第63話 夢中! 闇の底に浮かぶ少女の夢! (Aパート)

 深くて暗い海へどんどん沈んでいく感覚がする。

 息苦しくない。そのせいか、もがこうと思えない。

 底へ底へ落ちていく。でも、底に何があるのだろうか。

 そう考えると、光が灯った。

「カナミぃ……? カナミィ、起きてぇ……?」

 誰かが自分を揺すっている。

 誰かなのかわかっている。

 この間延びしたのんびりとした口調。でも、なんだか癒される温もりに満ちた声。

 結城涼美。母親しかあり得ない。

「母さん……まだ、寝かせて……」

「起きないとぉ、遅刻するわよぉ」

 涼美のおっとりした口調がかえって、子守歌のように眠気を誘った。

「にどね、さいこう……」

 そして、かなみは二度寝を謳歌しようとした。

「起きないとダメだぞ、かなみ」

 そこへ聞き慣れない男性の声がする。

「え!?」

 かなみは驚いて、布団を振り払って起き上がる。

「父、さん……?」

 そこにいたのは、結城金太。父親であった。

「ん、そうだが、そんなに驚いたか?」

「あ、いや……どうしてウチにいるの……?」

「父さんがウチにいたらおかしいか?」

「おかしく、ない、けど……」

 違和感があった。

 父がウチにいるなんて……いつもはいなかったはずなのに……。

「ほらぁ、朝ごはんが冷めちゃうわよぉ」

「ああ、うん……」

 涼美に急かされて、釈然としないままテーブルに着く。

 白いご飯に味噌汁、そして、おかずに鮭の切り身。どれも湯気が立っていて出来立てなのを物語っている。

 朝は食欲が無い。そんな鉄則を打ち破るほどに食欲を掻き立てるものであった。はずなのだけど……。

「母さんの朝食って、こうだったっけ?」

 どうにも違和感があった。

「こうだったわよぉ。パンが食べたくなったぁ?」

 そう聞かれて、確かにパンの方がしっくりくる気がした。どうしてだかわからないけど。

「ううん、そんなことない」

 かなみはそう言って、錯覚なんだと思い直す。

「いただきます」

 三人合わせて、合掌する。

 これも懐かしい気がした。

「かなみ、凄い食欲ねぇ」

「そ、そう?」

「三日ぐらいぃ、まともに食べてないぐらいのぉ勢いよぉ」

 既に米の茶碗と鮭の皿は空になっていた。

「育ち盛りなんだから、それぐらいじゃないと母さんみたいに成長しないぞ」

 父はにこやかに言う。

「まああなたったらぁ、どこみてるのよぉ」

 プルン、という音が母の胸から聞こえてくる。

「………………」

 かなみの手が止まる。

「んぅ、どうしたのかなみぃ?」

「あ、いや……」

「母さんに何かついてたぁ?」

「そうじゃなくて……なんだかウチに、母さんがいて、父さんがいるの……なんだか、久しぶりみたいで……」

「そうか。父さんはいつもウチにいるぞ」

「そうだったかしら? いつも、ウチ飛び出してばっかじゃなかった?」

「そんなことないぞ」

「………………」

 やっぱり違和感があった。

 出張が多くて、ウチを空けてばかりだったはずなのに。

 ウチにいるのなんて一年の内で数えれるほどしかなったのに。

「母さん?」

 救いを求めるように涼美へ訊く。

「母さんだって父さんについていって、いつもウチは私一人で……」

「母さんもいつもウチにいるわよぉ」

「………………」

 二人に揃ってそう言われたことで、自信が持てなくなってきた。

 ウチに、父さんがいて、母さんがいる。

 それが当たり前の日常。

 何の不満があるのだろうか。朝ごはんもおいしかったし。

「そんなことよりぃ、のんびりしてるとぉ遅刻するわよぉ」

「母さんにのんびりとか言われたくない!」

 条件反射で反論すると、時計に視線を移す。

「遅刻する!」

 本当に遅刻しそうな時間であった。

 かなみは慌てて、寝間着から制服に着替えようとする。

「年頃の少女は、父親の前で着替えるものなのかね?」

 父からそう言われて、ハッと気がつく。

「違う違う! 違うからぁぁぁッ!!」

 かなみは慌てて、戸を閉める。

「別に父さんは構わなかったんだけど」

 そんな声が聞こえてきた。

 今度そんなこと言ってきたら殴り飛ばしてやると心に誓うのであった。

 そして、制服に着替えて外へ出ようとする。

「いってらっしゃーい」

 振り向くと、涼美が笑顔で手を振っている。

 そこで、ようやく出かける際にある言葉を言っていないことに気がつく。

「行ってきます」

 外に出て、学校へ向かう。

 いつもの空、いつもの街並み、いつもの通学路。何もかもが毎日と同じ光景なのにやっぱり違和感がある。

 ふと肩をさすってみる。

「肩こり?」

 いや、この歳でありえない。と思った。

 ただ今日は肩が妙に軽いだけで。いつもと変わらないはず。


キンコーンカンコーン


 始業のチャイムが鳴る。

 今日の一時間目は数学の時間。憂鬱であった。

「数学の時間ってなんであんなに眠いのかしら?」

「数式ってのは催眠術みたいなもんじゃないか」

「いえてるわ」

 貴子に同意する。

「一時間目からだと辛いわよね」

「一週間に四時間もあるとそういうこともあるわよね」

 理英は時間割表へ視線を移す。

「四時間あるときっついよな。この間のテストも散々だったし」

「私も~」

「あれ、理英は点数良かったって言ってなかった?」

「え、そんなことないわよ」

「でも、あの教育実習生が教えてくれるようになってから、わかりやすくなったって……」

「教育実習生? 何のこと?」

「ほら、数学にいたじゃない? むかつく教育実習生が」

 理英と貴子は二人揃って疑問符を浮かべる。

「かなみ、あんた何言ってんの?」

「ん?」

「教育実習生なんていないわよ」

「……え?」

 かなみはキョトンとする。

「え? だって、数学に教育実習生がいたんじゃ……」

「そんなのいるわけないじゃない」

「夢でも見たんでしょ。イケメンの教育実習生が教えてくれるってやつ」

 貴子がからかってくる。

 夢。本当に夢なのだろうか。

「………………」

 数学を教えていた教育実習生。

 そんな人が本当にこの学校にいたのか。確信が持てなくなってきた。

「夢、みてたのかも……」


キンコーンカンコーン


 そして、二時間目が始まる。




 そんな風に、授業を過ごしていった。

 退屈で早く終わってほしいなと思いつつ、心のどこかでこのまま続くといいなと考えてしまう。

「……平和ね」

 ふとぼやく。

「なんか、かなみがおばあちゃんみたいになったみたい」

 貴子の一言にムッとする。

 せめて、のんびり屋の母に似てきたといってほしかった。……それもちょっと癪か。


キンコーンカンコーン


 放課後のチャイムが鳴る。

「よし、授業終わり!」

「貴子、元気ね。今日は何の部活の助っ人?」

「今日はバレー! かなみも一緒にやろうよ!」

「ううん、遠慮しておく。あんまり運動得意じゃないし」

「そんなことないだろ。昨日の体育だって……」

「え? 昨日体育なんてあった?」

「あっただろ。忘れたのか?」

「そんなこと……」

 かなみは教室に張り出されている時間割表を確認する。

「……あれ?」

 時間割表が見当たらない。

「やっぱりおばあちゃんか。ボケたんじゃないの」

「もう! そんなんじゃないわよ!!」

 かなみは怒るものの、貴子は大笑いする。

「ハハハハ! じゃあ、行ってくるぜ!」

 貴子は元気に教室を飛び出す。

「貴子は凄いわよね。いろんな部活の助っ人して」

 理英は言う。

「あれでもうちょっと頭が良かったらいいんだけどね」

「天は二物を与えないものよ」

「あはは、本人がきいたら怒るよ」

「だから、かなみに言ってるんじゃない」

「……それはそれで、どうかと思うけど」

 かなみは小声で言った。

「ん、何か言った?」

「ううん、なんでもない」

「ところで、今日ヒマ?」

「ヒマっていうか、予定はないけど」

「じゃあ、ヒマね」

 釈然としない。

「この前出来た雑貨屋さんに寄ってかない? 可愛いアクセとかありそうだったのよ」

「それいいわね。あ、でも、私お小遣いが……」

 かなみは財布を確認してみる。

「……あれ?」

 思ったよりお金が入っていた。

 千円札が三枚ほど入っている。いつもは三枚どころか一枚だって入ってないはずなのに。

(母さんが入れておいてくれたのかな)

「かなみ、お金持ちじゃない」

「う、うん……しらないうちに貯まってた」

「それだったら何でも買えるわよ。いこーいこー」

「ええ」

 理英に連れられるまま、下校した。

(あれ、何かこの後、用事があったような……)

 その用事が何だったのか、思い出せなかった。




 理英に連れてこられた雑貨屋はこじんまりしているけど、小物やアクセサリーの品揃えがよく、目移りしてしまう。

「これなんか可愛いんじゃない?」

 理英はチャームを見せる。

「カバンにつけるの。ちょっと派手じゃない?」

「これぐらいがちょうどいいのよ。かなみだったらこれじゃない」

 それはトランプのダイヤの形をしたチャームだった。

「うーん、なんか違うかな」

「そう、似合うと思うんだけどな」

 理英とはちょっと趣味が合わないかもしれないと思う。

「……あら?」

 かなみはマスコットのぬいぐるみの棚に視線を移す。

 そこにあったネズミのマスコット。特に可愛いわけでもなく変わった特徴もない。それでも気になって仕方が無かった。

「……そのマスコットが気になるの?」

「……え!?」

 突然声を掛けられて、かなみは驚く。

 青い髪の高校生ぐらいの少女であった。

「あ、あの?」

 かなみにとって知らない人だった。

 それに対して、少女は意外そうな顔をする。

「あなた、マスコットは好き?」

「マスコットは、好き……っていうより、可愛いのが好き、ですね」

「そう」

 少女はその答えに満足して去っていく。

「あの、あなたは……?」

 かなみは問いかけても、少女は応えなかった。

「……?」

 その少女の肩にイノシシのようなマスコットのぬいぐるみが乗っかっているように見えた。

(きっと、気のせいね……)

 そう思い直して、かなみはネズミのマスコットをもう一度見つめる。

(本当にどこかで見たことあるわね……テレビ番組? 遊園地? ご当地ゆるキャラ?)

 いくら考えても思い出せない。

 私はこのマスコットを知っているはずなのに、知らない。

「………………」

 気づくと、そのマスコットを手に取っていた。

「……マニィ?」




「かなみがそんなマスコットが好きだなんて思わなかったわ」

「そんなんじゃないけど……」

 結局、そのマスコットを買ってしまった。

 値段は恐ろしく安かったので、財布としてはそんなに痛手ではなかった。

「なんていうか、気になって仕方が無くて……」

「それを好きっていうのよ」

 随分と勝手な言い草だと思ったけど、強くは否定できない。

「よくよく見てると可愛いし……」

 かなみは本当によくよく見てみる。

「やっぱり可愛くないわね」

 あっという間に前言撤回する。

「――酷いね、お世辞でも可愛いといってほしいところだよ」

 急に少年のような声がする。

「……え?」

 ネズミのマスコットが喋ったような気がした。

「今、喋った?」

 かなみはマスコットを凝視する。

 マスコットはやはりただのぬいぐるみで、喋る気配が全くない。

「どうしたの?」

「ううん、なんでもない」

 理英に訊かれた事で、かなみは我に返る。

(ぬいぐるみが、喋るわけがないか……)

「ねえ、かなみ? クレープ食べてかない?」

 理英は、クレープ屋を指差す。

「いいわね!」

 かなみは目を輝かせる。

 迷わずチョコバナナのクレープを注文する。

「おいしい!」

 さっそくかぶりつく。

「あれ、かなみってバナナがそんなに好きだったっけ?」

「……え?」

 イチゴムースを手に取る理英に訊かれて、手が止まる。

「大好きだけど、どうして?」

「あ、えぇっと……なんか、いっぱいクレープ食べるかなみって新鮮だと思って……」

「人を魚みたいに……」

 そう言いながらも、クレープを食べる。

「うん、おいしい!」

「かなみ、こっちも食べる?」

「うんうん! じゃあ、私のもあげる!」

 こうして、楽しい一時を過ごした。




 それからほどなくして、理英と別れて帰り道に着く。

 もう予定は無いから、家に帰るだけだ。そのはずだったけど、全然ウチとは違う方向に歩が進んでいった。

(あれ、なんで私、こっちに……?)

 そう気づいた時に見上げると、見たことの無いビルの前に立っていた。

 四階建ての古びたビジネスビルで、一度も来たことがない。

「……遅刻だね」

 また声がする。

 あの店を出た時もした少年のような声。

「あんたが喋ったの?」

 カバンにとりつけたネズミのマスコットに訊く。

「………………」

 しかし、マスコットは当然のことながら何も喋らない。

 二度もマスコットから声が聞こえてくるなんて、何かの病気なのだろうか。

(帰ったら、母さんに相談してみよっかな?)

 そうと決まったら、ウチに帰ろう。と思ったけど、足はビルに入っていった。

 まるで、ウチに帰るかのように自然な成り行きで。

 二階に上がって。ある部屋への扉を開ける。

「おはようございます」

 ごくごく自然な入りであった。

「……あれ?」

 自分は何をやっているんだろうと気づく。

「…………………」

 扉の奥はこざっぱりとしたオフィスで、机が規則正しく並べられている。ところどころにおもちゃがあったりして、どこかアットホームな雰囲気が漂っている。

「あんた、誰?」

 赤髪の女の子が不審な目つきで投げかけてくる。

「……え?」

「あんたよ、あんた? うちの会社に何か用かって訊いてんの!?」

 凄い勢いで捲し立てられて、圧倒された。

 でも、この子、小学生で背が小さいせいか、怒っている様はなんだか可愛げがある。

「別に用は……あった、かもしれない?」

「なんで疑問形!? あんた、もしかして記憶喪失?」

「そ、そんなことないわよ。なんで、ここに来たのかはわからないけど」

「記憶喪失、じゃなくて……夢遊病患者ね」

「ひど!?」

 容赦のない物言いであった。でも、なんだかお馴染みの感じがした。

「早く病院に行きなさい」

「私、病気じゃないから!」

「みあさんがそこまで遠慮無く言うなんて珍しいです。ご姉妹ですか?」

「こんな奴、妹なわけないじゃない!」

「い、妹……?」

 かなみは呆然とする。

 なんて、態度の大きい小学生なのだろう。初対面でここまで散々言われたのは初めてだ。

「初対面なのに……」

「本当に初対面なんですか?」

 赤髪の隣にいる紫髪の子が訊いてくる。

「ここに来たのは初めてだし、あんた達にあったのも初めて、なんだけど……」

 どうにも違和感がある。

 初めてのはずなのに、初めてな気がしない。


――この子達とずっと前から知り合いだった気がする。

――ううん、知り合いなんて言い方じゃなくて、……


 かなみは頭を抱える。

 頭がグルグル回りだしてわけがわからなくなる。

 たまらず、席につく。

「ちょっと、勝手に座らないで」

「え、ここ、私の席じゃ?」

「あんた、初めて来たばかりじゃなかったの」

「あ……」

 言われて、かなみは気がつく。

 そもそも、ここに来たのは初めてのはずなのに、この席に着いたのは初めてじゃない気がする。

「そこは他の人のデスクですよ」

「え……? 他の人?」

 その言葉に違和感がある。

 どうしてだかわからないけど、ここは自分の席のように感じてならない。

 それこそ、学校の教室の席みたいに決められているかのように。むしろ、他の誰かがこの席に座っていることの方がおかしいくらいだ。

「他の人って、誰……?」

「それは……」

「いいじゃない、そのくらい」

 紫髪の子が答える前に、後ろの方から声がする。

 振り向くと、そこには銀髪の少女、いや、少女というわりには風格がありすぎる。

「あなたは……?」

「私は金型あるみ。この会社の社長よ」

「会社?」

「そう。魔法少女っていうのよ」

「魔法少女? どんな会社なんですか?」

「その名前の通り、魔法少女をやっているのよ」

「魔法少女って……あの漫画やアニメに出てる、魔法を使う女の子のことですか?」

「漫画やアニメ、だけじゃないわ」

「え……?」

 あるみという女性にそう言われて、かなみは息が止まる。


――魔法少女は現実にちゃんといる


 あるみがそう言ったわけでも、かなみが言ったわけでもない。

 でも、そう言われた気がしたし、言った気もする。

「あの、あなたは魔法少女なんですか?」

「ええ」

 あるみは何の迷いも無く、誇らしく答える。

「そこのみあちゃんも紫織ちゃんもね」

 そう言われて、かなみは二人を見る。

 確かにそれに相応しい可愛らしさがこの二人にあるように感じられる。

「あなたは魔法少女じゃないの?」

「……私?」

 訊き返された。

「………………」

 何も答えられない。


――私は魔法少女じゃありません。私は普通の女の子です。


 そう答えようとして、喉から出かかったのに止まった。

 どうしてかわからない。

 まるで、魔法にかけられたみたいだ。

 あるみの瞳を見つめていると、自分は魔法少女なんだと錯覚しそうになる。

 いや、錯覚なんかじゃなくて……

 かなみは耐えきれなくなって、目を伏せる。

「そう」

 あるみはそれだけ言って、オフィスを出て行った。

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