第9話『過去からの囁き』

 

『わしゃの名はペイザンヌ、N区の野良猫だ』


 皆が一斉に笑った。


『な……なんなのだ? なぜ笑うだ?!』


 イシャータも思わず笑ってしまった。


「似とる」

「似てる似てる!」


『コラ! このクソガキども、てめえらまとめて踏みつぶしてやるぞ 』


「今度はギノスや」

「ギノス、ギノス! 似てる!」


 子供たちはヴァン=ブランの“ものまね”に大はしゃぎだ。


「こんなもんじゃないぞ。よし、今度は〈ウミネコ〉の声を真似てやろう」

「ウミネコってどんな猫やのん?」


 頬の傷跡がまだ生々しい佐藤が尋ねる。


「うむ、ここからずっと歩き続けるとだな、そこにはデッカイデッカイ水溜まりがある。それがまあ海というものなんだが…… 」

「この庭よりデッカイ?」


 ようやく喋れるようになった子猫たちがピョンピョン跳び跳ねた。


「あっはっは、デカイデカイ! お前らなどザブンとひと飲みだ」


『うにゅ~』と仔猫たちは肉球で目を押さえた。


「んで、その海っちゅうとこに猫がおるわけやな。そいつら泳げるんか?」


 佐藤は人魚の猫バージョンを思い浮かべて興奮していた。


「それがだな、なんと〈ウミネコ〉は鳥だ。奴らはこうやって鳴く。見てろ」


 ヴァン=ブランは前脚をバタバタやりながら『ミャアミャア! ミャア~!』と得意の声芸をを披露してみせる。


 おどけているとはいえ鳥に育てられ鳥の言葉を話せるヴァン=ブランの物真似はまさにウミネコそのものだった。


 集会の時とはうって変わったヴァンの道化ぶりに皆は腹を抱えて笑った。


「うっそやぁ!そんな鳥おるわけないがな」

「それだったらあたしでもできるよ。ニャー! ニャーニャー!」

「そりゃ、ただの猫やんけ」


 また場がどっと沸いた。


 それを皮切りにヴァンは先程からこちらをチラチラとうかがっているイシャータのもとへ歩み寄ろうとしたが、ちょうどそのタイミングでクローズに耳打ちされてしまった。クローズは三毛猫であり、フライの妻である。


「ヴァン、ちょっといい?」

「ん?」



 ▼▲▼▲▼▲



 冷蔵庫の一点に爪を引っ掛けるとヴァン=ブランはなんなくその扉を開けてみせた。


 さっきまで汗だくになってこじ開けようとしていたメタボチックが叫ぶ。

「魔法だ!」

「コツがある。ガキの頃、婆さんの目を盗んでよくつまみ食いしたもんだ」

「……でも、思ったより少ないわ」

「ふむ。そうだな、三十匹じゃどう節約してももって三日くらいだな。あとは自給自足か」

 ヴァンは冷蔵庫の中身をチェックしながらクローズにポツリと言った。

「クローズ。その、なんだ、フライにはすまなかったな」

「?」

 クローズは一瞬なんのことかわからなかったが、昨日の庭での騒ぎを思い出すとすぐに理解し声を上げた。

「ああ! …… 仕方ないよ。他の時ならいざ知らずこういう場合でしょ。頼りになるのはあなたの方かなって私も思ってたし、てゆーかさ、あんたね、あんな場面で普通賭けなんかする?」

 クローズはヴァンに負けず劣らず豪快に笑うと目を細め、からかうように小声で囁いた。

「だいたいね、あんたなんかにリーダーが務まんの? 一匹歩きばっかのくせに」

「ふむ──」

 それでもヴァンはフライのことが気になってるのか言葉尻が下がる。

「大丈夫よ、フライのことなら気にしないで。旦那を慰めるのも妻の仕事のうちってね」

 ヴァンはしげしげとクローズを見つめ返した。

「ふーん。いいメスになったもんだな」

「あははは、ちゃかさないでよ。それとももう一度口説いてみる? 」

 二匹はしばし真顔で見つめ合ったが、やがてどちらがというわけでもなしにプッと吹き出してしまった。そうしてひとしきり笑った後、気まずいような照れ臭いような静寂がお約束のように訪れ、それをクローズの言葉がゆっくりと溶かしてゆく。


「…… ヴァン、それでもね、やっぱり私はフライを選んだことを後悔してないよ。だってさ、あなたはさ、なんだかんだ言ったって一匹でも生きていけるもの」


 そう言うとクローズは冷蔵庫の扉をパタンと閉めた。

 ヴァン=ブランはそれに対して何か言おうとしたが開いた口をおとなしく閉じることにした。今、ここで何か言葉を口に出すことは自分にとって反則のように思えたのである。


「あたしたち、これからどうなっちゃうんだろね。何かいい方法でもあるの? “リーダー”さん」

「そうだなぁ、あるといえばあるような、ないといえばないような」

「あきれた、何の策もないのにあんな大口たたいてたの?」

「まあそう言うな。大船に乗せてやるとは言い切れんが、少なくとも泥舟でもない」

「……なんて頼りがいのあるリーダーだこと」


 クローズは目を見開いた。



 ▼▲▼▲▼▲



 ギリーは昨夜からどうも様子がおかしい。佐藤はそう考えていた。


“何が”か? といえばよくわからないのだが、あまり姿を見かけないし、現れたかと思えば貝のように口をつぐんだままだし。


 今朝だってそうだ。


「おはよう」と、挨拶しても、その顔に浮かんだのはまるで社交辞令の様な笑みだけで、さっとどこかへ行ってしまった。


 そもそも出会って三日ほどしか経ってないわけだからギリーの心の内などわかるはずもないのだけれども、何というのか、そう、笑顔の種類が違うのだ。


──何故だろう?


 佐藤はギリーを探しつつも、今度顔を合わせた時もまたあのとってつけた笑顔だったらどうしようという恐れをどこかで抱いていた。


 いっそのことこのまま見つからない方がいいような気さえした。

 だから和室でギリーの白い毛並みが視界に入った時も佐藤は思わず一度部屋の前をスルーしてしまったのだ。


 佐藤は立ち止まり、思わず頭をプルプルと振る。


──そんなことあれへん。ギリーはボクのこと友達や言うてくれたやないか。きっと虫の居どころが悪かったか、眠たかったんか、昨日の歯磨き粉が残ってただけや。

 自分にそう言いきかせると、佐藤は 勇気を振り絞ってギリーが一匹佇む和室の中へと足を踏み入れた。


「あ~、ギ、ギリー」

 ギリーはゆっくりとこちらを振り向いたが、その表情は佐藤が振り絞った小さな勇気に対して見返りがあるほどのものではなかった。

「ぐ、偶然やね。こんなところで会うなんて」

 アホなこと言うとるなぁ──佐藤は自分でもそう思ったが咄嗟に出てくる言葉が思い付かなかった。

「写真…… 」

 ギリーは眺めていたミニアルバムに前足をポンと乗せた。

「お婆さん、私たちの写真をホラ、こんな風にちゃんと整理しててくれたんだね。


 そこにはこれまでここで暮らしていた猫たちの写真が収められていた。それを見て佐藤はハッとなった。


──そうや、ボク、自分のことばっかり考えとった。ギリーはお婆さんが死んでもうて哀しがっとるんやないか。


 ようやくこんがらがった糸がほどけたような気がして佐藤の心に晴れ間が浮かんだ。

「へ、へぇ~、そうなんやぁ。ボクの写真もあるんかいな? って、あるわけあらへんがな、ハハ……」

 ちゃうやん。

 佐藤はまた思考を巡らせる。

 ここで言わなあかんのは『お婆さん、本当にみんなのこと想っててくれたんだね……(標準語)』とか、そういう気のきいた台詞やないのけ?


 そんな思いが頭の中でさっきから二周も三周もしている。そしてこうも思った。


──なんでこんな一言一言が重いんやろ。


『あのヴァン=ブランってヤツやったらこんな時、なんて言うんやろ?』思わず佐藤の頭にそんなことが浮かんだ。


「その傷どうしたの。 大丈夫?」


 そうかと思えばギリーはこんな優しい言葉をかけてくれる。佐藤はそのたび完成途中のビルを壊し、新たに土台から建設しなければならない気分だった。


「ちょ、ちょっとな。ハッシュのアホがけったいなこというさかいこらしめてやったんや!」

 そしてオスというものは何故か言わなくてもいいことまで意気揚々て語ってしまうのである。

「──でもな、ボクが勝ったんやで! まあ、ぜんぜんあいつなんか相手にもならへんけどな」

「そう…… 」

 そしてたいていの場合、オスがメスに期待する言葉はこうだ。

『まぁ、すごいのね、サトー!』やら『素敵、見直しちゃった、サトー!』など、そんな類の言葉である。


「喧嘩はよくないよ、サトー。私、乱暴な猫ってあんまり好きじゃないな…… 」


 そう。そして大抵の場合、そんな幻想は無惨にも打ち崩されるのである。


 もはや改めて土台を築く気力すら失った佐藤を残し、ギリーはそのまま和室を出ていこうとした。すると──


 いつから聞いていたのか、ヴァン=ブランが戸口のところに座り込んでいるではないか。


「そんなことはないぞ。オスにとって闘いは必要不可欠だ」

「ヴァン…… 」


 ギリーの口はそう動いたように見えたが果たしてそれが声になっていたのかは微妙なところであった。場の空気の揺れが収まらぬうちにギリーはその場から逃げるように走り出していた。


 ヴァン=ブランは「ふむ」とうなると、そのままずかずかと部屋の中に入ってきた。


「サトーとかいったな。今朝はいい闘いっぷりだった。おまえはなかなか筋がいい」

「そらどうも…… 」

「?」

 佐藤は軽くため息をついた。

「はは~ん」

「な、なんですのん?」

「さては、おまえ」

「だ、だからなんやねんな、もう。気持ち悪いな」

 ヴァン=ブランはあっはっはと笑った。

「うん、ギリーはいいメスだぞ。純粋だし、性根が優しい。ちと、子供っぽいところもあるがそこもまた魅力だ」

「ボ、ボクは別に!! ちゃいまんねんな、その……」

「オス同士だ。隠すことはなかろう。ん? 」


 ヴァン=ブランは足もとのアルバムに目をやった。

「へえ、婆さんのやつ、こんな写真を後生大事にとってたのか。こりゃ懐かしいな! 見ろ、俺がまだおまえくらいだった頃の写真だ」


 色褪せたその写真にはこまっしゃくれた顔をした腕白ざかりのヴァン=ブランが映っていた。


 もう一枚はギリーとのツーショットだ。

 ヴァンは欠伸をしながらギリーの頭の上に前足を乗っけている。写真の中のギリーは納得のいかない顔でヴァンを見上げていた。


「たいていの連中もそうだが、ギリーも俺が拾ってきたんだ。熱中症でぶっ倒れてたのを見つけてな。ギリーのやつ、まだオスかメスかの区別もつかないな、こりゃ傑作だ」


 そうやって器用にページをめくっていくヴァン=ブランと一緒になって写真を眺めていた佐藤は“あること”に気付いてしまった。


 ヴァンが映っているほとんどの写真には決まって隣にギリーの姿があったのだ。


 網戸に蝉がとまった。

 大きな熊蝉だった。


 佐藤はいつかのギリーの言葉を思い出していた。


(私、歌の上手な猫って好きよ──)


 あれは…… 。


──ボクのことやあらへんかったんや。


 佐藤の心の何処かに今まで存在したことのなかった感情が音をたてて芽生え始めた。


 そして、その音は熊蝉の鳴き声を掻き消すほどに、今、急速に大きさを増しつつあった。

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