第653話 第3章 7-3 月下詩

 それからまた異なる場所で違う指示をし、報告を受けてスティッキィの元へ戻ると、スティッキィがまたあのストゥーリアの曲で踊りを踊っていた。皇太子からリクエストされたのだ。カンナが末席のところでただ立って控えていたので、あわててライバが駆けよる。どこぞの下女へ成りすましている間者が近づいて毒針でも打たれたら、それでおしまいだ。ライバもガリアは遣えないが、小刀を隠し持っている。ライバのガリアの力は瞬間移動であり、炎や電撃等ではない。実際に戦うために最低限の体術は心得ている。アーレグ流の小剣術を学んでいた。


 じっさいには、デリナの猛毒にも耐えたカンナの肉体である。人間が即死するという程度の毒では、熱を出すだけであるが……。


 「カンナさん、周囲に何か妙な動きはありますか?」

 「いやあ、とくになんにも……」


 そういうカンナの眼がうつろである。集中力が切れて、疲れているのだ。宴会は夕刻から始まってもう二刻半(五時間ほど)を過ぎている。ただ立っているだけだ。無理もない。


 「もうちょっとですから頑張って」

 「うん……」


 スティッキィの踊りが終わり、拍手喝采で戻ってくる。これでほとんど姫たちの余興は終わったので、あとはゆるゆると午前様に宴が終了するのを待つだけだ。


 「ひゃー、まさか、大トリとはねえ……」

 スティッキィもいきなりふられて焦ったようだ。踊るのは分かっていたが、最後とは。


 「妃殿下は、なにかやるのかな?」


 カンナと二人でスティッキィの乱れた髪や衣装を素早く直しながら、ライバがささやく。


 「やらないはずよお」

 「じゃ、あとは難なく終わるだけか……」

 「だといいけどねえ」

 「最後に何か仕掛けてくるかも」

 「気を抜かないことね」

 「わかってる」


 と、皇太子妃が用足しで席をはずし、ふと見やると第二・第三夫人も何かの用事で席をはずしていたその一瞬、一人の姫がほろよい加減で皇太子の前へ行き、両袖を合わせて礼をすると、


 「殿下、たまには私めにも二人きりでお話の機を賜りとうございます。中庭へどうぞ、月がきれいです」


 と云った。「しまった!」と、他の姫たちの顔がいっせいに歪んだ。三人のいない隙に皇太子を独り占めとは、そのタイミングをずっと狙っていたこの姫の勝ちである。


 が、スティッキィだけは恐怖で顔を凍りつかせた。

 「ちょっと、あいつ、誰よ!? いつのまに……」


 あわてて立って後をつけようとするが、さすがにそこは遠慮するのが礼儀だ。その姫の下女たちがすごい顔でスティッキィを制した。他の姫らも驚愕の表情でスティッキィを凝視する。


 「なんなの、あの礼儀知らず……!」

 「図々しいにもほどが……!」

 であった。

 「さすが、西蛮戎せいばんい金毛人こんもうじんですこと」


 なんと云われようと知ったことではないが、ここは同行するのは無理だ。仕方も無く、自席へ戻る。


 「どうしよう、ライバ」

 「手は打ってある……凄腕の御庭番を信じよう」


 こんな一瞬で仕掛けてくるとは恐れ入った。実は本当にただ皇太子と逢瀬を楽しみたいだけなのかもしれないが……わからぬ。


 二人は中庭で月を愛でながらしばし散策し、普通に会話をして、しばし二人きりの時間を味わった。気づくと両夫人が戻ってきており、すごい顔でスティッキィを見ている。スティッキィは顔を歪め、小さく首を振った。カルンがうなずき、トァン=ルゥがやおら立って歩き出したので、他の姫たちは緊張で酔いも醒めて、一瞬、場が静まり返った。が、トァン=ルゥはそのまま下女を引き連れてどこかへ行ってしまった。緊張が解け、場がまたざわつきだす。


 「殿下、池に映る月もまた、風流があってよろしゅうございます。この詩をご存じですか?」


 と、姫が高名な川面へ移る月を詠んだ詩を美声で吟じながら皇太子をいざない、大きな池へ近づく。


 「もちろん知っておる」


 皇太子も詩の後半を吟じながら、池のほとりへ立った。じっさい、天の月と池に映る月とが合わさって美しい。


 詩を吟じ終え、しばし二人はその二つの月を静かに眺めた。

 と、姫が緊張を隠しきれずに、見た目にもしだす。

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