10 異境の神
「こ、こっちなのです……」
不承不承といった面持ちで先導をはじめたフェムの後ろを、レイジとスライアの両名が歩いていく。
フェムの歩みに迷いは無く、森の中を順調に進んでいく。
「……ど、どういうこと、レイジ? 彼女、迷子じゃなかったわけ?」
「じゃ、なさそうだな」
視界の端に表示されている正体不明の
考えていてもらちがあかない。
彼女の正体について、気になっていたことをスライアへ問う。
「フェムみたいな姿の奴は、お前も見たことがないのか? その、ここについての話なんだが」
ここ、と言いながら自分の耳を指さす。
彼女がフェムの耳について触れなかったのは、自身の過去を顧みてのことだろうか。ともあれ、訊かねば疑問は解消しない。
彼女はこくりとうなずいた。
「
「そういうものか。俺からすれば、
「帝国の
「それなら、俺もどっちかって言えば
苦笑する。手術を施されていない
そんな会話の
《
《馬鹿げたこと言ってないで案内してくれ》
「うひぇッ!? きゅ、急に話しかけてくるんじゃねーのです! 驚き死んだらどうするつもりなのですか!?」
「……ねえレイジ、この子何言ってるの? さっきから、どう考えても変じゃない?」
「あー、なんて言えば良いか……。言っちまえばこいつも〈
「それ、さっきもフェムと二人で話してたってこと?」
「まあ、平たく言えばな。話してたっていうより、独り言に口を挟んだって方が正しいが……どうした?」
「……いや、別になんでもないわ。私だけ仲間はずれにされて寂しいとか、ちっとも思ってないから。これっぽっちも思ってない」
「お前、案外わかりやすい
「拗ねてない」
「いやでも」
「拗ねてない」
スライアはそれで会話を打ち切って足を速めた。フェムの横について歩き始める。
《……おかしいですね。この辺りまでくれば、誰かしらいるはずなのですが》
そこまで思考を漏らしてからフェムは慌てたように目をつむり、念話通信を遮断する。演技には見えない。罠にはめようというわけではなさそうだ。
そんな折だった。
《――生体反応があります。人間大の物が一つ、いえ、四――訂正、現在その数九。囲まれているようです》
《ッ、繋げ!》
メルの警告じみた報告に、すぐさま判断を下す。
指示にメルが変形しつつ首元へと接近。伸縮性合金のベルトが首を這い、半円筒の機体が延髄部に固定された。
一瞬の視界暗転。
木枝の上、幹の分け目、草むらの中。
メルの
加えて、電子拡張された視界の端に通信可能機器の表示が急増する。それらはいずれも文字化けしていた。フェムのことがなければ
認識できた相手の数は十三。いずれも半身になって、こちらに片手を向けている。
彼らが手に持っているのは、小ぶりの弓だ。
(まずい!)
そこから先は反射に近かった。
「敵だッ!」
叫び、先を行く二人へと一足飛びに近づく。その間に予備演算を済ませ、疑似斥力場の生成座標を確定。脳内で
――
《……今だ! 総員、放て!》
時を同じくして重力子が
殺到する矢は軌道を逸らされ、あらぬ方向に飛んでゆく。
疑似斥力場で
「なっ、ななっ、なんなのです!?」
「フェム! 私の後ろに!」
頭を抱えてうろたえるフェムをかばうように、スライアが臨戦態勢に入った。
「先走るなよスライア、弓持ちに囲まれてる。守りだけ考えろ」
「……わかってる」
なんとか無傷で乗り越えられたが、安心する間もなく先方は第二波を用意していた。
《怯むな! 少々狙いが逸れただけのことだ! 人に過ぎぬなら、射続ければいずれ死ぬ!》
念話通信が筒抜けだが、あまり聞きたくない会話だった。これで、相手に諦めるつもりが無いことがわかってしまったのだから。
メルのエネルギー残量を視覚化。休憩中の日光浴で多少は回復したものの、落下時の使用で大部分を消費していた。
あと二、三回ならばしのげるが、それが過ぎれば打つ手が無くなる。
こちらに有効な遠距離攻撃の手段は無い。投石で応戦するにも数が多すぎる。
頬を汗が伝う。状況を打破する方法を考え続ける。
《フェムには当てるな。あれでも同胞だ。――総員、構え!》
またも弓が向けられる。矢がつがえられ、弦が引き絞られる。
《よし――》
号令と共に、矢が放たれようとした、その時だった。
《――やめなさい! 射かけてはなりません!》
どこからともなく新たな声が聞こえてきた。
先ほどの号令と同じく全帯域に向けられた念話通信。
それを受けた何人かの射手は弓を下ろしたが、いまだに弦を引いたままの者もいる。相手にとってもこの展開は予想外だったのだろう。
《しかし首長、奴らはフェムを
《招き入れよとの
何やらもめているようだが、ともあれ攻撃は
《主が……!? それはいったい……》
《彼らの元へは私が
首長と呼ばれた男――少なくとも声紋は男のそれだ――がそう指示し、念話が途切れた。
次いで、足音が近づいてくる。一人だ。
警戒を強めるスライアを手で制して、レイジは前へ出た。
しかし、そこで違和感に突き当たる。
メルの光学センサーが彼らを認識できていなかったのだ。機能の不良かと考えて、一時的に自前の視覚に戻す。それでも結果は同様だった。
メルの
「落ち着いて聞いていただきたい。私に敵意はありません。……どうか、剣をおさめて欲しい」
物理的に、そんな声が聞こえた。そちらを見て、気付く。
注視しなければわからない程度に光が屈折していた。人間大の透明な薄膜が存在しているかのように、空間が微妙に歪んでいる。
背後のスライアが音源へ剣を向けたまま、それに答える。
「姿も見せずに矢を射かけておいて、いまさら敵意が無いだなんて言われても、そう簡単には信用できない。せめて身をさらしなさい。それが人同士のやりとりと言うものでしょう?」
「……これは失礼を。どうかお許しください」
今思い至った、という口調で男は答える。
ばさり、という音と共に、相手は姿を現した。
長めの金髪を後頭部で束ねた、白肌の男だ。彼もまたフェムと同じくエルフのような耳を有していた。どちらかと言えばより〈エルフ〉のイメージに近いだろう。
目は瞳が見えないほどに細いが、口角がわずかに上がっており、柔和な印象を受ける。
彼の耳にはもちろん目を引かれるが、それ以上に奇異なのは、彼が今しがた脱いだ、布のようなモノだった。
右手に掴まれているのだが――その下にあるはずの右足が、綺麗に景色と同化している。
それを見て、彼の姿が見えなかった理由を悟る。
(光学迷彩か……!?)
軟素材のディスプレイに周囲の風景を写すか、あるいは光の屈折を変化させることで、背景と同化する光学迷彩。開発途中にあると噂されていたが、実物を見るのはこれが初めてだ。
「まずはおわびいたします。一方的に貴方がたを外敵と認定して攻撃を行った非礼、お許しいただきたい」
男は左手を胸にあて、右手をこちらに伸べてきた。
手の甲を上にした形で、握手を求めている風でもない。
「ジルコと申します。里の者は皆、スウテフィークの姓を名乗っていますから、正式に名乗るならジルコ・スウテフィークと言うべきでしょうか」
「レイジ。
「スライア・ヘリェルテリアよ」
剣をおさめたスライアが自分に続いて名乗る。
先日聞いた話だが、彼女が持つ
名乗った二人を見たジルコは手を伸ばしたまま、しばし何かを待っているようだったが――やがて姿勢を元に戻した。
「申し訳ありません。手荒な真似をするつもりは無かったのですが……。仲間を人質に取られたと思って、彼らも頭に血が上っていたようです。なにとぞ、ご容赦のほどを」
そう言って、ジルコは深々と頭を下げた。
「重ねてお礼を。フェムを連れ戻してくださり、感謝いたします」
「……連れ戻す?」
それに反応したのはスライアだった。
「よく家出をする子でしてね。なかなか困ったものです。日暮れまでには帰ってきますが、野獣に襲われないとも限りませんからね。そのたび探しに出るというわけで」
困ったようにジルコは言う。フェムに視線を向ければ、彼女はバツの悪そうな表情で顔を背けていた。
《――さあ、皆さんも隠れ布は外してください》
ジルコが発した念話通信を受けて、奥に待機していた人影も一斉に光学迷彩の布を脱ぎ去った。
彼らも長い耳を有している。髪色は黒や金、赤毛とバラついているが、肌は一様に白かった。いずれも小ぶりな
「さて、レイジ。早速なのですが、我らと共に来ていただきたい。お詫びと言ってはなんですが、心ばかりのもてなしをさせていただきます」
「待った。その前に――」
ジルコの言葉に答えつつ、今しがた来た方向を指さす。
「むこうに
《巨猪だと!?》
《まさか狩ったのかよ。他に仲間がいるようにも見えないんだけど》
《待て、妙な球を従えている。先ほどの障壁といい、奴は
《――では、あれが?》
《そうか、それなら
「では、リクスとイルエートは組の者を連れて巨猪の元へ。ギィはライルと共に道具をそろえて来なさい。後から二人ほど追加させますが、人手が要るようでしたら声を飛ばすように」
声も無くざわめく耳長たちに、ジルコは鷹揚に指示を下した。
●
肉を処理するため、にわかに人員が動き出す。
若干の騒がしさを得た場の中で、ジルコが話しかけてきた。
「――レイジ。貴方は少々、特別な
「……驚いたな、わかるのか。何も話してないはずだが。もちろん、そこの小さいのも考えてない」
小さいの、と呼ばれたフェムが「表にでやがれです」とつぶやく、そちらに視線をやると、慌ててジルコの後ろに隠れた。《ばーかばーか。この〈該当する概念が存在しません〉、さっさと〈該当する概念が存在しません〉のです》と念話通信を飛ばしてくる。
念話通信はジルコにも聞こえているのか、彼はばつが悪そうに額を抑えた。どうも相当に口汚い罵倒を飛ばされたらしい。フェムを無視する形で質問に答える。
「もちろん、ただの
《これが聞こえるのでしょう?》
(――やっぱりバレてたか)
うなずいてやると、彼は不思議そうにこちらを見つめた。
「貴方、
「無いな。それに関しては断言できる」
考えるまでもなく、そもそも混じりようがない。
ジルコは深くうなずいた。
「興味深いことです。一度、じっくりお話をさせていただけませんか?」
「まったく同感だな。正直、俺にとってはアンタ達の存在が不思議でしょうがない」
「はっは、よく言われます。
どうやら彼は他の人々に比べていささか好奇心が強いらしい。
その後ろから、痩身の男が声をかける。
「……ジルコ。その辺にしておけ。先にするべきことがあるだろう」
「あぁ、そうでした。私としたことが。――レイジ、スライア、こちらへ」
「どこに行くんだ?」
「我らが
「主? アンタが首長だって、さっき聞いた気がするが――」
「ええ、それは間違いありません。この里の首長は私です」
「なら、主ってのは?」
「そうですね、言うなれば――」
問いにジルコは振り向いて、穏やかな笑みを浮かべた。
「――神の遣い、でしょうか」
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