美濃へ

第48話 美濃へ 1


戦国時代の主家と国人・豪族の関係は、後世思われていたような主君・家臣の関係とは異なる。

どちらかというと、良之がいた時代にも根強く残っていた政治の世界における、派閥の領袖とその会派に所属する議員に近い。

既得権益における、利益代表なのである。


だからこそ、後世から見ると奇妙なほどに主家は国人たちに気を使っている。

自身の娘をやり、所領を安堵する書状を何度も出し、戦に狩り出した場合、勝てば増封、恩賞などで報いる。

国人層は地縁・血縁で強固に地盤に根を下ろしているため、よほどの力量差でもなければ転封などはままならないし、旗色が悪い防衛戦などにおいては、嫁に出した娘を殺されたあげく、その国人が先頭を切って攻め込んでくるなどと言った状況も当たり前なのである。

日本人がこの時代の人間に対して漠然と持っている「家臣の忠義」というモラルは、実は江戸期に創作された物語の影響が根強い。

世の中が平穏になって以降、その体制の維持のために儒教が導入され、江戸幕府は多くの儒家を優遇した。

その儒学の教えの中心的思想が、「仁義」や「忠孝」といった人間関係における道徳だった。

武家社会においては、家臣や領民に対する仁、主君に対する忠、親に対する孝が特に重んじられた。

だが、そうしたフィルターで戦国時代を振り返ると、もはやそこには往事のリアリティなど存在しない、完全な虚構のみが残ってしまう。


もちろんこの時代にも忠臣もいたし、義によって戦い、身を滅ぼしたような武将も数多いた。

だが、それが美談として残る程度には、それは珍しいか、愚かしい行為だったのも事実なのである。


要するに、遠山氏は美濃において重い存在であり、国主である斉藤治部少輔義龍にとっても、頭ごなしに領地のことを命じられるような相手ではないのだった。

良之も、最初の大旅行で大名家を数々訪ねて歩いた結果、実感としてそのことについては理解した。


だが、一方で良之は、おそらく遠山氏も納得して参加してくれると楽観視している。

良之のレンガ工房は遠山家に新たな富を生むし、また、美濃と飛騨との間に強固な商業路を確立する事でもあったからだ。


斉藤家にとっては、遠山氏と飛騨の二条家が強固な商圏で結ばれることには大きなリスクがある。

この時代、国人層が大名家に二股、三股で扈従こじゅうするのは、呼吸をするように当たり前なのである。

後世の忠も信もない。まずは命があっての物種なのだ。


だが、斉藤家はそうした憂慮を理解してもなお、良之のためにこの話を受けようと考えている。

良之に言わせると、彼の現代的な感性によるものだから「当たり前」のビジネスマナーのつもりなのだろうが、この時代にあって、良之の胸襟を開いた率直さと、偽りや策謀の無い交渉は、そうした現実に晒されて生きている織田家や斉藤家の人間たちにとっては、恐ろしく心地が良いものだった。

いっそ、小気味よさすら覚えてしまうほど、良之の事が率直に感じられるのだ。


ひとまず、遠山家のことは義龍が全てを請け負った。

もう一つ、良之は木曽川舟運のことについて、再度道三と義龍、そして対岸の権力者である織田備後守に相談した。


越中における安定的な交易路と倉庫の確保がままならない。

このことは、良之が進めようとする飛騨の二次産業偏重の政策に、ぬぐいがたいリスクの影を落としている。

加賀への出口を現状、内ヶ島が押さえていること。

そして越中の湊口を神保が押さえていることによるリスクは大きい。

どちらかと対立が深まった場合、この両者は共闘する可能性も秘めているからだった。


そのためにも良之は、飛騨高山から木曽口、飛騨下呂から苗木の美濃口は、なんとしても街道を再整備したいと思っている。

さらに付け加えると、木曽舟運の基点である八百津にも、可能な限り大きな倉庫町を所有したい。

八百津に関しては義龍は即答で応じた。

この一帯は、斉藤家の勢力下にあるからだ。




木曽舟運の一件で木曽川衆と取引がしたい。

さらに、八百津での倉庫町建設、遠山氏との折衝といった一連の話から、良之は美濃入りを決意した。

同行は道三、それに織田上総と長尾の虎御前とした。


虎御前はフリーデやアイリといった別世界の才女たちとはまた違った意味の才媛だった。

服部や千賀地の使う伊賀の符牒を岡目で見ていて覚えてしまったりして、彼らをすっかり感心させた。

千からも甲賀の符牒を教わったらしく、今では随分多くの草に慕われている。

良之のボディガードに彼女が出ると、良之の警護の忍びの他に、彼女のための忍びが動いているとさえ、噂されている。

それでいて、兵略は双子の兄の長尾景虎も舌を巻くほどだし、騎乗からの弓や槍も使いこなし、この頃では騎乗から全力で駆けさせた馬上で鉄砲を放って、60歩(100m前後)の遠当てをしたなどと噂されている。

その噂を聞きつけた下間源十郎や滝川彦右衛門は、今ムキになって馬上筒の鍛錬をやっているらしい。

<収納>魔法を覚えた虎御前だが、どうにも錬金術も回復魔法も苦手だった。

目に見える外傷などを塞ぐことは出来るが、そこから先は全く不出来だった。

代わりに彼女は、恐ろしい魔法をマスターした。

初遭遇の時、良之の胸をえぐったあの攻撃魔法を、アイリから習って一度実演を見ただけで模倣してのけたのである。

アイリのマスターした日本語で言うならば<火弾>というところらしい。


美濃への道中、行きについては斉藤義龍、織田信秀とその臣下たちがいる。

帰路には、

「申し訳ありませぬ、わが家中の者、率いて頂けませぬでしょうか?」

要するに上総介信長の身内などを引き連れてくれないかと要請されたのである。

もちろん良之には渡りに船である。


天文21年三月一五日(1552年4月9日)。

下呂を発ち、一行は苗木城を目指す。

良之の見たところ、この街道も近いうち、黒鍬衆たちに大がかりな整備をしてもらわないとならない状況のようだ。

この世界に良之が飛ばされたときに歩いた京北の周山道を彷彿とさせる。

何より良之を不快にさせたのは、標高差を登るために一度進路を逆行して九十九折りを登ることだった。

いずれ、架橋かトンネルか切り通しで、道をまっすぐにしてみたいと良之は思うが、さすがに今の人的リソースではそれは難しい。

一つの道を通すだけで生涯を終える黒鍬衆を多数生みそうな話である。




大威徳寺という寺で一行は一泊し、この険しい山道をさらに行く。

良之は、ノートパソコンに首っ引きでこの地の事を事前調査していたので、道中ずっと小者に、地名を聞いていた。

「見佐島」

と地名を聞いた時、その進路左手にある山を記憶した。

福岡鉱山の鉱床が眠る山である。


すでにこの一帯は、良質なカオリナイトや耐火粘土層を豊富に持つ地域である。

また、恵那地方は有力な錫の一大産地でもある。

良之の暮らした平成の時代においては、国内鉱山は、労働賃金に見合う収益さえ上げられて居らず、ほぼ全てと言って良い鉱山が休鉱、もしくは廃鉱に追い込まれた。

錫なども欧米や中国から安価に輸入できたため、こうした情報すら一部の鉱石マニアくらいにしか見向きもされていなかった。


苗木から恵那にかけての鉱山は、和田川沿いに鉱床がある。

また、いま下呂から苗木に向かう良之たちがたどる街道に沿って流れる付知川に流れ込んでいる西麓の沢々には、多量の砂錫が眠っている。

良之にとって、見逃せるはずは無い。


まずは、苗木に入り、斉藤氏の手引きによって苗木城下で遠山氏と面会する。

この時期、苗木遠山氏には本家である岩村遠山氏から養子が入っていて、苗木城対岸の手賀野に城館を建設中だった。

本人は苗木の勘太郎、と名乗っている。遠山直廉である。


遠山家が東美濃に精力を根強く持っている理由は、この家が鎌倉幕府の地頭として東濃に入ったためである。

同じく西濃に入った地頭が土岐氏で、土岐は南北朝期に美濃守護として栄え、道三によって美濃を追放されることで潰えた。

東濃の地で遠山三家とも遠山七家とも言われ栄えている遠山氏は、先に触れた通り地頭職だったために、斉藤家の家臣では無く、政策上従っている存在である。

戦に兵を出す際には従うが、内政に関して斉藤家が口出しをする権限は無い。


鉱山の開発や街道の整備、倉庫町の建設、それに耐火レンガ製造と一連の話を聞いた勘太郎は

「承知しました」

と答えた。

「岩村、明知の当主を呼びますので、数日お待ち下さい」

良之は勘太郎に感謝を伝え、

「申し訳ありませんが、数日、山を歩かせて下さい」

と申し出た。

「御所様は優れた山師でござる」

と織田上総介信長が大げさに吹聴する。

まるで詐欺師のようじゃ無いか、と内心良之は苦笑する。


ここで織田備後守信秀とその供とはお別れになる。

彼らは「信長のことを頼む」と良之に暇乞いをした。

また、斉藤治部大輔義龍も、後事を父の道三に託して、ここで別れることとなった。


良之が付知川沿いで大いに砂錫を錬金術で収集している間。

道三によって遠山家にも様々な情報が伝えられている。

鉄砲については遠山家の反応は薄かったが、一切戦をせず、飛騨において二条家が下した国人豪族衆の名を聞いて驚いた。

江馬、塩屋、高山、広瀬衆と三木家である。

三木家と遠山家の関係は古く、良好だった。

飛騨禅昌寺の住持明叔慶浚みんしゅくけいしゅんによって縁の出来た両家は、近接する国人として、円満な関係を続けていたのである。

ちなみに、この頃の慶浚は、体調を崩してアイリの治療によって本復し、以降精力的に民心の安定のため協力してくれている。

良之は出仕を望んだが、僧としての生き方にこだわりが深く叶わなかった。


三木家が、圧倒的な二条軍の戦力と、その文化レベル、資金力を見て屈したという話自体は、驚きではあったが遠山にとっては動揺は無い。

もっとも動揺したのは、尾張の弾正忠家織田の嫡男と、美濃の蝮が家臣を引き連れて二条へ出仕するという一件だった。

しかも蝮は、次男孫四郎三男喜平次もそれぞれ出仕させるという入れ込みようだった。

そして、こっそりと未確認情報として耳打ちされたところでは、遠山にとっては親派として認識されている北西隣の国人、木曽家も、先代義在がすでに出仕していて、近いうちに二条家に臣従するのでは無いかと思われていることだった。


その二条が、遠山領のためになる鉱山開発、新しい産業の育成、街道整備、そして、輸送品の集積基地を作りたいという。

これは、遠山にとっても一種の好機だと勘太郎は思ったであろう。

呼び出していた三家に加え、この地の遠山七家を全て呼び出し、勘太郎はそうした情報を共有することにした。

この時代の遠山衆の宗家は岩村だ。

岩村遠山左衛門尉景前は、苗木勘太郎の報告を受け、唸った。

「それは誰ぞ代表を出し、見に行かねばなるまい」


早速、岩村遠山からは景任。明知遠山からは景玄。苗木遠山からは勘太郎がそれぞれの老臣を連れて、飛騨の見学を申し出た。

これを良之は許し、飛騨掾(国司代理)を任じている隠岐大蔵大夫への紹介状と指示を認めて代表の景任にわたした。


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