているのだ。僕らがここに来た理由を。

「ふふ。あの依頼を出したのは私自身だからね――請負人がここに来る理由と言えば一つしかないだろう?」

 などと、いつもの調子で田中さんは言う。

「なぜそんな依頼を?」

「なぜ? なぜって? それは同志介錯をしてきた君が一番よく分かってるんじゃないか? 御子みこくん」

「……」

 先輩は口を閉ざす。

 ……なんらかの理由で人から魔物となったもの。反社会的な行動をとるもの。魔物にはなっていないが、魔物化の兆候があるもの。

 それがギルドが指定した、介錯対象となる人間の条件。

 この場合、恐らく――

「憑かれてしまってね――どうにも治まりそうにない」

 それは魔物化の兆候が顕われたということ。

 一度それが顕われた人間は、遅かれ早かれ、ただ魔物と化すのみ。

 魔物となった人間は人を襲う。下手をすれば最上位種の魔王級になる可能性もある。

 だから魔物になる前に、人であるうちに殺す。

 それが今回の同志介錯の正体。

「一応確認しておきたいのだけど、柳子は無事?」

 訊ねる先輩に、田中さんは淡々と返す。

「ああ、今朝、手違いで思いっきり殴ってしまってね。それっきり動かないんだ。どうしてだろうね」

 魔物の力の前では人間の肉体などコンニャク同然だ。まだ魔物化してないとはいえ、魔物化の兆候がある状態で殴られたりなんてしたら。

「……どうしてって、あんたそりゃあ」

 最悪の想定が頭をよぎる。

 魔物化ないし魔物化の兆候で狂い始めた人間に真っ先に狙われるのは、その人間に近しいもの、つまり家族が狙われるケースが多い。目についたものから魔物は狙っていく。柳子ちゃんが狙われるのは当然のことだった。

 そんなこと分かっていたはずなのに。

「死んだ、か……それは悪いことをした。柳子はね、いつのくん、君に惚れていたのだけど」

 その悪びれない態度に、頭が熱くなる。

 仮にも親であるあんたが、あの子を手にかけたというのに、その態度は。

「まともに相手したらいけないわ。この人、もう終わってる」

 切れ長の目を細め、先輩は僕を制す。

 言われて幾分か冷静になる。そうだ、この男はもはや田中さんからかけ離れつつあるモノ。

 肉体も人格も魔物と化しつつある。

 そうでなかったら、あの温厚な田中さんが柳子ちゃんに暴力を振るうはずがない。

 自分の妻の忘れ形見である、柳子ちゃんをぞんざいにするはずがない――

「それじゃあ、最後にいつのくん、君はこの町に来る前の記憶がないのだったね?」

 ……? その通りだが、突然の質問に僕は返答に窮した。

「私には分かる。君は特別な男だ。君は――」

 瞬間、突風が駆けた。

 そうとしか思えない速度で、先輩が大剣を逆袈裟に振りぬいたのだ。

「まだ話の途中なのに、ひどいな」

 対する田中さんは驚きも痛がりもしなかった。

 胴体に/の痕が付き、ギャグ漫画みたいに血を噴き出しながらも平然と佇む。

 見えた肌は鱗のような見た目で、今まさに肉体が魔物化しているようだった。

「なんか話長くなりそうだったから。その間に魔物になられても面倒になるだけだし」

 情緒も何もあったもんじゃねえな、この人。

 田中さんはふっ、と微笑し、

「まぁ、それもそうか。他人から教えられるものでもないか――」

 その言葉は先輩にではなく、僕に向けて言っているように思えた。

 田中さんの言葉が気にならないと言えば嘘になる。だがこの人はもう。

「ああ――できればおまえと一緒のところに行きたいよ、さくら、柳子」

 亡くなった妻と子の名を呟き、田中正義せいぎは前のめりに倒れた。

 最後までこれといった抵抗を見せず、魔物化も死ぬことも、ありのままを受け入れるように。

 ……いや、抵抗するつもりなら、剣を向けられた時点で、とっくにしていただろう。介錯対象に返り討ちカウンターに遭うのは珍しいことではない。しかし彼は最初から抵抗するつもりはなかったのかもしれない。そぶりすら見せなかった。

 田中さんはハナから死にたかったのか、それとも。

「楽になりたかったんでしょうね。死にたくても柳子ちゃんを放って逝くわけにはいかないし、かといって魔物化したらそれも叶わない」

 田中さんが居なくなったら、柳子はひとりぼっちだし――と先輩は続けた。

 なんにせよ、いい気持ちにはなれなかった。

 後に残ったのはの死体と虚しさだけ。

 これが同志介錯。これが仲間殺し。

 こんなものを何回とやってきたのか、この先輩は。

 だとしたら、それはあまりに――

 声をかけようとしたところで、先輩が動いた。

 剣を納め、テーブルを迂回して、田中さんの死体の前に移動する。そして、床に膝と両手を着いた。そして、

「お疲れ様でした」

 それは先輩なりの、介錯相手への敬意の表しかたなのか。

「ありがとうございました」

 噛み締めるように礼を述べ、深々と頭を下げる。

 と、

「ユダンしたネ」

 それはもはや人の声ではなかった。え? と思った時にはもう遅い。その声は先輩のものでも僕のものでもない。となると必然、答えはひとつだけ。倒れたはずの彼のものだ。

 魔物化の影響なのか、その速度は凄まじく、田中さんは既に僕の目の前に居た。そして――

「いっ――!!」

 左肩に硬い感触と激痛が走る。噛まれたのだ。超いてえ!

「いつの!」

 先輩がすぐさま接近、田中さんを背後から斬り付ける。次いで首を小太刀で突き刺した。

 今度こそ田中さんは動かなくなり、倒れた。僕、下敷きになる。

「いつの、大丈夫?」

 痛くはあったが大げさな傷でもなかったので先輩に適当に返答し、田中さんの胸に手を置いてとりあえずどかせようとしたところ、むに。

「は?」

 思わす声を上げる。

 そこには本来男性にあるはずのない、感触があったからだ。

 請負人というものは、魔物と戦うモノ。さらに戦いというものは基本全身運動なので、自然と体も引き締まる。田中さんその例に漏れずしなやかな筋肉質の体のはずだ。

 しかしこれらの公式にそぐわない答えが、今僕の手の平にある。それがこの「むに」だ。もう言ってしまうが、これは胸というよりだ!

「先輩やばいよこれ! おっぱいだよ!」

「大丈夫? 頭でも打った?」

 先輩の反応はまぁ、当然と言えよう。

 確かにおっさんの死体の胸を興奮気味で揉んでる男なんて、僕だったら関わりたくない。

 だがどういうことなのか、この感触はまさしく女性のそれなのだ。だが田中さんはおっさん。だがむに。うごご。

 ことの真偽を確かめるために、田中さんを僕の上からどかせ、仰向けにしてみる。

 すると確かに――

「……これは珍しいわね」

 滅多なことで動じない先輩が瞠目する。僕もきっと同じ表情をしていることだろう。

 田中さんの胸はスーツ越しでもはっきり分かるくらいに、大きくなっていたのだ。魔物化の影響と考えるのが妥当だが、それにしたって珍しい。

「顔も見てみて」

 言われて視線を田中さんの顔に移す。

 そこにあったのは僕の知っている田中さんの顔ではなかった。

 厳密に言えば、田中さんであることは分かる。分かるのだが、まるっきり女性の顔になってしまっている。ぱっちりした瞳や艶のある唇。もし田中さんに姉がいるとすれば、こんなふうな人ではなかろうか。と、思わせるほどに。

 魔物化には未解明な部分が多く、現状では何が起こってもおかしくはないと言われている。そもそも何故人が魔物化するのかも未だ謎だ。結局何も解ってねえじゃねえか。

 それでも魔物化する人間は、あるとき自身が魔物化することに気付く。

 世界で最も親切で最悪な病と言われている。

 閑話休題。

「で、どうすんですか? 医術院あたりに渡します? 珍しい例ですし」

 先輩は首を横にふりふり。

「やめておきましょう。彼のようなまっとうな戦士は、このまま安らかに眠るべきよ」

 言いながら、先輩は開きっぱなしの田中さんの目を静かに閉じた。

 異論はない。僕も田中さんには世話になったから。

「意外と平気そうね」

 先輩はちらりと僕を見る。薄情と責めているのではなく、こちらを心配する感じが伝わってきた。

「まぁ……知り合いが死ぬところを見たのは一回や二回じゃないですからね」

 ショックが無いわけではない。しかし、僕らは人死にというものに余りにも慣れすぎた。こんな世の中だから、と言ってしまえば簡単だが、なるべく納得はしたくない。

「……それもそうね」

 先輩の声は、少しだけ寂しそうだった。


 死んだ、と言ってもまだ何が起こるか分からないので、田中さんを先輩に任せ、僕は柳子ちゃんを捜す。ざっと見た感じ、一階に柳子ちゃんの遺体はない。なので二階へ。

 二階は四部屋とトイレがある。階段を上りきると前後左右に続く廊下。その四部屋はそれぞれ田中さん、田中さんの奥さん、柳子ちゃんの部屋、そして寝室だ。確か右にある部屋が柳子ちゃんの部屋だったはず。分かりやすく、そして特徴的な構造である。

 覗いてみると柳子ちゃんの部屋には誰も居なかった。同様に奥さんの部屋、寝室もだ。となると、あとは……

 田中さんの部屋は殺風景というか簡素なものだった。十畳ほどの広さだが、あるのは箪笥とベッド、剣の手入れをするための作業台だけ。窓もカーテンも閉め切ってある。

 だから分かりやすかった。柳子ちゃんが居たのだ。ベッドの上に。

 カーテンの隙間から入る光の線が、柳子ちゃんの白銀色の髪を真夜中の月のように照らしていたのだ。その様はまるで眠り姫のようで。

「死んでさえいなければ……ね」 

 まだまだ人生があったのに。

 あまりにも早すぎるだろう、クソが。

 と、

「いつのさん、それお酒じゃなくて米の研ぎ汁です」

 はっきりと聞いたし、はっきりと見た。

 今、確かに柳子ちゃんが喋ったのだ。

「まさか……」

 胸に耳を当てると確かな心音があった。呼吸もちゃんとしている。

 つまり。

「寝てるだけかい!」


 柳子ちゃんを抱え、一階に戻る。

「ひとまず、田中さんのことは教会に任せて、私たちは医術院に行きましょう」

 柳子ちゃんが死んだ、というのは勘違いだったが、先輩が診たところ、どうにも殴られたのは本当らしい。大事をとり、医術院で診てもらうことにした。

 ……大変なのはこれからだ。

 柳子ちゃんは身寄りがなくなったわけだから、どうにかして生きていかなきゃならない。そうさせたのは紛れもない僕たちだから、もちろん助力は惜しまないけど、彼女はどう思うだろうか。親の仇に生きていくのを手伝ってもらうなんて、これ以上ない皮肉じゃないか。

 嘆いても仕方ない、か。柳子ちゃんのことについてはその時に考えよう。

 ひとつ言えることは、僕は僕の望む限り、彼女の味方で在ろう。


 で、次の日。

 起き上がるのがいつも以上にだるい。昨日のタスクがあまりにも濃すぎた。

 やはり僕にはまだ介錯任務は重かったようだ。

 とはいえ、今日は先輩と医術院の柳子ちゃんのところに行く予定だし、教会に頼んでおいた、田中さんのお参りにも行く予定だ。

 同志のお参りには同じギルドに所属している全員が、その最後を見届けること。というのが僕が所属している、モノノフギルドの決まりのひとつである。

「……起きるかぁ」

 時刻は九時。先輩が迎えに来るのが十時。まぁそこまで急いで用意する必要もないか。

「ん?」

 起き上がったところで違和感。

「僕のパジャマ、こんなでかかったっけ?」

 手足の裾がやや余っていた。手足が完全に隠れてしまっている。

 まぁパジャマなんてそんな意識して着ることもないから勘違いか。もともとこんなもんだった気がするし。

「ズボンもこんなもんだっけ?」

 やはりこちらも裾が余っている。んー? 

「まぁいいや」

 寝起きのせいもあり、思考を放棄。とりあえず簡単に朝食を済ませる。今日はパンの上に目玉焼き。

 歯を磨きに洗面台の前まで来たところで、事件は起こった。いや、その事件はもう既に朝起きた時点で起こっていたのだ。

「えっ」

 声にならない声、とはこのことだろう。

 まず目に入ったのが黒蜜のような艶やかなおかっぱ。次いでパッチリお目めに長いまつ毛。さらには小さなお鼻に桜色の唇。そして女性特有の丸みがある小顔。鏡に映っていたのは漫画みたいな、なんともかわいい女の子だった。

 しかし、この女の子誰かに似ている。毎朝、洗面台の前で歯を磨くときに、よく見かける顔だ。

 というか、それって僕である。

 だから、この鏡の中でポカンとアホ顔晒してるこの子は僕ということになる。ペタペタと顔に触れてみると鏡の中の女の子も全く同じ動作をした。鼻をほじったり、あっかんべーをしても、同様に。

「まっさかぁ」

 鏡(現実)に背を向ける。

 いやまさかそんな。ねえ? きっと見間違いだろう。声も女の子みたいに高くなってた気がするが、聴き間違いだ。もしくは、まだ寝ぼけているんだろう。

 確認する必要はないが、念のため、そっと振り返ってもう一度鏡を見る。そこには超絶男前の僕が――

「やだ超かわいい!」

 ……まぁ待ってくれ。落ち着こう。一応断っておくが、僕は男だ。生物学上は男のはずなんだ。そ、そう確認、確認させて。今男っていう証拠見せるから。ちゃんと立派なのあるから。

 ままよ、とばかりに僕は一気に、ズボンごとパンツを下げた。そして――

「な」

 乾いた声が漏れる。

「な」

 そして始まる。

 白波しらなみいつのが女として生きる生活と、闘いが。

「なんじゃこりゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 まるで助けたはずのチンピラに、腹でも撃たれたかのような衝撃であった。

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