第21話 旅の空 2 -紀州-
数日かけて徐々に孫一の治療を繰り返すと、彼はだんだんと健康を得始めていた。
生来の病弱だったために、それは孫一にとって生まれて初めての経験だった。
五日ほどすると、ついに彼は外出しても発熱をしたり喘息を起こして倒れたりすることがなくなった。
彼は、今まで時分がひ弱なためにつきあってあげられなかった弟の孫二郎と、毎日遅くまで遊び歩くようになった。
佐大夫より、もしかしたらこの孫二郎こそ、兄が健康になったことをもっとも喜んでいるのかも知れなかった。
「ところで佐大夫殿。折り入ってお願いがあります」
「なんでしょうか?」
「湯浅の醤油作りを見学したいのです」
良之は、この時代にすでに醤油があることを喜んでいた。
正直、これほど現代日本人にとって大事な調味料だとは思いもよらなかったのである。
醤油はこの時代にはすでに量産されている。
だが、はじめは全くといっていいくらいに売れなかったようである。
「はて?」
湯浅と言えばなんと言っても味噌である。なめ味噌というご飯の供のような味噌が有名だった。
とはいえ、京から下った公達よりはよほどこの地に詳しい。
「もしかして、溜まりの事ですか?」
「そうです」
良之は、時分があの調味料を大変気に入っていて、もし可能であれば、堺の皮屋に卸して欲しいと考えていることを佐大夫に告げた。
「分かりました、お供仕りましょう」
と、佐大夫も一緒に湯浅に下ることとした。
雑賀から湯浅はおよそ24km近くある。
「船で行く」
と佐大夫はいった。
雑賀党というと良之には鉄砲のイメージが強かったが、実は紀州と堺・大阪を結ぶ海運で栄えた氏族でもある。
24kmといっても馬でも丸一日仕事となる。現代人の感覚では車で一時間足らずだろうが、騎乗で旅してもかなり身体的にはきつい。
船で行けば、その点楽であった。
船で湯浅に着く。まずは宿を取り、小者たちを使って佐大夫は「溜まり」を生産している職人を探す。
正体はすぐに分かった。赤桐右馬太郎という男で、湯浅の街で研究を重ねながら大阪に出荷しているという。
早速良之と佐大夫は使いを出し、翌日訪ねる約束をした。
翌朝。
宿に頼んで、鰯を白焼きにしてもらったものを包んでもらい、それを<収納>に納めて佐大夫たちと一緒に赤桐宅に向かった。
赤桐は、都の公卿が来るというので驚いて縮こまっていたが、良之があまりに熱心に醤油がいかに気に入ってるのか語るので、だんだんと興奮してきて、ついには先導して蔵の案内までしてしまった。
赤桐に製品を出してもらい、朝焼いてもらった鰯にかけて一同に試食させる。
「ほう。これはいい」
佐大夫も、昔食べた溜まりとはひと味違う専用品の醤油に感心している。
「これを、堺の皮屋に卸してもらいたいんですが、これから毎年増産するとして、そのくらいの費用が必要ですか?」
「どのくらい、といわれても……」
自分の手の届く範囲までしか生産していないため、赤桐自身にも見当が付きかねるようだった。
「では、とりあえず俺が赤桐さんと醤油の座を作ります。俺が株主としてまず300両用立てるので、その金で醤油の増産をお願いします」
「わかりました」
「できあがった醤油は、今までのつきあいもあるでしょうから大阪に卸しても構いませんが、可能な限り堺の皮屋を通して下さい。そして、荷運びは佐大夫さん、雑賀衆にお願いしたいのですが……」
「わかった。蔵出しの時期になったらわしらが受けよう」
こうして、赤桐右馬太郎の湯浅醤油は、良之によって歴史より早く普及することになる。
だがそのあたりについては、単に良之自身の食への追求のためだったので、本人には全く無自覚であった。
ひとまず自分用に2石=200升もの醤油を手に入れ、それを<収納>に納めると、あとで契約に人をよこすと告げて良之たちは宿に引き上げた。
良之には、紀州という事でもう一つどうしてもやりたいことがあったのである。
「佐大夫さん。今度は印南浦に行ってもらえますか?」
「印南浦? 今度は鰹か?」
「はい」
さすがに鰹節については佐大夫も知っている。
回遊魚である鰹には産地が決まっている。
紀州も、その代表格のひとつだった。
鰹節は、平安時代から都に献上されていた物資のひとつだ。青魚で足の早い鰹は、干されて献上された。
当時は堅魚などと呼ばれていたらしく、それが鰹の語源だという説がある。
それはさておき、良之はこの時代の鰹節に不満がある。
堺で使われている鰹節は、どちらかというとまだ乾燥が足りないなまり節に近かった。
うまみはあるが、良之の知る鰹出汁まで、まだ到達していないのだ。
実際に産地を見ないと分からないので、是非見に行きたいと思っていた。
湯浅から印南浦までは海上約40km。
佐大夫の指示で、再び一行は船上の人になる。
印南浦に船を着けると、早速小者たちに頼んで網元を探す。
印南の助五郎と名乗る中年男があらわれ、自分がそうだと名乗った。
「鰹節をもっとおいしくする方法がある。一緒にやってみないか?」
と良之は持ちかけてみた。
だが、野次馬たちも助五郎も、ひとしきり笑ったあと、去って行ってしまった。
「こりゃあダメだな」
佐大夫は肩をすくめた。
「佐大夫さん、ありがとうございました」
雑賀に戻ると、良之は、つきあわせてしまった佐大夫に礼を言い、醤油を10升提供した。
そして、台所を借りて、佐大夫に鰹出汁と醤油のお吸い物を作って味を見てもらった。
自分が、なぜ醤油と鰹節にこだわったのか知って欲しかったのだ。
「いや、確かにこれはうめえ」
「本枯れ節さえ作れれば、もっとうまいんです」
がっかりした表情で良之は肩を落とした。
「時機もあるのさ御所様。鰹節の仕込みは5月頃だと思う。もう仕込もうにも鰹は捕れねえからな」
佐大夫は慰めた。言われればその通りかも知れないと、良之も思った。
だが、その頃はその頃で忙しく、おそらく見向きもされないだろう。
鰹節の焙燻仕込みは紀州ではじまったが、カビ付けは土佐ではじまり、本枯れは伊豆で完成した。
全て、必要が発明を生んでいる。
大量の鰹を腐らせないよう、一括して処理するために、燻製小屋での焙燻を発明した紀伊。
輸送中にカビて廃棄せざるを得なかった消費地から遠い土佐で、カビても品質が落ちるどころか、特定の白カビが付けばむしろうまみが凝縮させることに気づいた土佐。
さらに消費地から遠距離だったため、カビを落としてもまた発生し、それを数回繰り返すと、鰹節自体の熟成が進んで、従来のものとは比べものにならない品質になると気づいた伊豆。
物事には、そうして進んでいかねばならない事もある。と気づかされた気がした良之だった。
孫一は、もうすっかり元気になったようだが、万一のために良之は、佐大夫にポーションをふたつ手渡した。
「もう大丈夫と思いますが、念のため取っておいて下さい」
と、孫一のために特別に提供することをにおわせた。
「無闇に使うべきではないし、今後提供できるかも分かりません」
作れるか分かりませんから、というと、その希少さが理解出来たのだろう。佐大夫は、深く秘す事を約束した。
明日、旅立つと告げると、佐大夫はひどく名残惜しそうに一同を送り出してくれた。
ちなみに、雑賀でも、何かあったら情報を堺の皮屋に上げてくれると約束してくれた。
それと、湯浅の醤油屋についても、何くれなく面倒を見てくれると言った。
「いつか、今回のお礼を出来る時も来るだろう」
佐大夫はそんなことを言っていた。
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