FGO『創世滅亡輪廻 ユガ・クシェートラ』 感想(ネタバレ)

『邪悪を滅ぼせ』


 と神は語る。

 

 善と悪。

 正しき者と悪しき者。


 善行を積めば救われ、

 悪行を重ねれば報いを受ける。


 悪を憎み、悪を滅ぼせ。

 悪を許し、悪を浄化せよ。


 悪を、悪を、悪を。

 この世の全ての悪を。


 さすればその先に『理想郷』が生まれるだろう。

 在りとあらゆる者が救われ、報われる『ユートピア』


 だが、だが、だがしかし。


『悪』とは一体何なのだろうか?


 他者を見殺しにして自分だけ生き延びることは『悪』だろうか?

 他者を助けて皆殺しにされることは『善』だろうか?


 老いて衰えた老人は『悪』だろうか?

 生まれたばかりの子供は『善』だろうか?


 怪我して動けなくなった人間は『悪』だろうか?

 健康で働ける人間は『善』だろうか?


 ああ、何を基準に悪を悪とするのか。

 ああ、何を前提に善を善とするのか。


 それは誰にも分からない。

 だからこそ『法』や『ルール』や『戒律』がある。


 誰かが決めた、誰かに都合がいい『善悪の基準』

 だが、そこには確かに意味がある。


 しかし、それすら無かったとしたら。

 その選定の先にあるのは『空っぽの理想郷』だろう。


 前提が間違っているならば、結果もまた間違っている。


 当たり前のことにすら気付かなかったからこその絶望。

 誰一人としてまともに生きていけない終わった世界。


 だが、例えそうだったとしても。

 そこで生き抜いた人々の終わりは無駄ではないのだろう。


 異邦人が訪れたことによる変化。

 絶望の世界で最後に踏みとどまった小さな奇跡。


 救いは無い。

 間違えた世界はただ滅びるのみ。


 それでも人は夢を見る。

 それが仮初の幸せだったとしても。


 神であろうと。

 世界であろうと。


 人から全てを奪うことなんてできやしない。


 終わった世界の果ての果てに。

 何を見るかはその世界の住人次第なのだから。



――――


 うーん、むずい(笑)

 ここに来て更に『物語の段階』を一段階上げてきましたね。


 今回の『王』は他の『ロストベルト』とは違い、明確に倒すべき敵でした。

 むしろ『神』のせいでこの世界は滅びてしまうという元凶そのものです。


 ある意味では『始皇帝』に近い立ち位置でしたが、結果はまったく違います。『始皇帝』は『届かなかった結末』ですが、今回は『(前提が)間違ってしまった結末』です。


 どちらも人類の可能性を食い潰したわけですが、それでも後者の方が遥かに性質が悪い。そもそも彼の行為に意味が無いからです。


 争いを止めるために人類を絶滅させるよりも悪い結果。

 まさに『生き地獄』を作ってしまいました。


 そのため今回は『神』に『王』という役割はありません。

 その代わりになったのが『ラクシュミー・バーイー』です。


 今回は彼女が『裁定者』です。他のロストベルトの『王』と同じように彼女に認められなければ先に進めないというルールでした。


 立ち位置としては『アタランテ(オルタ)』に近いものがありましたが、結果はまったく違うものとなりました。


 あのときできなかったことを今回はできたというだけでも、彼らが歩んできた道、見てきたものは無駄では無かったのでしょう。


 というように前半戦の締め、後半戦の始まりとしては素晴らしいシナリオでした。


 他にも『マシュ』が潜在的には『クリプター』側の人間であることを明確にしたり。『アタランテ(オルタ)』のケースと比較させて、主人公の成長を見せたりとか。


 いろいろと見せ場のあるシナリオでもありました。

 味方も目立っていましたが、敵側もめっちゃ目立ってた。


 在り得ない自分を否定するために自殺をした『ナタ』

 自分を取り戻し、世界の癌と戦った『アスクレピオス』


 大切なものを奪った敵に一矢報いた『ウィリアム・テル』

 最後まで自分を貫き通した『アシュヴァッターマン』


 敵側のテーマの一つは『自分』でしょうかね。

 神にとって『邪悪』であるものが自分そのものだったりする。


 そういう皮肉的な感じだったような気もします。

 サーヴァントというのは良くも悪くも『自分』から逃れられない存在ですから。


 後は『コヤンスカヤ』の目的も大分分かってきましたね。

 人間が嫌いで『あれ』を集めてることを考えるとおそらく『――――』かな。


 そうそう、シナリオで忘れちゃいけないのが『CCC』の続編でもある点ですね。

 いやーまさか『その後』が見れるとは。課金してきたかいがあるというものです。


 ガチャ回したよ。

 前回爆死したから、今回はわりと早めに出ました(笑)


 最後に語るべきなのは『あの夢』でしょうね。

 主人公たちが来ても来なくても、この世界は終わりを迎えていました。


 でも、主人公たちが来なければ少女が『夢』を見て終わりを迎えることはできなかったでしょう。


 ですが、それはけっして『許し』ではありません。

 自分たちのために一つの世界を犠牲にした。


 それは紛れもない事実です。

 その行いが『邪悪』だったのか問われるのはこの先でしょう。


『汎人類史』が幾多の世界を犠牲に発展していったことも含めて。

『主人公』はその正しさを証明しなければなりません。


 ある意味では今回『神』が行なっていた行為は、『汎人類史』が世界に対して行なっている行為と同じです。


 人類にとって『邪悪』となった世界を排除して前に進んだ世界。

(現在の主人公たちはその追体験をしているとも言えます)

 

 それは人類という大きな視点で見れば正しい選択です。

 それがどんなに過酷な道だったとしても、それ以外の選択肢が無かったわけです。


 ですが、結果が正しくとも、手段が正当化されるわけではありません。


 物語で求められるのは『正しい結果』だけではありません。

 その過程で何を見て、何を知って、どんな行動をしたか。


 世界が選ぶ『選択』と人間が歩む『道』はまた別の問題なのです。


 まあ、そんな感じで物語も後半戦。

 順番的にはおそらく次は『主人公の物語』となるでしょう。


 それで『6』が『マシュの物語』となって。

『7』が『最後のまとめ』かな。


 もっとも『いつ』になるんじゃーいというお話です(笑)


 ま、この密度の物語を連続で堪能するのもきついので、ある程度期間が開いていた方が助かりますけど。二部になってから読んでいて『精神力』とかが削られてくるんですよねー。


『一部』と『二部』で面白さのベクトルを微妙にずらしているというのも、未だに楽しまれている理由の一つでしょう。イベントでの『ギャグシナリオ』とかもありますしね。


 いやはや、まだまだ『FGO』を楽しめそうで嬉しいです。

 完。


<ホームズの台詞も良かったです> 

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