第40話 天文20年冬期 6


「業病?」

良之が首をかしげる。

確かに何らかの病気であることは違いが無い。

顔の皮膚はふくれあがったり反対にしおれたりを部分的に起こしていて、そのせいで斉藤山城守の子どもでありながら、よほど老けて見えたのだった。

白癩びゃくらいであろう、貴様!」

滝川彦右衛門は激怒している。

その言葉に、良之や信長の臣下も、斉藤家の家中も凍り付いた。

「新九郎……もはや下がれ」

「……」

父の言葉に、憎々しげな視線を上座の3人に送る新九郎義龍。

腰を上げ、広間を去ろうと背を向けた彼に、良之は声をかけた。

「待ちなさい」


「千、治癒魔法かけられるか?」

「は……はい」

良之の言葉に、千も動揺を隠せない。彼女達の常識が、彼女自身の能力を阻害している。

「山城殿。千は俺の仙術と同じような医術を心得ています。新九郎殿の治療を行ってみますので、どちらか適当な部屋をお貸し下さい」

「……心得た」

「御所様! おやめ下さい。癩は移る病にございますぞ!」

滝川彦右衛門は激しく叫んだが、良之はそれを手で制した。

「お前らはここに残れ。千、俺と来い」

良之は命じると、山城守、新九郎と共に襖の向こうに消えていった。


癩。

ハンセン氏病である。

この時代には有効な治療法が無いため、多かったと言われる。

彦右衛門の言う通り、経験則として接触感染はあっただろう。

だが、実のところハンセン病を引き起こすレプラ菌の感染力は非常に弱く、寒天での培養すら出来ないほどである。

体質的にこの菌への抵抗力が無いものが発病しやすいが、接触しても感染を起こさないものもいる。

感染時期の年齢に依るが、大人になって発症する感染者はほぼ皆無と言われているあたり、栄養状態や健康状態にも大きく左右される菌である。


「じゃあ千、はじめて」

良之は厳しい目で千に治療を促す。

千は冷や汗をかきながら、新九郎への加療をはじめる。

「おお……!」

父親である山城守は目を疑った。

もはや往事の影も無かった新九郎の顔から瘍がみるみる消えていく。

それを新九郎も実感しているのであろう。

やがて、つるりと自分の顔を撫で、呆然とした顔で千と、良之を見た。

「この薬を飲んで下さい」

良之はフリーデの作ったポーションを新九郎に手渡した。

「身体の弱った部分を癒やす薬です」

「……かたじけない」

ぽつりと新九郎は礼を言った。


「山城殿。済みませんがお庭を拝借します」

「う、うむ」

良之は庭に出るとキャンピングカーを出す。

そして、驚きざわめく屋敷の者達に一顧だにくれず、車の中に千と消えていった。


「千、シャワーを浴びて服を着替えなさい」

「……はい」

言われるままに千は、以前使い方を習ったシャワーを浴び、新しい服に着替えた。

その間、良之はハンセン病の治療指針を本で調べ、必要とされる薬剤の分子構造を確認した。


ジアミノジフェニルスルホン・クロファジミンという二種類の抗生剤は毎日。

リファンピシンという抗生物質を月1回。

この投薬を一年続けることで、良之の時代ではWHO・世界保健機関ではハンセン氏病完治と見なしていた。

ジアミノジフェニルスルホンは化学式C12H12N2O2S。

クロファジミンはC27H22CL2N4。

リファンピシンはC43H58N4O12。

全て錬金術で必要量を合成した。


シャワーから出てきた千に良之はいった。

「いいか、千。お前にシャワーを使わせたのは、万一のためだ。あの病気はそう易々と移るものじゃ無い。だが、そうであってもお前は心配だろうから、あえてシャワーを使わせたんだ。まあ、心配するな」

「は、はい……」

「それに、今治療薬も作った。癩病はな、俺に言わせれば治る病気なんだ。業病である訳が無い」

良之の自信に満ちた言葉に、千もやっと安心した。


千の着替えを待ち、良之は待たせていた一同の許に戻る。

「新九郎殿。薬を作ってきました」

良之は、タブレットに生成した三つの薬について、飲み方を指示した。

「この二つのビンの薬は毎朝一錠。こっちのものは、暦の一日に飲んで下さい」

「あの……御所様?」

新九郎は戸惑ったような表情でじっと良之を見つめた。

「これで、治るのでしょうか?」

「ええ、治ります」


「お待ちあれ、御所様。業病が治るのでございますか?」

斉藤山城守が驚いたように叫んだ。

「ええ。山城殿も先ほどご自分で見ていたでしょう?」

「それはそうですが……あの、この薬は、他にもお分けいただけるものでしょうか?」

「構いませんけど?」

「実は、この新九郎が母も同じ病に伏せっており申す。是非ともご慈悲を賜りたく……」

「分かりました」


良之はこのあと、自身の家臣団にハンセン病について説明する羽目になった。

小児期に発症しなければまず感染しないこと。

栄養状態と衛生状態が良ければまず発症しないこと。

業病などでは無くただの感染病であること。

そして、先ほど良之が作った薬で菌を退治できること。

さらに、良之も内心感動したが、アイリや千の使う治癒魔法で、容姿も回復する。


滝川彦右衛門は驚いて、そして感動していた。




「新九郎」

斉藤山城守は、改めて夕刻、新九郎を居室に呼び出した。

「はっ」

「わしは隠居し、ぬしに国を譲る」

「……!」

「わしは出家し、あの御所様の国を訪ねてみようと思う……よいか?」

「ははっ」

「のう新九郎。お主の病によってわしの心にも迷いがあったわ。お主を廃して孫四郎に美濃を継がせようと考えもした。わしが愚かであった」

「父上……」

「お主の顔の膨れが取れた時、わしはどれほど、お主の見た目に惑わされていたか悟った。新九郎」

「はい」

「すまなんだ」

斉藤山城守はじっと頭を下げ、そのまま下げ続けた。

「……父上」

「うん」

「……分かりました。もうよろしいのです」

「そうか」

ぽとり、と山城の瞳から涙が落ちた。




翌日。

斉藤山城守は稲葉山を下り、西麓の常在寺にて得度を受けた。

円覚院殿一翁。道三と号す。


「そのような次第でな。わしは隠居し跡を義龍に継がせる」

「……はあ」

「返す返すも御所様にはかたじけないことであった」

「いえ、それはもう」

この日、良之は斉藤家の歴々が並ぶ広間で全員から謝礼を受け、銭3000貫を供されている。

また、深芳野殿を治療したことで、彼女の弟の稲葉一鉄などもひどく感激し、わざわざ稲葉山城まで駆けつけて良之に礼をしていた。


「そこでじゃが。どうであろう? わしも婿殿同様、御所様の御料地へお供させていただけまいか?」

「……まあ、今更1人増えるも2人増えるも変わりませんが、いいんですか? 国をほったらかして」

「その心配はいらぬであろう。新九郎はあれでなかなかやりおる。もはやわしより臣下の心を掴んで居る故な」

実際、病のことを除けば義龍は非常に優れた人物であった。

健康に不安が無くなった今、父より家督を譲られたその全身は、精気に満ちていた。


斉藤道三入道に従って馬を進めるのは明智城主の明智兵庫頭光安、大御堂城主竹中道祐重元、そして轡を取るのが猪子兵助。

いずれも道三を慕う老臣であり、跡を継ぐべき後継に恵まれている。




下間源十郎は、お千の治療の腕に痛く感動していた。

お千が斉藤新九郎を治療してのけたあと、時間を見つけては必死で魔法による治療術を習っていた。

お千が言うには、

「源十郎様は非常に筋がおよろしいです」

とのことで、すでに<収納>をマスターし、外傷の治療も覚えだしたという。

ところが、どうにも内臓疾患や感染症の要領を得ないようだ。

「源十郎様。御坊は鉄砲の実力がおありですもの。慌てて治療を覚えずとも良いではありませぬか」

お千はそう言って落ち込む源十郎を慰めている。


藤吉郎も<収納>までは覚えたものの、そこから先には苦戦している。

もっとも、化学を教えだした良之にとっては、彼が今のところ最良の弟子である。

そして、良き師範代になってくれている。


源十郎はともかく、藤吉郎にも先を越されて江馬右馬允は焦りを覚えていた。

だが、彼のことは長尾の虎御前が妙に気に入っていて、時間を見つけては木刀を取らせ、また、紙に古今の戦の絵を描いては、どう攻めるか、どう守るか、などと難問を与えている。


意外なことに、斉藤道三は非常に面倒見の良い老人だった。

娘婿の上総介信長に何くれ無く語りかけては、彼やその臣下が孤独感を覚えぬよう、気を使っている。




一行は、この時期未だ残雪の厳しい間道を避け、明智、苗木で宿を取る。

緊張状態にちかい下呂を堂々と通って高山から丹生川に入ろうというのだ。

危険度は高い。だが、道三は良之の小者で、甲賀の手の者を下呂の桜洞に遣わせた。

このあたりの剛胆さは、さすがに斉藤道三だと良之は感心した。


触れが出て、領民たちは静かにこの一行を見送った。

そして、桜洞では、三木大和守が渋い顔で出迎えていた。

「これは、山城守殿」

「久しいの、大和殿。わしはこの通り出家して、後事はせがれに任せての隠居旅行よ。今のわしは道三入道じゃ」

「さようでしたか。それで、そちらの御仁は?」

「これはわが娘婿殿の織田上総介殿。こちらは……」

「ああ、存じております。二条三位様」

「一別以来です」

良之も応じる。


「のう、大和殿。寒くてたまらぬわ。かたじけないが、どこぞに宿を借りることは出来ぬか? なに、明日にはすぐ出立するゆえ」

いけしゃあしゃあと、という言葉があるが、まさにこのときの道三の態度はそれであろう。

ある種の殺気をにおわせていた三木大和守直頼とその家臣たちは、やむなく彼らの宿を引き受けることいなった。


「いやはや、道三入道殿はすごいねえ」

長尾の虎御前でさえ、この顛末には驚いている。

どう抜けようかと考えていた敵の城下にぬけぬけと宿泊し、あまつさえ、下呂温泉で暖まろうというのである。


その道三。

現在三木家の当主と密談中である。

「では、斉藤殿はもし当家から救援を依頼されても動かぬと申すか?」

「ああ。動かぬであろうよ。あやつも、いやわしもじゃが、御所様にはすでに返し切れぬ恩義を受けて居る。今の美濃は国内の反抗勢力もほぼつぶし、隣国の尾張とも和平がなった。貴殿らが御所様と戦でもしようものなら、むしろあやつ自ら兵を率いて桜洞に攻め上がりかねんよ」

「なんと……それほどの恩義とは一体……」

「あやつとあやつの母の病をな、たちどころに治したのよ。御所様はな」


そういえば三木も聞いたことがある。

斉藤家の嫡男は「業病」であると。それを治したとなれば奇跡に近い。

「大和殿。もし未だ姉小路の名跡を継いで飛騨を手に入れようと思うておるなら、用心した方がええ。御所様は、そのお口ではっきりと『国司である』と仰せだ。この意味、分かるであろう?」

「! ……それは」

三木にとっては寝耳に水だった。

名目とはいえ三木にとって、姉小路の国司という地位は自身にとっての大義名分でもあった。

もし姉小路が国司の地位を失おうものなら、大義名分はあの若い公卿に移ってしまう。


「だがあの御所様。江馬と塩屋から領地を奪い、領地も検地やら刀狩りやらで無力化していると聞く。わしらが従ったとして、そのようなことをされては立ちゆかぬ」

「そうは言うが、ではなぜ江馬はせがれを近習にいれ従って居る?」

それは三木も気づいていた。

江馬の三男で寺に入れられていた15才の子どもが、右馬允と名乗り彼に随行している。

それだけでは無い。

江馬領も塩屋領も、あの御所に従って以降、わずか数ヶ月で食糧事情が飛躍的に向上し、領内に金が多く流通し、しかも、賦役全員に給与が支給され、道路の拡張や治水工事などが行われ、検地に至っては税が減免されてむしろ領民はこぞって協力したという。

銭払いの良さと待遇の良さから、南飛騨から逃散して北飛騨へ移住してしまった山方衆や河原者、農奴のように使われていた小作などもかなりの数がいると聞く。


以前良之が江馬・塩屋の実情から飛騨全土の人口が3万に満たないと推測したのは、かなり良い線を行っている。

三木の臣下で高山の押さえに入れている三仏寺城の平野氏を併せても三木は最大動員で1500ほど。

旧北朝側で今のところ三木とは同盟関係ではあるが折り合いの悪い高山外記は500、高堂城に依る広瀬山城守も同程度。

総動員をかけたとしても3000-5000程度の兵力しか無く、すでに良之の持っている5000以上の兵と1300挺の種子島といった兵力には拮抗しうるか微妙な線である。


「のう大和殿。いっそ、わしらと一緒に御所様の領地、見聞にいってはどうじゃ?」

道三は三木大和守を誘ってみた。

道三に言わせると、すでに三木家は生き残るためには、良之の臣下に下るより他は無いと思っている。

春が来れば三木の兵たちは畑仕事がある。

だが、二条大蔵卿の兵士達は完全な職業軍人であり、5000の兵はいつでも好きな時に動かせる。

政・戦の政についても、すでに勝負が付いているように道三には思われる。

彼は大蔵卿・左近衛中将の他に、軽視できない地位を持っている。

飛騨守である。それも私称ではない。帝より直々に飛騨国司として励むように玉音を賜っているという。

「……承知いたした」

三木大和守は、道三の手引きで、良之の一行に加わることにしたのだった。



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