第18話 堺へ 8
山崎からは十河民部に馬を3匹譲られ、騎乗で久我畷を北上。久我から吉祥院への渡しを利用し、あとは一路、二条邸を目指した。
二条の小者に伝馬の馬に飼い葉と水を付けてもらうと、一同は邸内に入った。
良之の帰京を関白に知らせると、関白は急いで帰宅した。
「帝がお待ちじゃ。急ぎ参内せよ」
その足で良之を連れ、禁裏に向かった。
「話は
どうやら、手紙の内容を関白や山科卿が根回ししてくれていたようだ。
帝は、純白の絹に五三の桐が描かれた天皇家の裏御紋を良之に下げ渡した。
「この紋を以て官許の証とせよ」
「ありがたき幸せにございます」
良之は深々と帝に頭を下げた。
「実は、今ひとつお諮りいただきたき儀がございます」
「申すが良い」
良之は、銅座を運用するにあたって、地下蔵人真継家が保有している利権と競合する可能性を示唆した。
このことはすでに、関白を通じて帝の耳にも入っている。
「そこで、将来の禍根を防ぐため、律令の改編をお願いいたしたく」
良之のプラン。
それは、現在木工寮に属している
「む……」
鋳銭司は元々
だが、木工寮は宮内省、内匠寮は中務省に属しているため、移すにはそれなりの政治的配慮が必要となる。即答は難しい。
「典鋳司は元来、大蔵省に属した部門ゆえ、旧に復すという事で問題はありますまい」
問題は鍛冶司のようだった。
利権がある。
「結論は急ぎませぬゆえ、是非ともお諮り下さいますようお願い申し上げます」
良之は再び平伏して願った。
その後、海外に輸出されている棹銅から南蛮絞りで銀を絞り出す実験を堺で行い、300グラムの棹銅200本から、四匁に迫る銀を分離した話を帝と関白に伝える。
「なんと、それほどとは……」
帝も関白も驚いた。
さらに、良之は大蔵卿を望む理由を説明した。
「官許の分銅?」
「はい」
分銅。天下を統一したあと徳川家康の政策として登場した「後藤分銅」を良之は念頭に置いている。
「金や銀、銅といった貴金属を流通させる場合、日本全国あまねく平等で公平な取引をさせるには、度量衡の統一が不可欠。そこで、畏れ多くも官許の分銅を普及させれば、民も金屋や銭替えを疑うことなく取引が出来るようになります」
「ふむ、なるほど」
帝もうなずいた。
「これには、もう一つ大きな効果があります」
「取引の円滑化以外にか?」
「はい」
良之はいった。
「そのような政策を広めることで、畏れ多くも皇家の威信もまた、全国にあまねく広がりましょう」
分銅によって、公平な取引を図ってくれたのが朝廷であり、その分銅を官許で制作・管理するとなれば、分銅を見るたびに、商人も、庶民も、朝廷について思いを馳せるようになる。
良之はそう説明した。
「なにより、商人が分銅を使う。その分銅自身を誰も信用しなければ、何を信じたらいいのでしょう? 分銅には権威が必要であり、権威は、今の世では朝廷以外にございません」
良之の説明に、帝も関白も心が沸き立った。
「あい分かった。この件、考え置く」
帝はそう言ってこの件を預かった。
翌朝。
良之は関白、山科卿を伴って九条邸に逗留する三好筑前守長慶と、主の九条植通を訪ねた。
「筑前殿、このたびは京の安寧を護る戦のご勝利、おめでとうございます」
関白が改めて三好筑前に祝賀を述べる。
「御所様、このたびは婿殿の武功、おめでとうございます」
良之は、初対面の名乗りの後、九条植通にそう付け加えた。
ちなみに、御所号は摂家の当主に許された尊称である。
「これはこれは、少将殿。先だっては大層なお言伝を頂戴し、感謝いたす」
これは、良之が送った砂金100両への礼だ。
一通り一同があいさつを終えたあと、良之は本題に入る。
「実はこのたび、この身は帝より銅座、鋳銭の任を賜りました。つきましては、堺なる市のほとり、遠里小野と船尾、このふたつの土地にて銅座を営む事を、筑前守殿にお願いいたしたく参上仕りました」
どちらも筑前の勢力圏である。
官位は良之の方が上だが、実権は筑前が握っている。このあたりのバランスが難しい。
「遠里小野は分かるが、船尾?」
遠里小野は大山崎の油座より古く、油の生産で有名だった。この時代は山崎の荏胡麻油に敗れ、衰退している。
筑前の認識では船尾は猟師の村だ。水利はいいがあまりに農耕に適さぬ湿地帯で、金属加工業に向くとはとても思えない。
「実はこのたびの銅座の一件。あまり堺に近すぎますと不都合があると考えております」
堺は本来、商人たちの自治で運営されている。
そのことは、権力者である筑前守にとってもあまり愉快なことではなかった。
独立勢力が武力を持って自身の勢力圏に盤踞しているというのに近い。
国人のように従ってくれればそれでもいいのだが、彼らは、要求しなければ税すら納めない。言うまでもなく、合戦に際して兵も出さない。
だから、良之が「堺とは距離を置きたい」という話をすると、筑前には良く理解出来た。
それだけでなく、共感も持った。
九条植通と三好筑前に良之は、包み隠さず銅座の目的と意義について説いた。
「棹銅200から銀四匁……。はて? それでは労力や費えに対し、あまり利があがらぬのではないか?」
さすがに巨大組織を運営する戦国大名。筑前は直感的に、この事業が営利目的ではなさそうだと気がついたのだ。
「はい。ですが、この日の本の富、という点を見ますと、明や南蛮に奪われていた銀を国内に残すことにつながります。これは、今はこの身や朝廷に利益がなくとも、いつの日にか必ず、民のためにつながりましょう」
「……なるほど」
無策に海外に持ち出されてしまっている財産を国内にとどめる。
その意義は、植通にも筑前にも理解してもらえた。
「よろしいでしょう。遠里小野と船尾の地、銅座のために使うことを承知仕りました」
「忝く存じます。それと今ひとつ、筑前守殿にお願いがあります」
良之は、船尾を干拓し銅座に仕えるようにするため、信太山から土を運ぶことと、その作業に民を動員することを願い出た。
「無論、労役ではなく全ての民に賃金を支払います」
「夫役に狩り出すのでなければ問題はありますまい」
こちらの件についても、了承を得ることが出来た。
どちらについても、後日良之は抜け目なく筑前守に一筆認めさせている。
後になって、難癖を付けて運上金など要求されては堪らないからだ。
「それにしても、報国のため、利ではない事業を志されるとは、少将殿は天晴れなものよ」
九条植通はしきりに感心している。
「無論、持ち出しが多くてはいずれ立ちゆかなくなってしまいます。何らかの利益が望めるよう、考えて参りたいと思います」
「良い心がけじゃ。励まれよ」
こうして、九条植通も三好筑前守も快く送り出してくれた。
帝からの勅許、三好長慶からの認め状を待つ間、良之は京の金屋などを見て歩いた。
その技術などを分析し、ついでにのろやカラミなどの廃棄物もしっかり頂戴している。
さらに、寺社の焼け跡などを歩き、がれきや土中に埋もれた財宝の類いを集めて歩いた。
どちらも、今後の軍資金として活用するつもりではあるが、今のところは<収納>の中で眠らせている。
「それにしても、良之様のその術はすごいですね」
フリーデは、いつもの事ながら、焼け跡から金銀、銅と言った金属を回収する術を見て感心している。
「出来れば二人にも覚えて欲しいんだけどね」
良之が言うと、フリーデとアイリは苦笑して首を横に振る。
「出来たとしても、到底魔力が足りません」
アイリが言うと、フリーデは少し考え、
「おそらくですが、良之様の治療の触媒に使った<賢者の石>が、何らかの作用を起こして、今の良之様の膨大な魔力の源になっているのでしょう」
といった。
寺社の焼け跡には、意外に多量の金属が埋もれている。
当然寺の鐘、屋根の銅、倉の財宝などは雑兵、あるいはその後庶民たちによってすでに持ち去られている。
だが、隠されていた財宝や焼け落ちた瓦などによって埋もれ、誰にも気づかれずにいた金属類。それに、溶けて変形し、価値を失った銅銭や銅製の器具など、実に様々な金属類が潜んでいた。
結果として、上京の名刹の跡地を数日探索しただけで、良之は数万両に匹敵する財貨を得た。
かなりの割合で、再加工しなければ使えない状態ではある。
遠里小野や船尾に銅座が出来ればそこでリサイクルに回せるのだろうが、良之のプランでは、後事を武野紹鴎に委ねて、早く紀伊に旅立ちたい。
まだ現状では、河原から抽出した砂金の方が、即効性のある資産だった。
数日後。後奈良帝から、勅許が降りた。
苦労してやっと儲けの種を育てたであろう真継家からは、暗に様々な妨害を受けたようだが、それが帝の不興を買った。
真継を筆頭に、数家の地下人が勅勘を被って追放された。
いずれも、金属加工、つまり鋳物、鍛冶に利権を持つ蔵人を世襲する一族だった。
「二条三位少将良之」
「はっ」
「正三位にとりあげ、参議、大蔵卿に補す」
「しかと承ります」
「併せ、大蔵省に鍛冶司、典鋳司、鋳銭司を併合し、金銀、銅鉄について監督せよ」
「はっ」
異例の出世に宮中はざわめいた。
だが、このあとすぐに堺に戻った良之の代わりに二条関白と山科中納言。それに前関白九条植通らの周旋によって、やがて落ち着きを取り戻した。
良之は三好筑前守からも遠里小野、船尾の土地の所有権を認められ、その安堵を約束された。
今回の帰京での交渉は、ほぼ満額回答を得られたと言って良い。
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