世界万華鏡(短編集)

木村凌和

世界万華鏡

 早坂鏡子、と最後に名前を入力して、鏡子は背もたれに寄りかかった。引き寄せた飲み物をすすりながら書き上げたばかりの文章を読み返す。出来は及第点だ。編集長に突き返されるかもしれないが、それなりにやるだけのことはやった。気が抜けると頭と身体が眠気に重くなっていることに気づいてしまう。あー、と間抜けな声を出してだらしなく椅子に全身を預けた。仰ぎ見た天井は鏡子の上だけが明るい。

 『鏡子』の『鏡』は『万華鏡』の『鏡』でもあるのよ。幼いころに母が言っていたことを、名前を見る度に思い出す。そしていたたまれなくなるのだ。

「あれ、終わったんですか」

 声は今年他部署に異動していった後輩のものだった。鏡子は締め切り前いつもこうだから、今更この体たらくを取り繕う必要も無い。

 早いじゃないですか。そう言う後輩ならもっと早く書き上げるだろう。だから異動していったのだし。

「そりゃあねー。ね、飲みに行こ」

 今回の記事も書き上がってみれば、なんてことの無い無難で、つまらない内容だった。それが鏡子には我慢ならない。

「ははあ、さては万華鏡子ちゃんとしては今回も不満なわけですか」

 居酒屋でビールのお代わりを頼むついでに後輩はにやにやする。

「だってさ、世界はもっと面白いじゃん。その辺に転がってる小石だってさ、この焼き鳥の串にしたって見方さえ変えればずーうっと面白いと思うんだけどなあ」

「例えば?」

「それは、すぐには思いつかないけど!」

 はいはい。後輩が適当に相づちを打つまでがいつもの流れだ。そしていつものように鏡子はテーブルに突っ伏す。もう、止めて下さいよう。後輩が本気混じりで言うのを聞き流して、鏡子は結局いつもと同じことを考える。

 鏡子は幼い頃身の回りの、世界のほんの小さなものにきらきらした輝きを見いだすのが得意だった。雨上がりの水たまりに日の光が差し込んで反射するのがきれい。電線に等間隔にとまっている雀たちがかわいい。小さな花の集まって咲いているさまが愛らしい。母親に褒められるのが嬉しくて探し回った。次第にそれを表現したくなって絵を描き始めたり小説を書いたりしたがどちらも夢は潰えた。それで未練がましく文章に関わる仕事をしている。それなのに、仕事で書く文章のなんてつまらない。内容も方向性も大体決まっている。それにほんの少し手を加えるだけの文章。

「きらきらしてるものがさあ、その辺に転がってるんだって。気づかないだけで」

「きっと仕事もそうですよ、先輩」

 これはいつもと違った。後輩の手が鏡子の頭を、ぽん、叩く。

「先輩は、そういうの探すの得意ですもんね」

 顔を上げると、後輩の顔はどこか満足げだ。

「なに良いこと言ったみたいな顔してんのよ。当たり前でしょ!」

 そうだ。この子なんかよりずっと、ずっと私の方が世界の見方ってものをわかっているんだから。

 鏡子は勢いをつけてジョッキを飲み干した。


Fin. 150721

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