読書感想文『網内人』 感想(ネタバレ)
この物語は簡単に言えば『主人公が探偵の力を借りて、妹の自殺の原因を探る物語』です。設定自体はよくある話でけっして珍しい作品ではありません。
国内作品でも似たような設定の作品はあります。『ネット社会』を舞台にしているのも今となっては有り触れた題材の一つと言えるでしょう。
では、この作品の何が『素晴らしかった』のかと言えば、この作品が『描こうとしたもの』が素晴らしかったと思います。
ミステリー作品と言うのはどうしても『読者を騙す』という部分に力を入れすぎて、その作品で『何を読者に見せたかったのか』という部分が弱くなる傾向があります。以前も言いましたが『本格ミステリー』が廃れた理由の一つがこれです。
ですが、この作品はその全体がきちんと『調和』している。ただミステリー作品として優れているだけではなく、そのミステリー部分がこの作品の『テーマ』にとって必要な要素になっているという完成度の高さが素晴らしいのです。
作者がこの『物語』ときちんと向き合っているのがよく分かります。ミステリーであり、社会派作品であり、文学的テーマも内包している。好みは別としても、間違いなく一級品のエンタメ小説です。
まあ、欠点を挙げるなら作品自体は『地味』ということですね。あくまでもベースはミステリー小説なので、『謎』を追う過程はミステリー小説らしい地味な展開が続きます。そこを面白いと思うかが評価の分かれ目でしょう。
でも、そんな地味な作品がここまで『面白い』のは、物語をきちんと作りこんであるからです。最初に言ったようにこの作品は『主人公が探偵の力を借りて、妹の自殺の原因を探る物語』です。これは間違いなくこの作品を表しています。
それと同時にその言葉だけでは『表現しきれないもの』がこの作品には込められています。それこそが作者様の『力量』であり、『物語を描く』という行為なのです。
読者に何を見せるのか。
読者に何を感じさせるのか。
どんな世界を。
どんな結末を。
小生としては作者様が『想定した通りのものを見せられた』という感覚ですね。
間違いなくこれは作者の思惑に乗った『読書体験』だったと思います。
想定通りのものを読者に見せるというのはプロでも難しいことなのです。例えば『蜜蜂と遠雷』はとても面白い作品ですが、一つの作品としての完成度はちょっと低いので、読者によっては感想がけっこう異なってしまう作品です。
ただあの規模の作品を完成させただけでも恐るべき実力ではありますががが(汗)
並みの作家なら完成できずに『未完』で投げ出すレベルの作品ですよ(大汗)
それに比べると確かに『網内人』という作品は小規模になってしまいますが、最初から最後まで作者様がきちんと『物語を制御し切った作品』でもあります。
どちらもやってることは『ハイレベル』で用意に真似できることではありません。
両者とも『このレベルで作品を作れるならプロとしてやっていけるだろう』と感心する実力です。
間違いなく小生の『年間ベスト作品』です。
誰か有名人がテレビで紹介すればもっと売れた作品だろうに残念ですたい。
まあ、そういう作品はたくさんありますけど。『アンソニー・ホロヴィッツ 』氏の『その裁きは死』も素晴らしい作品ですが、たぶんミステリーファンの間でしか話題になってないと思われます(汗)
そのうちこちらもここで取り上げる予定です。『メインテーマは殺人』のときはそこまで面白く感じませんでしたが、『その裁きは死』は前作で感じた欠点をきちんと克服してきた作品だったので素晴らしかったです。
ネタバレになるので詳しくは言いませんけど。
後まだ読んでない翻訳小説も幾つかあるんですよねー。
しかし、最近は海外小説をけっこう買ってますね。
小生もようやくその辺りの良さが分かるようになってきたと言いますか。
『デイヴィッド・ハンドラー』氏の作品は昔から好きでしたけど。
今でもよく読み返す作家さんの一人です。
『マーダーボット・ダイアリー 』とか『ストーンサークルの殺人』の続編も読みたいですが、出版されたとしても翻訳されるか分からないのが翻訳小説の悲しいところでもあります。途中で打ち切られる作品もめっちゃ多いですし(泣)
世界中に小生が読んでいない面白い作品があるのはなかなか『いらっ』とする現実ですが、さすがに翻訳されていない作品を読むまでの情熱はありませぬな。
いや、国内の小説ですらまだ読んでない作品が多いのに、そこまで手を出す余裕がどこにもないという話ですよ。それに英語よりも日本語で書かれた小説の方が好きですし。
小説だけに関して言えば『日本語』という文章形体はかなり向いてると思います。使う文章によってかなり細かい差違まで表現できますし、『一人称』とか『語尾』だけでキャラクターに特性を付与できる言語って他に無いんじゃないかと思います。
まあ、『オタク文化』ですけど(爆死)
語尾に関しては『コロ助』辺りが最初なのかな。
『ござる』とかも武士を表現するときの語尾になってますね。
この辺りは文字だけでキャラクター性を表現するための『苦肉の策』でもあったわけですけど。漫画とかアニメだと『絵』で表現できる部分も、小説だと『文字』で表現しなくてはならないので、こういう方向性に進化してきたわけです。
『僕』と『俺』という使い分けだけでも読者に与える印象はぜんぜん違います。これは現実世界を反映しているわけではなく、あくまでも物語世界における使い分けですね。
『わたし』『あたし』『わたくし』なんて使い分けもあります。それぞれのキャラクターに適した一人称を使うことによって一気にキャラクター性を作り上げることができるわけです。
まあ、これは別の話なのでまたそのうち。
でわでわ、話も逸れてしまったのでこの辺で終わります。
『網内人』は優れた作品ですので興味があれば読んでください。
好みか好みじゃないかは自分で判断しましょうね。
自分が面白い作品は自分で探さなくてはならないのです。
では、さいなりー。
<人は自分の信じたいことを信じる生き物>
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