第60話 観劇! 観客の少女もまた役者なのか (Aパート)

 オフィスのトイレに水滴が垂れる音がする。

「今日こそ……! 今日という今日は……!」

 翠華は鏡に映った自分に言い聞かせるように唱える。


パンパン!


 そして、頬を叩く。気合を入れるために。

「今日こそかなみさん……デートに誘う!」




「今日はもうあがっていいよ」

 鯖戸からそう言われて、かなみは帰り支度を進める。

「お疲れ様ー」

「あ、かなみさん」

 オフィスに戻ってきた翠華と顔を合わせる。

「翠華さん、まだいたんですか?」

「え、ええ……ちょっと、仕事を……」

 そこまでいつものように受け応えして、そうじゃないと頭を振る。

「あ、あのね、かなみさん……あ、明日は……」

 先ほどまでお手洗いで練り上げた気合など微塵も残らず吹き飛ばされる。

「明日は休みです。みあちゃんが部屋で観賞会しようって」

「み、みあちゃんと!?」

「そうなんです。みあちゃんと紫織ちゃんと一緒に」

「そ、そうなの……」

 いきなり旗色が悪すぎる。

 かなみとみあの仲は良く、休みの日はよく一緒に過ごしているって聞いている。

 そんな中で、デートに誘うなんて自殺行為もいいところだ。

(もし、断られでもしたら……立ち直れない……! ――でも!)

 いつもならここで身を退くところだけど、今日ばかりはそうはいかない。

「か、かなみさん!」

「は、はい?」

 翠華は内ポケットから切り札を出す。

「明日、私と……つ、付き合って……!」

「……え?」

「一緒に、映画……!」

「……映画?」

 翠華は勢い任せに映画の優待券を二枚出す。

「ああ、映画ですね!」

 それを見て、かなみは察する。

「え、ええ! そうなの、映画よ!」

「彼氏と行くんですね!」

「……え?」

 かなみは目を輝かせているんで、翠華は唖然とする。

「映画で二人でデートなんて素敵です! とても羨ましいです!!」

「あ、いえ、それが……それが」

 翠華には素敵な彼氏がいる。

 そんな彼氏と映画を見に行くという素敵な休日を過ごす。そう信じて疑わないかなみの憧れの眼差しがまぶしい。

「違うの!」

 しかし、そのまま流されてしまったら目的を果たさない。

「え、違うって?」

「か、かかか、彼、とははは、いいいかないの、映画!」

「え、そうなんですか? ドタキャンですか?」

「そそそ、そうなの!! ドタキャンなのよおおおおッ!!」

 翠華は勢い任せに力一杯力説する。

 それがかなみにとっては、彼氏からドタキャンされた嘆きに見えて仕方が無かった。

「そ、それはつらかったですね」

(かなみさんが同情してくれてる……!)

 今しかチャンスが無い、と翠華は見定めた。

「か、かなみさん……だから、一緒に……!」

「え……?」

 ここまで言われたら、鈍感なかなみも翠華が何を言いたいのか察する。

「わ、私と……一緒に……」

 ブンブンと翠華はものすごい勢いで頭を振る。

「いいんですか? 私が一緒に行っても?」

「こ、この券、明日まで、だから……」

 なるほど、と、それでかなみは納得した。

「それなら行かないともったいないですね」

「え、ええ……!」

「わかりました、私と一緒でいいのなら是非!」

「――!」

 翠華は驚き、そして顔をそらす。

 あまりの感激のあまり喜びやら戸惑いやらでどういう顔をしているのか自分でもわからないから見られたくなかったからだ。

 そして、ちょっとだけ時間が経つと安堵の思いがこみ上げてくる。

(よかった……断られたら、立ち直れなかったところよ……)




 というわけで、翠華は待ち合わせの映画館に一時間も早く来て、かなみを待っていた。

 とっておきの化粧とお気に入りの服でコーデしている。

(かなみさん、私を見てどう思うかしら……?)

 そんな胸の高鳴りだけを楽しみにかなみがやってくるのを待った。

(綺麗だって、そう言ってくれればいいんだけど……もし、厚化粧だとか、気合入れすぎだって、ひかれたらどうしよう……ううん、きっとかなみさんだったら……綺麗だとかさすがだとか言ってくれるに決まっているわ……!)

 不安と期待を交互に葛藤させ続けて、徐々に待ち合わせの時間が近づいてくる。

(そ、そろそろかしら……髪、乱れてないかしら? 化粧落ちてないかしら……? 手鏡で見て……ううん、小さいからやっぱりお手洗いの方で……)

 そう思い立って、トイレに足を向けようとした時だった。

「あ、翠華さん!」

 かなみの声がした。

「――ッ!?」

 翠華は驚きのあまり、身体が飛び跳ねかけた。

「か、かかか、かなみさん!?」

「おはようございます。ちょっと早目に来たんですが、先に来てるなんてさすがですね」

「え、ええ、えぇ……! ちょ、ちょうど今来たところなんだけど……」

「そうなんですか? 待たせたら悪いかなって思いましたけど」

「そ、そんなことないわよ! い、一時間ぐらいだったら待つわよ!!」

「一時間も待たせませんよ~」

「そ、それもそうね、あははははは」

 翠華はごまかすために大げさに笑う。

「――気色悪い笑い方ね」

「みあちゃん!?」

 かなみの後ろからひょこッとみあが出てきた。

「み、みあさん、失礼ですよ!」

「紫織ちゃん!?」

 さらにみあの後ろから紫織が密かに出てくる。

「ど、どどど、どうして二人が!?」

「ごめんなさい、翠華さん!」

 かなみはペコリと謝る。

「昨日みあちゃんに話したら、あしたもついていくってきかなくて!」

「……はあ」

「映画を見るのも面白いかと思ってね」

 悪びれも無くみあは言ってくる。

「わ、私は、みあさんに一緒に来いって、言われて……」

「紫織を一人にするのも悪いかと思ってね」

「そ、そういうことだったの……」

 翠華はうつむく。

 せっかくのかなみと二人っきりで映画に来れる約束をこぎつけたのに。みあと紫織がついてくるなんて……

「あ、あの……翠華さん……?」

「う、うぅ……」

 かなみの呼びかけにも、翠華はうなだれたままだった。

「どうしたんでしょう、翠華さん?」

「さあ」

 みあはとぼける。

(せっかくのかなみさんと二人っきりでデートだったのに……これじゃ、いつもと同じ……ううん、これでよかったのかも……二人っきりになったら何も話せなくなってて……かなみさんに、幻滅されたかもしれない……逆にみあちゃん達がいた方が話しやすいのかも)

 なんとか、話がいい方向に傾いたのだと言い聞かせるように翠華は考える。

「だ、大丈夫よ。ちょっと驚いただけだから……」

「そうですか。それにしても、翠華さん」

「え、なに?」

 翠華はどこかおかしなところがないか身なりを気にする。

「服、素敵ですね」

「……え?」

 突然の誉め言葉に、翠華はキョトンとする。

「化粧もなんだか大人っぽいです」

「そ、そうかしら……?」

 翠華は顔を真っ赤にする。せっかくの化粧も台無しなのだが、かなみは気にしなかった。

「まるで、デートに来たみたいね」

 みあが一言余計に言ってくる。

「ドキッ!」

「みあちゃん! 翠華さんは彼氏にドタキャンされて、それで私を誘ってくれたのよ!」

「ふうん、彼氏ね……」

 みあは翠華を観察するように見てくる。

(……この娘、もしかして……気づいてる? 私に、彼氏なんていないことに……?)

 みあは自分達社員の中でも感知能力が特に鋭い。そのせいか、九歳とは思えないくらいしっかりしていて観察眼に長けている。時々、自分の考えが見抜かれているんじゃないかと思う時がある。

(ど、どっち……?)

 見抜かれているか、いないのか……

 翠華が心の声で問いかけると、それに気づいたのか、みあはそっぽ向く。

「早く映画観ましょう」

 そんなことを言ってくる。

「え、えぇ……」

「何の映画を観るんですか?」

 かなみに聞かれて、翠華は手元の優待券を確認する。

「えっと、この映画館でやってる映画ならなんでもいいんだけど」

「なんでも、ですか……」

 かなみ達は映画館に並んでいるポスターを見る。

「ノンストップ爆破ムービーの『ニトロコンビ』とか、

アメコミヒーローの『レッドマン』とか面白そうですね。

あ、でも『アンデット・パーティ』はホラー映画なので遠慮しますが」

「あ、『劇場版超電銅機ギガンダー』もまだやってるじゃない」

「みあちゃん、それもうチェック済みでしょ」

 紫織に指摘されてムッとする。

「当然よ。公開初日どころか試写会でも観たし」

「だったら、今日はやめた方がいいんじゃないでしょうか」

「はあ!? 観客動員数アップに貢献しなさいよ!!」

「さ、さすが、社長令嬢ね……」

 かなみは感心する。

「翠華さんは何を観るつもりだったんですか?」

「え、わ、私は……」

 翠華はあるポスターに視線を移す。

「『夢恋(ゆめこい)』……?」

 ポスターを一目見ただけでわかる恋愛映画であった。

「これを観るつもりだったんですか?」

「え、ええ……」

 翠華は頷いて肯定する。

「それじゃ、これにしましょう。いいわよね、みあちゃん、紫織ちゃん?」

「ふうん……ま、いいんじゃない」

「と、特に観たい映画はないので……」

 みあと紫織は同意したので、四人で『夢恋』を観ることになった。

「あ、でも、優待券は二枚しかなくて……みあちゃんと紫織ちゃんの分は……」

「映画ぐらい自分の財布から出すわよ」

「この前貰ったお給料があるので、大丈夫です」

「そ、そう……?」

 かなみと翠華はなんだか申し訳ない気持ちになってくる。

「あ、あの……翠華さん?」

「かなみさん、言わなくてもわかってるわ」

 翠華は財布を取り出す。

「誘ったのは私なんだから、私が払うわ」

「そんな! 私が払いますよ! 今日はお金を降ろしてきたんですから」

「か、かなみさん……私なんかの為に、そんななけなしの給料を……!」

 翠華は感動で打ち震える。

「え、え!? 翠華さん!? どうして泣いているんですか!?」

「あんたの大盤振る舞いに感動してるんでしょ。はい、子供二枚」

 みあはあっさりチケットを買ってくる。

「みあちゃん、いつの間に!?」

「あんた達、漫才やってる間よ」

「私達、別に漫才やってたわけじゃないんだけど。ねえ、翠華さん?」

「え、あ、ええ、そうね。ただ私はかなみさんが少ないお金をこの日のために使おうと一大決心してくれたことに感動して……」

「す、翠華さん!? そんな、大げさな!!」

「あ、決して大げさじゃないんだけど、ご、ごめんなさい……」

「はいはい。漫才はそのくらいにしてさっさといくわよ」

 みあに急かされて、かなみも翠華も我に返る。

「え、ええ……」

 そんなやり取りをしているうちに、みあと紫織はさっさと行ってしまう。

「大人二枚。この券で」

 翠華はそう言って、カウンターへ優待券を出す。そうして座席の券をもらう。

「結構前の方にしたけど、よかったかしら?」

「はい。前の方がよく見えますから」

 かなみは笑顔で返す。それを見ただけで、翠華はドキリとする。

「え、ええ、そうね。はい、これ座席」

「ありがとうございます。あ、これポップコーンもついてくるんですね!」

「え、ええ、そうみたい……」

「朝、何も食べてないからちょうどよかったです」

「よかったら、私の分も食べる?」

「いいんですか?」

「朝ごはん、食べてきたからいいの」

「ありがとうございます!」

 そんなやりとりをして、売店のポップコーンを受け取って劇場へ歩を進める。ちなみに一緒についてきたマニィやリュミィに料金は発生しなかった。

「ところで、この『夢恋』ってどんな映画なんですか?」

「ええ、そうね。漫画が原作の映画なの」

「へえ、そうなんですか。私、全然漫画読みませんから知らなかったですよ」

「よ、よかったら、こ、今度貸してあげるわよ」

「いいんですか!?」

 かなみは目を輝かせる。

(かなみさん、漫画を買うお金が無いけど、本当は好きで読みたいのね……)

 こんなところでも、不憫に感じてしまう。

「主人公は藍野沙織(あいのさおり)っていう女の子なんだけどね、ある日夢で見た男の子が自分の前に現れるっていう恋のお話なのよ」

「へえ、なんだか素敵ですね」

 かなみは素直にそう漏らす。

(かなみさん、そういうの好きそうだと思ってたけど、本当に好きなのね)

 なんだか予想が当たって一安心と共に、自信がついてきた。かなみへの理解が、という意味で。


ブーン


 上映開始をしらせるブザーが鳴る。

「もうすぐ始まるわ」

「はい」

 少し慌て気味に席に着く。

 そして、映画は始まる。




「……なんだか、眠たかったわ」

 みあは頬杖を突いてぼやく。

「私はとっても素敵な映画だったと思います」

 紫織は映画の一部分を思い出して、トリップしたように言う。

 かなみ、翠華、みあ、紫織の四人は映画を観終わった後、映画館のすぐ隣にあるカフェで感想会を開いていた。

「かなみさんはどうだった?」

 翠華はかなみに訊く。

「うーん……私も素敵だと思いましたよ。あんな恋愛してみたいかなって……」

「……え?」

「あんたが恋愛に興味があったなんてね」

 みあは感心したように言う。

「お、おかしい?」

「てっきり、借金返済でそれどころじゃないと思ってたのよ」

「うぅ……そりゃ、今は借金ばかりでどうやって返そうか頭がいっぱいだから」

「――!

そ、そう! そうよね! 恋愛なんてできないわよね!?」

 翠華は勢い任せに迫る。

「え、ええ……まあ、相手もいませんしね」

 かなみは苦笑して答える。

「……相手が、いない……!」

 耳寄りな情報であった。

 かなみにはお付き合いしているような相手はいない。それはわかっていたことだけど、本人の口からそれを聞くということが重要なのだ。

「映画の沙織みたいに、夢で会った人が現実に現れるといいんですけどね」

「現実はそう都合よくいかないわよ」

「……みあちゃん、それ小学三年生が言う言葉じゃないわよ」

「借金地獄につかったあんたよりは現実を知ってるつもりよ」

「うぅ……現実の方が地獄よ」

 かなみは、テーブルに頭をつけて嘆く。

「か、かなみさんにも、いつか素敵な人が、現れますよ」

 紫織は小さく手を握って、なけなしの元気を出すように言う。

「ありがとう、紫織ちゃん」

 かなみにはそれが微笑ましく、嘆きも消え去った。

「素敵な人が現れます、か……」

 翠華は感慨深く言う。

「…………………」

 その中で、みあは一人だけ急に真剣な面持ちで映画館の方へ視線を移した。

「どうしたの、みあちゃん?」

 かなみだけがその様子に気づいて、問いかける。

「……別に」

 ただそれだけ素っ気なく答える。




 その後、カフェで軽食を食べて解散になった。

「かなみさん、今日はありがとうね」

「私の方こそ! 映画なんて滅多に見れませんから楽しかったです!」

 かなみは笑顔で言ってくれる。

 それだけ、翠華は満たされた気分になる。

 思いっきりの勇気を出して、誘ってよかった、と心の底から思えた。

「ま、また、行きましょうね!」

「はい、喜んで!」

 かなみは快く応えてくれる。

「それじゃ、また」

「はい、また明日!」

 かなみと翠華は名残惜しそうに別れる。

「あ、あの……?」

 翠華と紫織は帰り道が途中まで同じだったため、まだ一緒にいた。

「何?」

「きょ、今日……」

「今日は来てくれてありがとうね」

「――!」

 紫織の声色に申し訳なさが入っているのを翠華は察した。

「あ、はい……」

(本当はかなみさんと二人っきりだったんだけど……これでよかったのかもしれないわね……)

 そう思うことにした。

 なんだかんだ言っても楽しかったのは事実なのだから。




「みあちゃん、帰らないの?」

 みあはいつまでもじっと映画館を見つめていた。

「もう一本映画見るわよ」

「ええ!?」

 思いもよらない一言が返ってきた。

「みあちゃん、まだ観たい映画があったの?」

「そうじゃないわ。ちょっと気になることがあって」

「気になること?」

「付き合いなさいよ。チケット代ならあたしが持つから」

「え、いいの!?」

 かなみは目を輝かせる。

「……むかつくから、やっぱり自分で払いなさい」

「ええ!? そんなお金、無いんだけど……」

「そんなことだと思ったわ。おごってやるのは本当だから」

「みあちゃん、本当にどうしたの!?」

 みあは顔をしかめながらも映画館に入り、かなみは続いていく。

「もしかして、いつもは映画二本はしごするのが基本だったりするのかしら?」




 そんなわけで、本日二本目の映画を観ることになった。

 『機鋼剣警(きこうけんけい)メタポリス』という特撮映画だ。

「みあちゃん、こういうの好きだよね」

 みあの部屋で特撮やアニメ鑑賞をさせられているせいで、かなみは慣れていた。

「べ、別に、あたしはこういう映画が好きなわけじゃないから」

「またまた~」

「うちの会社がスポンサーになってるから、チェックしてるだけよ!」

「え、でも、提供の欄にみあちゃんの会社の名前のってなかったような……」

「こ、細かいところまでみてるんじゃないわよ! とにかく観るの!」

「はいはい」

 かなみの態度にみあは顔をしかめる。

「……連れてこさせるんじゃなかった」

 映画が始まる。

 みあにとって、この映画を観るのは二度目。内容も頭に入っている。

(ま、二度目だから楽しめるってこともあるっていうけどね……)

 そう思いながら周囲に注意を張り巡らせる。

 前に映画が上映されている間だ。怪人と断定できないほどの弱弱しい気配だけど、野放しにしてはおけない。そんなわけで、もう一度映画観ることにした。

(とはいっても、この映画に出てくるとは限らないけど。ま、空振りかもしれないわね……)

 そんなことを考えながら映画を観る。

 映画自体はスクリーンの大画面へ所狭しと掛け巡るアクションシーンの迫力は何度観ても楽しめるものであった。

 九十分の短い時間の間に、警察のヒーローと悪の怪人の因縁のドラマも一つの県の観光名所も随所に織り込んで楽しめるようになっている。

(これはこれで面白いのよね……)

 そして、この映画の山場の一つである主役のメタポリスと敵側の犯罪者との戦いがやってくる。


ギィィィィィン!!


 メタポリスの必殺武器・デカソードと犯罪者のレーザーブレードがぶつかって派手に火花が散る。

「――!」

 その時だった。

 みあが劇場のどこかから妙な気配を感じた。

(いるわね、隅っこの方に)

 弱々しいものの確かに怪人の気配がする。

 かなみにも話そうかと、隣のシートを見てみる。

「……はあ」

 かなみは息を呑んで、前のめりになって映画を観ている。どうやらかなり魅入っているようだ。

「まったく」

 しょうがないといわんばかりに、みあはかなみは手を引く。

「ん?」

 こっちに来なさい、と目で合図を送る。

 戸惑うかなみの手を引いて、気配のした方へ行く。


スサササササ


 劇場から逃げ去っていく、わずかな足音が聞こえてくる。

「ああ、逃げられた」

「にげられた?」

 かなみには何が何だかわからなかった。

「追うわよ」

 かなみはまたわけがわからずみあに手を引かれて劇場を出る。

「みあちゃん? トイレだったら一人でもいけるでしょ?」

 せっかく夢中になっていたのにつれ出されて、かなみは不満たっぷりであった。

「あんた、あたしが一人でトイレいけないと思ってるわけ?」

「え、違うの?」

「……ムカ!」

 殴ってやろうかと思った。

 しかし、そんなことをしている場合じゃないとみあは自分を落ち着かせる。

「こっちよ」

「え、だからトイレはあっちじゃないの?」

「ああ、もう! 鈍いわね! 怪人よ!」

「え?」

「だから! 怪人が向こうに逃げていったのよ」

「え、ええ?」

 みあは映画館を出る。

「みあちゃん、怪人の追跡が出来るの?」

「一度感じた怪人の気配は見失いわよ」

「すごい……」

 はっきりと言い切るみあに、かなみは驚嘆した。

 そして、映画館を出て、すぐ隣の廃工場にまでやってきた。

「ここに怪人がいるの?」

「逃げ込んだ怪人が出て行った気配が無いわ。ここにいることは間違いないわ」

「みあちゃん、レーダーみたいだね」

「ふん。あの千歳ババアだったらもっと精度が高いわ」

「ば、ババアって……」

 実際、かなりの歳なのでそう言われても無理はないかもしれない。

「いたわ」

「――!」

 みあが視界に怪人の姿を捉えると、そう言う。

「ヌゥン!」

 その怪人は気合の一声を上げて、こちらにジャンプして、


ツルン!


 滑って、転んで廃材に飛び込んだ。

「あ……」

 かなみとみあは呆気にとられた。

「ぐ、ぐう、おのれ……! よくもやってくれたな……!」

 早くもボロボロになった黒タイツのスーツを着込んだ怪人が全身を震わせてやってくる。

 見ていて、かなり痛々しい。

「私達、何もやってないんだけど……」

「アホの怪人ね」

 みあは断言する。

「いいか! お前ら、ここは我らがネガサイドの領地! 勝手に入ることは固く禁じられている!

痛い目にあいたくなかったらさっさと立ち去れ!!」

 やたら芝居がかった口調で忠告してくる。

 普通の子供だったら、それで怖がって逃げたのかもしれない。

 だけど、かなみ達は魔法少女で、ここがネガサイドの領地だというのならむしろ好都合だ。

「それを聞いちゃ、立ち去るわけにはいかないわね」

 みあはコインを取り出す。

「え、お前等、ビビらないの!?」

 むしろ怪人の方がへっぴり腰で訊いてくる。

「そんなんでビビるわけないでしょ。笑わせにかかってるとしか思えないわ」

「わ、笑わせ!?」

「あんた、怪人の芸人? それとも、芸人の怪人?」

「げ、げい……?」

 怪人は呆気にとられている。

「カァァァットッ!」

 陰に隠れていたもう一人の怪人が叫びを上げる。

「……は?」

 みあは驚く前に呆れた。リュミィに至っては驚くどころか、その怪人を観察するようにじっと止まっている。

 その怪人は熊か何かのマスコットのちゃっちい被り物をしており、メガホンを持った、いかにも映画監督のコスプレといった姿をしていた。

「か、監督~!」

 芸人の怪人は救いを求めるように、その監督の怪人へ泣きつく。

「やっぱり、俺には無理だったんですってば! 見てくださいよあいつら、全然ビビってませんよ!!」

「ええい、情けない声を出すんじゃない! それでも主演俳優か!!」

「で、ですが~!」

「しゅ、主演俳優……?」

 かなみはとてもそうは見えない程、情けないその怪人の姿を見て思わず声を上げる。

「そうだ! こいつは、いずれ怪人アカデミー賞をとるオスカー俳優・クータ! そして、俺はその映画を指揮する総監督・ホントック! そして、こいつがカメラマンのスコップ!」

 ついでのように、頭がカメラの形をした怪人が控え気味に陰からひょっこり出ている。

「わ~……パチパチ」

 主演俳優よりも堂々とした監督の名乗りに、みあは心無い拍手を送る。

「それで、ここで何をやってるわけ?」

 かなみが訊く。

「何をやっているかって!? 決まってるだろうが!!」

 監督のホントックはそれこそ俳優の怪人よりも大仰に芝居がかった身振りで答える。

「監督と! 俳優と! カメラマンが! いれば!

映画を撮るってな!!」

 ホントック会心の返答に、かなみとみあは互いに顔を見合わせる。

「映画を撮る怪人? そんなのいるわけ?」

「さ、さあ……でも、いないとも、思えないけど……」

 かなみは自信無く答える。

「……こんなアホっぽい連中が、あたしらをだまそうとするなんて思えないけど」

 みあはそう言って、腕を組んで彼等を観察する。

「あんたら、何の映画撮ってるの?」

「よくぞきいてくれた!!」

 ホントックはまたも大仰な身振りで答える。

「俺が撮るのは、ネガサイドのハリウッド支部も真っ青な超大作だ!」

 ハリウッドにも支部があるのね、とかなみはそっちの方に驚く。

「んで、どんな映画かって、訊いてるのよ」

 みあの問いかけに、「むむ」とホントックの勢いがそがれる。

「それがまだ構想段階でな。参考なまでに隣の映画とかいろいろ観てたんだが」

「ああ、それで映画館に忍び込んでたのね」

 かなみ達は納得がいった。

「もう一息で超大作が出来そうなんだけどな! 仕方ない、もう一本観てくるか!」

 そう言ってハントックは廃工場を出て行く。

「あ……」

 止める間も無かった。

「みあちゃん、放っていっていい?」

「さあ……見たところ、害は無さそうだったけど」

「映画はタダ見してるのはどうかと思うけど」

 かなみは苦笑する。

 そして、みあはクータとスコップの方を見る。

「ひええ、どうか見逃してください!」

 クータは合掌して懇願する。

「警察に突き出すのだけは勘弁してください」

 スコップは顔のカメラのレンズを手で覆う。

 そのある意味では想像もしなかった情けない怪人の姿にかなみ達は呆れた。

「みあちゃん……」

「言わなくてもわかるわ、見逃しましょう」

 今回は仕事の依頼を受けたわけじゃない。たまたま、映画館に来て害の無い怪人を見つけただけだ。

 ここで、倒さなくちゃならない理由は無い。

「うん」

 かなみとみあはそのまま立ち去った。

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