第28話 旅の空 9 -越後-

姫川での採集を、良之はたっぷりひとつきはかけて行った。

その間、ついに焦れた隠岐は、糸魚川の宿に先行することにした。

これほどの大人数の宿はなかなか確保できず、食料も用意できない宿場が多かったせいである。

良之たちにとっても都合が良かった。

キャンピングカーでの宿泊の方が、こうした街道沿いの宿場より快適だったからである。

アイリたちは結界魔法を持っている。

夜盗や野獣に襲われる心配はごくわずかで、ゆっくりと、そして快適な21世紀の客室キャビンで寝られるのである。

トイレやシャワーも解放した。

上水タンクへの補給は、魔法使いが水を生成することで行った。

下水は、申し訳ないが山中などで処分させてもらう。


姫川での採集の最中、尾張の草からつなぎが来た。

旧暦三月三日。

尾張末森城から出奔した柴田権六が那古野城へ逐電。

さらに、林美作守も城を抜け、末森の東を流れる植田川を渡ったところで、何者かによって殺害された、という。

権六はそのまま織田備後守の家老として那古野城へ番勤。

津々木蔵人という若者が、以降末森で家老に取り立てられたという。

備後守は壮健で、近頃はまた酒の量が増えてきて心配だと上総介が愚痴をこぼしている。




すでに5月近くなり、やっと良之たちが糸魚川に到着した。

糸魚川には、すでに長尾家の案内人が良之たちの到着を待ち構えていた。


ひとまず急いで、良之たちは長尾家の居城である春日山を目指して進んだ。




「よう参られた」

長尾家当主、長尾平三景虎にございます。

と21才の青年が頭を下げた。

「二条大蔵卿です。このたびはお世話になります」

良之も礼を述べる。

他の言葉があるかと思いきや、

「ごゆるり過ごされよ」

と言い残し、去って行ってしまった。

「誠に相済みませぬ」

と、老臣っぽい雰囲気漂う長尾十郎が詫びた。

「いえ、長旅で疲れていたところです。気配を読んでお気を使って下さったのでしょう」

良之は本心からそういった。

「かたじけないことです」

十郎はまだ恐縮している。良之もここで応接方に下城する旨を伝え、その足で一路、直江津の港に向かった。


直江津の座を取り仕切っているのは越後屋である。

蔵田姓を持つ大商人で、京や堺、伊勢、近江などにも蔵や納屋を持つ、いわばこの時代の国際商人である。

その理由は、青苧あおそである。

からむしは、この時代の主要な服飾繊維だ、背の高い草であり、その茎の皮が丈夫な繊維となる。

布の他にも紙などに利用されるため、この時代においては、高付加価値作物といえる。

さらに言うと、南魚沼や小千谷あたりで織られたちぢれは越後上布と呼ばれlすでに鎌倉期から最上級とされている。

余談だが、水戸黄門の作中「越後の縮緬ちりめん問屋の楽隠居」と名乗っているのもこれにあたる。

高級品だけに、諸国漫遊していてもおかしくないという説得力が、この作品が爆発的に流行った時代にはまだ常識として通用したのだろう。


越後屋。

長尾家との関係は非常に古い。

景虎から数えて四世代以上前からの共存関係である。

友好関係となると、それ以上さかのぼるのだろう。

非常に高額な作物であり、その完成品もまた高額なので、輸送についても神経を払われていた。

越後を出た完成品や原料の青苧は、直江津から敦賀に船で運ばれ、陸路近江まで届けられる。

近江からは琵琶湖を渡り、消費地の京や伊勢に納品されたのだろう。

その経路上に越後屋、もしくは蔵田家の代理店的な店舗が進出している事から見ても、この当時の青苧の人気と実力が合間見られる。


一方、越後は青苧に頼ったせいか、もしくは気象的な要因か――その双方だろう――食料生産に難のある土地柄だった。


この時代、日本各地で農業生産量が飛躍的に増大した。

すなわち、贅沢品を販売する代わりに、各地の余剰米を輸入することで越後のように国家を経営できるということになる。

さらに、高価な武装を揃えたり、専業の兵士や文武教授が登場してくる。

越後の守護代長尾家などはまさにその手合いであっただろう。


この時代の越後屋は、青苧の徴税権を持つ京の三条家とたびたび揉めては、時に徴税を拒否したり、徐々に納税額を値切ったりしている。

そしてその背景にはいつも長尾家が居た。

武力や権力を硬軟織り交ぜ、実に長期的な視点で三条家の税収権を侵害している。

そうした商人のしたたかさと、金という物の価値の理解。そして、武力を背景としない権威の脆弱さを、長い時をかけて長尾家は理解したように思える。


ただ、長尾家にも弱みがあった。

食糧供給を銭と国外(この場合の国外とは、越後国以外という程度の意味)の余剰生産量に頼るという事は、不況、不作などの要因で食糧供給量が減少すると、容易に国家の危機が訪れるという事いなる。

豊かさ故に越後一国もなかなか統一が進まなかったが、為景―晴景―景虎と三代を経て、今若き景虎によって、越後統一がなされようとしている。


歴史に疎い良之が、どこまでそういった越後の特殊性を理解していたかは分からない。

ただ、直江津の商家の富が尋常ではないことには気がついていた。

さらに、越後屋がすでに官許の分銅を用いていることに驚きを持っていた。

そして、彼らが、この分銅を創った二条大蔵卿こそこの良之だとはっきり理解してることにも驚いた。

この情報の速さこそが優れた商家の証でもあるのだろう。


良之は、荷を京の皮屋に届けて欲しいと考えている。翡翠の原石だ。

翡翠の善し悪しはあまり日本人には分からない。ただ、南蛮人や明国人には非常に人気のある宝玉である。

それなりに硬度はあるが、輸送中の破損は極力避けたい。

そこで、俵に緩衝材の藁を詰めて荷造りし、京、もしくは長門回りで堺に送って欲しいと思っていた。

荷下ろしの際に投げられると困ってしまうので、どのように送るのか相談がしたくて、越後屋にやってきたのだった。


「費用の方は言い値でよろしいので?」

越後屋の問いに、

「出せる金額だったら」

と答える。

「100石あたり25両でいかがでしょう?」

「……これ見て下さい」

良之は、浮き玉を錬成して、越後屋に見せた。

「なんです? これは」

「南蛮渡来のビードロ玉です。これを落とすと」

ガチャン、とガラス特有の破砕音を立てて、その玉は割れてしまう。

「あっ」

なんともったいない、越後屋はとっさに思った。

なんに使うか分からないが、今まで見たことのない玉だった。

「これを一俵に一つ入れます。乱暴に扱えば今のように割れますが、大事に扱えば、荷が届くまで割れることはないでしょう。これが割れていた俵の分の運賃は払いません。俵一つ50石。10両でどうでしょう。ただし、一つもこの玉を割らずに届けてくれたなら、倍の20両を出します」

全部で500石分の翡翠である。

俵10個。

にや、と越後屋は微笑んだ。

「いいでしょう」

越後屋は、琵琶湖回りを選んだ。


「越後屋さんならダメだった時、きちんと返金するでしょう?」

と良之は200両を預けた。

無論証文は交わしたが、それでも信用されたことは越後屋の自尊心を満足させた。

ちなみに、良之は、ここでも食料を売りさばき、棹銅を買い上げ、純銅を売った。

越後は銀が比較的高かったので、銀を売って金を買った。

越後が米処になるのは謙信没後のことであり、この時代は、食料は良い値段で転売が出来、良之は充分、稼がせてもらえた。


ちなみに後日。

彼らは慎重に大切に俵を運び、京の皮屋で荷を改めた時、見事に全てのビードロ玉は割れずに残っていた。




「ようあんた」

若い、気の強そうな男装の女性が、越後屋を出た良之に話しかけた。

思わず良之と女性の間に潜り込もうとした藤吉郎を良之はとどめた。

「おもしろいことやってたなあ、さっき」

女性は愉快そうに越後屋のほうをあごでしゃくって言った。

「ああすまん。あたしは虎っていうんだ。あんたは?」

「二条大蔵卿です」

「あーそっか、やっぱただもんじゃねえと思ってたよ」

虎と名乗った女性は、

「越後屋がこないだ買った分銅の正体、あんただろ?」

と言ったので、さすがに良之も彼女もまた、ただ者ではないと思い知った。


「申し訳ないのですが、どちらの虎さんでしょうか?」

良之が聞くと、あまりにそれがおかしかったのか、クツクツと笑って女はいった。

「長尾家の虎御前さ」


虎御前は越後屋にもう一度良之主従、といっても今回は藤吉郎だけだが、を再度招き入れた。

奥座敷に2人を通すと、直江津で作ったらしいイカの一夜干しをあぶって、どぶろくを出してくれた。

手あぶりで1枚ずつ虎御前があぶってくれるので、ふと良之は<収納>からサンプル用の二合醤油を取り出し、イカにかけてみた。

何とも香ばしい香りが座敷に広がる。

「いいねそれ。しょっつるのにおいじゃないけど」

「紀州の醤油です。もうじき、越後でも簡単に手に入るようになるでしょう。紀州から堺までは商路を引きましたんで」

「へえ、溜まりは知ってたけど……」

「なめ味噌のついでじゃなくて、これ専用に漬けてるんですよ。絞ったかすは捨ててしまいます」

「ぜいたくだねえ」

そんな会話をしつつ、焼いたいかを良之に渡す。

良之は、そのイカを味わいつつどぶろくを飲む。

次に焼けたのを虎御前は藤吉郎にも渡した。

「あんた、主の毒味しなくって良かったのかい?」

「あ、しまった!」

主従は顔を見合わせて笑った。

「全く、変な御所さんだねえ」

最後に自分の分を虎御前は焼く。もちろん醤油をかけてである。


「ところで、長尾の虎御前が、こんなところで何をしてるんですか?」

良之が聞いてみた。

どこかで見覚えのある顔だと思っていたのだが、確かに彼女は景虎と面差しがそっくりなのだ。

「ああ、まあね。あたしは本来は居ない女なのさ」

びく、と藤吉郎が一瞬身体を硬くする。

「……」

事情が飲み込めていないのは良之だけのようだった。

「まったく、鈍いのか、知らないのかさ」

虎御前はそう言うと、どぶろくをくいっと呷って、いった。

「畜生腹なのさ、平三のヤツとね」


「あんた本当に知らないのかい?」

「ええ」

畜生腹ってなんです?

と首をかしげた良之に、心底不思議そうに虎御前は聞き返した。

「同じ腹で生まれる双子の事さ」

へえ、二卵性双生児か。良之はまじまじと虎御前の顔を眺め

「たしかに、似てるような、似てないような」

と言ったから、虎御前はケラケラとひとしきり笑った。


この時代、双子は忌まれる。

そのそもそもの前提が分からないから、良之とは話がかみ合わない。

何となくそのことを察した時、虎御前は、人生で最初で最後の決断を下した。

「なああんた、あたしをもらっとくれよ」


「嫁はまだいらないんです」

良之は即座に言い返した。

「へえ、じゃあ嫁じゃなかったらいいんだね?」

「? ええまあ」

家臣だったらまあ、女性でも構わないか。良之は思った。

「よし、じゃあ決まりだ。3日おくれでないか?」

そんな話が、まとまったような、まとまらないような。


「御所様、よろしいんで?」

「男装の諸大夫が1人増えるだけだろ?」

良之の返事で、藤吉郎は全てを悟った。この御方はわかっとらんがね。

「虎御前様、側室に上がるおつもりだがね!」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る