第22話 旅の空 3 -尾張-
良之一行の旅は、九度山~筒井~宇陀~伊賀~甲賀と進んだ。
はじめは海路で新宮~鳥羽~桑名と進むことも考えたが、宇陀から甲賀までの経路を通る事を優先した。
ひとつには、この旅に加わっている武士や小者の故郷だからでもあり、今後、彼らの親類縁者を雇いやすくさせる狙いもあった。
甲賀を出立すると亀山から鈴鹿峠を越えて四日市、四日市からは船で尾張の熱田に入った。
熱田神宮にお参りをしつつ、山科卿からの紹介もあって、織田備後守信秀に尾張到着の知らせを送る。
やがて宿所に備後守からの使いがやってきて、末森城までお越し召されよ、と言上があった。
そのまま、良之は行列をなして末森に向かった。
熱田からおよそ二時間。末森城はまだ新築一年目の館だった。
各所に贅を尽くした館で、織田備後守の富と権力が一目で分かる。
この時期、備後守は三河守も朝廷から拝領しているのだが、熱田神宮などに安堵状を出している記録では、相変わらず本人も息子の信長も、信秀のことを備後守と記している。
三河守については、安祥を手がかりに松平家を攻略しようとした名分のつもりだったのだろう。
末森城に付くと早速備後守にあいさつに行く。
備後守は数日前から全身にむくみが出来、体調不良で休んでいるという。
アイリの所見は、高血圧・腎不全・肝不全だ。
「原因は?」
「高血圧は体質や生活習慣ですが、腎不全と肝不全は、ヒ素の可能性もあります」
「治療は?」
「可能です」
アイリは、フリーデのポーションを備後守に服用させてから、回復魔法を使用する。
「……おお、らくに、なった」
痛みなどでよほど苦しかったのか、備後守はやがて、穏やかな寝息を立てて眠った。
このあと、城内でちょっとしたもめ事があった。
この城の家老、林美作守と織田勘十郎付きの家老柴田権六郎によって、城主格として勘十郎信勝が二条大蔵卿にあいさつしたいと言い出したのだった。
「お父上はご隠居召されたのか?」
隠岐大蔵大夫の一言で2人は引き下がったが、備後守の病状がヒ素だとすると、どうにも彼らはうさんくさく良之には思われた。
林美作と柴田権六の存念は、船で熱田に直行し、熱田からまっすぐ末森城に入った三位大蔵卿に、この末森城の権力の移譲は信秀――信勝の線で行われることを示し、それを既成事実として尾張全土に見せつけることであった。
この戦国の世に公家などと言うものに存在価値があるとしたら、自分たちの権力構造へのお墨付きぐらいだと美作守は考えている。
以前に山科と飛鳥井がこの地に訪れた時も、さんざん食って飲んで、やれ蹴鞠だやれ和歌だと遊んだ上に、官位を売ったり内裏の修復費を無心したりして帰って行った。
おおかた、この二条とかいう公達もその類いに違いないと美作は踏んでいた。
だが、意外にもこの公卿は蹴鞠でも和歌でもなく、医術なんぞを使っていた。
「まあ、明日までお待ち下さい。俺もさすがに今日は疲れたんで休ませてもらいます」
美作が裾を引くように信勝との引見を強要しようとしたのを、良之は拒絶し、提供された寝所に籠もった。
まあ明日になれば逢うというならそれで良かろう。
美作は屈辱を紛らわすためにそう思った。
翌日。
末森城は混乱状態になった。
医者の見立てではもう長いことはないとまで言われていた信秀が一晩で完治し、それは二条大蔵卿の医術のおかげであるという。
信勝を城主名代として用意された全ては信秀のものへとスライドされた。
本来なら信勝が座るべき上座右手に信秀が付く。その並びの遙か壁際に信秀の小姓と家老の林美作は追いやられる。
列席左手は二条大蔵卿の臣たちが座り、右手筆頭に信勝、信勝の後ろに柴田権六、という席次になる。
やがて、隠岐大夫を筆頭にアイリ、フリーデ、望月三郎、服部半蔵が入室する。最後に主の良之が入室すると、信秀は自ら上座より迎えに行き、手を引かんばかりの態度で上席上座に良之を座らせ、自身は下座に並んだ。
「御所様、こたびはわが病を癒やして頂き、誠に感謝に堪えませぬ」
まず、備後守は良之に向かい、深々と頭を下げた。
併せ、下に座る織田家のものも頭を下げる。
ちら、と良之は頭を下げる備後守の後ろの小姓や宿老、林美作守を窺う。
――傲岸な男だ。
良之の顔が嫌悪にゆがんだ。
その表情で、美作の運命が決まった、といっていい。
「くるしゅうない」
良之はいった。
その言葉をもって織田家一同は頭を上げる。
「まずは備後殿、床が払えて何よりでした。今後は少しお酒を控え、食事も塩辛いものを減らすことです。中風(脳卒中)の気が出てますので」
「はっ、これはかたじけない」
「それと、俺の従者によると、備後殿、貴殿は毒飼いされて居りました」
「なんと!」
その瞬間の一同の表情を、良之は観察した。
よほどの役者でない以上、この瞬間の表情で見抜く自信が良之にはあった。
意外なことに、次代を狙う信秀の三男織田勘十郎、その付け家老の柴田権六らは、良之の見立てでは「シロ」だ。
ということは、やはり全く驚くことのない林美作守が首謀ということになる。
「備後殿。こうなるとお毒味役も心配でしょう。ここに呼び出して頂きたい。身が従者が診て進ぜよう」
「これは重ね重ねありがたきこと。誰ぞ、良阿弥を連れて参れ」
下座の先、開け放たれた襖の影に控えていた小者が立ち上がり、毒味役を連れに駆けた。
「……申し上げます。良阿弥殿、本日は未だ出仕して居らぬ由」
「屋敷に迎えに参れ」
「はっ」
「御所様、わしに使われた毒は、どのようなものでありましたか?」
「
良之はヒ素、といったが、この時代の彼らには自動通訳で、鴆毒、もしくは別の者には銀毒、と聞こえただろう。
化合物において硫化ヒ素だけはニンニクのような硫化臭がするが、単体のヒ素は無臭で、毒薬として使われる三酸化二ヒ素は、料理に含ませると無色無臭となり、発見を困難とさせる。
世の東西を問わず使用されてきた毒で、もしかすると、この世でもっとも多く、敵を暗殺してきた毒といえるかも知れない。
「申し上げます。良阿弥殿、屋敷にも姿がありませぬ」
小者が息を切らせて戻り、そう報告する。
「露見を察知して逐電したか?」
備後はそううめいたが
「あるいは、消されましたか」
良之がその言葉を継いで補足した。
ちら、と良之は視線を服部半蔵に流す。半蔵は小さくうなずいた。
「いずれにしましても、この城の台所では危険が大きい。申し訳ないが、俺はこの台所で作られた食事を食べる勇気は持てません。今より、出立させて頂きます」
良之はそう言い、席を立った。
「備後守殿、よろしければ、いずれか別の城にご案内願えますか?」
備後守信秀に先導されて向かった先は、那古野城だった。
末森城からはおよそ一刻=二時間の距離となる。
城主は上総介信長。
先触れによって事情を全て把握していた上総介は、日頃とは違い、正装をして烏帽子まで付けた姿で良之と父親を出迎えた。
上総は開口一番、実の父親に向かって
「だから申し上げたではありませんか」
といった。
「織田上総介信長でござる。こたびは父上の危難をお救い下され、誠に感謝の極みにござる」
「二条大蔵卿です。こちらこそ急な訪問にもかかわらず、大人数をお世話頂き、ありがとうございます」
このとき、信長は17才。まさに大うつけと呼ばれた時分である。
どこがうつけなんだ、と良之は思わざるを得ない。
鋭い眼光、きつく結ばれた口元。
刺すような視線は彼の知性を如実に物語っている。
ひとまずは那古野城に移ったことで、良之たちもゆっくり休むことが出来た。
上総介も良之の人となりを用心深く観察しているが、良之の方でも、織田弾正忠家の二代、信秀と信長を分析している。
織田家は実質、尾張の覇者といえるポジションでありながら、なぜか信秀は主である守護代織田家や、守護である斯波家を滅ぼそうとはしないで居る。
さらに言うと、三河で対立する松平家や、この時代にはすでに実質的に松平家を乗っ取って支配している今川家と厳しい戦闘を強いられているにもかかわらず、斉藤山城守(のちの道三)によって追放された美濃守護の土岐氏を匿い、彼の望みによって美濃大垣を攻め、斉藤軍によって壊滅的な打撃を被ったりしている。
尾張に後顧の憂いを残していることが致命的な足かせになっているのだ。
上総介信長は、確かに一廉の人物に良之にも見えた。
後年、朝倉宗滴が「あと三年長生きして、織田上総介がどのような人物になるのか見てみたかった」といったとか、斉藤道三が「わが子どもは、上総が門前に轡をつなぐことになろうよ」といったとか、この時代の名将たちは、彼の能力を評価している。
だが、この頃の上総介は、相変わらず上半身裸に近い姿で町を練り歩き、小姓や若手家臣どもとチンピラのような言動をして地元からは蛇蝎のごとく嫌われている。
良之は、
「彼は何かを実験しているのかも知れない」
と感じた。
身なりで他人の評価が変わることは良之自身が京で実感した。
ジャージ姿の時。地下人の若といった出で立ちの時、そして二条の御落胤として御所風に改めた時。
そのときに応じて、京の市民たちは全く異なる生き物を相手にするように違った対応を取ってきた。
そうした実験を、上総介はしているのではないか。
もう一つは、彼は「うつけ」だと評価されることで命の危険を回避しているのかも知れない、とも良之は思った。
この時代、当たり前のように暗殺が横行している。
信長の生家である弾正忠家は、未だ主君斯波家の守護代織田家の、そのまた家臣の奉行家なのである。
守護代織田家には三奉行家があり、弾正忠家は家格からいったら筆頭ですらない。
実勢は国主に等しいのに、である。
当然、備後守も上総介も見下されている。
家臣や家老にさえである。
そうした雰囲気が彼を自己防衛させているのかも知れないと良之は思った。
一方の上総介信長。
いきなり現れたこの公達を、得体が知れないと思っていた。
そもそも、この時代、たとえ関白の弟で三位大蔵卿を名乗ったところで、彼のように160人以上の家臣を引き連れて、一文の得にもならない旅行をして歩く者など、あるわけがないのである。
ついて回っている家臣にも謎が多すぎる。
彼が手の者に聞き込みさせたところによると、望月は甲賀の中惣の家。服部・千賀地は伊賀者。滝川は放逐されたならず者。下間は本願寺の坊官。
その全てに本貫の地を与えることなく、銭で雇っているという。
その銭の出所も怪しい。
なんでも京の小西屋や堺の皮屋あたりとつるんでいるようだが、よほどの事でも無ければ、商人どもは酔狂に金など出さない。
ではどこから金が生まれるのか?
おそらく、何らかの利権を握っているのだろう。そうとしか思えなかった。
だが、上総介は、フリーデとアイリという、父親を救ってくれた異人の従者については、素直にうらやましいと思っていた。この辺が、信長らしいところである。
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