第76話 北陸大乱 4


朝倉から返還される加賀領の線引きは、旧分国法通りとなった。

良之はそれを承認し、これによって所領を失う朝倉家に対し、補償として金銀銅換算で10万両を支払った。

朝倉家は固辞したが、良之は推して支払った。


翌日越前を発って加賀に戻る。

国境線が変わったことと、朝倉との和平が成立したことで、上総介の指揮する6000のうち、1000ずつを金沢と七尾に追加派兵し、2000を大聖寺へ。残りを木曽と下呂に送った。

越中、能登、加賀の戦死者の家族には一家族あたり10貫文の支給と食糧などの提供を行い、さらに検地までの年貢の免除を行った。

白川における戦死者の家族には200貫文、従軍した兵士達にも特別給として10貫目を支給した。

これらの人件費は非常に厳しい出費になるが、七尾城や富山御堂の蓄財のうち、奢侈品や武装などを処分することで賄った。

ある種の賠償として、彼らには理解させることにしたのである。


そのように戦後処理を進めている良之の許に、京の帝より呼び出しの女房奉書がやってきた。

良之は、10月15日に加賀を出立。

10月20日に陸路、京に到着した。


「黄門、報告は読んだ。良く無事に参った」

後奈良帝は良之の無事を喜んだものの、その表情は暗かった。

12000人以上という死傷者に、心が沈んでしまっていたのだ。

「戦のこととはいえ、あまりに失われた命が大きうてのう」

良之も、もちろんそのことは心の中でわだかまっている。

だからこそ遺族たちに手厚く今後の生活のための費用を支払った。

だが、帝の心もなんとか励まさないと、今後もし同規模の戦があった時に不安である。


「それでは、相国寺の再建を行い、亡くなった者達の弔いといたしましょう」

良之は、そのための資金捻出、そして、その奉行として皮屋を充てることを帝に具申し、了承を得た。

「そうじゃ、黄門。新たに北陸按察使あぜちを創設し、そちに任じる。配下を国司に任じ、その監督をするが良い」

「ありがたく承ります」

按察使は国司を監督する強い権限を有した令外官の役職だが、やがて廃れた。

実権が伴わなかったためである。

この時代には、あくまで名目上とはいえ、山階黄門が陸奥出羽按察使を拝領している。

中納言以上の兼職が通例である。

良之にとっては、家臣たちに国司を譲る事が出来るので、国政にとって都合の良いポジションといえる。

さらに、今後のために二条領に隣接する越後、信濃、美濃、佐渡、越前と、交流のある尾張、三河、遠江、駿河、伊豆、相模の国司人事権、そしてそれら各国の按察使も与えてもらうこととした。

その後、今年の分の10万貫を帝に納め、女御たちにも食糧などを送って、良之は御所から二条邸に下がった。


以前にも触れたが、朝廷の権威である国司に対し、幕府においては守護が各国の権威となる。

本来的には朝廷の国司は貴族や寺社の荘園を管理し、幕府側は武家の新田を守護していた。武力による荘園の略奪によって国司は名称だけに形骸化した。

だが、実力を伴う良之にとってはそれで充分である。

故に彼は、幕府の権威である守護、管領、探題と言った肩書きを一切求めない。


この年8月、足利義輝は家臣たちの裏切りによって三好家と再び対立する羽目に陥り、しかも敗れて、また近江の朽木に逃亡している。

良之にとっては非常に都合が良かった。

逢いたくも無い足利義藤に呼び出される心配がこれっぽちも無く、しかも、守護より国司の方が権威があると認めさせる動機付けになるからである。


良之が禁裏に納める10万両によって、都の景気は随分と上向いているようだ。

各公家への給与として朝廷から支給される金によって、公家たちも青侍などが雇用できるようになり、京洛の治安も大分向上しているらしい。

御所でもやっと近衛府を実質ある警備隊としてなんとか運営できる程度の回復を為し、近頃ではぽつぽつと京に戻る公家も現れているようだ。

ひとつには、過ぎる年に大量虐殺された大内領にいた公卿たちのショックがあったのかも知れない。




良之は、帝より足利家にも相国寺再建のために10万両出せと無心の女房奉書を発給してもらい、出せやしない足利家の代わりに個人的にその分の金を出すことにした。

無論、足利義藤に対する嫌がらせである。

もっとも、ただの嫌がらせでは無く、現在の良之の実力を日本全土に示すアピールである。

ことに親足利である越後の長尾、越前朝倉、美濃斉藤、甲斐武田、駿河の今川といった諸家に対するデモンストレーションも兼ねている。


実家の二条家に1万貫を預け自由に使ってくれと念押しし、京の皮屋支店で今井宗久に、相国寺再建のことを依頼した。

その軍資金のために、手持ちの銀や銅銭、それに北陸で生産したり購入したりした物産など、没収した能登や加賀の財宝などを残した。


そして、急いで敦賀に下り、敦賀から船で富山の岩瀬港まで引き返していった。




岩瀬に着くと、すでに旧暦11月に入っていた。

良之は急いで富山御所に向かった。

越後殿の子は、すでに誕生しているはずだった。


「お帰りなさいませ、主様」

「もう床を払って大丈夫なの?」

意外とエネルギッシュな虎御前を見てほっと安堵の顔を浮かべる良之に、

「すごいお医者どのたちがいるからねえ」

と、産中産後の手厚いケアがあった事をほのめかせた。

この時代の産褥熱あたりは、衛生面に気を使えば防げる事が多い。

良之がアイリを通じて広める結果になった医学書は、アイリによると、複数人の職人によって現在翻訳作業中らしい。


早速、生まれたばかりの我が子を見に行く良之。

「すまないねえ、主様。女の子だったよ」

越後殿はそんな事をしおらしく言う。だが、

「なにいってんの。そんなことはこの際どうでもいいよ。いやあ、可愛いなあ」

と、大喜びで抱き上げて顔を緩ませている。

「乳離れするまでは、お虎はお酒禁止だよ? あ、あと風邪とかは引かないでね」

と、早速親バカを発揮しはじめた良之に、越後殿は苦笑せざるを得ないのだった。


「お前様、お帰りなさいませ」

普光女王が、虎との娘を抱いてにやけている良之にあいさつをした。

虎は、普光が入出してきたため、さっと脇に避けて平伏した。

「よい、越後殿。おことの部屋じゃゆえ」

それをにこやかに制し、普光は良之の抱く生まれたばかりの娘をのぞき込み、

「ほんに可愛い娘御よ。長じれば、姫御前となろうか? 越後殿のような姫武者となろうか?」

といった。

「どっちでもいいな。元気で育ってくれたら」

良之が答えた。

「わらわにも抱かせてたもれ」

普光が抱くと、未だ年の離れた姉妹のようである。

だが、この時代、側室の子供は儀礼的には、この普光の娘として扱われるのである。

普光も帝の娘として、その常識は共有していた。


普光女王の事を、良之は「ふ文字殿」と呼び、家中では「北の御方おんかた」と呼んでいる。

「ふ文字殿、帰りました。戦は勝ちましたよ」

良之が言うと、普光は赤子を越後殿に渡し、

「ご苦労様にございました。ご無事のお戻り、まずはおめでとうございます」

と美しい所作であいさつした。

「京に上ってきました。帝はこの戦の死者に心を痛めておいででしたから、せめてもの供養にと、相国寺の再建費用と手配をしてきました」

「それはよろしゅうございますな」

普光は懐かしそうに目を細めた。


その後、そろそろ臨月を迎えそうなアイリとフリーデの部屋を訪ね、帰国のあいさつをした。


「良之様。お気づきですか?」

アイリに呼び止められて、良之は首をかしげる。

「魔法を極めると、この世界では、なぜか老化に差が出ているようなのです」

言われて、まじまじと手渡された鏡を見てみる。

「……そうかも」

良之の顔は、本来来年には26歳になるはずなのに、まだこの世界に来た頃のまま、あまり変化が見られない。

「君たちの世界で、そういう事実はあったの?」

「ええ。ありました。ひとつは回復や治癒による活性効果により老化が阻害される現象。もう一つは、無意識に魔力によって肉体の劣化が防がれる効果がありました」

「なるほどなあ。でもそうなると、赤ちゃんとかに良くない効果とか出ない? よその子より成長が遅いとかさ?」

「そういうことはありませんでしたね。成長は細胞の老化と異なるからかも知れません」

「なるほど」

生まれた子がなかなか大人にならないとしたら、それは親たちにとって若干もどかしいだろう。

「ですが、私たちの世界と同じとは限りませんから。エルフと言った存在は、見たことがありませんでしたが小児期も長いと思います」

「いや? 大丈夫じゃ無いかな? お虎の子供がおなかで育つ期間は、常人並みだったし」

「……それは論理的です」


「フリーデ、ただいま」

「お帰りなさいませ」

「ひとまず敵は討って、隣国とは和議を結んできたよ。君たちはしばらくゆっくりさせて上げたいけど、フリーデには、阿子や教授陣への教師役をやって欲しいんだ」

「化学・錬金術のですね?」

「そう。そっち方面の進歩は工業にとって必須だけど、俺にとってはそれほど得意な分野じゃ無いからね」

「……分かりました」

「まあそれは先の話で、今は健康にのんびり過ごしてくれればうれしいな」

奥たちの居室を一通り回って、良之は自室に戻った。




能登の人口およそ55000人前後、加賀は8万人前後。そして、砺波一帯の3万人。

二条軍はこの新しい土地から早速専業の兵士を募集する。

「3万人?」

良之は、織田上総介の報告につい問い返してしまった。

「加賀で15000人、能登で10000人、砺波で5000ですな」

「うん、いいんじゃない?」

予想外に多かった。戦争で鎮圧したこともあって、もう少し二条家に従ってこないように思っていたので、嬉しい誤算だったといえるだろう。

「よろしいので?」

一方の信長は、いくら何でも多すぎないかと考えている。

職業軍人は非生産階級だ。

増えるだけ自国の生産力は低下する。

「そんなことは無いよ。今は道路整備やってもらってるしね。基本、軍人には本来、黒鍬衆や山方衆、川衆みたいな才能が必要なんだ」

だから、今の二条領において、決して軍人たちは無駄飯食いでは無いと良之は言う。

織田上総介は、良之が言う「軍人に工兵が必要」という発想を良く理解している。

それに、良之は基本給以外に工事に参加する兵士達に特別給を支払うので、割と兵士達にも好評なのだ。

「まあ、砺波、能登、加賀とまた道路を広げなきゃならないしね。それに、警察も増員してもいいし」

加賀や能登では、この年の刀狩りはあきらめている。

治安維持のため、警察力を強化するのは重要な課題である。


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