初めての城
第30話 初めての城 1
猪谷から西に行くと白川荘、東の道を選ぶと神岡に至る。
良之の主従は、神岡を目指す。
神岡。
この地の鉱山の歴史は古い。
養老年間というから、720年代には、山師がここを掘っている事になる。
現在の支配者は江馬氏である。
神岡に入った一行は、高原諏訪城に先触れを遣わし、江馬氏の歓迎を受けた。
良之は江馬家のあいさつを受けると、宿の礼に米を100石提供した。
良之にあいさつをしたのは江馬時盛。左馬介を称している。
そしてその嫡男常陸介。
「京の御所様が、このような土地にいかようでございましょう?」
左馬介が聞く。
「この先に良い温泉があると聞きまして」
「はあ」
温泉はあることはある。
実際、平安以降、貴人たちは各地に湯治に出かけたりしている。
服部配下の忍び数名が、先触れとして神岡城下から東の物見に出ている。
半蔵はその部下から状況を逐一報告されている。
「どうだった?」
「この先には、この人数で泊まれる場所は、本覚寺という寺のみです」
「平湯の様子は?」
「廃れた道があるとのことで、行くには行けますが、民家すらない藪道だそうで……小屋のひとつもございません」
想像以上の状況のようだ。
実は、良之は祖父との旅行で平湯温泉に立ち寄っている。
その時見た開湯の縁起に
「武田信玄配下山県昌景が飛騨攻めの際発見」
とあったため、良之はこの地を拠点にすることを決めたのだ。
「半蔵、もし金も人も際限なく使えて、材料だけ現地で切り出さなきゃならない。お前だったらどれくらいで、3000人が冬を越せる城を作れる?」
「城……でございますか」
良之は、ノートパソコンに平湯の等高線地図を表示して見せた。
「ここと、ここと、ここに砦を作って関所にする。中には堀や石垣はいらない。平城で充分だけど、背丈より高い雪は降るかもね」
良之が示した場所は、それぞれ、東の安房峠、西の平湯峠、そして、平湯と一重ヶ根と呼ばれる地区の境だった。
「ここは、堀と土塁がいります。残りは見てみないと分かりません」
等高線図の読み方を教えると、半蔵はじっと見つめて答えた。
一重ヶ根は大工事になると踏んだ。
「黒鍬衆400から600、山方衆も同程度、大工衆200以上、労夫1000人、炊き出しや世話役に200」
で、ひとつき、と半蔵は読んだ。
「いくらかかる?」
「見当もつきやせん」
リーダー格を全員呼んで、再度、平湯への築城プランを提示する。
出席は、良之、隠岐、フリーデ、アイリ、千、阿子、藤吉郎、虎御前。
服部半蔵、千賀地石見守、滝川彦右衛門、望月三郎、下間源十郎。
「労夫の1000人は、築城後に城兵になれる人材が欲しいかな」
良之が口火を切る。
ひとまずは、半蔵が300、千賀地が120、望月が200。滝川も80程度の人材を確保できそうだった。
「炊き出しなどは、それらの女房衆で賄えましょう」
千賀地が見積もった。
「信州の流民を雇っちゃどうだい?」
虎御前がいった。
北条の侵攻とその後の不作、そして天災によって関東から。
そして武田の信濃侵攻によって、信州にはかなりの人数の流民があるようだ。
おそらく、木曽あたりの山合に、一定以上の武家やその親族といった流民が隠れているだろうと虎御前は言う。
「もしお虎さんに任せたら雇ってこられる?」
「話して見ねば分かりませんがねえ……」
「じゃあそっちは任せようかな。問題は専門家たちか」
「黒鍬衆は、尾張の輪中衆に頼んだらどかね?」
藤吉郎が言う。
有名な集団らしく、半蔵も同意する。
「藤吉郎、当てはあるの?」
「金次第だぎゃ」
「わかった。金額は半蔵と詰めてくれ。三郎、半蔵、伊賀衆と甲賀衆で職人はどのくらい集められる?」
「黒鍬、大工はそれぞれ100人ほど」
「甲賀も同じくらいかと」
「山方衆についてはもう少し当てにして頂けましょう」
伊賀も甲賀も山の多い地域だから、伐採や製材に慣れた者達も一定数居る。
「俺は何したらいいんだ?」
「彦には、飛騨の職人を探して集めて欲しい。飛騨は大工の本場でしょ」
「心得た」
「源十郎は俺の供を頼む。フリーデとアイリ、千と阿子は、寺に残す手勢の世話を頼む」
魔法と錬金術が使える4人には、<収納>で食料や軍資金を保管してもらわなければならない。
「今ここに居る200人は、職人たちの住む小屋がけを前もってやってもらわないとな」
半蔵に確認すると、彼が縄張りが出来るという事なので、任せておく。
「隠岐、俺が留守の間、名代を任せる」
「はっ」
「御所様は何をなさるんで?」
藤吉郎が聞く。
「俺は、飛騨の豪族を訪ねて歩く。その後、美濃の斉藤を見に行く」
こうして、良之の初めての拠点、平湯御所の築城が開始された。
以下余談。
良之がこの地で作る城郭は、平湯御所と呼ばれることになる。
これは、良之が「御所号」を許される身分だからである。
同様に御所号が許される一条家の土佐の居城は中村御所。
北畠国司家の伊勢の居城は霧山御所。分家で、現在陸奥国に居を構える浪岡北畠家の居城は、浪岡御所と呼ばれる。
武家において同様な称号を持つ者も居る。
源氏の棟梁である足利家の将軍は、御所号を名乗る者が何人も現れている。
一方、屋形号というものもある。
この時代では、足利将軍家によって公式に発給されている幕府幹部を表す称号である。
この時代に四百以上は存在したであろう国人や守護のうち、わずか21家しか屋形号を持つ名家は存在しない。
代表的なところでは、六角家、京極家、今川家、大内家、武田家などである。
後世の娯楽作品などで、これら以外の大名や武将が
「御屋形様」
と呼ばれるような作品が散見されるが、そう呼ばれたり呼ばせたりした事実はないと思われる。
なぜなら、屋形号というのはれっきとした根拠の上に成立している尊称だからである。
一行は翌日、本覚寺に拠点を移した。
住持に充分な食料や金子を提示し、長逗留をさせてもらう。
その間、伊賀甲賀の者達が、徐々に平湯の整備を始めている。
また、人足や専門家の手配のため、各リーダーたちは行動を開始している。
良之は翌日には下間源十郎と忍び衆5人を従え、本覚寺を立った。
2日かかって白川に着いた良之一行は、荻町から帰雲城に入った。
当主は内ヶ島家。夜叉熊という少年だった。
前当主が亡くなったため、6才という幼さで家督を継いだものの、臣下の支えで充分以上にこの城下を治めているという。
あいさつを済ませると良之はすぐに出立。
来た道を引き返し古川へと入る。
翌日、百足城に姉小路右近衛中将を訪ねた。
ここでも良之は顔見せだけの簡単なあいさつで出立し、3日かけて下呂の桜洞城を訪ね、三木氏と面会した。
三木氏とも、顔見せのあいさつに終始し、陽のあるうちに城を離れて下呂の町で一泊。
その後は10日以上かけて郡上八幡を巡り、長良川沿いに稲葉山城の麓、井口の町に入った。
井口もまた、太平洋側の都市に共通した豊かさを持った町だった。
良之は積極的に棹銅を買い、純銅を売り、鐚銭を買った。
商家によっては、鐚銭5貫でも永楽銭1貫と換えたがる者達も居た。
銭の需要が高い土地である。
つまり、豊かだという事だった。
この地では、米も買い求めた。支払は全て金で賄った。
その後、斎藤山城守利政から使いが来て、良之は稲葉山城に登った。
この時期、山城守は織田と和睦し娘を嫁に送ることで安定していた。
かつて織田家の力で返り咲いた美濃守護大名の土岐頼芸と、それを支持した揖斐川沿いの豪族たちを攻めていた。
すでに齢50を越えているが、精力は未だ衰えを見せていない。
「御所様は随分ほうぼうの国を見て歩いてなさるとか」
「ええ、若い時にしか出来ませんから」
はじめはそんな雑談から山城守は切り出した。
「それにしても、豪儀な買い物をなさるようだが、買われた荷が忽然と消えると聞く。いかな方法でなされるのか?」
「山城殿は仙人をご存じか?」
「無論」
「弟子入りしました」
「はっは」
山城守は笑ったが、その瞬間、井口で買った米俵を良之は取り出し、自分の脇に積んで消したので、肝をつぶした。
「仙人と言うよりは道士に近く、仙術と言うよりは方術に近いのですが」
「……な、なんと便利な」
山城守の驚き方は、常の人とさすがに違った。
面妖な、と驚く者が多いが、彼はその利便性が即座に理解出来たのである。
その後、山城守は<収納>について執着した。自分も使いたいという知的好奇心が抑えられないようだった。
だが、
「では、美濃を離れ俺の弟子になりますか?」
と聞くと、暫し呆然と考えたあと、豪快に笑って
「なるほど、口惜しいがそれも叶うまい」
とうなずいた。
その後、登城している家臣や親族の紹介を受け、この晩は客殿に宿を借り、良之は美濃を去った。
別れ際に、斉藤家も銭1000貫を良之に献じてくれた。深く感謝し、京の二条関白家へと砂金で送付した。
稲葉山から長良川を船で下り、長島に入る。
下間源十郎の案内で願証寺証恵と対面。父の蓮淳を助けてくれたことに深い感謝の意を告げ、歓待してくれた。
その翌日。
前の晩に源十郎から平湯御所建設のことを聞き及んだ証恵は、長島の職人衆や河内、堺、京や加賀から越中にかけての人材の手配を請け負ってくれた。
特に加賀の人材として大工衆や山方衆がかなりの人数用意できるという事で、これには良之も深く感謝した。
その後、長島の商家でいつものように取引。
ここでも鐚銭を5-6貫に金一両、もしくは永楽銭一貫で大量に交換した。
また、比較的在庫が豊富だった海産物も大量に買い付けた。
その後、船便にて雑賀へと向かった。
途中の湯浅では、味噌を大量に買い付けた。
鈴木佐大夫は、久しぶりの訪問を喜んでくれた。
特に、嫡男孫一の病状はあれ以降全く喘息の発作を起こさなくなったという事で、久しぶりに見た孫一は、真っ黒に日焼けをして背も大きくなっていた。
その晩はにぎやかな宴会でもてなされた。
「飛騨の山中に築城、ですか?」
「ええ。それで、もし出来ることなら紀州の鍛冶、味噌職人、鋳物師などを欲しいと思っているのです」
「なるほど」
どれも人数の多い城となれば必要な人材だった。
「それと、もちろん兵も」
「……」
佐大夫は一瞬じっと良之を見返して
「それは、家臣ですか? 銭侍ですか?」
と問いかけた。
「どちらでも、それは当人の意思に任せます」
率直なところ、良之にとっては本心からどちらでも良かった。
「人数は?」
「それも、いくらでも。両親や女房子ども連れでも構いません。飯炊き、風呂焚き、小商い。仕事はいくらでもあるでしょう」
「そのような者にまで給金を出すおつもりか?」
「働き次第ですけどね。ただ、飯は必ず食わせます」
「わかった。郷の全ての長にも声をかけておく」
佐大夫は請け負った。
「ところで、種子島が手に入るだけ欲しいのですが」
良之は話題を変えた。
「ほう?」
「今はどこも欲しがっているでしょうから難しいかも知れませんが……」
「なぜ急に欲しがりなさる」
「撃たせなくては練習にならないからです」
確かにその通りだった。
鉄砲ほど習得に金がかかる兵科はそうそうない。
特に、日本では硝煙が産出しないのだ。
鉛もさほど産出量が多いわけではない。
鉄砲に関わるその多くが輸入だよりであり、訓練させるだけでも非常に多額の資金を要求される。
「硝石はどうなさる?」
佐大夫は率直に聞いた。
「ああ、作ります」
こともなげに良之はいった。
「作り方を知っておられるのか?」
佐大夫の質問に、うなずいて答えた。
実は良之は、もちろん錬金術で作るつもりだった。
だが、飛騨の白川や五箇村で江戸期に量産された製造方法は知っている。
硝酸をもっとも効率よく作るのは人の尿とヨモギ、それに養蚕時に出る蚕の糞や廃棄物だ。
それらを防水加工した床下で数年、地中の細菌に腐敗発酵させると、硝酸カリウムが析出する。
「とにかく、種子島については可能な範囲で構いません。取引は堺の皮屋とお願いします」
良之はそう依頼して、この日のうちに堺に向けて旅だった。
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