10 異境の神

「こ、こっちなのです……」


 不承不承といった面持ちで先導をはじめたフェムの後ろを、レイジとスライアの両名が歩いていく。

 フェムの歩みに迷いは無く、森の中を順調に進んでいく。


「……ど、どういうこと、レイジ? 彼女、迷子じゃなかったわけ?」

「じゃ、なさそうだな」


 視界の端に表示されている正体不明の拡張臓器サイバーウェアを〈フェム〉と記名し直しつつ、レイジはそう答える。念話通信が可能であるということ以外、何もかもが不明だった。

 考えていてもらちがあかない。

 彼女の正体について、気になっていたことをスライアへ問う。


「フェムみたいな姿の奴は、お前も見たことがないのか? その、ここについての話なんだが」


 ここ、と言いながら自分の耳を指さす。

 彼女がフェムの耳について触れなかったのは、自身の過去を顧みてのことだろうか。ともあれ、訊かねば疑問は解消しない。

 彼女はこくりとうなずいた。


耳長みみながの存在について、噂程度には聞いたことはあるけれど……実際に見るのはこれが初めてよ。まさか実在するとは思ってなかった。おとぎ話の中には、よく出てくるわ」

「そういうものか。俺からすれば、亜人種デミスが存在してる時点でまるっきりファンタジーなんだがな」

「帝国の亜人種デミス獣人スロウプがほとんどだから慣れてないでしょうけど、彼女も亜人種デミスよ。そもそも真人ヒュマネスに照らし合わせて、違う点のあるはみんな亜人種になる」

「それなら、俺もどっちかって言えば亜人種デミスだな」


 苦笑する。手術を施されていない常人プレーンこそが真人ヒュマネスの基準であるならば、副脳の埋まった自分は亜人に違いなかった。

 そんな会話の最中さなか、前を行くフェムが相変わらず〈独り言〉を漏らしていた。


嗚呼ああ、どうしてこんなことになってしまったのでしょう。この野蛮人、見るからに悪人面をしてやがるのです。いたいけな美少女を捕まえて里の場所を吐かせた後は「そらそら褒美ほうびをくれてやろう」とかなんとか言ってあんなことやこんなことをするつもりに違いねーのです。その後も――》

《馬鹿げたこと言ってないで案内してくれ》


「うひぇッ!? きゅ、急に話しかけてくるんじゃねーのです! 驚き死んだらどうするつもりなのですか!?」

「……ねえレイジ、この子何言ってるの? さっきから、どう考えても変じゃない?」

「あー、なんて言えば良いか……。言っちまえばこいつも〈魔術師ウィザード〉なんだよ。だから、口に出さなくても話ができる。そんな感じだ」

「それ、さっきもフェムと二人で話してたってこと?」

「まあ、平たく言えばな。話してたっていうより、独り言に口を挟んだって方が正しいが……どうした?」

「……いや、別になんでもないわ。私だけ仲間はずれにされて寂しいとか、ちっとも思ってないから。これっぽっちも思ってない」

「お前、案外わかりやすいね方するんだな」

「拗ねてない」

「いやでも」

「拗ねてない」


 スライアはそれで会話を打ち切って足を速めた。フェムの横について歩き始める。


《……おかしいですね。この辺りまでくれば、誰かしらいるはずなのですが》


 そこまで思考を漏らしてからフェムは慌てたように目をつむり、念話通信を遮断する。演技には見えない。罠にはめようというわけではなさそうだ。


 そんな折だった。


《――生体反応があります。人間大の物が一つ、いえ、四――訂正、現在その数九。囲まれているようです》

《ッ、!》


 メルの警告じみた報告に、すぐさま判断を下す。

 指示にメルが変形しつつ首元へと接近。伸縮性合金のベルトが首を這い、半円筒の機体が延髄部に固定された。


 一瞬の視界暗転。


 完全接続フルリンクが完了し――鋭さを帯びた知覚が周囲の状況をつぶさにとらえる。


 木枝の上、幹の分け目、草むらの中。

 メルの熱源探知機サーマル・センサーによって色づけされた視界が、彼らの姿を認めていた。

 加えて、電子拡張された視界の端に通信可能機器の表示が急増する。それらはいずれも文字化けしていた。フェムのことがなければ皮質回路デカールの不良を疑っただろう。


 認識できた相手の数は十三。いずれも半身になって、こちらに片手を向けている。


 彼らが手に持っているのは、小ぶりのだ。


(まずい!)


 そこから先は反射に近かった。


「敵だッ!」


 叫び、先を行く二人へと一足飛びに近づく。その間に予備演算を済ませ、疑似斥力場の生成座標を確定。脳内で命令コマンドをたたき込んだのは、矢が放たれる直前だった。


 ――重力制御機構アドグラヴ、起動。


《……今だ! 総員、放て!》


 全帯域解放フルバーストの念話通信。それに呼応するように、一斉に矢が射かけられた。


 時を同じくして重力子が半球ドーム状に偏極を開始。

 殺到する矢は軌道を逸らされ、あらぬ方向に飛んでゆく。

 疑似斥力場ではじききれなかった先鋒の一矢を手刀しゅとうでたたき落とした。手の皮が薄く裂ける。


「なっ、ななっ、なんなのです!?」

「フェム! 私の後ろに!」


 頭を抱えてうろたえるフェムをかばうように、スライアが臨戦態勢に入った。


「先走るなよスライア、弓持ちに囲まれてる。守りだけ考えろ」

「……わかってる」

 なんとか無傷で乗り越えられたが、安心する間もなく先方は第二波を用意していた。


《怯むな! 少々狙いが逸れただけのことだ! 人に過ぎぬなら、射続ければいずれ死ぬ!》


 念話通信が筒抜けだが、あまり聞きたくない会話だった。これで、相手に諦めるつもりが無いことがわかってしまったのだから。

 メルのエネルギー残量を視覚化。休憩中ので多少は回復したものの、落下時の使用で大部分を消費していた。


 あと二、三回ならばしのげるが、それが過ぎれば打つ手が無くなる。


 重力制御機構アドグラヴを用いて攻めるにしても、一斉にスライアやフェムを狙われれば厳しい。せめて相手の数が半分ならば、なんとかなったのだが。

 こちらに有効な遠距離攻撃の手段は無い。投石で応戦するにも数が多すぎる。


 頬を汗が伝う。状況を打破する方法を考え続ける。


《フェムには当てるな。あれでも同胞だ。――総員、構え!》


 またも弓が向けられる。矢がつがえられ、弦が引き絞られる。


《よし――》


 号令と共に、矢が放たれようとした、その時だった。


《――やめなさい! 射かけてはなりません!》


 どこからともなく新たなが聞こえてきた。


 先ほどの号令と同じく全帯域に向けられた念話通信。


 それを受けた何人かの射手は弓を下ろしたが、いまだに弦を引いたままの者もいる。相手にとってもこの展開は予想外だったのだろう。


《しかし首長、奴らはフェムをかどわかそうと――》

《招き入れよとの託宣たくせんです。拒否は許されません。……あるじがそう望まれている》


 何やらもめているようだが、ともあれ攻撃はんだ。


《主が……!? それはいったい……》

《彼らの元へは私がきます。下がっていてください》


 首長と呼ばれた男――少なくとも声紋は男のそれだ――がそう指示し、念話が途切れた。


 次いで、足音が近づいてくる。一人だ。

 警戒を強めるスライアを手で制して、レイジは前へ出た。


 しかし、そこで違和感に突き当たる。


 メルの光学センサーが彼らを認識できていなかったのだ。機能の不良かと考えて、一時的に自前の視覚に戻す。それでも結果は同様だった。

 メルの音源探知機パッシブ・ソナー熱源探知機サーマル・センサーの性能は決して良くはない。それでも、彼らの足音や体温はしっかりと捉えている。


「落ち着いて聞いていただきたい。私に敵意はありません。……どうか、剣をおさめて欲しい」


 物理的に、そんな声が聞こえた。そちらを見て、気付く。

 注視しなければわからない程度に光が屈折していた。人間大の透明な薄膜が存在しているかのように、空間が微妙に歪んでいる。


 背後のスライアが音源へ剣を向けたまま、それに答える。


「姿も見せずに矢を射かけておいて、いまさら敵意が無いだなんて言われても、そう簡単には信用できない。せめて身をさらしなさい。それが人同士のやりとりと言うものでしょう?」


「……これは失礼を。どうかお許しください」


 今思い至った、という口調で男は答える。

 ばさり、という音と共に、相手は姿を現した。

 長めの金髪を後頭部で束ねた、白肌の男だ。彼もまたフェムと同じくエルフのような耳を有していた。どちらかと言えばより〈エルフ〉のイメージに近いだろう。

 目は瞳が見えないほどに細いが、口角がわずかに上がっており、柔和な印象を受ける。

 彼の耳にはもちろん目を引かれるが、それ以上に奇異なのは、彼が今しがた脱いだ、布のようなモノだった。

 右手に掴まれているのだが――その下にあるはずの右足が、綺麗に景色と同化している。

 それを見て、彼の姿が見えなかった理由を悟る。


(光学迷彩か……!?)


 軟素材のディスプレイに周囲の風景を写すか、あるいは光の屈折を変化させることで、背景と同化する光学迷彩。開発途中にあると噂されていたが、実物を見るのはこれが初めてだ。


「まずはおわびいたします。一方的に貴方がたを外敵と認定して攻撃を行った非礼、お許しいただきたい」


 男は左手を胸にあて、右手をこちらに伸べてきた。

 手の甲を上にした形で、握手を求めている風でもない。


「ジルコと申します。里の者は皆、スウテフィークの姓を名乗っていますから、正式に名乗るならジルコ・スウテフィークと言うべきでしょうか」

「レイジ。早川怜治ハヤカワレイジだ」

「スライア・ヘリェルテリアよ」


 剣をおさめたスライアが自分に続いて名乗る。

 先日聞いた話だが、彼女が持つ父祖ふその姓「ソルデユルザ」は、他国にも知る者が多くいるらしい。母方の姓を名乗ったのは警戒を兼ねてのことなのだろう。

 名乗った二人を見たジルコは手を伸ばしたまま、しばし何かを待っているようだったが――やがて姿勢を元に戻した。


「申し訳ありません。手荒な真似をするつもりは無かったのですが……。仲間を人質に取られたと思って、彼らも頭に血が上っていたようです。なにとぞ、ご容赦のほどを」


 そう言って、ジルコは深々と頭を下げた。


「重ねてお礼を。フェムを連れ戻してくださり、感謝いたします」

「……連れ戻す?」


 それに反応したのはスライアだった。


「よく家出をする子でしてね。なかなか困ったものです。日暮れまでには帰ってきますが、野獣に襲われないとも限りませんからね。そのたび探しに出るというわけで」


 困ったようにジルコは言う。フェムに視線を向ければ、彼女はバツの悪そうな表情で顔を背けていた。


《――さあ、皆さんも隠れ布は外してください》


 ジルコが発した念話通信を受けて、奥に待機していた人影も一斉に光学迷彩の布を脱ぎ去った。

 彼らも長い耳を有している。髪色は黒や金、赤毛とバラついているが、肌は一様に白かった。いずれも小ぶりな複合弓コンポジットボウで武装している。


「さて、レイジ。早速なのですが、我らと共に来ていただきたい。お詫びと言ってはなんですが、心ばかりのもてなしをさせていただきます」

「待った。その前に――」


 ジルコの言葉に答えつつ、今しがた来た方向を指さす。


「むこうに巨猪ボルフェイの肉がある。加工してくれるなら半分やるから、虫がたかる前に持って行ってくれ」


《巨猪だと!?》

《まさか狩ったのかよ。他に仲間がいるようにも見えないんだけど》

《待て、妙な球を従えている。先ほどの障壁といい、奴は魔術師ウィザードなのではないか?》

《――では、あれが?》

《そうか、それなら得心とくしんがいく》


「では、リクスとイルエートは組の者を連れて巨猪の元へ。ギィはライルと共に道具をそろえて来なさい。後から二人ほど追加させますが、人手が要るようでしたら声をように」


 声も無く耳長たちに、ジルコは鷹揚に指示を下した。



   ●



 肉を処理するため、にわかに人員が動き出す。

 若干の騒がしさを得た場の中で、ジルコが話しかけてきた。


「――レイジ。貴方は少々、特別な魔術師ウィザードらしいですね。その黒い〈遺産〉を介して話すというだけでも十分に奇異ですが、それ以上に、我々と近い部分があるようだ」

「……驚いたな、わかるのか。何も話してないはずだが。もちろん、そこの小さいのもない」


 小さいの、と呼ばれたフェムが「表にでやがれです」とつぶやく、そちらに視線をやると、慌ててジルコの後ろに隠れた。《ばーかばーか。この〈該当する概念が存在しません〉、さっさと〈該当する概念が存在しません〉のです》と念話通信を飛ばしてくる。

 念話通信はジルコにも聞こえているのか、彼はばつが悪そうに額を抑えた。どうも相当に口汚い罵倒を飛ばされたらしい。フェムを無視する形で質問に答える。


「もちろん、ただの魔術師ウィザードであれば私にもわかりません。ですが――」

《これが聞こえるのでしょう?》


(――やっぱりバレてたか)


 うなずいてやると、彼は不思議そうにこちらを見つめた。


「貴方、耳長エルフの血が混じっているのですか? 半亜人クオルタほどではなくとも、祖先にそのような者がいたとか、そんな話は……」

「無いな。それに関しては断言できる」


 考えるまでもなく、そもそも混じりようがない。

 ジルコは深くうなずいた。


「興味深いことです。一度、じっくりお話をさせていただけませんか?」

「まったく同感だな。正直、俺にとってはアンタ達の存在が不思議でしょうがない」

「はっは、よく言われます。耳長エルフと通じている真人ヒュマネスは、そう多くはありませんがね」


 どうやら彼は他の人々に比べていささか好奇心が強いらしい。

 その後ろから、痩身の男が声をかける。


「……ジルコ。その辺にしておけ。先にするべきことがあるだろう」

「あぁ、そうでした。私としたことが。――レイジ、スライア、こちらへ」

「どこに行くんだ?」

「我らがあるじの元へお連れします。もとより、貴方がたを招き入れたのは、あのお方のご意志ですから」

「主? アンタが首長だって、さっき気がするが――」

「ええ、それは間違いありません。この里の首長は私です」

「なら、主ってのは?」

「そうですね、言うなれば――」


 問いにジルコは振り向いて、穏やかな笑みを浮かべた。


「――神の遣い、でしょうか」


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