第36話 天文20年冬期 2


遠里小野は、一時沸いた鋳物師たちによるバブルのような景気から一転、随分冷え込んでしまっているらしい。

良之は早速、紹鴎の案内で遠里小野の郷に向かった。


遠里小野はかつて、製油業が盛んだった。

大山崎に興った荏胡麻油の生産に質・量共に凌駕されて没落した。

この時代、細々と在来種の菜種を絞って頑張ってはいるが、未だ荏胡麻油に対抗しうる実力には至っていなかった。

製油に使う菜種のうち在来種を赤種、西洋種を黒種と呼ぶ。

この時代には、未だ日本古来種の赤種が搾油に使われていたが、生産量は微々たるものだった。

良之は村長に、菜種油の生産量を増やすための資金として100両提供した。

代わりに、生産した油の全てを皮屋に納めること。

そして、生産量の多い菜種を入手してくるので、それによって量産することを約束させた。

南蛮商人が日本を顧客とするこの時代であれば、良之には当てがあった。

セイヨウアブラナは、遠里小野や灘を中心に江戸期に栄えた。

応仁の乱に参加したことで没落したとは言え、まだこの戦国時代においては、油と言えば荏胡麻だった。

山崎から日本各地に逃散した神人たちを各地の大名は庇護し重用した。

結果各大名家はお膝元で荏胡麻油の量産に成功し、すでにこの頃では山崎にはかつてのような賑わいは無く、油税とでも言う運上金を各地から払い受けてもらうことでかろうじて利益を上げている。

遠里小野が菜種によって復活するのは、まだこの時代から50年以上待たねばならなかった。

それだからこそ、三好筑前守も、気軽に良之にこの地を譲ったのである。


とにかく技術の育成と保存のため、今は遠里小野の職人たちには、在来種の赤種で菜種油を生産してもらうしか無い。


紹鴎に赤種の買い付けと供給を依頼し、遠里小野の郷から堺に戻る。




二条家会議である。

「さて、とりあえず銅座も動き出したし、飛騨にも足がかりが出来たけど……」

「足がかりと言うには広すぎるのが気になるな」

言いかけた良之を揶揄するように半笑いの虎御前がかぶせてくる。

「……だよね」

だが全く意に介さないどころか、良之もうなずいてしまう。

「御所様。とはいえ飛騨なら易々と落とせんでしょう? 江馬、塩谷それぞれの兵力は1000。それに常駐軍が、服部と千賀地いずれも1000。これらのうち500ずつ、種子島を配してある」

滝川が言う。

「おそらく、内ヶ島が総動員で1000、三木も多くても2000は行きますまい」

「……源十郎、内ヶ島は1000か?」

「いえ御所様。もし背後の門徒衆の合力があれば、5000が動いてもおかしくはございません」

下間源十郎が答えた。

「法主様から釘を刺せてもらえるとは思うけど、加賀の門徒衆は従うと思う?」

「彼の地は、時に法主様のご意向さえ無視して居ります。そのあたりは何とも……」

「彦、三木もさ、もし美濃への押さえがいらなくて、姉小路と古川を従えたら?」

「4000ほどにはなるかも知れませぬな」

指摘され、滝川が訂正する。

「鉄砲が全然足りないよね」

良之の言葉に、一同うなずいた。

「彦、早合の開発具合はどうなの?」

「まあ、ぼちぼちですな」

滝川は腕を組んだ。

「御所様の言いつけ通りに、薬筒をこさえて使わせておりますが、どうにも熟練が必要なようで、誰でもがすぐに早合を使えば早く装填できる、とまでは至っておりませぬ」

「逆に言えば、慣れれば早い?」

「御意に」

早合。

良之は紙で作らせている。

銃口にフィットするサイズに紙を丸めて筒を作る。

その筒をしっかりと漆で塗り固めて、今風に言うと散弾銃のカートリッジのようなものを作るのだ。

筒を同じ長さに切り分けたあと、片側には底を貼る。

出来た筒に鉛玉を入れ、その上に一回分の玉薬、つまり火薬を封入する。

最後に、封をして持ち運ぶ。

玉入れは皮屋に依頼して、ポーチのような腰袋を今量産してもらっている。


「みんなが早合を使いこなせるようになると、だいぶ防衛戦には有利になるけど……もう一工夫必要かなあ」

「工夫、でございますか?」

藤吉郎が興味深そうに聞き返す。

「手投げ爆弾とか、爆裂矢とかかなあ?」

「なんですその物騒な武器は」

呆れたように滝川が素っ頓狂な声を上げる。

「うーん、まあ一度試作してみるけどさ、作るだけで危ないんで、ちょっと保留」

一同、それを聞いて青くなった。


「アイリとフリーデの日本語の方はどうなの?」

「だいぶん上手になられました」

阿子が答え、千がうなずく。

「2人の魔法の方は?」

「千殿はもうアイリ様の助けなしに治療が出来ます。妾は、お薬の作り方を教わっております」

「そうか。とにかく、2人には良く覚えてもらって、藤吉郎や源十郎、右馬允たちの先生になってもらわないとね」

「ぐ、愚僧もですか?」

源十郎が寝耳に水と言った評定で顔を上げた。

「うん、覚えると便利だよ」

良之は<収納>からぱっと財布を取り出し、また消して見せた。

「まあとにかく、アイリと千は引き続き回復魔法の可能性を探って。フリーデと阿子は、魔法薬の研究をお願い」

4人はうなずいて答えた。


「銅座による南蛮絞りと棹銅の供給は今んとこ、いい感じではあるけど、東北と四国、九州あたりの商家まではまだ行き届いていないね……」

皮屋の報告を見て、良之は少し考え込む。

「今年の冬は、博多と平戸に行ってみようと思う」

博多も平戸も、南蛮商人たちの第一選択港だ。

比較的日本海側で自由に活動する明の商人と違い、南蛮商人たちは、言葉の問題や風俗の違いによって生まれる軋轢に慎重で、この時期なかなか堺には進出してこない。

このあと、キリスト教の伝播に従って堺に船を入れる商人が増えるのだが、それはもう少し先になる。


「とりあえず、彦と源十郎は、小者たちの射撃訓練をしておいて。俺は船で博多に行く。供は、藤吉郎と右馬允にしようか」

「では、千もお連れ下さい。回復魔法の術者がそばに居た方が何かとよろしいかと思います」

アイリが推挙する。良之もうなずいた。

「あたしも行くかね」

にっと虎御前が笑った。その顔を見て男どもはすくみ上がった。

滝川も猛者であるが、実は武芸では虎御前に勝てる気がしないらしい。最高の用心棒である。


「ところで、銅座の常駐軍だけど。誰か推挙はある?」

良之は一同に聞いた。

ここには伊賀の服部や千賀地、甲賀の望月は居ないが、彼らの手の者は飛騨の押さえで残してある。

滝川が発言を求めた。

「身内びいきで申し訳ないが、中村孫作を使ってやっちゃくれねえか?」

「孫作?」

「ほれ、一重ヶ根の番の番頭をやらせてた男よ」

良之にも覚えがある。

実直そうな男だった。これと言って印象に残るほどのつきあいは無かったが、滝川が推挙するなら間違いは無いだろう。

「分かった。呼び寄せの手配は任せる。他は?」

「国元に、まだ青二才だが滝川儀太夫ってのが居る。もし雇ってもらえるなら呼び寄せるが……」

「うん、じゃあ手配を頼むね。小者は1000人くらいまでなら雇っていい。遠里小野からしばらく若いのを雇ってやってくれると嬉しいな。食料や金は皮屋に頼って」

「承知した。かたじけねえ」

彦右衛門は、自分の推挙した人物を二言も言わず引き受けた良之に頭を下げた。

「その代わり、しっかり鍛えて置いてよ」

そう言って次の話題に移った。


「この中に、獣の肉はどうしても食えないって人はいる?」

誰も名乗り出ないところを見ると、どうしても口に出来ない者は居ないようだ。

だが、生理的嫌悪感や忌避感がある者は居るようだ。

阿子は少し顔をしかめた。一般に、獣肉は汚れがあると信じられている時代のことだ。

「むしろ、御所様はお口にできるんで?」

藤吉郎はそっちの方が驚きだという顔をした。

公卿はことさらに汚れを嫌う。

「まあね。ただ、そう言うからには帝や公家には知られない方がいいのか?」

「それは、まあ……」

「わかった、気を付けるよ。で、話を戻すけど。俺はなるべく早い段階で、食用になる動物を手に入れて、食糧事情を改善したいと思ってる。その辺はどう思う?」

これには一同……良之とアイリとフリーデを除く全員が顔をしかめた。

家畜の屠殺と食用は、実は明治以降でも日本人には強い抵抗と忌避感が残った。

「魚はうまいけど、さすがに毎日だときついんだ。食べられない人に無理強いするものじゃ無いけど、食えるなら、俺は肉が食いたいし、人間ってのは、肉食った方が身体も強くなるし、長生きもする」

それはもう、人体とはそういうものだとしか言い様が無い。


なぜ日本に家畜をつぶす事に忌避感があるのか良之には分からないが、それは本来、決して悪い倫理では無い。

その倫理を同じ人間にまで広げてくれていたらもっと良かったのに、と彼は思う。


人間は進化の過程でいろいろ喪ったが、植物の摂取で栄養素を生み出す臓器もそのひとつだ。

虫垂などもその名残と言われている。つまり、端的に言うと、すでに人間という生き物は、構造的にも肉食動物なのである。


「まあ、あれだね。君たちには一度試食してもらうから、食べられるかどうかはその時決めたらいい」

良之は、この時代の肉食の風を彼らの反応で知れただけで良いと思った。


実際、この時代の人間は肉食もする。

おそらく、野獣の類いは食べるが家畜は食べないというのは、情が移るからだろう。

それに、畜産技術も高くない。家畜は貴重な労働力でもあるのだ。食肉用につぶすというのは考えにくいのだろう。


正直、フリーデもアイリも、そしてもちろん良之も、さすがに肉に飢えていた。

旅に出た紀州以降は、稀に領民の狩った肉をお裾分けで夕餉に供されることはあった。

「公家は肉を嫌う」

などという良之にとってありがたくない常識がこの世界に蔓延してるため、甲斐の武田あたりではわざわざ良之の分だけ肉が無かったりしたものだ。


聞いたところでは、平戸には、南蛮人が持ち込んだ豚・牛・鶏を育てる牧場もできはじめているらしい。

良之にとっては、夢が広がるばかりである。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る