5 経

 あの日、生産工場に井芹さんが来ていると気づいたのは昼食時だ。

 工場の近所から通い、昼食は家で摂るパートやシルバーさんを除けば、社員のすべてが食堂に集まる。

 もっとも食堂といっても昼食時以外は会議室で、ただしその奥にシンクがあるという構造だ。

 自分でお弁当を持ってくる人以外は皆、そこで仕出し(宅配)の弁当を食べる。

 神奈川の本社から工場に出向く社員にしても、よほどの変わり者でない限り、仕出し弁当を頼むことになる。

 だからぼくと井芹さんも事前に経理の担当者に連絡をし、その日の朝に代金を払っている。

 工場の弁当には三種類あり、ぼくが選んだのは、ごく普通タイプのBランチだ、

 Aランチが蕎麦か饂飩で、Cランチがレディース&ヘルシーとなる。

 他の会社では知らないが、ぼくと井芹さんが勤める本社では弁当は個人の机で食べる。

 労働組合関連の会議でもあれば事情は変わるが、基本は席を移動しない。

 工場では食堂を使うが、こちらは、男は男、女は女で席を固める。

 ……といって特に親しく話すこともなく、それぞれが食べ終われば片づけをし、喫煙者は喫煙場所に、本を読んだり仮眠を摂ったりするものは、その場に残るか、自席に戻る。

 他に食堂に残った組は将棋やオセロに興じている。

 ぼくも井芹さんも工場で働く会社の人間とは顔見知りだが、日常的に会う本社の社員と比べると距離感が違う。

 それでも話し好きは話しかけてくるが、会社のこと以外、共通点も少ないので長くは続かない。

 だから食事を終え、しばらく一人でぼくは井芹さんが食事を終えるのを待ったのだろうか。

 井芹さんもそのことには気づいたらしいが、それで自身の摂食スピードを速めるような真似はしない。

 つまり、いつもと同じマイペース。

 とても井芹さんらしい振舞いだ。

 だが、やがて井芹さんの食事も終わり……。

「井芹さんもこっちに来てたんだ。知らなかったよ」

「わたしも宮野さんがいるんで驚いたわ」

 そんなふうに会話が始まる。

 井芹さんの傍から工場勤務の女性が去り、そこにぼくが腰かけて訊ねる。

「何の用で」

「労基法関連。詳しく聞きたい」

「いや、いい」

「そっちは」

「製造指図書通りに工場側がモノを作っているかどうかの確認作業。で、接着工程とかもあるから明日までの予定。問題があれば明後日まで」

「ふうん、わたしも明日のお昼までかかるわよ」

「泊まり先は」

「今回は駅前の東急インね」

「そう。ぼくの方は寮……というか会社のアパートだな」

「ああ、あれはどこにあるの」

「会社と駅の中間点で、どちらかというと駅寄りだな。道を隔てて新幹線の高架線路が見えるよ」

「じゃあ、帰りは工場の誰かに送ってもらうわけね」

「それは井芹さんだって同じだろう」

「それはね。で、行きも……。わたしは駅でタクシーを拾うけど、中途半端な位置だと誰かが寄るしかないわね」

「うん。まだお願いしてないけど、村本さんになるんじゃないかな。たぶん今日の帰りも」

「そう。わたしは経理の鈴木さん辺りかな。まあ、みんな車だけどね」

「田舎は車がないとどうにもならないからね。で、夕食は……」

「せっかくだからどこかに出かけましょうって、午前中の休み時間に誘われたわ。そっちは」

「同じだな。でもメンバーが違う」

「一緒でもいいけど大人数だと動き難いか」

「店を探すのが大変ってこと。でも。この辺りで込み合うとも思えないけど」

 そのときにはまだ、ぼくは井芹さんの部屋を訪れようと考えていない。

 井芹さんの方も同じだろう。

 けれども仕事が終わり、製造課の人たち有志とアルコール抜きの食事をし、村本さんにアパートまで送って貰い、妻と電話で話して一時間ほどすると部屋の固定電話のベルが鳴る。

 誰か会社の人間からの用事と思い、送受機を取ると井芹さんの声が言う。

「わたしに会いたくない」

「つまり会いたいわけね」

「そうでもないけど、でもお酒を飲みたいわね」

「歩くと駅まで二十分かかるけど」

「いいわ。携帯番号を教えて」

 それで教える、ぼくも井芹さんに番号を訊き、それをメモると

「ねえ、電話がかかってびっくりした」

「そりゃあね。どうして知ったわけ」

「聞いたのよ」

「ヤバクない」

「嘘よ。普通に連絡先一覧に記してあったわ。工場の経理兼総務の事務室に……」

「なるほど」

「じゃ、待ってるから」

 それで鍵を閉め、ぼくがアパートを出る。

 不慣れな土地だが、前に同じアパートに止まったとき駅まで歩いたので道はわかる。

 だがその時点になっても、ぼくは井芹さんと酒を飲む以外の想像をしていない。

 ただし、その想像にはワクワクする。

 井芹さんの可愛い顔がこれから見られると想うと気も弾む。

 ぼくがプレイボーイだったら、おそらくヤルことしか考えなかったと想う。

 けれどもぼくはプレイボーイではないので純粋に同じ場所にいられることを喜んだのだ。

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