3 しかして世俗は虚言を崇め

 フレイヴェイ・リュケイアンテは母を知らない。

 その事実を知ったのは、自分が成人した日のことであった。

 それまで自分が母として接していた女性は、実のところ本当の母ではない。そんな話を父から告げられた。

 母の名は、その時父から聞いた。

 しかし、顔も知らなければ抱きしめてもらった記憶もない。

 帝国の貴族社会ではよくある話だ。

 貴族の男が戯れに平民と一夜を共にした。そうして両者の間に子供ができるという話は、珍しくもなかった。

 だが――自分の立場は極めて特異なものである。

 そうした出自を有するにもかかわらず、自分は何故か家の末席に加えられたのだから。

 フレイヴェイの来歴は、家の外にはほとんど知られていないことではあるが、いずれにせよ異例の判断であることは確かだ。

 自分には、父の考えがわからない。

 母への愛からか。それとも、贖罪の念がそうさせたのか。

 あるいは『血筋の者を野放しにしておけば後々の禍根になる』と考えての保身か。

 自分が男児でなければ、こんなことにはならなかったのかもしれない。自分が女であったなら、そのまま『母』と共にどこかで暮らしていたのかもしれない。

 自分が家の者として迎え入れられたことは、本当に喜ぶべきなのか。

 未だに答えは出ない。生活に不満などは無かったし、成人まで楽に生きてこられたというだけで、上々ではある。

 家督を継ごうなどとは思っていない。兄たちと争い事が起きるのも面倒だ。

 だが、それならば、自分がリュケイアンテのかばねを負っていることの意味とは、一体なんなのだろうか。

 ただ、形ばかりの家名を用いて楽に生きてきた。

 明確な帰属先などは無く、ただ人生を受け流してきた。

 ならば、この身は――





「こ、ここまで来りゃ、あいつらも諦めてくれんだろ……?」


 右へ左へ逃げ回り走り続けて――たどり着いたのは、日が差さないほど狭い路地裏。

 ぜえぜえと肩で息をしつつ、抱えていた少女を下ろす。金髪の――半亜人クオルタらしき少女は未だに状況が掴めていないようで、呆けたような表情でこちらを見上げていた。


「ったく、やっちまった。完全にやっちまったな」


 自分自身に毒づきながら周りを見回す。

 いつの間にか卑民街からは出てしまっていた。表の通りに目を向ければ、まだ日が高いこともあり人の往来は少なくない。


「おにいちゃん、だれ?」


 こちらを見上げる少女が、ようやくそんな問いを発した。


「おじさんって呼ばれなかったことだけは喜んどくか。俺はフレイヴェイ。フレイとでも呼んでくれりゃあいい。……で、嬢ちゃんは?」

「リクリエラ!」


 短い、しかし明るい返答。つい先ほどまでもめ事の渦中にいたとは思えないほど、切り替えが早かった。いや、あるいは単に事態を理解しきれていないだけかもしれない。


「リクリエラ、か。――まあともかくは、だ」


 言いつつ長衣を脱いで、幼い少女の肩へとかけてやる。


「んむぅ?」

「黙ってその腕を隠せ。厄介なことになるぞ」


 どうやら自分たちを追いかけていた連中はようだが、彼女のような半亜人を連れて堂々と通りを歩くわけにはいかない。下手に動けばまた騒ぎを起こしかねないからだ。

 無論、多少の荒事にならば対応はできる。

 フレイヴェイとて仮にも遺跡調査の警備を任されていた身である。しかもその遺跡には(直接的に顔を合わせたことが無いとはいえ)あのアポステルが自ら調査に赴いていた。選ばれたのはいずれも腕のある人間ばかりで、彼もまたその例に漏れない。

 鍛錬に真面目に取り組んできた覚えは無いが、才覚はそこそこあったらしく、剣の腕にだけは自信があった。

 だが――


(いくらなんでも、こいつは多勢に無勢だよな?)


 自警団――〈世俗の腕アルマ・エスタ〉の人間は、この幼子を取り囲んでいた連中だけではない。

 あの組織の規模はここ三日だけで急速に膨れあがっている。その中には一定数の傭兵も存在していた。


「なんにせよ、この町からは出ねえとまずいな」

「……まち、でるの?」

「あぁ。やっこさんら、妙に殺気だってやがる。不安と不満が溜まってるんだろうさ」


 多くの人間は、負の感情をため込むことに慣れていない。「わかりやすいはけ口」があればそれらは容易に表出する。

 その「はけ口」たる存在はまず間違いなく目の前の少女で、悪意がどういった形を取って現れるかは火を見るよりも明らかだ。

 卑民街に住む他の亜人種や半亜人も、遠からず標的とされるだろう。

 あるいは、武装した自警団の人間が卑民街にまで入り込んでいるという時点で、『駆除』は既に始まっているのかもしれなかった。


「こうなっちゃ外に出るしかねぇよ。それが可能かどうかは置いておくにしても、俺もお前も、このまま町にいるなんざ到底無理だ。卑民街にいる他の連中がどうなるかはわからんが、少なくとも、俺たちは目を付けられちまった」


 その言葉を聞いたリクリエラはくしゃりと顔を歪めた。


「でも、まちから出ちゃだめって、帰ってくるまでまってなさい、っておかあさんが」


 詳しい事情など知りようもないが、ある程度は容易に察せられる。幼子が一人で暮らしている、というだけで十分だった。


「そいつは……っ、少し静かにしてくれ」


 答えに詰まった直後、人の気配を察知してリクリエラを黙らせる。

 足音は二つ。そっと様子を窺うと、人影はすぐ近くで立ち止まった。


「――今日は、この辺りで策を練るとしましょう。我々としても、そろそろ日銭を稼がねばやっていけません。えぇ、えぇ、実に嘆かわしいことです」

「ちっ、誰も娯楽になんぞ寄ってきやがらねえ。話になんねえよな、これじゃあよ」

「この間など試合の参加者を募っただけで『不謹慎だ』の一言でしたからねぇ。えぇ、えぇ、わたくしとしましても、非常に腹立たしいですとも」

「神の代弁者様とやらがお亡くなりになって、こちとら商売あがったりってか。神様って奴ぁずいぶんとオレ達が嫌いらしいな」

「メッタなことを言うものではありませんよイルグレ。どこに教会の人間がいるかわからないのですから。えぇ、まったくその通りではありますが。しかし最近は〈世俗の腕アルマ・エスタ〉とやらも増えているようですし、厄介事を自ら呼び込むなど――」

「わぁってるわぁってる! テメェはいちいち言うことが細けぇんだよ」


 フレイヴェイよりも頭二つ分ほど背の高い偉丈夫と、胡散臭い雰囲気を纏っている小男。

 傍らにはなにやら荷物が置かれていた。小さな子どもくらいの大きさはある。

 ごちゃごちゃとした骨組みによって形作られた、取っ手の付いた箱というような形状だが、鈍い光沢を放っているそれは、明らかに上質な素材で作られている。

 ――これは、好機かもしれない。

 フレイヴェイは少女を物陰に待機させ、彼らに背後から歩み寄った。


「そこで何をしてる?」

「ヒッ!? わっ、わわ、わたくしどもは善良なる一市民でありますともッ! えぇ、えぇ、天上に輝く太陽神ソレリアに誓って! わたくしどもは純なる真人ヒュマネス。あなた方〈世俗の腕アルマ・エスタ〉は獣を放逐せんと戦う真なる勇士と――って、おや?」


 小男は体格に似つかわしい小心さで朗々と口上を述べていたが、相手が仮面を付けていないと見るや不思議そうな表情になった。


「あのう、あなた様はいったい、どのような……」

「近くにある〈遺跡〉の警備兵だ。物資が足りなくなって、急ぎ調達するためにこの街へ立ち寄った。……で、だ。そいつは〈遺産〉だろう?」


 初撃で切り込んだフレイヴェイの言葉に、小男はあからさまな動揺を見せた。

 それを見て、内心でほくそ笑む。


(当たりだ。一気にたたみかけちまった方がいいな)


 曲がりなりにも自分は元・遺跡の駐留警備兵だ。

 侵入者が〈遺産〉を盗み出そうとしていた場合に『何が〈遺産〉なのか』を理解している必要があるため、そこらの町にいる目利き屋よりも深い知識を有していた。

 直接見たことはないが、形状から想像は付く。


「持ち運ぶために折りたたまれてはいるが、それは聖鎧せいがいだろう」


 二人の顔が目に見えて青くなる。――またも当たりだ。


「太陽の光を聖なる力に変え、ヒトに力を与えるモノだ。どうやら完全な形じゃないみたいだが、こんな町に置いてあるはずがない。……お前ら、こいつはどこで手に入れた?」

「ここっ、これは少し前に行商人から仕入れたものでして……。商人の話によれば教会から買い付けたとのことで、盗掘品でないことだけは確かなのですが――」

「嘘をつけ」


 うろたえた様子で小男が答えるが、フレイヴェイは即座にそう断じた。


「良いか。。本来の用途がどういったものかなんぞ知りはしないが、使いようによっちゃ、そこらの傭兵や軍人程度なら軽くひねり上げられる代物だよ」

「……っ」

「その程度じゃ神像を相手にはできないが、戦力には違いない。教会が――神聖教省がそんなモノを市井しせいに流すはずがないんだよ。下手に騒乱を引き起こされても厄介だってんでな」


 もしも本当に商人が扱っていたというのなら、事実が教会に知れた時点で捕まっているはずだ。その価値を知っていようがいまいが、神の名の下に何らかの処罰が与えられているだろう。


「実際その手の〈遺産〉は今の、いや、教省主が就任した時にまとめて回収されてるし、新しく掘り出されたモノも厳重に管理されてる」


 少なくとも、アポステルが権力を握ってからは厳しい管理体制が敷かれていたはずだ。

 彼の死によって教会内部に変化があった可能性は否定できないが、それにしたって目の前の二人が兵器型の〈遺産〉を保有しているというのはいくらなんでも早すぎる。


「だからその〈遺産〉は行商人から買えるはずがないし、よしんば売ってたとしても、一般人が持ってるってだけで罪に問われかねないんだ」


 二人の、とりわけ小男の顔が驚きと不安に歪む。

 頃合いだ。


「……ま、とはいえ、俺だって鬼じゃない」


 顔つきを緩めてみせ――懐から紙片を取り出して彼らに見せる。

 部隊長から渡された手配書だ。そこには黒髪の少年と半亜人クオルタの少女の似顔絵が描かれている。


「大規模な手配らしいからお前達も知っているかもしれないな。……俺は特別なめいを受けた軍人でね、この二人を独自に追っている途中だ」


 話題の変化について行けないのか、相手は揃って困惑している。手配書の顔に反応していたあたり、あの黒髪の魔術師ウィザードと面識があるのかもしれない。


「もちろん命を発したのは地方の教会なんかじゃない。帝都の、神聖教省だよ」


 それを聞いた二人の顔色が急変する。よもやここまで話が大きくなるとは思っていなかったのだろう。

 無理もない。数年前まで単なる宗教機関でしかなかった神聖教省は、いまとなっては畏怖の対象でしかないのだから。

 その名前を勝手に利用しようというのだから人生わからないものだ、と内心で苦笑しながらも――しかしそんな感情はおくびにも出さず――フレイヴェイは話を続ける。

「けど――知っての通り、いまは神聖教省も混乱していてね。、帝国辺縁部の町にいる人間の『ささやかな過ち』程度には構っていられないかもしれん」


 論理に穴があることは承知している。だからこそ重要なのは勢いだ。


「俺だって報告の手間がかかるだけ追跡が遅れることになるし、なにより無闇に人の命を奪いたくはない。寝覚めが悪くなるからな」


 彼らはどこからどう見ても真人ヒュマネスだ。本来なら盗品を持っていた程度では死罪になどなるはずはない。

 だが、帝国における教会・神聖教省の権勢は強大にして無比だ。

 そこから命を受けた人間が相手ともなれば、常識的な判断が当てはまらないかもしれない。多少なりともそういった疑念を植え付けることができれば十分だった。


「だから……どうだ? その聖鎧を俺に預けるっていうなら、俺の手で教会に引き渡してやる。もちろんお前達の存在は知らせないし、上手いこと話はつけといてやる。お前達のやらかしたことを考えれば、これ以上ない取引だと思うぜ?」


 取引と呼ぶにはあまりに一方的で、不平等なやりとり。そんなことはこちらとて承知だ。

 だが、おおよその物品は命に比べれば安いものだろう。たとえそれが一財産を築き上げることのできる〈遺産〉であったとしても。

 もはや自分とは関係が無くなった機関の名前を用いて市民を脅しつけ、〈遺産〉を接収という名目で巻き上げる。

 これはどう考えても脅迫で、考えるまでもなく犯罪だ。

 自分でも理解している。成功すれば一気に状況が好転するが、同時にリスクが大きいということもわかっていた。

 下手を打てば命が無いのは自分の方だ。だが、それを悟られてはいけない。


「面倒だが、もう一度だけ訊いてやる。良いか、答えは慎重に選べ?」


 あくまで毅然とした態度を装ったまま、フレイヴェイは眼前の二人組をじっと見据える。


「それは、どこで手に入れた物だ?」

「……ぎ、行商人から買い上げたのですが、盗品であることに気づきまして、神聖教省へ献上すべく、移送するところでございました」


 苦々しく発せられたその答えに、フレイヴェイは満足げにうなずいた。



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