読書感想文『三体』(超ネタバレ)

『この三体という物語は何だったのか?』


 というのを掴むことは難しい。

 なぜなら、これは『三部作の一作目』に過ぎないからである。


 言わば『プロローグ』であり、まだ『土台』の状態なのである。

 それと同時に『読み手によって作品の構造が変わる作品』だと思う。


 作中の『ゲーム』と同じで別の情報が作品の『奥』に隠されている。

 それを読み解くことで『新しい構図』が見えてくるだろう。


 この物語は表面的に読めば『宇宙人とのファーストコンタクト』の作品だ。

 作中で描かれる『象徴としてのコンタクト理論』を描いた作品である。


 もちろんそれだけでも十分面白い。第二部で提供される『謎』、第三部で明かされる『真実』。その両方が『SF作品』として魅力的だろう。


 だが、そこに第一部が加わることによって『別の形』が見えてくる。

 この第一部は『SF』というより『文学』に近い。


『文化大革命』を通じて描かれる『狂乱』

 自分のために他者を平然と利用する『醜さ』


 第三部でも描かれるが『葉文潔』が人類に『絶望』する様子が描かれている。


 小生にはこの『絶望』こそがこの作品の『メインテーマ』であるように感じられた。あるいはそこから湧き出る『狂乱』とも言えるだろう。


『文化大革命』によって人類に絶望した『葉文潔』は人類を正すために行動する。

 彼女が頼ったのは自分たちより優れた技術を持つ者たち。


『彼らならば人類を正しく導けるのではないか』


 だが、それはただの妄想に過ぎない。

『人類に絶望したから、よく分からない神に頼る』のと同じ行為だ。


 それはある意味『文化大革命のときに行動した人々』と同じと言えるだろう。まさに『狂乱』であり、彼女がロープを切った瞬間、あのベルトを振り下ろした少女たちと同じ存在になったのである。


 そして、それは『マイク・エヴァンズ』も同じだろう。彼の行動は『葉文潔』よりも的確ではあったが、彼もまた自分の都合のいいように現実を『妄信』しているに過ぎない。


『異星の文明が地球よりも正しいに違いない』


 そこに根拠はない。科学的理由もまったくない。

 その行動が大きな博打であると気付いてすらいないのだ。


 ただ彼らは『人間の邪悪さ』に負けたのである。

(もっともその邪悪さですら『人の定義』に過ぎないのだが)

 

 絶望した人間が安易に神を頼るように。

 革命という名に都合のいい夢を見るように。


 そこにあるのは自分たちが正しいと一方的に夢想する『無知』に過ぎない。

(もっとも『マイク・エヴァンズ』は人間さえ滅ぼせれば良かったのかも知れない)


『人類を正しく導く(自分たちが正しい)』という大儀の元に振り下ろされる『狂乱』という名の渦。それこそがこの作品の根幹だと小生は考えた。


『正しいと思われる行動が視点を変えるだけで邪悪になる』


『沈黙の春』という言葉に込められたメッセージ。

 この作品に置ける行動の全てが『それ』なのではないかと思う。


 人類を守るために行動した人々ですら『無関係な人間の殺害』を『是』とする。

 そこにもまた大儀のために振り下ろされる『狂乱』を感じた。


 最初に描かれる『文化大革命』のシーンこそ、この物語そのものなのだと思う。

 

 正しいと信じて狂乱のまま行動する人々。

 正しいことを見極めようとして殺される人々。


 正しいことを覆されて自殺する人々。

 正しいことなど忘れて自分を守る人々。


 そして、その全てが歴史となって消えていく。


 だが、歴史となって消えたとしても『人間の邪悪さ』は消えない。

 過去となったはずの歴史が亡者のように蘇って繰り返されるような感覚。


『この物語の中で本当に正しい行動をした人間などいるのだろうか?』


 読み終えた後に感じる眩暈は何だろうか。


 人間よりも優れた科学力を持った生命体ですら、人間の延長線上にいる生命体でしかない。彼らは地球という場所を『楽園』のように思い、その場所を自分たちのために奪おうとする。


 そのために計画を練り、作戦を実行するというむしろ『スペオペの悪役』みたいな連中である。これで地球側に正義のロボでもいれば、まったく別の物語になってしまっただろう。


 かと言って彼らが『完全に悪なのか』と問われれば、それは分からない。

 もしかすると人間よりも『良い文明を誕生させる可能性』はある。


(だが、人間よりも合理的なので『ディストピア』になると推測できる)


 結局のところ『正しさとは何か』という疑問に戻ってきてしまう。

 それは複雑でとても難しい問題である。


 だが、この物語で描かれるその結論は至ってシンプルだ。 


『そんなもん知るか!』


 である。


『虫けらのように足掻け』


 邪悪だろうが、正しかろうが、やれるだけのことをやれ。

 それは『絶望』のようであり『希望』でもある。


 だからこそ、最初からそれを貫いていた『史強』という人物は力強いのである。


『正しくもなく邪悪でもなく、ただ生き抜くためだけに戦え』


 もしかするとそれだけが唯一の『正しい行動』なのかもしれない。


 だが、しかし、それは同時にこの作品の『最初の問い』へと戻っていく。


『文化大革命という狂乱の時代にもっとも正しい行動をしたのは誰だろうか?』


 狂乱を見据えた者。

 狂乱を拒絶した者。

 狂乱を受け入れた者。


 三者三様の末路。

 もっと大勢の人間の行く末。


 作中でもっとも上手く生き延びたのは『彼女』だろう。

 ただ『生き抜く』ためだけに戦い、勝ち残った。


 だが、それは本当に『正しい行動』だったのだろうか? 『間違った行動』だったからこそ『人類滅亡の引き金』は引かれてしまったのではないだろうか?


 答えは分からない。

『メビウスの輪』のように永遠と連なっていく問い掛けである。


 一つの正解が一つの間違いを生むような。

 一つの間違いが更なる間違いに連鎖していくような。


『葉文潔』は『狂乱』を忘れてあの村で暮らすべきだったのではないだろうか?

 己の中に『空』を見出すことだけが『狂乱』に対抗できるすべなのかもしれない。


 人は人類の行く末など気にせずに『解脱』の道を探すべきなのかもしれない。

 きっとそこに『平穏』はあるだろう。『未来』は無いかもしれないが。

  

 あるいは『正しい大儀』があれば『狂乱』も許されるのかしれない。

 だが、その『正しい大儀』というものを誰が証明するのだろうか? 

 

 結局のところ、『結果』からしか我々は正しさを知ることが出来ないのである。この物語の『結果』はまだ出ていない。彼ら/彼女たちの行動が『正しかったのか』を知るのはまだ先のことだろう。 


 さてさて。正直なところ、この次がどうなるのかはまったく予測できません(笑)

 いや、まあ、予測はできるが、パターンが多いですねー。


 地球人を中心に書くこともできるし。

 宇宙人を中心に書くこともできる。


 この続きで始めることもできれば。

 百年ぐらい年代を飛ばすこともできる。


 問題なのは『作者が何を描こうとするか』でしょうね。

 本当にこの『三体』という作品は『プロローグ』に過ぎません。


 人間(宇宙人)の『狂乱』を描いたうえで、それがどこに辿り着くのか。

 文学的にも難しいテーマです。むしろ今の我々がそこにいるのですから。


 でも、『SF』というのはそういうものでもあります。


『我々はどこから来たのか。我々は何者か。我々はどこへ行くのか』

 

 物語を通して『それ』を描くのも(SFの)主流の一つです。

 まだ見ぬ未来へと我々を連れて行ってくれるわけですヨ。


 小生はこの『三体』という物語の全てに何か一つの『糸』が見えるような気がしました。それを今回は『狂乱』とか『絶望』とか表しましたが、読者によってはまた別のナニカが見えるでしょう。 


 個人的には『村上春樹』氏の作品を読んでいるような感覚に近いものもありましたね。なんだろうなー。全体が一つのような、一つが全体のような、難しい感覚です。


 まあ、『てけとー』なのであんまり当てにしないでちょんまげ。

『海外版』を読んだ人の話だと、続編もめっちゃ面白いらしいから楽しみです。


 そのうちまた読み直してみるかな。

 たぶん『ミステリー』と同じでまた違う発見があるような気がします。

 

 正直なところ、長文を書きましたが自分の中のものを上手く表現できた気がしません。『もっと違う切り口があるのではないか』という疑念がむくむく。がちゃぴん。


 ネットで他人の感想でも探すかな。

 何か頭の良い人の感想を聞きたいな。

 

 あ、『SF的な欠点』の話じゃありませんよ(笑)

 科学的にきちんとしてるのを『ハードSF』というらしいです。


 へー。知らんかったわ。

 後書きにそう書いてありました。


 どっちにしろ小生は作中に書いてある通りに騙されるのでさっぱりです(汗)

 たぶん『SF警察』は今もどこかで活動しているのでしょう。


 馬鹿は物語が簡単に楽しめるので便利ですな。

 げらげら。ゆりげらー。


『SF作品』は難しいというイメージがありますが、本当に難しいSF作品はそんなには多くありません。後は作中の文章を読んでいれば理解できたり、理解できなくても雰囲気で何とかなったりします。


 まあ、その部分をきちんと理解できる知識があった方が面白いのでしょうが、過程は分からなくても『結果』は分かることが多いです。


 今回の作品も『どうやって』は分からなくても『どうして(なぜ)』とか『どうなったのか』というのは理解できるでしょうし。


 そういう意味では『三体』も『分かり易い方のSF』だと思います。

 近作はその奥にある『文学的なもの(テーマ)』がややこしいだけで。


(ちなみにこの作品が描いたのは『文化大革命』のことではありません)

(そこで起きた狂乱すら人の持つ歴史の一つに過ぎないということです)

 

(人間が今まで燃やして来た『狂乱の全て』がテーマと言えるでしょう)

(『文化大革命』もその一つの『例』に過ぎません。おそろしいことですが)


 でも、『表面』も『裏面』も面白い作品は良い作品です。

 その辺りは『蜜蜂と遠雷』などと同じかなーと思います。


 でわでわ、長くなったので終わり。

 あくまでも個人的な感想なので、人によって違う感想になるのは当然ですよん。


 小生みたいなややこしい『読み方』をする必要もないんですけどねー。小生はある人物との会話で『やってやろう』とアクセルをぶち抜いたので、こんな『読み方』をしてます。


 それが『正しいのか』も分からないわけですけど(汗)

 オチ。


<2020年宇宙の旅>

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