第677話 第1章 3-6 デリナの影
「ホレイサン人は信用できない、か」
また楽しそうに笑う。
「何かほかに質問はないか?」
「ここはおぬしの私邸か? どこまで歩いて回れる?」
「私邸だが公邸だ。マヒコごときでは近寄れもしない。安心せよ。塀の内ならば、好きに散策してかまわんぞ。ただし、外に出るのは得策ではない。たまに聖地やディスケルの要人が客として訪れるが、何者が現れようとも見て見ぬふりを。向こうもそうする」
「う、うむ……」
その意味を測りかね、パオン=ミは生返事をした。こんなところで、まさか知った人物が現れるというのだろうか。だとすれば、それは何者なのか……?
ミナモへ訪ねても、何も答えないだろう。
(それならそれでよい。お言葉とおり、せいぜい利用させてもらおうか)
パオン=ミは決心し、
「馳走になった」
云うや、席を立った。ミナモが目を細めてその後ろ姿を見つめた。
それからパオン=ミは余計なことは何も云わず、マレッティとマラカの介抱に専念した。薬や食事は特上であったし、パオン=ミのガリアが遣えるのが大きい。肉体の傷は上々の回復ぶりだった。とはいえ、パオン=ミのガリアは本来回復の力ではない。ガリアの応用に過ぎない。本来は火炎の呪符であり、他の力……小動物や物体への変化、肉体の回復等……というのは、パオン=ミが修行して「そういうふうに遣えるようにした」ものである。したがって、たちどころに傷が癒えるというものでもない。回復が早まり、しっかり治る副次的な効果だ。なにより火の力による消毒作用が大きい。
とはいえこの世界の治療では、人間の顔みたいに腫れて膿の溜まっていたマレッティの足は破傷風や
マラカも少しづつ目の光が戻ってきていた。何がどこまで彼女の心の中で変化しているのかは、分からないが……。
その日は薄曇りで、夏も近づきやや蒸し暑かった。マレッティが額の汗をぬぐい、痛みに耐えながらゆっくり地面を歩いていると、正門の方角より広い庭を歩いてくる黒いフード姿の人物がその蒼い眼に映った。細見だがやけに背が高い。フードはこちら側のもので、見慣れたフード付マントというより頭から全身を覆うゆるやかな衣服と一体となったものだった。眼のところだけ四角い穴が開いており、頭には被り物をしている。よく見ると黒くて大きな布をすっぽりかぶっているように見えるが、頭部、肩部、服にスカート、それにマントと厳格に分かれている。女性だった。
(でっかい女ねえ、あんな大きい人がこっちにもいるなんて……)
と、思った瞬間、マレッティは全身に震えが来た。あの澄んだ湖めいた、自分と同じような蒼い眼は。
「ま……! まさ……か……!」
マレッティが痛み、もつれる足を懸命に引きずってその人物へ近づく。が、声はかけなかった。確証がなかったし、その人物は囚われているはずだったから……。
人物が正面玄関より建物の中へ入ると、マレッティは急いで裏口へまわって自分たちへ与えられている一隅へ行き、マラカの世話をしていたパオン=ミへ素早く打ち明ける。
「なに……デリナが……!?」
で、あった。
「お願い、パオン=ミ……」
マレッティの必死な懇願に、パオン=ミがガリアを出す。ガリアはネズミや蛾となってこの隙間だらけの建築物を自在に探索する。
「だが、そう甘くはないと思うぞ」
その通り、デリナと思わしき人物が召使に通された一間は、ガリアの侵入を許さなかった。
「だったら、あたしが直に行くから」
「待て待て、室内へ入るのは無理だが、声だけはなんとか聞こえる。ほれ、声で判断せよ」
天井裏へ忍んだガリアの変化した小動物が、聞き耳を立てる。その音を拾い、パオン=ミの差し出す符から聞こえてくるのだ。
「便利よねえ、あんたのガリア……なんでこんなことができるの?」
それは、竜との戦いではなく間者としてガリアを遣う人間の発想の転換というやつだろう。
「感心している場合か。早う聴け」
やがて、客間へ誰かが入る音がした。声からすると、ミナモだ。
「あいつ、ほんとにこの屋敷の主人なのね」
「シッ」
パオン=ミも耳をそばだてる。小さいうえにくぐもった声が、なんとか聞こえる。
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