第3章 アザレアの虜囚 1

 魔都フェリオスで、弓姫と名高いアーダ王女率いるアザレア騎士団に捕まったリオンは、騎士団本部に連行された。アザレア騎士団本部は、王都ロクスではなく、フェリオスがこの世界に現れてからサウスに置かれている。

 アザレア騎士団は、全員団員が女性からなる娘子軍だ。ロクサーヌ王国の他の騎士団と比べると人数は少なく、一〇〇名ほどで構成されている。貴族や騎士の家系の子女たちで、全員が闘魔種だった。

 魔界の都フェリオスが国土内に出現した当時のロクサーヌ王が、家臣や国民を鼓舞するために、本来お飾りであったアザレア騎士団を魔物と当たる軍団とした。高貴な子女が魔物と戦う闘魔種となることで、当時あった偏見をなくす目論見があった。

 神に選ばれた巫女たるグランターが魔物から得られる穢れの象徴である魔の天秤エビルスピリットを必要としたり、闘魔種が通常の人間以上の能力ちからを有していたためあった偏見だ。グランターや闘魔種を魔物同様、人外の存在と見る者が多かった。その意識を、国土に魔都フェリオスが出現し魔物の脅威に大陸で最も晒されていたロクサーヌ王家は、変えたかった。

 闘魔種となることで、人々から恐れられ奇異の目で見られるでは、なり手がいない。進んで闘魔種となる者が大勢いなければ、国土に跋扈する魔物を駆逐することは難しい。特に、有力な剣士や格闘家を、王家は闘魔種としたかった。

 そのため、当時の王女自ら闘魔種となり、アザレア騎士団の団長となった。その団員である貴族や騎士の子女たちも闘魔種となった。高貴な子女が闘魔種となり魔物を相手することで、家臣や国民の勇を鼓舞したのだ。

 その甲斐あって、アザレア騎士団以外の騎士たちから、闘魔種となる者が大勢出た。国土の半分以上を魔物に蹂躙されたロクサーヌ王国は、押し返すことができた。

 以来、アザレア騎士団は、魔物と戦う先鋭的な騎士団となった。

 国民たちは、魔物と戦う強い乙女たちに憧れ熱狂した。国は、それを煽った。闘魔種となった高貴な子女たちを、様々に宣伝した。アザレア騎士団の女騎士たちは、まるで天上から降り立った戦乙女のように尊崇された。

 多くの貴族や騎士の家系の子女たちが、アザレア騎士団へ入団することを切望するようになり、自然と一定以上剣技に熟達した者でなければ入団できなくなり、代を重ねるごとに水準が上がっていった。今では、アザレア騎士団は、魔物を討伐する騎士団の代表的存在となった。

 抗魔四都市の一つであるサウスに騎士団本部が置かれているのも、魔物と当たる急先鋒の騎士団であるためだ。

 王女が団長を務めることも過去二回。

 当時の新生アザレア騎士団の団長であったアネット・デューク・ロクサーヌ王女は、戦女神のように称えられ、ロクサーヌ王国各所に銅像が建てられている。

 現在アザレア騎士団の団長を務めているのは、王女としては三人目であるロクサーヌ王国第三王女アーダ・デューク・ロクサーヌだった。弓姫と名高い武勇に優れた英傑として知られ、その美貌も相俟ってアネットの再来とも言われている。当代の英雄の一人と目される。

 そのアーダに、リオンは捕らえられた。

 これまで直接王女を見る機会がなかったリオンは、アーダが人々から賞賛される理由がよく分かった。ミスリル製の鎧を纏い、駿馬に跨がった姿は颯爽としていた。そして、釘付けにされるその美貌。まるで、天界の戦女神そのものがそこに存在するように、錯覚させられる。

 幼い頃、両親を魔物に殺されたリオンは、よくアネット像に祈ったものだ。

 その再来と言われるアーダには、漠然とした憧れを抱いていた。まさか、このような形で出会うとは思ってもみなかった。アーダは、兄の王太子ベルトナン・デューク・ロクサーヌを殺害した闇墜ちし魔人となった元闘魔種ランヘルトのグランターであったフィリスと契約した自分を、捕らえに来たのだ。

 今、リオンは、アザレア騎士団本部の牢獄にいた。空腹だった。朝食べただけで、そのあと何も食べていない。

 生まれてこの方、投獄されたことなどなかった。石の壁や床は、湿り気を微かに帯び冷たかった。高い位置に、採光のため鉄格子を填められた窓があった。夜であったが燐火灯の明かりが、微かに入り込んでいた。

 武装は解除させられ、強化衣インナーだけの格好だった。

「大丈夫かな?」

 リオンは、フィリスのことが心配だった。

 追っ手がかかった。

 自分を捕らえた目的は、フィリスにある。

 フィリスは、一人貸家にいるはずだ。帰らない自分を心配しているだろうか、無事だろうかと不安が次々と過ぎっていく。

 どこで自分とフィリスのことを知られたのか、リオンは察しが付いた。闘魔種会館だ。リオンが闘魔種登録をしたとき応対した若い女性。その女性は、グランターの名前を用紙に記入したとき、ちらちらと後ろにいるフィリスを見ていた。

 きっと、彼女から漏れたに違いなかった。

 仮にも一国の王太子が殺害されたのだ。何もおとがめなしなはずがなかった。警戒すべきだったと、リオンは後悔した。フィリスの闘魔種となったことを、後悔はしていない。フィリスがいなければ、自分は自暴自棄にフェリオス内に入ったとき死んでいたし、闘魔種にもなれなかった。

「フィリス、無事でいて」

 リオンは、そっと祈りにも近い言葉を呟いた。

 そのとき、石を敷き詰めた廊下を歩く硬い音が聞こえてきた。

 さっとリオンは身構える。誰かが、この牢に近づいてきているのだ。尋ねられても、フィリスの居場所は喋るまいとリオンは誓う。

 コツコツコツと近づいてくる足音が、リオンが投獄された牢の前で止まった。

「リオン・ベレスフォード」

 冷たさを帯びた声が、そう呼びかけてきた。

 リオンは、そちらを見る。そこには、アザレア騎士団の繊細な作りをした鎧を細身の身体に纏った女騎士が立っていた。歳は、リオンと同じくらいだろうか。確か、ルナとアーダに呼ばれていた少女だ。

「何か?」

 緊張しながら、リオンは答えた。

 これから、どうなるのだろうといった不安がある。

「闘魔種になったばかりだそうね」

 ルナは、そう問いかけてきた。

 茶髪をポニーテールにした、きりっと整った目鼻立ちをした少女だ。気の強そうな表情を浮かべている。碧い瞳は、鋭くリオンを見ていた。

「そうだけど」

「ついていないわね」

 ルナの口調には、微かな憐憫があった。表情にも少しだけそれが表れている。

「こうして、捕まえておいて」

 リオンは、少女を軽く睨んだ。

 ルナは、表情を再び硬くした。無言で鍵束を取り出し、リオンが入った牢の扉を開けた。

「姫様がお呼びだ。出ろ」

 そう、ルナは命じてきた。

 黙って、リオンは従った。

「妙な気は起こすなよ。指示に従え。わたしの前を歩け」

 言葉使いが厳めしいものに変わり、態度も高圧的になった。

「武器も何も持っていないのに? 怖いの」

 リオンは反発心を刺激され、やや挑発的な口調になってしまった。

「貴様、口の利き方には気を付けろ。手荒に扱ってもいいのだぞ」

 ルナは、腰に佩いた長剣を一つ鳴らした。

 リオンは、それ以上怒らせることを避け、仕方なく従う。

 牢からルナに方向を指示され、そのとおりに歩いて行く。階段を上がり、騎士団本部の最上階へと辿り着く。廊下が行き止まりとなった最奥に、重厚なドアがあった。その前で、リオンは立ち止まった。

 ルナはリオンと並びドアをノックし、

「姫様。リオン・ベレスフォードを連れて参りました」

 部屋の中に呼びかけた。

「入って」

 絹のように滑らかな声が、中から答えた。

「失礼します」

 ルナはドアを開け、リオンに目で促す。

 リオンは、部屋の中へと入ったいった。

 凝った作りをした部屋だった。

 奥には、ロクサーヌ王国の紋章である有翼獅子グリフィンと騎士団の象徴であるアザレアの花を、それぞれ黒地と赤地の布に銀糸と金糸で刺繍した旗が置かれていた。その横の重厚な机には、アーダ・デューク・ロクサーヌが座っていた。執務室であるようだ。

 隣には、落ち着いた感じのする鎧を着た若い女性が立っていた。

 リオンは、入り口近くで立ちすくんだ。緊張が全身を走る。


「ご苦労様、ルナ」

 微笑を、アーダはルナに向けた。

 声音には、闊達な響きがあった。

「はっ」

 生真面目に、ルナは返事をする。

 それから、入り口で固まっているリオンの背を突いた。

「姫様の前へ」

 リオンは、ルナに押されアーダの前まで歩き立ち止まった。

 横には、ルナが並ぶ。

「強引に連れてきて済まなかったな、リオン・ベレスフォード」

 珊瑚色の唇から、絹のように滑らかな声が紡ぎ出される。

 精緻に整った美貌から微笑を消し、アーダはリオンの目を神秘的な青紫色ヴァイオレットの瞳で見詰めた。

 闊達さが消え去った声に、冷たさが滲む。

 アーダは、鎧ではなく身体の線が出やすい薄い緑色をしたチュニックを着ていた。フェリオスで見た鎧姿ではなく私服であるので印象は少し違ったが、凜としていた。鎧を着ていたときには分からなかった胸の二つの膨らみは綺麗なラインを描き、しなやかな全身をしていた。

 やはり、見詰めてくる青紫色ヴァイオレットの瞳は、リオンの注意を惹いた。とても神秘的に見える。その双眸をおさめる顔はとても精緻で、伝説の彫刻師が持ちうる腕全てを振るったようだった。美貌を縁取る背へさらりと流れる金髪を際立たせる処女雪のように白い肌。リオンは、アーダを見て、同じ世界の住人だとは思えなかった。

 アーダに見とれている場合ではないのだが、リオンは一瞬意識を奪われてしまった。

 ふと、幻想的な金色の双眸が脳裏に浮かぶ。フィリスの顔をリオンは思い出す。まだ一一歳でしかない彼女は、頼るべきものなどこの世にはないのだ。自分以外には。

 淡褐色ヘーゼルの瞳にリオンは力を込め、アーダの青紫色ヴァイオレットの瞳を見返す。

「そう思うなら、帰してもらえませんか?」

 無駄と知りつつ、リオンはそう言ってみた。

 アーダは、今のところリオンを手荒に扱ったりはしていない。兄を殺されたアーダの怒りがいかほどか知らなければ、話し合いにならない。探りを入れてみたのだ。

「そうはいかないな」

 冷たい笑みが、アーダの精緻な美貌に浮かぶ。凍てつく氷のようでありながら、灼熱する炎とも錯覚させる笑みだ。

 アーダの整った容姿は、ちょっとした変化で見る者に様々な思いを抱かせる。探りを入れたリオンは、アーダの心情を量りかねた。殆ど初対面で、よく分からない。

「理由が分かりません」

 敢えて、リオンはしれっとしらを切った。

 そんなことで誤魔化せるような甘い相手でないことは、聡明そうなアーダを目の前にしているリオンにも分かっている。怒らせてみようと思ったのだ。

「ぬけぬけと」

 そこで、初めてアーダの美貌に明確な怒りが湧き上がった。

 美の神に愛でられたような美貌の変化は、劇的だった。ちょっとした変化だ。だが、氷の笑みがひび割れてそこから現れたのは、烈火のごとき怒りだ。リオンは、それだけで尻込みしそうになってしまった。

 弓姫と異名を取る英傑――。

 英雄の一人と目される人物を相手にしているのだと、リオンは改めて思い知らされた。明確な怒りを向けられただけで、リオンなどは震え上がってしまいそうだ。高貴な王族でもあるアーダは、人の上に立つことに慣れた雰囲気がある。簡単に、人を萎縮させてくる。

「まさか、災厄の巫女と契約を結ぶ愚か者がいようとは、思ってもみなかった」

 絹のように滑らかな声を硬化させ、アーダは叩きつけた。

 そうすると、声という名の目に見えない鞭が、リオンを打ち据えてくる。

 リオンは、今更ながら相手をかなり見誤っていたと気付いた。自分のような小物が量ろうなどとは、おこがましい相手だと。純然な怒りが表面化すると、かなり怖い。だが、リオンもただ怯えてばかりもいられない。何しろ、フィリスの命がかかっている。

「そうですか?」

 声を励まし、ことさらリオンは挑戦的に言った。

 少し応対しただけで震え上がってしまっては、話にならない。

「わたしを前にして、そのような態度を取る者を見たことがない。度胸が据わっていると見るべきか、単に無知で馬鹿なだけなのか」

 青紫色ヴァイオレットの瞳で、アーダはリオンを上から下までよくよく眺めた。まるで、リオンを値踏みするように。

 そうされるだけで、リオンは縮み上がりそうだった。静かな威圧感が、アーダにはある。

 ――相手は、僕と同い年の女の子じゃないか!

 リオンは、自分を叱咤した。

 王都では殆ど姿を見せないため、これまで顔も知らなかったロクサーヌ王国第三王女だったが、弓姫として名高いアーダと歳が同じということは知っていた。

 容姿と武勇に優れていたとしても、相手は女の子なのだ。なのに、リオンは確実に気圧されていることが悔しかった。

 フィリスのお陰で闘魔種の一端に加わったというのに、何て様だとリオンは思う。サウスやフェリオスで出くわす闘魔種を見て、強そうだと尻込みしてしまう自分を思い出す。もう、目の前の王女とも同じ土俵に立ったのだと、リオンは自分を励ました。

 震えそうになる身体を律し、まっすぐアーダと向き合う。

 そんなリオンを、アーダはじっと観察している。

「無知で馬鹿と見るべきだろうな。王太子殺しの闇墜ちした元闘魔種の契約グランターと――咎人と組んで、この先やっていけるのかも考えが及ばない。だから、フィリスと契約し闘魔種となった。あの穢れた災厄の巫女と」

 アーダの言葉と口調は、冷たい。

 さながら、氷の刃でリオンは斬り付けられたように感じた。

 と、同時に怒りが込み上げてきた。

「無知で馬鹿なのは、あなたの方じゃないですか!」

 部屋に響き渡る大声で、リオンは決然と言い放った。

「貴様! 姫様に無礼な」

 隣に立つルナが、気色ばむ。

 長剣の柄を握り、リオンを睨み付けた。今にも斬りかからんばかりの雰囲気だ。

「聞き飽きました」

 動じず、リオンは言葉を連ねた。フィリスへの侮辱は、許せなかった。

「災厄の巫女ですって? フィリスが何かしたわけじゃありません。契約した闘魔種が闇墜ちしただけです。そんなの、あの子の責任じゃありません。ランヘルトって人の責任じゃないですか! 聡明な王女様のお言葉とは思えません」

 きっと、リオンはアーダを睨み付ける。

 アーダも、リオンに鋭い視線を注ぐ。

「わたしを馬鹿者呼ばわりとは、いい度胸だな」

 静けさすら感じさせるアーダの口調には、かえって怒りが底知れぬほど満ちている。

「アザレア騎士団の本部に捕らえられているということが、分かっていないのか?」

「分かっています。けれど、王女様の言うことは分かりません」

 ぶっきらぼうに、リオンは答える。ここで、折れるわけにはいかないのだ。

「兄を殺した――王太子殺しの重罪人の片割れだと言っている」

 机から、アーダは立ち上がった。

 凜々しい立ち姿から、灼熱した怒りが発せられている。

 そのまま、アーダはつかつかと机を回って歩き、リオンの目の前で立ち止まった。

 青紫色ヴァイオレットの瞳と淡褐色ヘーゼルの瞳が、正面からぶつかり合う。

 息を飲むほど美しいと、リオンは思った。

 純然な怒りは、アーダの類い希な美貌を燃焼させている。

「それは、フィリスの罪ではありません」

 真っ向からアーダの怒りを受け止めつつ、勇を鼓舞してリオンは言い切る。

「フィリスは、ランヘルトと契約したグランターだ」

 アーダも譲らない。その眼光は、射殺すようだった。

 一層の魔物を相手にしているよりも、リオンは目の前のアーダが恐ろしい。だが、ここでフィリスに罪があると認めるわけにはいかない。今、フィリスを守れるのは自分だけなのだからと、必死に言い聞かせる。

「はい。でもそれだけです。それがお分かりにならないなら、王女様は愚か者です」

 リオンは、全身全霊をもってアーダに言い返した。

「そこに直れ、リオン・ベレスフォード。今すぐ、その首を刎ねてくれる」

 激情に身を任せるように、アーダは腰に佩いた長剣を引き抜いた。

 ミスリル製のそれは、曇り一点もなく青白い燐火灯の明かりを反射して怪しく輝く。

 弓姫と異名を取る武勇に優れた英傑であるアーダの迫力に、リオンは飲まれた。石になったように、その場に凍り付く。が、すぐさま腹の下に力を入れ直した。

 ゆっくりと、アーダは長剣を振り上げた。

 次の瞬間には、自分は死んでいるだろうと、リオンは覚悟を決めた。伝わってくる闘魔種としての力量の差をひしひしと感じる。

「お気をお鎮めください、アーダ様」

 それまで黙っていた落ち着いた感じのする若い女性が、アーダを諫めた。

「いっときの怒りで、抵抗のできぬ相手の命を奪われますか? アーダ様がなされることとは思えません」

 理知的な美貌を毅然として、その女性は声を張り上げた。

「ジゼル……」

 アーダの動きが止まった。

「リオン殿をここに連れてきたのは、殺すためではないはずです」

 琥珀色アンバーの瞳を厳しくし、ジゼルと呼ばれた女性はアーダを諭す。

 ジゼルは、黒髪をショートカットにしている。右目の下に泣きぼくろがあるのが印象的で、理知的な中に色香を感じさせてくる。女性的起伏を十分に有する全身は、アザレア騎士団の繊細な鎧であるのでスタイルのよさを伝えてくる。

「……済まない。頭に血が上ってしまった」

 表情に冷静さを取り戻したアーダは、ジゼルに詫びた。

「致し方ありません、とは言いません。ベルトナン王子が殺害されて、今のアーダ様は少々冷静さを欠いておられます」

 姉のようにジゼルは、アーダを窘めた。

「この男が、無礼な言動を姫様にとるのがいけないのです。ジゼル殿は止められましたが、打ち首になっても仕方がありません」

 対して、ルナはジゼルと全く違う言葉を、アーダに送る。

 一つ、アーダは深く息を吐いた。

「リオンが、フィリスを庇い立てするのは分かる。だが、狂戦士バーサーカーを生み出したグランターは、その存在自体が穢れている。そもそも契約している闘魔種が闇墜ちするなど、あってはならない。聖眼の持ち主とフィリスは期待されていただけに、罪は大きいのだ」

 口調を落ち着かせ、アーダはリオンに理解を求めた。

狂戦士バーサーカー? 聖眼?」

 初めて耳にする言葉に、リオンは首を傾げる。いや、狂戦士バーサーカーとはどこかで聞いたか?

「知らないのか?」

 アーダの問いに、リオンは首肯する。

「ダークメイルと呼ばれる魔界の鎧がある。闇墜ちした闘魔種――魔人の中でも強力な者に取り憑き、絶大な戦闘力を与える。〝魔神〟の騎士となったその者は狂戦士バーサーカーと呼ばれる」

「〝魔神〟の騎士……」

 ランヘルトは、ただ闇墜ちした魔人だと思っていたリオンには、寝耳に水だった。

「ああ。だからこそ、わたしはフィリスを許せない。フィリスは、グランターの中でもとりわけ神の加護を受けている。その証が金色の瞳、聖眼だ。以前、これを持ったグランターはアネット・デューク・ロクサーヌのグランター、ミルス・シュラールだけだ。それだけに、フィリスは期待されていた。それなのにっ!」

 再び、アーダの表情は険しいものとなった。

 そのとき、「失礼します」との声で部屋の扉が開かれた。そちらを、リオンは見遣る。

「フィリス!」

 驚きの声を、リオンは上げた。

 両腕を二人の女騎士に押さえられ、引きずられるようにフィリスが連れてこられたのだ。

「何だと……瞳の色が違って見えるが……どうしてフィリス・ルノアがここにいる?」

 アーダは、連れてきた女騎士たちに問いかけた。

「はっ。この者が、リオン・ベレスフォードを返せとやって参りました。風体から、かの災厄の巫女かと思い引き立てました」

 女騎士の一人が、答えた。

「自分からやって来るとは」

 アーダの青紫色ヴァイオレットの瞳に、剣呑な色が宿った。


 引き立てられたフィリスの前まで来ると、アーダは右手で顔を上げさせ目を覗き込んだ。

「んっ――」

 無理矢理顔を上げさせられたフィリスは、微かな呻き声を上げる。

 いきなりなことをしてくるアーダの間近に迫った顔を、フィリスはじっと見返した。これまで、面識はなかった。弓姫と名高い王女の評判は知っていたが、誉めそやされるよりもずっと美しいとフィリスは思った。

「金色の瞳、間違いなくフィリス・ルノアだ。燐火灯の明かりで分かりづらいが、こうして顔を近づければ分かる。紛れもなく聖眼」

 青紫色ヴァイオレットの瞳が、燐火灯の青白い光を反射したフィリスの金色の瞳を見詰める。

 夜は、燐火灯の青白い光で自分の金色の瞳が分かりづらくなると、フィリスは知っている。リオンと出会った夜、彼は自分のことを何も知らない様子だったので、一夜くらい平穏に過ごしたかったフィリスは屋台や宿屋で誰とも目を合わせることを避けた。

「のこのこと自分からやって来るとは」

 アーダの精緻な美貌には、喜びとも怒りともつかない表情が浮かんでいる。

 フィリスのか細い頤を握るアーダの手に、力が込められる。

「痛いっ!」

 思わず、小さな叫び声をフィリスは上げる。

「王女様。相手はまだ小さな女の子なんです。手荒な真似はしないでください」

 フィリスたちの様子を、固唾を飲んで見守っていたリオンが、抗議の声を上げた。

 ちらりと、避難するような色を浮かべた青紫色ヴァイオレットの瞳を、アーダはリオンに向ける。

「まるで、わたしを粗暴な悪漢のように言うのだな」

 アーダの口調は、少々心外そうだった。

 類い希な美貌を持ちしなやかな身体をしたアーダは、間違っても粗野には見えない。それでも、一一歳で華奢な身体をしたフィリスと比べると大きい。見ようによっては、アーダにフィリスが虐げられているように見えてしまう。

「ここには、ジゼルとルナがいるわ。こんな子が、何かできるということはないわ。あなたたちは下がって」

 アーダは、フィリスを引き立てている女騎士二人にそう命じた。自分やリオンを相手にしているときとは違って、口調は自然で闊達さがあるようにフィリスは感じた。

「「はっ」」

 二人の女騎士はフィリスを放すと同時に了承の返事をし、部屋を去った。

 あとには、フィリスとリオン、アーダの他にジゼルやルナと呼ばれた女騎士が残った。

「こちらに来い」

 アーダは、フィリスの腕を掴みリオンの隣に立たせた。

 フィリスは、リオンの顔を見て安堵を覚えた。が、すぐに置かれている状況に緊迫した表情をまだ幼さが残る綺麗に整った顔に浮かべた。リオンだけは、無事に帰したかった。自分のために、リオンは危険に晒されているのだ。

「フィリス・ルノア。よくも、わたしの前に顔を出せたものだな」

 アーダの口調は、氷のように冷たかった。そこには、ふつふつと煮えたぎる怒りがある。

「リオンを返してください。いいえ、わたしがここに残ります。ですので、リオンのことは解放してあげてください」

 フィリスは、精緻な美貌を硬くするアーダへ、切実に訴えかけた。

「それは、別に構わない。フィリス、そなたが残るのであれば、契約闘魔種に用はない。リオン・ベレスフォード。帰っていいぞ」

 興味がないかのように、アーダはリオンに少々ぞんざいに告げた。

「フィリスを置いて帰れるわけがありません」

 隣でリオンは、アーダを睨み付けている。

 フィリスは、やきもきしてしまう。素直に、アーダの言葉に従いここから去って欲しい。自分と一緒にいることで、リオンに要らぬ咎を与えてしまうかも知れない。アーダの怒りは相当なものであると、フィリスにも分かる。

「手荒に扱ったことは済まなかったが、リオン、そなたに用があったわけではないのだ。フィリスの居所を聞き出すことが目的だったのでな。先ほどは、わたしも少々気を高ぶらせてしまった」

 特に感情らしきものを浮かべぬ表情で、アーダはそう告げた。

 リオンのことは、どうでもいいのだろう。フィリスは、ホッとした。だが、リオンが素直に従うはずもなかった。

「王女様」

 庇うように、リオンはフィリスの前に立った。それから、アーダの青紫色ヴァイオレットの瞳を淡褐色ヘーゼルの瞳でまっすぐ見詰めた。

「僕は取るに足らない存在かも知れませんが、フィリスには恩があります。僕は、ロクスで生まれ育ちました。ここから、それなりに離れています」

「身の上話に、興味はない」

 冴え冴えとした声が、アーダの珊瑚色の唇から発せられた。

 フィリスは、リオンが何を言い出すのだろうと、気が気ではなかった。幸い、自分の契約闘魔種であるリオンにアーダは興味がないのだ。よけいな怒りをリオンが買ってしまうような真似はやめて欲しかった。フィリスは、リオンの腕を軽く引っ張った。が、リオンはやんわりとそれを振り払った。

「そんなロクスで、僕の両親は魔物に殺されました。親戚の家に厄介になって、これまで生きてきました」

「それは……」

 アーダの青紫色ヴァイオレツトの瞳が、微かに揺れた。

 冷たかった美貌に、心なし陰りが生じた。

「そんな僕には、目標がありました。闘魔種になって、この世界にいる魔物を討伐することです。魔物の脅威は、魔都フェリオスに押し込められたように言われていますが、実際は離れた場所でも被害はあるんです」

 リオンは、真摯に言い募った。

 アーダは、リオンの話を遮ろうとせず黙って聞いている。本来は、情愛に優れた王女なのだろうと、聡いフィリスは察した。

 フィリスは、リオンの両親が魔物に殺されたということを、今初めて知った。どうして、リオンがああも闘魔種となることに拘っていたのか、少しだけ理解できた。グランターと会うため、サウスへとやって来て散々奔走したが報われなかった。そのようなとき、リオンは自分と出会い闘魔種となったのだ。自分に対する思い入れは、そこから来るのだろうかとフィリスは思った。

「僕は、魔都を攻略したい」

 大それた願いを、リオンは口にした。

 それは、この三〇〇年誰にも叶わなかったことだ。幾人もの英雄がこれまで出現した。それでも、魔都は依然として存在し続けている。フィリスには、この場の言い逃れのためリオンが口にしているのではないと、彼のこれまでのひたむきさから分かる。

「この世界から、魔界の脅威そのものを取り除きたいんです。そう思って、僕はこのサウスにやって来ました。闘魔種となるために。だけど、グランターに会うためにギルドを尋ねても、門前払いを喰らう毎日でした。悔しかった。僕は、闘魔種になるために、偶然知り合った人に師匠になってもらって、小さな頃から剣や徒手格闘を習ってきました。それなりの準備をしてきたはずなのに、全く取り合ってもらえず闘魔種になることを諦めかけていました」

 リオンは、言葉を連ねる。表情には、その頃の苦しさが表れていた。

 アーダの精緻な美貌に、葛藤するような表情が浮かぶ。珊瑚色の唇が、何か言いたげに開きかけたがギュッと引き結ばれた。

「そんなとき、フィリスと出会ったんです。僕は、うまくいかないことに自棄になって、闘魔種でもないのに一人でフェリオスへ行きました。魔物と戦闘になって、死ぬところでした。あのとき、フィリスが僕を闘魔種にしてくれなかったら、死んでいました。フィリスには、恩があるんです」

 リオンの言葉に――ああ、やっぱり――とフィリスは思った。最初に出会ってしまったグランターである自分に、リオンはどこまでもひたむきなのだ。

 アーダは、無言でリオンの話を聞いていた。その美貌には、憐憫とも少し違った理解のような色合いが浮かんでいる。

「……話は、分かった。だが、君の境遇と思いは、フィリスの元契約闘魔種だったランヘルト――狂戦士バーサーカーが行ったこととは、別のことだ。こんな出会いでなかったら、わたしは君に敬意を素直に抱けただろう。だが、巡り合わせが悪かった。あとで訪ねてくれたら、フィリスとは別のグランターと契約できるよう取りはからうことができる。フィリスは、君にはよくない」

 アーダの言葉に、フィリスはちくりと胸が痛んだ。だが、それがリオンのためであるとフィリスにも分かる。自分と一緒にいては、リオンに未来はない。

「僕のグランターは、フィリスだけです」

「くどい」

 引く気を見せないリオンを、アーダは冷たく突き放す。

「リオン。わたしは平気です。帰ってください」

 フィリスは、金色の瞳に精一杯の思いを込めて、リオンを見詰めた。心には、感謝の念と芽生えつつあるリオンに対する情愛の念を抱きながら、それを表に出さぬようこれが最善なのだと伝えるように。

「アーダ王女にお願いがあります」

 フィリスは、リオンの横に出てアーダの正面に立ち、神秘的な青紫色ヴァイオレットの瞳を見据えた。

「ランヘルトが闇墜ちしたのは、わたしに責任があります」

「当然だ」

 冷たく、アーダは切り捨てるように言った。

「わたしは、ランヘルトを探したいのです。そして、救いたい」

 フィリスは、心からの思いを口にした。

 ランヘルトが自分の元を去ってから、ずっとフィリスはそのことだけを願ってきた。リオンと出会ってからも、ずっと。

「それは、狂戦士バーサーカー――ランヘルトを殺すということだぞ。一度闇墜ちし魔人と化した闘魔種を救うには、死を与えるしかない」

 アーダの口調は冷たく、淡々としたものとなった。

「分かっています。それでも、わたしは、ランヘルトを救いたいのです」

「よもや、己の元闘魔種が死ねば、フィリス自身の罪が許されるとでも思っているのか? 見苦しいな。災厄の巫女よ。そなたを許す者など、この世にはおるまいよ」

 青紫色ヴァイオレットの瞳に苛烈な色を宿し、アーダはフィリスを責め立てた。

「王女様!」

 フィリスの隣で、リオンの激した声が響き渡った。

「何てことを言うんです。フィリスは、まだ一一歳の女の子なんですよ。それを、もうこの先に未来がないように決めつけるなんて! 王女様が兄であるベルトナン様の仇を取りたいのは分かります。ですけどそれは、ランヘルトって人に対してで、フィリスを恨むのは筋違いでしょう」

「リオン……いいのです」

 フィリスは、リオンに悲しげな顔を向けると、アーダに視線を戻した。

「アーダ王女が、どう思われようと構いません。ですが、それがわたしの願いなのです」

 聖眼と呼ばれる金色の瞳に真摯さを宿し、フィリスはアーダを見詰めた。

 自分が助かろうなどと、フィリスは思ってはいない。ランヘルトが闇墜ちしたことは、自分にも責任がある。自分から離れた理由をフィリスは分からないが。ランヘルト一人に咎を押しつけ、のうのうと生きていく気はフィリスにはなかった。

「ふん。口では何とでも言える。そして、わたしにはどうでもいい。そなたは、ただ役割を果たしさえすれば、いいのだ」

 一瞬、アーダの峻烈さを宿した美貌が晴れたように見えたが、すぐに冷厳さを纏った。

「フィリスを探していたのは、別にそなたに復讐しようなどと思ってのことではない。狂戦士バーサーカーを探す手伝いをさせるためだ。仮にも元契約グランター。まだランヘルトに残っている神聖核ホーリーコアを頼りに、奴を探せるはずだ」

「こんな子に、そんなことをさせるつもりだったんですか」

 腹を立てた口調で、リオンがアーダを睨んだ。

「リオン、わたしは構いません。と言うより、手伝いたいのです。わたしは、ランヘルトを救いたいのです」

 リオンの自分を思う気持ちは嬉しいが、アーダの言葉はフィリスの願いに適っている。それに、リオンがアーダと険悪になって欲しくなかった。

「なら、僕も一緒に行く。物騒な騎士団に、フィリスを一人にさせられない」

「足手まといだ」

 冷たく、アーダは切り捨てる。

「フィリスが行くなら、絶対にランヘルト捜索に同行させてもらいます。僕は、王女様たちを信用しているわけではありません」

 挑むように、リオンはアーダを見た。

「貴様!」

 アーダの青紫色ヴァイオレットの瞳が、激した。

 フィリスは、リオンの危なっかしさにはらはらしてしまう。相手は王女で、アザレア騎士団の団長だ。リオンに悪感情を抱いていないアーダが、敵意を向けかねない。アーダからは、灼熱した怒りが発散されている。リオンとアーダの視線はぶつかり合い、火花が散っていると錯覚を覚える。

 そのとき、やんわりとした女性の声が場に響いた。

「アーダ様、お食事になさいませんか?」

 リオンとアーダの二人に流れる緊迫する空気を無視するように、落ち着きのある女騎士が提案した。歳は、アーダよりも少し上に見える。黒髪をショートカットにした右目の泣きぼくろが特徴的な、同性でまだ小さいと言えるフィリスにも、色香を感じさせる顔立ちをしていた。

「ジゼル、何を馬鹿なことを」

 ちらりと、アーダはジゼルと呼んだ女騎士を見遣った。

「このまま押し問答をしていても、仕方がありません。リオン殿などは、今日は朝食しか取っていないのではありませんか? アーダ様が構うなと言われましたから、誰も食事など出していません。このまま無理矢理リオン殿を帰せば、ロクサーヌ王国の守護者たるアザレア騎士団が、国民を冷たく扱ったと噂が広がってしまいます」

 やんらりと、ジゼルはアーダに諭すように言った。

 理知的な美貌に浮かべられた微笑は、張り詰めた場の空気を和らげるものを持っていた。

「僕、そんなこと言いふらしたりしません」

 リオンは、自分はそのような不心得者ではないと、反論する。

「勿論です。リオン殿は、そのようなことはなさらないでしょう。アーダ様との遣り取りを聞いていて、正義感のあるできた人物であると分かります」

 ジゼルは、柔らかな笑みをフィリスとリオンに向け、片目を瞑ってみせた。琥珀色アンバーの瞳で任せておけと、伝えてきた。

「アーダ様は、リオン殿を納得させぬまま無理矢理フィリス殿から引き離し、放り出されるほど薄情なお方なのでしょうか?」

 落ち着き払って、ジゼルはアーダを見詰める。

「そ、そんなつもりはないわ」

 微かにアーダは、動揺した様子を見せた。叱られたように、口調も厳めしいものではなくなり、年相応の女の子らしいものとなっていた。

 本来のアーダが、透かし見えたようにフィリスは感じた。フィリスやリオンを相手にするときと騎士団員を相手にするときでは、アーダの態度や口調は違う。本来、気さくで優しい人物なのだろうと、フィリスにも想像がついた。

「姫様に無礼でしょう。ジゼル殿」

 茶髪をポニーテールにしきりっと目鼻立ちが整った女騎士が、きっとジゼルを睨み付ける。

「ですが、ルナ。このまま納得できぬままリオン殿をフィリス殿から引き離しては、禍根が残ります。成り立てとはいえ、リオン殿は闘魔種の一人。無視はできないかと思います」

 怒るルナという少女といっていい女騎士に、落ち着き払ってジゼルは答えた。

「分かったわ、ジゼル。副官であるあなたがそう言うなら。リオン、フィリス、納得するまで話をするとしましょう」

 降参というように一つ溜息を吐くと、アーダはジゼルの提案を認めた。


 妙なことになったと、アーダは思った。

 災厄の巫女フィリス・ルノアとその契約闘魔種リオン・ベレスフォードと一緒の食卓を囲んでいる。他に、ジゼルとルナが食卓に就いている。

 契約闘魔種であるリオンを尋問し、本命であるフィリスを捕らえる。それだけだと思っていた。好きこのんで、災厄の巫女と烙印を押されたグランターに拘る闘魔種がいるとは、思ってもみなかった。

 リオンには、損得勘定などなかった。

 フィリスと契約を結んでいて、自分に何ら利などないのにリオンはかまいもしない様子だった。このままでは、自分に未来はないということも分からぬ馬鹿とも言えなくもないが、好ましく感じている自分もいる。闘魔種としてこの先やっていくのなら、フィリスが契約グランターであることは不利だ。時間が経てば経つほど、様々な問題が出てくることだろう。決して悪意から、リオンに別のグランターへ契約を引き継げと、言っているわけではないのだ。

 王太子殺しをした闇墜ちし魔人と化した元闘魔種の契約グランター。今後、リオンは不利や壁に直面するだろうと、アーダは思う。先ず、フィリスが契約する闘魔種を増やすことは難しい。聖眼の巫女として期待されていたフィリスだ。本来なら、王宮お抱えにするところだったが、彼女の意思を尊重した。自由な行動に任せた。ミルス・シュラールに比肩されるグランターとして、注目されていた。その反動は大きい。

 この先、リオンは災厄の巫女の契約闘魔種として、白い目で見られることだろう。今はいいが、今後討伐に向かう層域も、より強力な魔物が跋扈するようになる。そうなれば、一人で討伐を行うことが難しくなってくる。闘魔種としての先々のため、やはりリオンの契約するグランターがフィリスというのは、よくなかった。

 確かに、アーダはフィリスのことを憎んでいる。敬愛する兄であった王太子ベルトナンを殺害した闇墜ちした魔人――現在は狂戦士バーサーカーとなっている元闘魔種の契約グランター。確かにフィリスを憎むのは筋違いかも知れないが、アーダは自分でも感情を御し切れていない。

 決して、フィリスをアーダは嫌いではない。ただ、憎しみが消え去らない。先ほど自分が助かろうとしているのだろうなどと意地の悪いことを言ったアーダだったが、フィリスが見せた純粋でひたむきな思いに本音では心打たれた。自分を裏切った闘魔種だが、フィリスはランヘルトを救いたいと言った。たとえそれが、ランヘルトを殺すことだとしても。まだ一一歳の少女ながら、フィリスは責任を自分なりに取ろうとしている。

「王女様、狂戦士バーサーカー捜索に僕もついていきます」

 カチャカチャと食器の音しか聞こえてこない食卓で、リオンが口を開いた。

 リオンの淡褐色ヘーゼルの瞳には、真摯さがありありと浮かんでいる。その性根は、正直アーダにとって心地よい。どこまでも、まっすぐだった。だからこそリオンをこのままにはできないと、アーダは思う。

「くどいな、リオン。わたしたちが向かう層域は、今君が討伐している一層の魔物とは全くレベルが違う。相手にならないだろう。足手まといなだけだ」

 アーダは、冷たく突き放す。

 リオンでは、自分たちが向かう層域に出現する魔物を相手取ることは無理だということもあるが、フィリスと引き離したいというのが本音だ。

「それに、先ほど言ったはずだ。別に契約するグランターを紹介すると。これまでどれほど魔物を討伐してきたか分からないが、神聖核ホーリーコアに刻まれた魔の天秤エビルスピリットの獲得はそのままで移行することは可能だ」

 アーダは、契約するグランターを変えるよう、リオンに促す。

「それこそ、さっき僕は言ったはずです。僕を闘魔種にしてくれた唯一のグランターであるフィリス以外と、契約するつもりはありません」

 リオンも譲らない。

「リオン・ベレスフォード。姫様のせっかくのご厚意を無下にするつもりか? 無礼にもほどがある」

 ルナは腹を立て、リオンを気の強そうな碧い瞳で睨む。

「王女様が、無茶なことを言うからです」

 リオンの言葉に、確かに無茶を言っていると、アーダは思う。

 契約するグランターを変えることは、確かにある。必要に迫られてだが。寿命などで闘魔種よりグランターが先に死ぬ場合、別のグランターに契約を移行するのだ。元のグランターが契約していた神と変わることが多々あり、悪い影響が出ることもある。王太子ベルトナンをフィリスの元契約闘魔種であったランヘルトが殺害などしなければ、リオンとフィリスは信頼し合った理想的な関係と言えた。

「貴様!」

 がたっと音を立て、ルナは半ば立ち上がった。

 ルナやジゼルは、脚甲を除いた鎧を脱いでいる。下に着込んだ鎧下姿だ。

 カモシカのようにすらりとしたルナの身体が、はっきりと見て取れる。本来生真面目な気性をしているルナは、アーダに忠実だ。

「食事中ですよ、ルナ。はしたない」

 ジゼルが、窘めた。

 脚以外鎧下といった格好であるので、ジゼルの女性的起伏を十全に有した身体が、妖艶さを漂わせて見える。

「ですが、ジゼル殿。この者は、せっかくの姫様の取りなしを、ことごとく拒絶しているのですよ」

 許せないと、ルナは言いたげだった。

「取りなしって、必要のないことを押しつけられたら、迷惑でしょう」

 苛立った様子を、リオンは見せた。

 また、平行線の会話だとアーダは思った。

「リオン・ベレスフォード! 貴様は――」

「リオン、わたしのことは気にしなくていいのです。別のグランターと契約できるなら、それに越したことはありません」

 ルナの言葉を遮り、辛そうな表情をしながらフィリスはそう言い切った。

 闘魔種を持たねば、フィリスはグランターとしての能力ちからを失う。だが、フィリスはリオンのことを心配して、自分のことを犠牲にしようとしている。

 ――何て巡り合わせが悪いのかしら……。

 そう、アーダは思う。

 グランター、否人間として、アーダはフィリスに好感を抱ける。神の巫女としての能力ちからを失えば、一一歳の今のフィリスでは生きていくことも難しいだろう。それを覚悟して、自分を犠牲にしてでも、リオンに歩むべき道を進ませようとしている。聖眼の巫女としての、純粋な有り様が見て取れる。それは、アーダにとって好ましい。だが、同時にそれ以上の憎しみが自分にあることを、アーダは知っている。

 自分は、本当に厚意だけでリオンに別のグランターを奨めているのか、疑念が生じる。当たり前に考えれば、後々のためにもリオンは別のグランターと契約を結ぶべきだ。だが、この胸の中に渦巻く感情はどうだろうと、アーダは思う。

 私怨に駆られているとの自覚はある。どうしてもフィリスを許せない。彼女自身に罪がないことは分かっているが、こればかりはどうしようもない感情だ。敬愛していた兄を、彼女の元契約闘魔種に殺されたのだ。ベルトナンは英雄だった。アーダは兄に憧れていた。七二年間膠着していた一一層の後略をやり遂げた兄を、どれほど誇らしく思ったものか。

 その喜びが、全て打ち砕かれたのだ。もう、永遠にアーダは兄と語らうこともできない。自分から兄を奪い去った敵と、どうしてもフィリスを見てしまう。それで自分の考えがねじ曲げられているのかも知れない。兄の未来を奪ったフィリスから、彼女の未来も奪い去りたいといった復讐心を自覚している。

「せっかく、フィリスもこう言っているのだ。リオン、君の将来のためでもある。ここできっぱり、フィリスと縁を切るんだ」

 氷のように心を凍てつかせながら、アーダはリオンの淡褐色ヘーゼルの瞳を見詰めそう告げた。

「それは、できません」

 アーダの瞳を見詰めたまま、リオンはきっぱりと言った。

 損得で動かぬリオンを、少し眩しくアーダは感じた。少し前――兄を失う前の自分なら、彼のような人物を素直に応援したくなっただろう。或いは、これがフィリスに絡まぬ事柄であったならば、自分の考えも違ったものになったのかも知れないと思う。

「愚かだな」

 今のアーダは、そう言うしかない。

「そうです。リオンはお馬鹿さんです」

 綺麗に整った顔に苦痛を滲ませながら、フィリスが言った。

 いじらしい、とアーダは微かに感じる。一一歳の女の子が、唯一己を助けてくれる手を、振り解こうとしているのだ。相手のために。

 だが、アーダの思いは動かない。

 当たり前だ。フィリスは、ランヘルト同様仇なのだから。

「酷いよ、フィリス。王女様の味方をするだなんて」

 リオンは、苦笑を浮かべた。

 闘魔種会館からフィリスと契約した闘魔種が現れたと、報告があった。資料で、リオンは自分と歳が同じだとアーダは知っている。これまでどのように生きてきたのかは、本人から聞いた大まかしか知らないが、世間知らずと思ってしまう。闘魔種としての今後よりも、知り合って間もないフィリスを大切に思っている。

「姫様のおっしゃっていることは、正しい。当然だ」

 冷たく、ルナが言い放った。

「正しいかどうかで考えることじゃ、ないよ。どうしたいかが、大切なんだ。王女様は、損得で僕を説き伏せようとしています。僕が、契約したグランターはフィリスです。彼女がいなかったらフェリオスで死んでいたか、今頃路銀が尽きて闘魔種になる夢を諦めてロクスに帰っていました。今、ここにいられるのは、フィリスのお陰なんです。だから、僕はフィリスに報いたい。それに王女様を、僕は信用していません。そんな王女様にフィリスを預けて去ることはできません」

 リオンは、きっぱりとそう口にした。

 微かに手が震えているのを、アーダは見て取った。自分を前にして、本当は怯えているのだろう。ご大層に、自分は弓姫などと呼ばれている。勿論、自分の技量にはそれなりの自信がある。闘魔種としての実力にも。

 目の前のリオンは、闘魔種に成り立て。ランクは、Nだろう。現在、闘魔種が到達可能なランクでもCランクといった最上位に近いアーダとは、天と地ほどの開きがある。それでなくとも、アーダはロクサーヌ王国の第三王女だ。身分も違う。必死に自分といったプレッシャーに耐え、意思を貫くことは素直に賞賛できる。

「リオン……やっぱりお馬鹿です」

 フィリスは、俯きぽたりと涙をこぼした。

「ぬけぬけと、よく言うものだな。わたしが信用ならないと?」

 すっと目を細め、アーダはリオンを睨んだ。

 リオンが怖がるだろうかと思ったが、折れてくれるならその方がいい。嫌われようと、リオンがフィリスと切り離れることが最善と考えて。先ほど怒りに我を忘れ斬ろうとしたことが、きっとリオンに一線を越えてはならぬといった思いを植え付けただろう、と。

 フィリスは、リオンを見詰めふるふると首を振っている。リオンの身を案じているのだろうと、分かる。

「できません」

 右の拳を左手で握りしめ、必死の形相でリオンは言った。

 アーダの青紫色ヴァイオレットの瞳が、見開かれる。自分の怒りを買い、手打ちになっても構わないと、その態度は告げていた。

「リオン・ベレスフォード!」

 声を荒げたのは、ルナだった。今にも立ち上がり、リオンを斬ろうとする剣幕だ。

「頑固だな、リオン」

 溜息を一つ吐き、アーダは呆れてリオンを見た。

 必死に、自分に対する怯えを押し殺しているのが分かる。頭の冷えた今リオンを斬ろうと思いはしないが、彼にしてみれば恐れぬはずはない。

「困りましたね、アーダ様」

 言葉とは裏腹に、困った様子一つ見せないジゼルだ。微笑ましそうに、リオンを見ている。

「勝手にするがいい。だが、狂戦士バーサーカーを探す邪魔はさせない。それと、わたしたちが向かう層域に出現する魔物は、これまでリオンが相手していた一層の魔物とは全く強さが違う。足を引っ張るな」

 冷たく、アーダは言い放った。

 リオンに根負けしたというのが、本音だ。フィリスから離れないことは、よくないことだと思いはしても。憎しみを抱く災厄の巫女フィリスと、リオンがどのように今後なるのか見てみたいとちらりと思ったが、下らぬと思考から追い出す。

「分かっています」

 リオンは、真摯な眼差しをアーダに向けた。

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