天文22年春

第65話 天文22年春 1


天文22年正月(1553年1月14日)。

大雪の富山に出仕出来る家臣のみを集めての正月の宴を行った後、良之にとっては、これまであえて避けてきたいくつかの出来事があった。

三が日。

長尾虎、フリーデ、アイリが毎晩ごとにそれぞれ1人ずつ良之の閨を訪ねてきて、やむなく男女のことが起きた。


本音の部分で性根の決まっていなかった良之にとって、これは覚悟を決めざるを得ない事態となってしまった。

つまり、本腰を入れてこの世界で生きていくことについて、である。


どうやら後から良之が知ったことによると、この女性軍の猛攻は、斉藤道三の差し金だったようだ。

道三は、彼女らに

「あれほどの男のお側に侍りながら、世継ぎを作らぬは恥と知りなさい」

と3人を焚きつけたらしいのだ。

良之は割と、自分自身に無頓着なところがある。

だから、この世界にふと感じる非現実感を意識せずに生きてきた。

だが、側室といいつつ、現在の彼を今日まで支え続けた才女たちの覚悟を思うと、あまり甘いことばかりを言ってもいられなかった。


3人とも、良之はもしかしたら女性嫌いであり、男色の気があるのではないかと考えていたのだが、

「あれは以前に女で火傷でもしただけであろうよ」

と道三は自信を持って言い切った。

後に3人が道三にその判断の訳を聞いたが、

「年の功よ」

とはぐらかした。


道三からみたら得体の知れなかった良之に対する、はじめてのほほえましい人格の未熟さだった。

だが、以前より道三も隠岐から相談されていたこともあり、今回は要らぬ世話を焼いたのである。

好きに生きられる男と違い、女たちには焦りもあるのである。

その焦りもまた、人生の大半を終えた道三にとっては、同じようにほほえましかったが、同時に気の毒でもあった。




良之は、松が明けると昨年同様、精力的に動き出した。

丹治善次郎と共に金屋の村を訪ね、まずは彼らの腕前を吟味した。

特に、中子と呼ばれる鋳物の技術についてである。


金森与兵衛という職人を選び、良之は、ポンプの設計図と実物を見せ、それをかたどらせてまず青銅で試作させた。

その間に、良之はいくつもの施設を建設しはじめる。

まずはこの金屋の村にコークス窯と発電所を作る。

続いて、コークス窯の横に、アーク炉を建造した。

この溶鉱炉においては、他の溶鉱炉とは一風変わった金属の溶解が行われる。

アーク炉は、アーク放電という落雷のような放電の熱エネルギーを使って金属を溶解させる溶鉱炉の一種である。

黒鉛棒と呼ばれる炭素製の電極を炉底に+極、炉内上部に-極として設置し、通電によるアーク放電の熱を利用する。電気炉の一種なのである。

電極は3000度もの熱を持つために、この方式で使えるのは高純度の炭素で作った黒鉛電極以外の選択肢を持たない。


アーク炉自体は、構造的には恐ろしくシンプルである。

だが、炉には耐熱構造が必要であり、湯になった金属を取り出すため、転炉のように回転させる機能が必要になる。


そして、鋳物のためシリンダーに凹凸がある手押しポンプ内部をシリンダーとして成型させるボール盤で、中ぐりとホーニングを行えるよう二基製作した。


良之の時代だったら、数値制御のNC旋盤か、コンピュータ制御のCNC。もしくは専用設計のロボットによって自動化さえ出来るのだが、その知識が全くない良之には実現は不可能である。

バイトやドリルやホーニングの速度、その掘削速度などについては、彼ら自身に研究を重ねてもらう以外にないだろう。


ハンドル、アームやボルト・ナットについては、同様に鋳物で作成してもらい、タップダイスなどで完成品にしてもらう。

アームについては、バリを取った後焼き入れで硬度を上げてもらう。

ピストン部については、今回は木玉と呼ばれる木工細工に皮を巻いた手工芸品を使う事にした。

木玉は、山方衆に旋盤を提供して定量生産してもらうことにする。

そして、アームのプレスについては、今回は妥協した。

板ヤスリや縦型グラインダーを作って、特にグラインダーについて教え、彼ら自身のスキルでハンドルとアームのボルトナットでの接合はやってもらうことにした。


木玉を専業で作ってもらう山方衆に木工用旋盤を提供したところ、他の山方衆は一様にうらやましがった。

これさえあれば、あっという間に漆器の木椀が作れるというのである。

いずれ、タービンやモーターが量産できるようになったら、鋳物師や鍛冶師、山方衆や大工衆に、電動工具を潤沢に提供したいところだが、現状は限られたリソースをやりくりするしかない良之だった。


二条領に電気を行き渡らせるためには発電装置や送電線、電柱などの他に、未だ変電すら実現させられない良之の電気に対する再学習が必要であり、その上、ジェネレータについて再度クオリティを見直す必要があるだろう。

熱間圧延による荒引線の作成と、そのまま冷やさず引延加工をする電線一貫加工が必要になってくる。

さらに、絶縁体にも見直しが必要になる。

いわゆるエナメル線と呼ばれるポリウレタンやポリエステル、ポリイミドなどの被膜素材の開発も必要となる。

未だポリマー系を技術伝授して任せっきりに出来る人材はいない。

フリーデの時間が空けば、あるいは彼女によって実現が可能かも知れないが、今はまだ、彼女自身が石油精製の道半ばである。




天文22年は一月の後に閏月が入る。

閏月というのは、簡単に言うと、太陽暦では365日で1年であるのに対し、太陰暦、つまり月の満ち欠けで一年を決めると354日となり、一年間で11日、暦がずれる。

それを調整するのために、同じ月を二度繰り返す事を言う。

月と季節がずれるのを調整するのである。


閏1月15日。

前の年に霊山りょうざんに居城を建てた将軍・足利義藤は、まさか自分の家臣たちが元管領細川心月と内通しているとは知らず、表向き三好長慶と和解していた。

細川心月は、晴元の出家名だ。

義藤が前年、三好長慶の招きに応じて京に戻った後、気の収まらぬ晴元は若狭に逃げた。

管領右兆家細川の地位も家督も、長男聡明丸さえ人質に奪われながらも、晴元はお構いなしに丹波・若狭の守護や国人を煽って、京に繰り出しては敗走している。

すでに勝負にならないほどの戦力差がありながら、なぜ三好長慶を相手に、この時期の将軍義藤の家臣たちが細川心月入道と密約を交わしたのか分からない。

自分がかわいそうだという自己憐憫が強すぎて、すでに国家の安泰、平和などといった理想など、すでにイメージさえなかったのかも知れない。

すでに本来足利家の所領のはずの山城の年貢の徴収でさえ三好家に奪われている。

足利家は名実共に、三好に養ってもらっているのである。

その三好を、細川心月を使って攻めようと考えていた将軍家の家臣たちには、異常性すら感じる。





良之はこの積雪が厳しい冬の時期に、休業中で屋内の手作業を行っている越中の大工たちに、二つの木工工作を依頼している。

一つは二本足で立つスタンドのようなもの。

もう一つは割と複雑で、樽のような筒型構造を持つものの、板と板の間に隙間があるもの。それの真ん中に鉄の棒を通すとその筒を空中に浮かべることが出来る台座である。

良之の設計図通りに大工たちは試作品を作り、納めた。

これらを丹治善次郎と共にプロトタイプとして仕上げていく。

良之が作ったのは、千歯扱きと、足踏み式脱穀機だ。


千歯扱きは、比較的シンプルな農具だ。

二本の足で自立した、ちょうどハードル競争の障害物ハードルのような構造物の横棒に取り付けられた千歯に収穫した稲や麦を通すことで、穂から籾をこそげ落とすことが出来る。

立って作業をするために負担になりにくい角度が付けられていて、刈り取った藁の把をいっぺんに千歯に通して作業が出来る。


足踏み脱穀機は、足踏みミシンと同様の足踏みペダルの上下動をクランクによって回転力に換え、回転ドラムに逆V字に打ち付けられた針金によって種籾を穂先から脱穀させる。

千歯扱きの歯は竹で作らせ、コストを下げる。

足踏み脱穀機はフレームとドラム、ペダルを木で作らせ、シャフトや軸などを鋳物師に作らせた。

ベアリングは簡単に言うと、軸を複数の球で支えて接触面を分散させ、効率よく回転エネルギーを軸に伝える発明だ。

軸と軸受けの摩擦を限界まで減らせるために、エネルギーロスが減るだけでなく、軸受けの寿命を飛躍的に改善する。

だが、その製造のためにはどうしてもまず硬度の高い鋼を球状にせねばならず、それにはプレス機と金型が必要になる。

プレスによって球状に成型されたベアリングボールは、焼き入れや何度もの研ぎを経て最終的に表面加工がなされ、真球に近づけられる。

研ぎ方には高度な工業的精密性が求められるが、そのアイデアは実にシンプルだ。

要は回転する石臼の上で転がされて、バリを取り除いていくのである。

石臼には、ベアリングボールが転がるための溝がらせん状に刻まれていて、回転に合わせてボールは転がり、その課程を何度も繰り返されて完成に至る。


この時代に生産ラインを根付かせるための技術的な課題は、素材の鋼線の品質だろう。

良之は半日ほど悩んだあげく考えを放棄して、ジルコニアで数万個のベアリングボールを錬成した。

今できない事は、出来るようになってから考えるべきだと思い直したのである。




新たな技術を誰かに伝えるたび、良之には大きな不満があった。

筆記用具である。

良之が技術の説明をしても、それを書き留めるまでにブランクタイムが発生する。筆の準備をするからだ。

また、彼自身が筆を苦手としているため、どうしても工業化したい商品の一つである。


鉛筆。

明治維新後の日本が最初期に獲得した輸出品工業の代表選手と言って良い。

かつては天然黒鉛を軸状に加工して使われたが、やがて黒鉛の粉末と粘土を水に溶いて攪拌し、それらを焼成して生産されるようになった。


かつてはどうだったか分からないが、平成の世において日本国内では、国内鉱に黒鉛は存在しない。

鉛筆は、粘土はドイツのクリンゲンベルク粘土を、木材はアメリカのインセンスシーダーを、黒鉛はオーストラリアやインド、中国などから全量を輸入して生産されている。

16世紀の船舶事情から言うと、厳しいながらも輸入に頼れそうなのは中国の黒鉛のみで、他の海外調達は絶望的だろう。


黒鉛鉱については良之は平戸の倭寇で明国人の五峯にサンプルと書状を送り調達を依頼してみた。中国大陸における著名な産地は四川省であり、この時代、流通能力があるのか微妙なところである。

粘土は苗木のカオリン粘土、蛙目粘土などで挑戦するしかないだろう。

飛騨への搬入経路が確立すれば、土岐地方にも有力な粘土が多く産出する。

高炉が作れるようになり鉄材の大量供給が実現すれば、神岡にも複数のカオリン系陶石の産地がある。ドラムやロールによる砕石場でセラミック原料化が出来るようになるかも知れない。

良之は木材については、とりあえずイブキなどビャクシンの木と、飛騨匠に好まれ多用されるヒノキの端材を利用して軸木にして見ることにした。


鉛筆生産のために必要となるセラミック窯は、1100度で9時間の焼成工程になる。

芯は炭化ケイ素製の箱に詰めてまとめて焼く。

このあたりの特製品は、良之が錬金術で作るしかない。

まずは金屋町の付近に鉛筆工場の建屋を発注し、完成を待つことにした。

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