小生小説講座『特に教えることもねえ』

 小生小説講座。

 完結。


 ちーん!


 と、まあ、いつもの小ネタは置いといて。

『小説講座』で教えられることはたくさんあります。


 でも、めんどくせーから一つ一つはやってられん(爆死)

 まともなことを習いたいならどこかの学校に行けばええと思いまふ。


 大学の授業だって小説を書くために役に立つ『技術』は学べますし。

 ここでこんな駄文を読んでないで、しっかりと学びましょう。


 ただねぇ。

 面白い小説を書くためには『技術』だけじゃないというのも事実です。


 何と言うか面白い小説を書ける人は『面白い』ということを知ってるんですよ。ただ『技術』や『経験』が足りないだけで、それがあれば面白い小説を書けるという人がいる。


 一般的にそれは『センス』と言ってますが、実際には『面白い物語を構成する要素』は多岐に渡り、しかも複合的なのそういう言葉で誤魔化しているわけです。


 ただ『これ』を書けば面白いという『感覚』を持っている人がいる。

 そして、自分の感覚の通りに書ければ『面白い作品』が作れる。

 

 逆にこの感覚が持てない人はいくら技術があっても凡作を超えることができない。

 作品を完成させることができても、そこに『面白さが無い』作品になってしまう。


 あるいは感覚が良すぎて世間とはズレてしまう人もいます。稀に先の世代の感覚を先取りしてしまう人もいますが、たいていは売れずに消えていきます。


 まあ、どちらにせよこの『感覚』が無いと話にならない。

 当たり前ですが、『面白くない作品は面白くない』です。


『スコッパー』に掘り出されない作品というのはたいてい理由があります。

『自分の作品が面白いのに読まれない』という作品の多くは面白くありません。


 まあ、中には『文学的に優れているけど面白くない』とか『面白い作品だけど理解できる人が少ない』というのもありますが、全体を見れば少ない方でしょう。


 当たり前ですが、作者様は自分の書いた作品を『面白い』と思います。

 そりゃたいていは『面白い』と思って書いたわけですから当然の感想です。


 でも、小生が作品を書く場合、常にこう思います。


『本当にこれ面白いのか?』


 書いているうちは面白い気がします。

 自分が天才になったような全能感を感じます。


 でも、冷静に見返すと自分の作品の『欠点』が見つかるわけです。

 あるいは根本的に物語として『成立』していないことを理解してしまいます。


 ぐぬぬぬ。

 と思いながら、何とかそれを修正していく。


 その繰り返しで何とか一つの作品を完成させた後にいつもこう思います。


『ああ、もっと上手く書けたのに』


 完成形を見たとき、もっといろんなことができたことに気付くのです。

 そして、もっと面白い話が書けたという事実に驚きます。


 とはいえ、そこから手を加えると明らかに作品のバランスが崩壊するので諦めますけど。まあ、そのとき得た教訓はまた別の作品を書くときに生かすわけです。


 基本的には『それ』を繰り返すことでクリエイターとして成長していきます。

『天才』とはその過程を飛び越して、予め上の領域に生息している人種のことです。

 

 まあ、そんな『天才』のことは気にせずに、普通の方々は『失敗』にこそ『成功』の元があることを理解しましょう。『失敗した』ということはその部分を『成功させる』ことも可能なはずです。そのための方法がどこかにあります。


 まず『作品の失敗』を見つけるために、自分の書いた作品を『面白くない作品』と思いながら読んでみましょう。面白い作品だと思うのは普通のことですし、そう思って読めば良い箇所も見つかります。


 それと同じように『面白くない作品』だと思って読むことによって、その作品が持つ『欠点』を見つけ易くなります。冷静な目で作品を『俯瞰』しましょう。


 というか『欠点が無い作品』というのはほとんどありません。

 プロの作品でも必ずと言っていいほど『欠点』があります。


 面白くない作品には面白くない『理由』がある。

 面白い作品には面白い『理由』がある。


 まずは『理由』を知ることです。

『センス』という曖昧な言葉に騙されてはいけません。


 そして、自分にとって『都合の悪い現実』を一方的に弾いてはいけません。

 この世界の多くの人間が『それ』から目を逸らしてしまいます。


 よりより作品を作るためにはきちんとした『検証』が必要なのです


『原因』を突き止め、『理由』を探り、『改善』を図り、『実証』する。

 そして、その『結果』を受け止め、再び同じ『作業』を繰り返す。


 それを『適切』に行なうことが重要になります。 


 もっともこの『検証』するという行為は今の人類にとってかなり難しいことです。

 どうしても人間は自分の意見に『固執』してしまうからです。


 なぜならばその方が自分にとって『得』になるからです。

 自分にとって『不利になる意見』を言う人はほとんどいません。


(あるいは自分が不利になると分からずに突っ走る人もいます)

(『損切り』ができないという人間は意外と多いです)


 小生がこの場所でいろんなことを書いているのも、基本的には『どうでもいい』からです。他人事だからこそ『てけとー』に色んなことを書いてるわけです。


 ひでー話ですが、そういうものです。

 そんな人間たちが書いたものを容易く信じてはいけません。


 だからこそ『考えろ』と言います。

 これは『自分で検証しろ』という意味でもあります。


 色んな意見を取り入れ、本当に『正しいもの』を自分で見出さなければなりません。例えば今『東京オリンピック』の開催について色んな人間が様々な意見を言っています。

      

 ですが、『東京オリンピック』を開催させたい人々は『開催させるのに都合の良い理由』を広めるでしょう。その中には『嘘』や『誤認』もあります。


 逆に『東京オリンピック』を開催させたくない人々は『開催させるのに都合の悪いこと』を広めていきます。その中にも『嘘』や『誤認』があります。


 まあ、ぶっちゃけどちらの意見もあまり意味はありません。

 なぜならこの二つの対立はきちんとした『議論』になってないからです。


 お互いに『自分の意見』を押し通そうとして、それぞれの意見を聞こうともしていないからです。両者とも『正しい答え』を導き出すことではなく、『自分たちの利益』だけを求めているので、そもそも『正しい答え』など求めていません。


 なぜならば、その『正しい答え』が自分たちにとって『不都合な事実』だと困るからです。それが確定してしまうぐらいなら『議論』しない方が『得』だからです。


(中には適切な意見を言っている方もいると思いますが)

(そういう方々の意見はなぜか黙殺されるのが社会の常識でもあります)


 世界中でこんな現実は珍しくありません。

 誰もが自分たちにとって不利になる現実など必要としていないのです。


 真実が必ず人を幸せにするわけではありません。

 ですが、例え『結論』が同じだったとしても、


『真実から目を背けること』と『真実を見た上で判断すること』は別のことです。


 適当に判断したり、判断したことに適切な理由が無いならば、それは批判されても仕方がないことです。何かをするためには『理由』や『根拠』が必要なのです。

 

 それは『物語を書くという行為』でも同じです。

 全てのことには『理由』や『根拠』があるのです。


 それから目を逸らしていては、製作者として成長することは難しいでしょう。

 とはいえ、現状に満足して生きることも悪いことではありません。

 

 ただ『今よりも面白い作品を書きたい』ならば、きちんと現実を向き合う必要があります。何となく書き続けたって成長するかもしれませんが、まったく成長しないかもしれません。


 確実に成長したいならば、それに相応しい行動をすべきです。それをしていないのに、『成長しない』と嘆いても『そりゃそうだよ』と言われるだけです。


『苦手なものに挑戦するのか』

『得意な分野を更に伸ばすのか』


 作家として『欠点』があったとしてもそれを隠すような書き方はできます。例えば『三人称』の小説が苦手なら『一人称』の小説だけを書いていてもいいわけです。


 必ずしも全ての『技術』を高めなくても構いません。

 自分にとって必要な『技術』だけを取り入れ、それを最大限に活用する。


『恋愛要素』が苦手ならそれを避けてもかまいません。

 ただそれを入れた方が一般的には受け入れられ易いです。


 でも、何でも『恋愛要素』を入れればいいというものでもありません。

 それを入れたせいでクソになった作品は無数にあります。


 アマチュアのうちはそういうのは自分で判断できるので、自分で判断しましょう。プロになるとクソになると分かっていても何とかしなくてはならないので、また別の技術が必要になりますが(汗)


 えーと、まとめます。


『現実を見ろ』

『駄目な部分を改善しろ(できる範囲で)』


 この二つですが、これができればどこでも生きていけるというぐらい難しいことでもあります。


『現実を見るな』

『駄目な部分は放置しろ(致命的な問題すら)』


 というのが大人が生きていくための必須条件だったりしますし(汗)

 現実を見て、改善しようとすると、自分の首が飛んでいくんですよねー(大汗)


 その不都合な現実が誰かにとっての『利益』になってたりすると、戦争になるので迂闊に踏み込むと死にます。マジデ。


 ただ個人レベルの『改善』ならば戦争も起こらないので、たぶん平気です。まあ、個人レベルの『改善』ですら人の恨みを買うこともありますけどどどどど(滝汗)


 知ってますか。

 人生って怖いですよ(笑顔)


 まあ、現実を見ないで生きて死んだ方が楽しいことは楽しいので、後は自己責任でお願いします。


 小生は『東京オリンピック』は『どちらでもいい派閥』なので勝手にやってろと思うだけです。個人的にはテレビで見れた方が『得』ですけど、その程度で何か行動をしようとは思いませんね。


 まあ、オリンピックが開催されなかったらされなかったで、その被害は誰かが浴びるでしょう。人間社会とはそういうものです。


 なんにせよ、誰かは犠牲になると思いますよ。

 誰もが救われることなんてありえないわけです。


 だから『議論』することが大切なんですけど。

 誰もが納得できないことこそ『客観的事実』に基づいて決断すべきですね。


 まあ、クソ戯言ですけど。

 それができないから人類がこうなってるわけですしおすし。


 皆さんお好きにどうぞとしか言えません。小生だって好きに生きててけとーに死ぬ予定なので、人のことを言えるような生き方はしていないわけです。


 そんな人間の言葉を信じてはいけません。

 だから『特に教えることもねえ』わけです。


 成長したければ自己責任で成長するのです。

 他人の無責任な言葉で地獄に落ちたって誰も救ってはくれませんよ。


 ま、気楽にてけとーに。


 面白くない小説を書いたって死ぬわけでもあるまいし。

 他人から罵詈雑言を浴びたって、たいていは意味ないし。


 というか誰かの作品を批判するのに汚い言葉を使う人の意見はあまり参考にならないと思います。まじで作品を批判されるときって『ぐぬぬぬ』ってなりますし。


 本当の『批判』ってこちらがまったく『反論』できないんですよねー(汗)

 もう意見が的確過ぎて『わざとやったんです』とすら言えない。


 そう書けば『もっと面白くなったのに』という箇所を的確にぶっこんで来ます。

 批判されてるこっちが『そうだよねー』と納得しちゃうんですよ(笑)


 まあ、WEB小説にそこまで的確には『批判』を書く人もあまりいませんけど。

 たいていは自分の好みとは合わなかったぐらいの『意見』ですね。


 というかめんどくさくてそんなこと普通はしませんよ。

 そんな『意見』を書くぐらいなら別の小説を読みますし。


 まあ、金払って『クソゲー』だったら『クソゲー』って言いまくるけどね(笑)

 だって言わないと元が取れないんだもん。


『クソ映画』だってクソと言いながら罵りあうところまでが料金ですし(嘘)

 

 ちなみに『クソ』というのは汚い言葉なので的確な批判ではありません。

 的確な批判すらしたくないので『クソ』と言う言葉で終わらせるわけです。


 まあ、そういうのをきちんと解説しているところもあるので、興味があるなら見てみましょう。人間のアホっぷりを知るためには良い教育かもしれません。


 でわ、今日はこの辺で。

 さいなりー。  


<主観と客観と利益の狭間で>  

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