パチンコ玉と作者と読者の幻想皇帝


 新規レビュー、どうもどうも。

 こうやって返事を返すだけで、作品が一つできるので楽です(楽)

 

 さて、パチンコ玉って美しくないでしょうかね?

 小生、昔からパチンコ玉が好きで、そこに人間の芸術性を見出しているような気さえします。こう丸さが素晴らしいんですよね。無駄の無い丸さって感じで。


 パチンコはやりませんが、パチンコ玉が動き回っているのを見るのは好きです。

 ぐるぐる、じゃらじゃじゃら。

 そこにも何かの芸術が潜んでいるような気がします。

 幻想ですがね。

 


 さてさて、小生の駄文に何かを感じられている方々は、たいてい自分の思い込みでございます。ですが、この思い込みという奴が作品を膨らませるわけです。


 文章を作るのは作者ですが、それを読み取るのは読者です。

 よって、ネイチャー風に言えば、作品を最後に仕上げるの読者様なのです。


 こればかりは作者様にもどうしようもありません。

 作品外で作者が作品を語るという行為は、基本的にあまり推奨されていないからです。その辺りはお笑い芸人やマジシャンと同じです。彼らもまた自分の作品(技術)を必要以上に語ることはしないでしょう。


 その作品が綺麗に仕上がっているのならば、読者は過不足なく作者の意図を読み取ることができます。

 まあ、世の中にあるほとんどの作品はそうじゃありません。


 描写が多過ぎて、作者の考えと違う意図が生まれたり。

 逆に描写が少な過ぎて、作者の意図がまったく伝わらなかったりします。


 これらの現象はプロの世界ですらよくあることです。

 作者が完璧に作品を仕上げたとしても、それを読み解くのは他人である読者である限り、そこに必ず情報のロスが起きます。


 そのロスが小さいならばあまり問題になりませんが、大き過ぎるとハッピーエンドなのに、読者はバットエンドだと感じるという現象すら起こるのです。


 摩訶不思議です。ですが、以前小生もこれをやらかして、ある作品に対する評価をしばらく勘違いしてました。バットエンドではなく、ベターエンドだったのです。

 いや、それもまた勘違いかもしれませんがね(笑)


 勘違いが発生する原因は作者側にあったり、読者側にあったりと、いろいろでしょう。ここでは説明しきれないぐらい、いろんな要因があります。


 一例を挙げるとすれば、『オマージュ』が良い例でしょう。

 元になった作品を知っている読者と、それを知らない読者の間で認識に差が出ます。その差は作品自体に影響を与えるものではありませんが、それでも読者の感想に差が出る程度の影響力はあるでしょう。


 

 うーん、ちょっとした駄文を書こうとしたのに、どんどん長くなっていくぞ。

 困ったことです。えーと、今からオチを考えます。


 よし、言いたいことは一つです。


『作品を仕上げるのは読者である』


 まったく、長々と話さずとも結論は最初に言ってました。

 まあ、その時点はどのぐらいの読者がその言葉を理解しているのか知りませんが。

 そもそもこの駄文だって作者の意図を正確に表しているんだか、というお話です。


 へん、作者が自分の書いた文章を理解していないことだって、よくある話ってことですよ。中身を読者が勝手に想像するだけでね。

 

 好意を持って想像するのか、悪意を持って想像するのか。

 という違いもありますがね。

 

 では、オチがなくなりそうなので、さよーならー。



<幻想皇帝> 


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