小生小説講座『上手くなれば面白い小説が書けなくなるだらよ』

 別名『上手くなれば上手くなるほど面白い小説が書けなくなるヤマアラシのジレンマ的な件について』です。題名が長過ぎなので『だらよ』を使って省力す(笑)


『だらよ』と言ってもカクヨムでどれだけの人間がプレイしたことがあるやら。

 と思って調べたら『アップルさんストア』に移植されてやがった(爆笑)


 いやーさすが『電子時代』だね。『ロストカラーズ』もあるわ。

 昔の『名作』がこうして復活しているのは嬉しいことです。


 まあ、人によって『迷作』ですけど(汗)

 興味がある方はどういうゲームか調べてからやりましょう。


 小生的には間違いなく死ぬまで覚えているゲームなんですけどねー。


 さて、それでは本題に移りましょう。

(毎回本題よりも雑談の方が楽に書けるのではないかという疑惑)


 作家諸君、カクヨムに投稿するようになって、小説を書くために様々なことを学んだのではなかろうか。もう四年も経過しているというくそ驚愕的な事実に戦々恐々であるが、初期の頃から活動している者はそれだけの経験値を得ているはずである。


『キャラクターの作り方になれたであろう』

『物語の展開に幅を持たせることに慣れただろう』

『王道だけでなく、邪道の使い方も覚えたのではないか』


 小説というものはきちんと勉強する気があるならば、ある程度は誰にでも書けるものである。諸君らが完成させた作品一つ一つごとにきちんと学んでいるならば、様々な技術を会得しているはずである。   


『もう一人前に小説を書ける』


 カクヨムで初めて小説を書いた者の中には、すでにそのレベルまで来ている者もいるはずである。それは『自分の思い描いた作品』を作れるということでもある。


 もうそのレベルまで来ているならば『初歩的なアドバイス』は必要ないだろう。

 後は自分なりに試行錯誤して、自分が目指す作品を形にすべきである。


 だが、しかし。

 

 諸君らの中には『昔と比べて技術も構成力も上がったのに、完成した小説が前の作品より面白くない』という一種の矛盾に陥る者もいるであろうと思われる。


『なぜ私の書く小説は面白くないのだ。以前より上手くなったのに』


 不思議であるが、ぜんぜん不思議では無いのである。

 これはありとあらゆる分野の未熟者が辿った道に過ぎない。


『ひよこ』が『ニワトリ』になれたからと言って、『ニワトリ』をマスターしたことにはならないのだ。


 彼らは『ニワトリ』という存在の入り口に立ったに過ぎないのである。次のステージに行ったときほど、多くの未熟者が落とし穴に落ちるのである。

 

『かつての自分が書けた小説は今の自分には書けない』

『今の自分に書ける小説はかつての自分が書くことはできない』


 だが、その二つの事実だけを持って、『後者の小説』が『前者の小説』よりも面白いとはならないのである。


 そんなのは張ってあるラベルだけを見て判断しているのと同じであり、『書く人間の性能差が決定的な戦力の差ではない』ということなのだ。


『そんなことは無い。書く人間の能力が高い方が面白い作品を作れるだらよ』


 と言う方もごらっしゃるだらよ。

(何か真面目な口調が持たなくなったのでふつーに戻ります)


 まあ、そんな方々のために理論的に説明しましょう。


『50』という能力を持つ作家と『100』という能力を持つ大作家がいたとします。この二人の力を比べれば明らかに『100』の大作家の方が面白い作品を作るれ能力があるでしょう。


 では。


『50』の作家が『100パーセント』の力を使って作った作品が『50』です。

『100』の大作家が『40パーセント』の力を使って作った作品が『40』です。

 

 どちらが上の作品を作ったのかは分かり易いでしょう。

 もちろんこれは机上の空論です。


 実際のところは『50』の作家が『120パーセント』の作品を作る。『100』の大作家が『10パーセント』の作品を作るなんてこともあります。


 要は『技術なんてくそ食らえ』というわけではありませんが、使いこなせない技術に何の意味もありません。能力とか技術というのは適切に使わないとその効果を完全には発揮できないのです。


 当たり前のことですが、『100』の大作家が『100パーセント』の力を使って作品を完成させることができれば、『50』の作家の二倍は面白い作品を作れる計算になります。


 まあ、大作家ならば『300』とか『600』ぐらいの能力値かもしれません。

 ですが、その能力を高ければ高いほど、最大限に発揮することは難しくなります。

 

 さて、ここで最初の問いに戻りましょう。


『なぜ私の書く小説は面白くないのだ。以前より上手くなったのに』


 それは『上手くなっただけ』だからです。

 技術とは土台に過ぎません。その上にどんな建物を建てるのかが重要なのです。


『なぜ昔の小説の方が面白いのか』


 技術という土台は不安定だからこそ、建てられる建物に限りがあるからです。

 そこには『自分にはできないことはやらない』という単純な強みがあるわけです。


 そのためこの状態に陥った『迷走作家』さんがやることは『過不足無く』です。物語に必要の無い技術を使用しない勇気と決断。要らんものは要らんと言いなさい。


『あのシーンも書きたい』

『このキャラクターも登場させたい』

『敵の心情も表現したい』

『サブキャラクターも活躍させたい』


 あーだこーだ。

 うーだこーだ。


『出来ない机上の空論』を物語に持ち込まないことです。

 理想が高いのは良いことですが、現実も見ることです。


 建物を作るために重要なことは最初に『一本の大黒柱』を立てることっス。

 

『その物語で一番表現したいことは何ですが?』


 これが所謂『テーマ』というやつですが、そんな高尚なものじゃなくても構いません。いつも通り分かり易く『主人公が活躍する物語』を作るとしましょう。


 その場合、次に重要なのは『主人公をどんな風に活躍させたいのか』ということです。これによって物語の『核』が変化します。

 

『主人公最強で強敵をカッコよく倒して欲しい』のか。

『主人公がぼろぼろに成りながら、努力と工夫で敵を倒して欲しい』のか。


 その二つの物語で使用すべき技術はまったく違います。


『世界観』

『キャラクター』

『構成』

『展開』

『文体』

『名称』

『戦闘シーンの書き方』


 その面白さを最大限に発揮しようとするなら、ありとあらゆる技術を最適化する必要があります。違う物語を書くのに全て同じ技術で書くということはしません。


 そのとき忘れてはならないのは、二つの物語とも『主人公が活躍する物語』を書きたかったということです。方向性は違くとも、そういう面白さを表現したかったわけです。


 つまり、極論、ありとあらゆる技術を『主人公が活躍するため』に使うべきです。

 逆に言えば『主人公が活躍するために』必要ないものを切り捨てて構いません。


 例えば『サブキャラクターも活躍させたい』という案があったとします。


 それが主人公の活躍に花を添えるなら使いましょう。 

 それが主人公の活躍を邪魔するのならば切り捨てましょう。


 もちろん『サブキャラクターも活躍させる展開』の方が物語の質が良くなるケースが多いです。でも、それが『テーマ』を遮るものならば、思い切って切ってしまった方が作品が良くなります。


 これは『物語の器の大きさ』も影響します。『器が小さい物語』にありとあらゆる面白さを詰め込んだら、溢れてどこかへと消えていくだけです。読者がそれを受け取ることもありません。


 例えば『蜜蜂と遠雷』は複数の主人公が混在する群像劇ですが、その舞台となる『コンクールという器(テーマ)』には、その群像劇を支えるだけのドラマがありました。後はそのドラマを作者様が表現できるかという問題になります。


『様々なことが出来るようになったからと言って、技術に使われるな』

『もし習得した技術を十分に使いたいならば、器の大きな作品を作りましょう』

『何にせよ、主題をぼやけさせてはいけないよ。面白さが迷走するよ』

 

 まあ、要約するとこの三つですかね。プロの商業小説でも、アマチュアのWEB小説でも同じですが、はっきり言って『一つの面白さ』をきちんと追求できていない作品は多いです。


 逆に言えばきちんと『一つの面白さ』を追求できている作品には価値があります。

 例えば、


 勘違い小説として順調に展開を広げている『嘆きの亡霊は引退したい』 

 一つの少年の成長物語とそれを取り巻く群像劇を描いた『リビルドワールド』

 ファンタジー小説として一つの異世界を丁寧に描いている『狼は眠らない』


 この辺りの作品はWEB小説でも根強いファンが多い作品になります。

 まあ、小生が好きな作品を挙げて見ました(笑)


 これは作者様がその『作品の面白さ』をきちんと『理解』して書いているため、連載が長引いても面白さが衰えず、しかも話が進むに連れて『物語の面白さ』をちゃんと増やしているからです。


 WEB小説では連載が続くと、『物語の面白さ』がぶれぶれになる作品も多いので、長期連載する場合はご注意ください。中には連載するためだけに連載している作品もあります。ジャンプかよ!(炎上案件)


 まず自分の書いた小説が面白くないと感じた場合、


『その作品が追求すべき面白さは本当に面白いのか?』

『その作品が表現すべき面白さを表現できているのか?』


 この二つを疑いましょう。

 文章が下手とかそういうのはその後です。


 まあ、文章が下手でも面白い作品はわりとあります。

 プロでも文章が下手と言われる人がいるぐらいですし(爆笑)


 文章と言うのは基本的には、読者が理解できる程度の言語レベルがあれば合格点です。これまた逆に言えば、その言語レベルが無いならば少し勉強する必要がありますががが。

 

 後はまあ、小説を読んでいれば自然と色んな言葉の使い方を覚えるでしょう。『西尾維新』氏の作品を読んで育った世代が『西尾維新』氏に近い文体を使う的な現象です。最近は少なくなってきましたけど、昔は大量発生してました。


『基礎』が大事と多くの分野で語られますが、それは『小説の世界』でも同じです。むしろ基礎さえあれば、後は『着眼点』次第で幾らでも面白い小説を掛けます。


 この『着眼点』に関してはいずれまた別の機会に語れればいいのですが、その着眼点があれば小生だって小説を書いて稼げてるはずなので、期待するでないぞ(爆笑)  

 もちろん『発展系』も重要です。読者をあっと言わせる展開』は武器になります。

 重要ですけど、まあ、どうしても拘らなければならないというほどでは無いです。


『発展系』ばかりに拘るとどうしても『王道的な面白さ』から離れてしまい、ミステリー小説も『発展系』ばかり模索した結果、小説のジャンルとしては見事に衰退しました。『机上の空論ミステリー』とか『トンデモミステリー』が増えました(汗)

  

『蜜蜂と遠雷』は複数の主人公を利用してコンクールという舞台を描きましたが、ぶっちゃけ一人の主人公がコンクールに挑戦する話を追求することでも、面白い話はに書けます。むしろこちらの方が『王道的な面白さ』に近いです。


 技術的には凄いことですが、必ずしもやらないと面白い小説が書けないというわけではない。ただその技術的に凄い小説を面白く書けたら、人気が出る可能性が高くなるというだけの話ですね。

 

『蜜蜂と遠雷』を面白くないという読者はもちろんいます。

 当たり前だのクラッカーです。


 一つの面白さを追求するということは、他の面白さを捨てるということ。

 だからこそ、他の面白さも拾いたくなる。


 でも、拾おうとした結果、一つの面白さも失ってしまう。

 

 強欲は身を滅ぼします。

 貴方は己の強欲に打ち勝つことができるでしょうか?


 強欲に打ち勝つことができれば、貴方は多くの財宝を得るでしょう。

 強欲を抑えることができれば、貴方は大切な財宝を見つけるでしょう。


 そういうお話です。

 最後は寓話調で(笑)


 次はたぶん『FGO』のイベント感想で。

 こちらは短くまとめようと思います。


 忙しいので遅れるかもしれませんが(汗)


<完>  

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