Chapter 02 -Regeneration, Re: generation-
1 貴人は最後の誇りを捨てず
西端都市〈シグレイラ〉の安酒場。
大衆食堂を兼ねる店にしては珍しく昼間から強い酒を供しており――そのせいもあって客層は多様だが、ごく一部を除いた大半は
昼間から安く質の悪い酒におぼれる者、ごく少額のしみったれた賭博に興じる者、商隊の人間と傭兵としての契約内容を相談する者。彼らの生み出す喧噪と笑い声が、店内には満ちていた。
そんな中――
「あーっ、くそッ、面倒っくせえぇぇぇぇぇ~~~~ッ……!」
頭を抱えてテーブルに突っ伏し、盛大なため息と共に全力の泣き言を吐き出したのは、金髪碧眼の青年である。
のそり、と上げられた面からは全くもって気力が感じられない。
よくよく見ればそれなりに整った顔をしており、表情を引き締めてさえいれば上品な相貌になりそうではあるのだが――だらしなく開けられた口と死んだ魚のような目が全てを台無しにしていた。
服装はごく一般的な旅人のそれだ。上着の長衣も荷物の
そこまで見れば周りに居る連中とさして変わらない一般人だが――奇異な点が一つ。
旅人にはおよそ似つかわしくない剣を帯びているのである。朱に塗られた鞘には彫金が施されており、どう見ても安物ではない。
見る者が見れば、この無気力男がさる貴族の係累だと気付いたかもしれない。
フレイヴェイ・リュケイアンテ。
帝国ではそれなりに力がある貴族――リュケイアンテ家の分家、その末子。
「はいよお待たせ。……ん、なんだいお兄さん、あんた軍人かい?」
注文したスープを運んできた店員の娘が目ざとく腰の剣に気付き、そう問いを投げてきた。
軍人、という評は間違ってはいない。少なくとも数日前までなら。
「正確には軍人だった、だ。こないだ辞めたんだよ」
「へえ、なにかやらかしたのかい?」
「辞めたっつってんだろ、自分からだ
「……面倒?」
「こないだちょっと厄介ごとがあってな、俺よりも若そうな奴を手にかけにゃならんところだった。……命のやりとりってのはどうも性に合わないって気付いたんだよ。いざ殺し合いの段になると柄にもなく考え込んじまう。本当にこれが正しいのかってな」
「なんだい妙なこと言ってからに。軍人になってから殺し合いが苦手だって言いだす奴なんて、見たことも聞いたこともないよ」
「最近じゃ珍しくもないんだよ、お嬢ちゃん。少なくともここにいるしな」
神像の登場以後、『敵』を一方的に蹂躙する
近年はまともな『戦争』が存在せず、内紛くらいしか戦闘が無いため、ただでさえ歩兵・騎兵は実戦を経験することが少なくなっている。稀に起こる『間近での殺し合い』を経て、初めて自分が兵士に向いていないと気付く者も最近では少なくない。
「正直、ちょっと後悔してるけどな、職探しの労力も洒落にならん。……ここ、働き手は不足してないか? 薪割りでも皿洗いでも良い。メシと寝床が保証されるならなんだってやるぜ」
「おあいにく様、ウチもそうそう人様を雇ってる余裕は無いんだよ。ここらで生活したいなら良いとこ用心棒か、教会に泣きつくしか無いんじゃないの?」
「やっぱり、そうなるよなあ。わかっちゃいたんだが……教会はちょっとな」
「なんだってこの町に来たんだいあんた。国境近くじゃ傭兵くらいしか職が無いだろうにさ」
「一番近い町がここだったんだよ。歩いて来られる範囲ったらここくらいだ。祭の時期でもあるし、町に
「……あんた、ホントにどうして仕事辞めたんだい?」
娘はフレイヴェイを奇妙なものでも見るような目つきで眺めていたが、やがて他の客に呼ばれてそのテーブルを後にした。
目の前に置かれたスープを
「あーくそっ、なんだって俺は辞めちまったんだ? こうなることなんてわかりきってたじゃないか……。面倒だ、新しい職を探すのが猛烈に面倒くさい」
彼の出自は、有り体に言えば非常に『微妙』な立ち位置だ。
リュケイアンテの一家はアポステルが教会で力を付けはじめると同時に彼の側に付き、いまの権力を手に入れた。もとより多少の武勲は立てていたとはいえ――所詮は新興の、言ってしまえば典型的な『成り上がり者』である。所領は狭く、四人の子どもに割譲する余裕などは無かった。
そして――元来、帝国の貴族達は
要するに『家長を継ぐ』という使命のある嫡男以外は、言うなればおまけでしかない。城やそれに類する屋敷は一家に一つしか無く、必然的に長男以外に継ぐ城は無いのだから。
いまでこそ多少は落ち着いたが、昔は『次男以降の男子には剣を持たせ、旅に送り出す』というのが主流であったくらいだ。
継ぐ城が無ければ自らの力で手に入れさせる。
騎士として武芸を磨き、あわよくば姫を娶らせるための旅というわけだ。その理想型をひな形とした
だが、いまのご時世にわざわざ城を求めて旅をするのはよっぽどの物好きか気の触れた馬鹿くらいだ。
家ごとの所領がある程度定まったおかげで旧来の『騎士道物語』的な人生設計を立てるのが難しくなったというのもあるが――貴族階級における伝統的な身の立て方が崩れた元凶は神像にある。
どう足掻いても生身では対抗しきれない圧倒的戦力の存在が伝統を破壊した。そもそもの話として、現状では剣の腕など磨いたところで意味が無いというわけだ。
そして、いかに貴族といっても分家の末子では神像など下賜されるはずもない。
貴族階級の中では見下され、駐留警備の現場では『温室育ち』と揶揄される。警備隊に入って以後、フレイヴェイが立たされたのはそんな境遇だった。
おおよその貴族は自分の出自に誇りを持っている。もし、他の貴族が彼と同様の立ち位置におかれたとしたら、きっと葛藤を抱きもしたのだろう。
だが、彼としては特に気にすることでもなかった。むしろ辺境での警備部隊に配属されたのは彼にとって都合が良かったのだ。
――楽で良い、と。
最初に出てきた感想は、その程度だった。
自分は別段、志が高い方ではない。
血筋に誇りが無いと言えば嘘になるが、多少の揶揄など気にする方が面倒だ。下手に関わって反抗すれば目を付けられるし、そうなれば余計な労力を使う。
仕事の内容は警備と銘打っているもののさほどキツくはなく、天職だとさえ思ったほどだ。
少なくとも、数日前までは。
自分の身を守るためや、国としての生き残りを賭けた純然たる戦争としてならばともかく、理由無き人殺しは許容できない。それがフレイヴェイの率直な感想で、警備兵を辞した最大の要因だった。
アポステルの教えによって獣の血は忌むべき浄化の対象であるとの認識が広まりつつあるが、彼個人としては
楽ができるならばそれに越したことはないが、だからといって人として――自分としての一線を越えることは避けたかった。
(それに――どうも『神聖帝国』って呼び方は、あんまり好きじゃないんだよな)
アポステルの教義に反対しているわけではない。彼が帝国の実質的な支配者と化している現状、それに異を唱えるのは得策ではなかった。
だが――実利的に見た損得と、感覚的な好悪は別だ。
「ったく、隊長さんも、なんだってこんなもんを押しつけて来たんだか……」
かつて取り逃がした二人組の似顔絵を懐から取り出し、一瞥する。
警備兵を辞するに際し、部隊長から「この一件で手配することになった。貴様と会うことがあるかはわからんが、もし見つけたら情報を寄越せ」と渡されたモノだ。
少年の方は
彼らを遺跡の中で見つけたとき、殺せと命令され――実際に殺そうとして剣を抜いた。だが、それはただ長いものに巻かれただけだ。
いまのフレイヴェイに、別に彼らを追いかけてどうこうしようというつもりはない。
彼らを捕まえることができれば相当額の金が手に入ることにはなっているが、自分一人でそれができるとも思わない。
特に少年の方の戦闘能力は身をもって痛感したところだ。どのような修羅場をくぐってきたのか知らないが、たとえ帝国常備軍の一兵卒が五、六人いたとしても勝てはしないだろう。
懸賞金は多額だが、情報収集や戦力の確保・移動の手間などを考えるならとてもではないが割に合わない。確かにあの二人のせいで職を辞することにはなったが、わざわざ彼らを捕まえに行くほどではなかった。
彼は憎しみを最も非効率的な感情であると位置づけている。更に言えば、面倒なことはしない主義だ。
それに――手配犯である二人組のことを気にかけている余裕などは無い。もっと差し迫った問題が存在している。
「くそぅ、多少の金はあるが……これが尽きたらのたれ死にだな、こりゃ」
またもため息をひとつして、彼は味のしないスープを啜る。
そんな折、
「――大変だぁッ!!」
店先の扉を突き破らんばかりの勢いで押し開けられ、そんな大声が店中に響き渡った。
「ふぶっ!? えっほ、えほ……なんなんだよ一体、メシくらいゆっくり食わせろってんだ」
思わずむせ込み、ぶつくさと文句を言いながらフレイヴェイは振り返る。
そこに立っていた男は肩の部分に聖印の意匠が施された白い服を来ていた。帝国教会の教義を奉ずる者である証だ。
おそらくは位階の低い見習い司祭、あるいは単なる信徒かもしれない。
随分と激しく走り回っているらしく、彼は膝に手をついてぜえぜえと喘いでいた。
「い、いまっ、教会の人間を動員して、町中に知らせて回っている……一大事、一大事なんだ」
静まりかえった店中の視線を一身に浴びながら、その男は焦りも露わに切り出す。
「教会の――いや、神聖教省の最高指導者が……あのお方が……」
神聖教省、というのは所謂『帝国教会』の母体である。そこの最高指導者と言えばここ一年ほどで急激に頭角を現した出自不明の男、アポステルということになるが――
「アポステルが――おっと、アポステル・エレ・エクレシアル様が、どうされたって?」
不敬と取られかねない呼び方を正しつつ、慎重に問いかける。
司祭風の男は自分でも信じられないというような絶望のこもった声音で、ゆっくりとそれに答えた。
「……それが、重罪人を追って
「…………はあ?」
あまりに突拍子のない事実を告げられて、フレイヴェイは間の抜けた声を上げることしかできなかった。
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