不倫の季節

り(PN)

1 夢

「夢を見たのよ」

「どんな夢を」

「もちろん宮野さんの夢に決まっているわ」

「ああ、そう」

「でも夢の中でわたしが喋っていたのは宮野さんの奥さん。とても綺麗なのね。吃驚したわ」

「会ったこともないのにか」

「だけど美人なんでしょ」

「残念ながら美人ではないな。どちらかと言うと可愛い類だ。自分でも、いつもそう言ってる」

「へえ、いいわね。素敵じゃない」

「しかし、ぼくと結婚するくらいだからね。性格は奇矯だよ」

「宮野さん、自分で言うほどヘンな人じゃないわ」

「それは井芹さんがぼくに輪をかけてヘンな人だから、そう思うだけだろう」

「酷い言い草」

「もちろん万人に肯定しろとは言わないよ。だけど少なくともぼくにはそう思える」

「それじゃ、ヘンな者同士で乾杯」

「ああ、乾杯」

 カチンとカップが音を立てる。

 ついでもう一回カチン。

 外が暑いからビールが上手い。

 周りの喧騒も味のうちか。

「美味しいわ」

「そうだね」

 二人でビアホールに入り、彼女もビールを注文する。

 ぼくは生で、彼女は黒生ハーフ&ハーフだ。

 メニューで見つけ、それを頼む。

 前にご主人と飲んで気に入ったと真顔で語る。

「だってさ、黒ビールだけだと甘過ぎて……」

「でも生だけだと、苦いんだろう」

「ご明察」

「女性の味覚なのかな」

「そんなことないと思うわよ。それに昔はわたし、ビールを飲まなかったし」

「ビールは旦那さんの趣向」

「いいえ、父なのよ。結婚する前に一度は付き合えって、それからずっと……」

「家で」

「そう、家で、最初は……。その後何回か外でも」

「嫁にやるのが惜しくなったのかな」

「本当に、そんな感じだわ。結婚前提の彼氏を家に連れて行く前は、嫁に行け、早く嫁に行けの連続だったから。口を開けば、おまえは獲り得がなくて口の利き方が傍若無人だから、せめて若い内じゃないと相手がいないぞ、ってしょっちゅう」

「口の利き方が傍若無人なのは、その通りだけどね。さすがはお父さんだ」

「それを言うなら父だって相当なのよ。自分では気づいてないみたいだけど。まあ、家族の前では違うからいいけど」

「外では酷いっていうこと」

「部下なのか上司なのか知らないけど、高校生の頃に父とデートをしていたら、父より若い人が近づいて来てね」

「その人との会話が傍若無人だったと」

「……というか、謙らないというのが正解なのかな。言葉遣いは丁寧なのよ。でも」

「自分が一番偉い感じだろ」

「ええ、大体そんな感じ」

「井芹さんもそうだよ」

「うん。言うと思った」

「まあ、人をイラつかせるタイプじゃないけどね」

「でも、それだって人に因るんじゃない」

「確かに」

「でね、わかると思うけど、自分じゃ、自覚がないのよ」

「親に大切に育てられた結果なのかな」

「確かに虐待はされなかったわよ。でも殴られたことならあるわ」

「当然、井芹さんに非があったんだろう」

「殴られた原因は忘れたな。殴られたこと自体に吃驚して」

「初めてだったわけ」

「何にだって初めてがあるわ。でも、そう。中学も終わりの頃……」

「万引きでもしたの」

「まさか。わたし手癖は悪くないのよ。でも万引きの経験はあるな」

「だけど返した」

「良くわかるわね。返したときの方がドキドキしたな。もし気づいていたなら、お店のおじさんもドキドキしてたと思う」

「盗んだときに気づかれたわけ」

「さあ、わからない。でも、そんな気もする」

「獲物は……」

「何処にでもある鉛筆よ。特に欲しかったわけでもない商品。だから盗むときに緊張しない。態度もとても落ち着いていたはず。だから犯罪のオーラなんてありえない」

「それでも見れば気づくだろう」

「実際に現場を目撃すればね。でも、わたしはレジの方を振り返らない。だから知らない」

「なるほど」

「それに店番が近所に住む知り合いだったから。もしかしたら目撃したけど、切り出すタイミングを逸したのかもね。宮野さんにも似たような経験がありそう」

「鉛筆まで同じとは思わなかったけど、ぼくの場合はケースごとだな。そういう売られ方をしていた商品で、やはり近所の文具屋だ」

「罪深いわね」

「しかも返したのが三日も経ってからだから向こうも驚いたかもね」

「当然盗まれたことには気づいていたから、まさか、返って来るなんてと」

「たぶん」

「そして今そのお店は潰れている」

「確かに後年店はなくなったけど潰れたわけじゃないよ。跡継ぎのいない引退だから。跡地はマンションになったな」

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