しるべの石

九藤 朋

しるべの石

 しるべの石を置きませう。


 山にも海にも近い私たちの集落で昔から言い習わされてきた言葉だ。

 なぜか水子の多い土地柄。

 積もった母の悲嘆を汲んでか、亡くなった子が浄土まで迷わず、また、再び胎内に戻る道にも迷わぬよう。

 人々は道すがら、拾っておいた石をポッケから、或いは華奢なバッグから取り出して、路傍にそっと置くのだ。

 それと判る石には誰も触れない暗黙の了解がある。

 悲哀の闇を、軽軽とは誰しも語らぬように。

 私の兄と姉も水子となった。

 今日は晩秋の曇天で少し冷えているらしく、そんなことに思いを馳せると心持ちまで曇天に連れてゆかれる。

 母はただ一人、無事に生まれた私を真綿にくるむようにして大事に育て上げてくれた。

 しかし私は母の厚い情愛に狂気の欠片を見ていた。

 もう亡くすまいという必死の妄執は、私個人を素通りした感情の発露であった。

 私は私を見て欲しかったのだ。

 母が聴けば、怒る前にきょとんとするだろう。

 こんなに大事にしてやったのに、何を言っているんだろう、この子は。

 そう思われるであろうし、そうした類の答えが返るだろう。


 曇天だ。


 曇天の空を、暖められた室内から、布団に横たわった私は眺める。

 もうだいぶ膨らんだお腹を時折り、さすりながら。

 漁の按配はどうであろうか。

 漁師である夫は海に出る度、新鮮な魚介を持ち帰ってくれるが、生憎とつわりの酷い私には余り食べられない。

 そんなことではいけないよ。

 流れでもしたらどうするの。

 眦を吊り上げた母は言う。


 お母さん。


 あなたの中には、今も熾火が燃えているのですね。

 子を喪った無念と。

 それを成さしめた現の全てと。

 それからこの山海の神にまで。


 あなたは怒りを抱いて燃やした。

 昏き炎はあなたの身の深く、深くにまで宿り。

 あなたは私の他に、それを胎内に宿らせていた。


 母は外出する時、ハンドバッグに、買い物袋に、巾着に、しるべの石をたくさん詰める。

 もしかしたら石を置くことこそが出かける目的ではないかと思える程に。


 私の胎内に在る命よ。

 どうか無事に生まれておくれ。

 私のこの腕に抱かれ、私を母としておくれ。


 私は恐ろしいのだ。

 母と同じく子を流し、母と同じく熾火を抱え、母と同じくしるべの石を置くことに執心する自分となることが。


 あれは悲しい生き物だ。

 この集落に数多、存在する悲しい生き物だ。


 窮屈で狭く閉鎖的な集落の呪縛も。

 元気な赤子の産声が続けばきっと解けよう。

 その先駆けとなろうと思う程に大それた考えは無いが。


 今も胎動する小さな生命よ。

 あなたを待っている。


 人々の悲しい優しさと祈りで置かれたしるべの石を辿り、この世に生まれ来ておくれ。

 醜いものも辛いことも多い。

 けれど美しいものもきっと教えてあげるから。


 曇天を見上げて祈る。




 しるべの石を置きませう。



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しるべの石 九藤 朋 @kudou

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