ソーダ水

ふらりと入った、昔ながらの古風な喫茶店。調度品のような物静かなマスターにアイスコーヒーを頼もうとすると、常連らしい男が声をかけてきた。


「ソーダ水を頼んだ方がいいよ。ここのマスターが出すソーダ水はサイコーなんだ」

「へぇ、そうなんですか?」

「そうさ。飲むたびに味が変わるんだが、いつだって新鮮で、それでいて懐かしくて、優しくて、苦くて・・・とにかく、せっかくここで飲むんだったらソーダ水だね。マスター、ソーダ水を一つ」


マスターはペコリと頭を下げ、ソーダ水を作り始めた。勝手に注文をされてしまったわけだが、まぁ、別に取り立ててアイスコーヒーが飲みたかったわけでもないし、別にいいかと思いながら周囲を見渡す。

その男のテーブルにもソーダ水があった。淡いエメラルドグリーンのソーダ水。表面にはチェリーがあしらわれていて、氷に隠れて底の方には、コーヒーゼリーのような物体がたまっている。


「これがそうですか?」

「そう、僕のソーダ水」

「?」

「ソーダ水には思い出が溶けやすいんだよ。な、マスター」


マスターは手を動かしながら無言でお辞儀をする。


「あの、どういう意味なんですか?」

「君には君の、僕には僕のソーダ水があるってことだよ」

「?」

「ま、じきにわかるさ」




「お待たせしました、ソーダ水です」


マスターがそっと机に置いたそれは、深い藍色のソーダ水だった。まるで何もかもを塗り潰したかのような藍色に、同じくらい藍色の氷が浮かんだ、炭酸が弱めのソーダ水。


「これが、私の?」

「そう。君のソーダ水」


気泡の立ち上がるソーダ水を見つめながら、今度は友人を連れてきたいなと思ったのだった。








  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る