第29話 旅の空 10 -飛騨へ-


良之は慌てて春日山城に戻り、一同に藤吉郎から説明させる。

頭を抱えたのは隠岐だった。

「まだ正室もお決めでないのに!」

「それもですが、畜生腹というのは御所様としては問題ではないのですか?」

服部半蔵が聞いた。

「それは割とどうでもいい。問題は、長尾家に縛られる可能性があるなら困るって話だ」

もし将来、長尾家が良之の考えに賛同してくれればいう事は無い。

日本全土をひとまず公有化し、警察や軍以外は全て武装を禁じ平民にする。

良之はそんなビジョンを漠然と抱いている。

戦国大名というのは、その対極にいる存在である。


そのことに長尾家や虎御前自体が反対だったら、大変迷惑な縁になる。

「しかし、一度受ける態度を女性に見せた以上、お断りも出来かねましょう」

隠岐が顔を手で覆ったままいった。


3日後。

結論はあっけなく付いた。

「あたしは今日から、もと蔵田の娘で平三の養女さ。長尾の養女にするのは単に家格を付けるためだから、もらってくれるなら是非にとの事さ」

もう20才も越えちゃったしねえ、虎御前は言った。

ちなみに、

「婚儀などはなしでいいんだよ」

あたしは、忌み子だから、本当は居ないことになってるからね。

そう言って、淋しそうに笑った。


ちなみに、この虎御前。

とんでもない女傑だと良之主従に知れるのは、一応のあいさつとして「景虎と彼女の産みの母君」である青岩院殿にあいさつに行った時である。

「お虎。せっかくもらってくれる御所様に巡り会ったのだから、もう戦に出るような真似はおよしなさい」

青岩院殿はそういった。


15才で栃尾城主になった景虎と共に栃尾城の戦いで初陣を果たし、数倍の兵力で押し寄せた反乱豪族たちにわずかな手勢で背後から奇襲し大混乱を起こさせ、景虎がその期を逃さず大手門から打って出て、さんざんに蹴散らす大勝利を収めたのだという。

景虎をして

「よもや軍事の才で後れを取るかも知れぬ女、と密かに怖れさえ抱いて居た」

と、このあと本人がそう言ったのであった。


ちなみにお虎は

「あたしが奥でのんびり出来るかどうか。それは御所さんの甲斐性次第さね」

と、良之本人の前で母と兄にしれっと言い捨てたものだった。


お虎御前の一件ですっかり頓挫してしまったが、良之は越後でどうしても仕入れたいものがあった。土地の人間が「草水・臭水くそうず」と呼ぶ黒い水。石油である。

良質の原油が欲しければ掘削して汲み上げねばならないが、それにはその地の領有が必要になる。長尾という戦国最強の部類に入る大名が居る以上、それはあまり現実的ではない。

むしろ、今回の虎御前の一件を奇貨として、越後屋に収集させるべきだと良之は考えた。

この時代、地上に湧出している油田が越後領内ではいくつも知られている。

これらを、報酬を出して集めてもらえば、ある程度の原油が確保できると良之は考えている。

「ひとまず、領内からありったけ集め、越後屋さんが新しい蔵を建てて保管してもらえますか?」

「新しい蔵?」

「ええ。他の収蔵品と混ぜると良くないんです」

良之は原油に潜む硫化ガスなどによる金属や食品の劣化について解説した。

一石樽についても、もし一度石油に用いたら、二度と他の用途には使えない。

「そうなると、随分金がかかりますが?」

越後屋はじっと頭の中で計算する。


「では、代金は品物で預けましょう」

良之は、6000貫以上の翡翠の原石、錬金術によるナノ精度の錆顔料5400貫(20トン強)、石英ガラスによるガラスビン10000本、それに砂金1000両を越後屋に託した。

「足りますか?」

「……充分です」

越後屋は、これらの生むであろう富を想像し、固唾をのんだ。


越後屋にも、5人の伊賀・甲賀の手の者を雇ってもらう。

良之との連絡員である。

基本的には、良之の資産を管理したり、取引に立ち会ったりするほか、多忙期には越後屋の手伝いに狩り出して良いことにした。


この時期。

信濃では真田弾正ただ1人による調略で、たった一晩にしてかつて武田軍が総崩れした砥石城を落とした。

晴信は弾正を「我より知略優れたる男」と認め、これ以降、信濃先方衆の重鎮に据えて重用する。


戦国村上氏が北信の支配権を失い越後に流亡するにはまだ猶予があるが、飛騨で地歩を堅め武田、長尾と共存するか、もしくは戦うか……。

その猶予は、もう数年しか良之には与えられていない。




越後から飛騨に入るためには難所がある。

親不知子不知、単に親不知と称されることが多い。

切り立った海食涯に付けられたやっと人が通行できるばかりの広さの崖道で、転落事故のリスクが高い街道である。

転落すれば岩場ばかりの海岸に日本海の荒波が打ち付けるような場所である。助かるまい。

その名所の絵を見て、

「全員で船で移動しよう」

早々に良之は結論づけたのだった。


直江津から魚津までは海上およそ55海里の航路で、約2日。

50年は続く長尾と神保の抗争のせいでこの先の岩瀬には停泊しにくいようなので、長尾の勢力圏である魚津まで運んでもらうことにした。

この時点の主従は相変わらず200人規模なので、この船による輸送は大助かりだった。


全員の下船後、松倉城に椎名右衛門大夫を訪ねあいさつをし、一夜の宿を借りる。

その後、魚津の町で、棹銅買い上げや純銅の売却、海産物や米の買い上げ。相場の安い金を銀で買い上げるなどの取引をして、一行は西へと旅を進める。


岩瀬の港付近にも大きな商業地が広がっている。

噂では、この地の発展は明の商人による生薬買い付けによる物らしい。

なるほど、富山と言えば薬なのか、と良之は思った。

置き薬の富山商人が発展するのは遙か先の江戸中期になるが、その萌芽はこういう形ではじまっていたのか、と良之は感心した。

飛騨山脈で構成される北アルプスは自生する薬草の宝庫だった。

種別によっては土地の農民たちが換金作物として育てたりもしていて、そうした薬草が、富山に集まったのだろう。


良之はこの街でも、銀の両替や食料の買い付けをする。

意外と棹銅が多く出てきたのは、まさに発展している商業都市として、需要が高いせいかも知れないし、明国の商人が多いせいかも知れない。

もちろんここでも粗銅の棹銅を回収し、純銅の物を代わりに提供する。

明国の商人には<自動翻訳>が働くため、良之は京や堺、直江津で大量の翡翠の原石が出回っていることを教えておく。


遠回りになるために神保家にはあいさつに行かず、まずは八尾、次に猪谷に家臣を宿泊させ、良之は川の砂礫から鉱物を取り出している。


「御所様、首尾はいかがです?」

藤吉郎が良之に、神通川の様子を聞いた。

「さすがに飛騨の川だね。金は多い。ただ、思ってたより重金属は少ないね」

神通川はかつて、イタイイタイ病という日本の歴史上に大きな傷跡を残した。

上流の神岡鉱山から河川に廃棄されたカドミウム汚染水が、下流の田畑に蓄積したことで、食物から人体に入り、身体を蝕んだ。

良之は、選択的にカドミウムやヒ素、鉛、亜鉛、水銀などを探してみたが、この時代では問題になるほどの蓄積は見受けられなかった。


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