4 偶

 その予感が現実になるのは偶然が重なったからで、互いに一言も相手が好きだと口にしなくても、ぼくたちは以前から好き合っていたようだ。

 言葉にすれば陳腐だが、事実そうでなければ、互いに結婚していたにも拘らず一線を越えることはなかったと思う。

 それともそうではないのだろうか。


 ぼくの容姿はごく普通だ。

 テレビのバラエティー番組のような奇跡の一葉が撮れればイケメンだが、普段は特に目立ちもしない。

 身長は男子の平均よりも約六センチ高い一七六センチで体重は五十八キロ。

 学生時代と比べれば太ったが、お腹が出るところまで行っていない。

 筋肉が嫌いなのでムキムキ感はゼロだが、良く歩くので、それなりの筋力はある。

 一方井芹さんは顔……というか頭部全体がふんわりと丸く、身長は平均的だ。

 正確な値は知らないが一六十センチ弱ではなかろうか。

 つまりその世代の女子の平均身長とほぼ等しい。

 今年二十六歳だから当然大人なのだが、体型は子供のようで胸も小さい。

 そのサイズはぼくの掌を丸めて被せるとすっぽり納まる感じか。

 割合的にぼくより足が長いが、モデルのように長くはない。

 また太ってはいないが痩せているわけでもなく、若い女の一般に近いのかもしれない。

 正直言って顔は可愛い。

 だが、それは子供のような可愛さだ。

 ぼくは好きだが、そうでない人もいるだろう。

 身体全体から感じる印象は大らかなふてぶてしさと言ったところ。

 ある種独特なオーラを発するのだ。

 真面目にものを考えるのがばかばかしいと思わせるというか、世の中はなるようにしかならないのだから無駄に逆らうな、と感じさせるというか。

 さらに言葉遣いは丁寧なのにぞんざいだから、その印象が強まる。

 無自覚に見えたその態度について本人に自覚があるらしいことは前に話してわかったが、自分からそれを直す気はないだろう。

 加えて上から目線のところもある。

 前に井芹さんが自分の父親を評したのと同様な……。

 だからふてぶてしさがより強まる。

 もちろんその分モノに動じない印象も深い。

 実際に腕を触れば華奢で折れそうだが、そうしなければ鉄の棒でも入っているのではなかろうかと他人に感じさせるほどに……。

 それを本人に言うと笑ったが、その後、「そんなガイノイドもいいわね」と答えたから、力そのものには飢えがあるのかもしれない。

 ところでぼくが筋肉……一般ではなく男の筋肉を嫌うのは、それが昔から引き継がれた伝統思想に繋がるからだ。

 もちろんぼくだけの感覚かもしれない。

 いわゆる力による暴力的な支配を想起させる。

 もちろん心優しい例外が多くいることをぼくは知っている。

 だがそれ以上に筋肉からぼくの連想が走るのはいわゆる家父長制で、男は偉い、大前提としてとにかく偉い、だから弱い女(子供)を守るという考え方がとても苦手だ。

 はっきりいえば好きではない。

 というより大嫌いか。

 自分がそういう類の人間ではなく、力がなければ、運動神経もなく、さらにいえば責任感も薄いと幼い頃に気づいてしまった結果の自己擁護とも思えるが、しかしたとえそうだとしても、その想いが消えないのは事実だからどうにもならない。

 人は自分で自分を肯定できなければ、やがて毀れる。

 これまでのぼくの長くはない人生でさえ毀れた者が数人いる。

 その中には自ら進んで毀れる人もあるだろうが、多くの人は違うはずだ。

 もちろん、ぼくも違う。

 ちなみに女の筋肉、特に腹筋はぼくの好みだ。

 この世の中には男と同じで暴力的な女はいくらでもいるだろうが、それを簡単に棚上げしてしまう自分の感覚が自己欺瞞だとも言い切れない。

 結局のところ、矛盾こそ人なり、と開き直るしかないようだ。

 そもそもある種の人の悩みは、そういった自己が抱える統一性のなさを気持ち悪く感じるところから始まるのではないか。

 それならばその気持ち悪さを感じない/感じ難いように訓練すれば自ずと悩みも消えると考えられるが、どうだろう。

 まあ、ぼくの手前勝手な推論なので真偽の程はわからないが……。 


 井芹さんとぼくが同衾したのは東京ではない。

 互いに知らずに別用で静岡にある生産工場に出向き、そこで会ったのが発端だ。

 けれども工場での用は大抵一日で終わるから、普通ならば、せいぜい夜に食事をし、その後互いの家に帰ることになったはずだ。

 妻あるいは夫が待つ、それぞれの家に……。

 ところがぼくの用事は数日に渡る予定で、また井芹さんの用事も一日半必要と知る。

 それで成り行きとはいえ、同じ朝日を見ることになったのだ。

 井芹さんもぼくも互いの家庭を毀す気がないので、どうしようもなく惹かれ合った恋人たちのような深刻さはない。

 いずれ二人の選ぶ道が駆け落ちに至るかもしれないという感覚ではないのだ。

 だから眩しい朝日の下でぼくは井芹さんの可愛らしさを存分に味わったし、井芹さんも自分が好きなぼくの部分を味わえたのだろう。

 先行きに不安がないでもないが、別にこれ一回の関係で終わっても構わないという潔ささえあったと思う。

 社内で初めて出会い、これまでの期間、実は互いに好き合っていたことが確認できたのだから後はもういらないでしょ、と感じたとでも言えば良いのか。

 あるいは二人が心で繋がっていることがわかったから、この先はそれぞれの家庭を大切にしましょうね、といった感覚だろうか。

 確かにぼくと井芹さんが、ぼくが妻と会う前で井芹さんが現在の彼女の夫と出会う前に出会ったなら、ぼくたちはその時点で結ばれていたと思う。

 けれども現実は、すでに互いに好きな人があり、それぞれがその人たちと結婚していたのだ。

 その関係を毀そうという気が、ぼくにも井芹さんにも起こらない。

 言葉に出して確認したわけではないので、実はそれがぼくの勘違いだったという可能性は否定しないが、おそらくそんなことはないだろう。

 妻との場合でもそうだが、わかる心はわかるのだ。

 経験のない人には不思議に感じられるかもしれないが、結ばれた二人の心とはそういうものだ。

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