第90話 天文23年冬 2


冬場は堺の商人たちにとっても一息付ける季節だ。

秋口には大量の食料品の買い付けや、その代金を得た支配者層への物品の販売などが集中して多忙を極める。

オフシーズンに入った商人たちを良之は富山御所へと招待したのである。


皮屋の武野紹鴎や今井宗久、魚屋の田中与四郎、それに鉄砲屋の橘屋又三郎など堺衆総勢40名ほどが、富山への視察旅行に訪ねてきた。

時代を覆すような新発明が続々生まれる二条領を知らねば、今後の商いに深刻な影響があると判断してのことである。

彼らにはあらかじめ声をかけておいた、紀州の鈴木佐太夫や湯浅における量産醤油の開発者である赤桐右馬太郎などを随行してもらっている。


彼らは越中における工業や生産業。それに銃工場などを視察させた。

この視察で誰もが、あまりに進んでいる二条領での工業に驚愕したが、驚愕どころか心神喪失に近い衝撃を受けたのが橘屋又三郎だった。


実は、橘屋は以前に良之からの誘いを断ったことがあった。

種子島という最先端技術を修めた時代屈指の職人という自負がある彼にとって、未開地に近い飛騨越中くんだりまで行かずとも、当時の日本の物流の中心地、堺で巨万の富を築く自信があったのである。


だが、創業10年。

このたった10年で、二条良之によって、種子島の技術は最先端から引きずり下ろされ、どう見ても過去の遺物になりはてているのである。

良之の作るM-16というアサルトライフルは、種子島が1発撃つ時間で100発以上の弾を撃ち尽くす。

しかも、その弾道は正確で、しかも薬莢や弾倉というシステムによって元込めされ自動供給されるため、兵士達はただ撃つことだけに専念できるのである。


橘屋は文字通り、膝から崩れ落ちてしまった。

そして、数日間富山御所で寝込んでしまった。


「わしは、廃業します」

橘屋は弱々しく良之に告げた。

「そんな。橘屋さん、あなたほどの職人はそういません。もしよろしければ、富山に職人を連れて引っ越して下さい。俺が新しい銃の技術を伝えますから、是非お力をお貸し下さい」

良之の言葉で顔色を取り戻した橘屋は、良之の両手をとって頭を下げ、その提案を受け入れた。




皮屋の武野紹鴎もまた、猿倉の皮職人や精肉業に大いに感動していた。

近畿では河原者としていわれのない偏見に晒されていた彼らは、二条領においては信頼と尊敬を集める基幹産業従事者として扱われているのである。

良之は、信教の自由、布教の自由は認めているが、その宗教の倫理を他人に強要することは厳しく禁じていた。

どのくらい厳しいかというと、その身分にかかわらず、実刑を以て臨んでいる。


それに、すでに肉や卵、牛乳や乳製品の美味が二条領に広く伝わっている。

それらを支える酪農畜産の担い手である猿倉衆のおかげで、毎日うまいもんが食えるという認識も良之は強調している。

その上で、猿倉衆には充分な富を報いた。

彼らの生活水準は飛躍している。

それに、工業製品によって作業環境は改善し、悪臭や疫病などの危険性も対策されている。

また、良之の命によってこの世界初の下水処理施設も完備されたことで、汚水などの問題も下流において発生させずに済んでいる。


紹鴎は、近畿各地の河原者達が、さらに猿倉へ移住できるか良之に諮った。

もちろん良之は快諾した。

外国から家畜を生きたまま輸入までしているものの、働き手が全く足りないほど仕事の方が山積している状況である。


また、堺の倉庫業者である納屋衆にとって、冷凍倉庫や冷蔵倉庫は夢の倉庫だった。

大事な商品の腐敗劣化や悪臭の発生を防ぎ、商品価値を落とさず長期間保管が可能なこの設備を堺衆は欲しがったが、良之は諸設備の堺への提供は全て拒否した。

堺が独立した都市である以上、二条にあるどの技術も全て提供するつもりがなかった。

ただし、京都に新設中の二条城と、堺の南にある船尾には発電所を建造するので、この2箇所に冷凍・冷蔵倉庫は建造する。

そのアクセス権は販売する予定であると告げた。


赤桐右馬太郎を越中に呼び出したのは、彼を頭に味噌や醤油の生産を二条領で興させるためである。

すでに技術移転が済んでいる紀州湯浅から彼を引き抜いても大丈夫と判断した良之は、より一層醤油や味噌を量産化させることで、この時代の食生活をもっと豊かに広げようと考えたのである。

すでに食塩の工業化に成功している二条領では、塩の価格は最低値に落ちている。

かつて塩の流通で巨万の富を得た商人たちにとってはショックだっただろうが、塩が豊富になった事で二条領の治安は安定している。

豊かになれば、庶民はそれ以上の美味を求める。

そうした食糧が安定的に欲しければ、商人や輸送するものへの攻撃は控えるものだ。

彼らが自分の土地に来なくなってしまえば、そうした美食から遠ざかってしまうのである。

また、慢性的に労働力に飢えている二条領において、銃火器で武装した軍や警察におびえながら野盗をするより、おのおのが就職して暮らした方がよほど幸福なのである。

とはいえ、本音の部分では、赤桐右馬太郎を越中に呼び寄せたのは、良之自身が醤油を恋しがったという方が大きいのかも知れない。


紀州の鈴木佐太夫を呼んだのは、二条家が所有する新たな輸送船への船員のリクルートの依頼である。

4000石級のディーゼル貨物船越中丸の同系でさらに積載量を追加した船の完成を待ち、新たに船員を割り振らねばならない。

そのあとには、竜骨まで鋼鉄で作る輸送船の建造も計画している。二条家にとって、有能な船乗りは喉から手が出るほど欲しいのである。

もちろんそれだけではない。

富山の岩瀬、放生津を母港とするなら、二条家にとって近畿における拠点としての港が欲しい。

東海の尾張津島、九鬼の志摩、紀伊の湯浅、雑賀、そして堺。

堺からは瀬戸内もしくは土佐回りで下関。博多、平戸へ。

日本海は出雲、敦賀を経て金沢、七尾、放生津、岩瀬、直江津へ。

資材や重量物などを効率よく運用するための海運路線を目指すために、海上のノウハウを持つ雑賀衆とは今後どうしても協力関係を確立したいと良之は考えている。


そのためには、今後のビジョンを鈴木佐太夫にしっかり感じて欲しいと、彼を富山に呼び寄せたのである。


佐太夫は、浜のドッグで建造中の新造船を見上げてため息をついた。

「御所様。これは壮観でございますなあ」

通常の和船の最大積載量は150トン。千石程度である。

この時代には、5000石クラスのジャンク船に似た和船もわずかながら運航されている。




余談だが、日本人が巨大船の文化を失ったのには、徳川幕府の異様に小心な国内政策が影響している。

徳川幕府は、既存の戦国大名の最上位に座ることで日本の統治機構の権を得た。

そのため、各地方行政は全て戦国時代のままに残されることになる。

つまり、大名家が各地を分割統治し、国政を徳川家が負う形となっている。

徳川家は、そうした配下の諸大名家の反乱を病的に恐れた。

大名家の家族を人質として江戸に住まわせること。

参勤交代によって年単位で大名自身も江戸に勤番させること。

日本の旧分国法に従って、一国に城塞は一城へと制限すること。

鉄砲や槍、大刀を持って街を歩くことを禁じること。

そして、千石以上の船を持つことを禁じた。


徳川家の怖れは、江戸を船で直接攻め入られることへの不安だっただろう。

事実、徳川幕府は江戸への全ての入り口に流れる河川に架橋せず、渡し船を使用している。

その上で何重にも街道に関門を築き、通過者をチェックした。


大型船に大砲を乗せ、武装した兵士を満載して品川あたりに一斉に攻め込まれるのを危惧した結果、日本からは一隻残らず大型船の姿が消え、そして、鎖国政策も相まって日本からは造船、操船などの技術が失伝してしまうことになる。

やがて徳川家の不安は、日本の大名家ではなく、アメリカの海軍提督ペリーによって現実の姿となる。




良之と鈴木佐太夫は新艦建造中のドライドッグにいる。

カティサークの設計図によって船の背骨ともいえる竜骨を用いた新型艦を習得させているが、2号艦はさらに大型化にチャレンジさせている。

船体の構造は木製だが、外装やセンターマストのクレーン、デッキなどは鉄張りである。

ドッグの各所で溶接の炎が飛び散る活気に佐太夫は圧倒されている。

「……この船は、どれほどの荷が積めるのでしょう?」

「千石船で4隻分ですよ」

「……」

佐太夫はその規模、その技術に圧倒された。

「いずれ、この船の何倍も大きい輸送船を作りますよ。佐太夫殿」

「なんと」

佐太夫は心から感嘆の声を上げた。

「いまうちの船にとって支えになってくれているのは、雑賀と九鬼の海賊衆です。佐太夫殿、今後も、是非よい船乗りをお願いします」

「こちらこそ」

「海運が安定すれば、そう遠くない将来、二条の商品は雑賀にも送れるようになりますよ」

良之の言葉は、純粋に佐太夫を喜ばせた。

二条領の視察では驚かされることが多かった佐太夫だが、その技術だけでなく、食生活や便利な生活用品、それになんと言っても美味しい食事などにすっかり魅せられてしまっている。


佐太夫は、1号艦の越中丸で紀州に帰った。

彼は特に、ディーゼルエンジンによるスクリュー駆動の船舶のその速度に驚いた。

風力も人力も使わず、しかもその気になれば昼夜問わずに航行できる。

風だよりの和船、船夫による櫂走船の時代は、二条によって終わる、と佐太夫は理解させられた。

そして、群雄割拠の戦国乱世もまた、二条が終わらせるのだろう、と確信して紀州へと帰っていったのである。


他の招待客も、この船便で海路、畿内に帰っていった。

橘屋又三郎はその配下数百人を連れ、越中丸の戻り便で富山に戻るという。良之は彼らとその家族のための住居建設を指示した。


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